あの日、あの時
市中学卓球選手権大会up!



2009年06月28日
市中学卓球選手権大会

蒸し暑い午前中、息子の多給の試合を観に行った。今日は団体戦ということだが、Aチークが欠場で、息子はBチームに3年生と共に出場であった。初戦のシングルスは体の動きが悪く負け、2戦目のダブルスは勝ち、その後も2勝して、結局ベスト8入りを果たしたという。残念ながら最初の2試合で帰った僕は、残りの大活躍を観られなかったというわけだ。それにしても、伸びてきたなあ!もう、背丈も抜かされてしまった。




2008年08月23日
ここまで来たら、サハリンビール!

最北端の島、利尻&礼文島へ行って来た。登山ではなく、フラワートレッキングのツアーであったが、礼文島の桃岩遊歩道など素晴らしい洋上アルプスともいうべきルートに感嘆した。ところで、帰りの稚内空港ではこんなビールが!何とも魅惑的だが、これが地ビールだというのだから、さすがだ!!




2008年05月10日
GW穂高(91年頃)

89年のGWに初めて室堂へ行き、真っ白な剣岳を見た。翌年からは穂高へ転進して、前穂北尾根や奥穂から西穂への縦走などをガイド登山で経験した。伸び盛りの懐かしい写真だ。(奥穂高山頂にて、バックにジャンダルム)




2008年03月08日
三浦綾子文学記念館

北海道へ流氷ツアーに出かけた折、旭川で三浦綾子文学記念館に寄った。大きなツララの目立つ六角形の建物は冬の厳しさを感じさせたが、館内では「塩狩峠」や「道ありき」などの懐かしい作品との再会を果たした。クリスチャンでない自分だが、信仰と愛をテーマにした彼女の作品には、学生の頃に大いに魅了されたのだった。ノブオとフジコ、胸の中で様々な感懐が沸き起こっていた。




2008年02月25日
現代っ子1セグ君

福岡からの帰路、寝台特急の中で異彩を放った新兵器。なんと1セグTVが視聴可能。これを狙って買い換えたわけではないのだが、既に標準装備されているとのこと。時代はどんどん変わっていくな・・。




2008年02月10日
夕映えの富士

本番入試を終えて、ハマの高層ビルで打ち上げをした。25Fからの眺めはさすがに雄大で、富士山も夕映えにその優美な影のシルエットを披露した。




2008年01月03日
開運号がやってきた!

ご近所の知り合いと奥多摩の御嶽へ初詣へ行った。天気は良く風もなく、絶好の初詣日和だった。往復は勿論ケーブルカーだが、年末年始は「希望号」「開運号」と名称を変えて運行する。元の名前はうっかりしたが、開運とは如何にも御利益がありそうだ。さあ、思い切って飛び乗ろう!




2007年11月23日
算盤フェステイバル、準優勝!

小6の息子がゲットした大きな大きな勲章。日頃通っている算盤塾の仲間と参加した算盤フェステイバル(第2部総合競技の部)で見事に準優勝!親も縁の無かったトロフィーを我が家に持ち帰った。こりゃ、もう大変だ〜!ワールドカップ準優勝みたいだぜ〜!(と親ばか度も最高潮)どうぞご勘弁を・・。




2007年11月05日
アプトの道

群馬と長野の県境に碓氷峠がある。かつて、信越本線がこの急勾配をアプト式と呼ばれるレールで登っていった。そして今、この区間は廃線となったが、鉄道文化村として保存され、アプトの道として歩けるようになった。このトンネルを抜けて「めがね橋」と呼ばれる第三橋梁まで横川駅から片道80分ほど。途中にある「とうげの湯」もナイス!




2007年10月13日
ここが扇山だ!

雨で2度ほど延期になっていたハイキング。今日は良い天気で全員無事扇山(1138m)に登頂!昼食にはグレープフルーツと梨も登場し、秋の味覚に舌鼓をを打った。帰りは君恋温泉で一浴、里芋とこんにゃくの煮付けのサービスに大いに喜ぶ。何だか山岳部復活のようで、うれしい山となった。(イラスト処理をしています)




2007年09月02日
金魚と一緒

今年の息子の誕生日のプレゼントは金魚だった。本当はネコが飼いたかったのだが、マンションではね・・。よく世話をしているが、いつの間にか一緒に水槽に住むことになってしまったらしい。




2007年07月27日
北の漁り火

函館は湯ノ川温泉から見た漁り火。右手側には遠く函館山の夜景も目に入ったが、この黒雲に映える漁り火に胸が怪しく高鳴るのだった。




2007年06月18日
やっぱり、ELVIS!

何を今更という感じではあるが、やっぱり、ELVISなのだ。空梅雨であろうが、夏至であろうが、日々の仕事がなかなかきつかろうが、僕を癒してくれるのはやはり「ELVIS」なのだ・・。

これはヤフオクでゲットしたゴールドレコードだが、とても健康的な60年代的なELVISが微笑んでいる。曲は「好きにならずにいられない」と「今夜はひとりかい」である。後者はELVISのコンサートのエンデイングで有名な曲、クラッシックの「愛の喜び」を原曲に映画「ブルーハワイ」の為に作られた。

後者は所謂「アンサーソング」がこれでもかと出来てしまった有名なヒット曲。ラスベガスのステージではお決まりの人気曲であった。それは、途中の語りの魅力にあるのだが、晩年にはそれ故に一層の哀愁をも醸しだして思わず涙ぐんでしまうほどの歌だった。

ZARDの坂井泉水も亡くなってしまったが、僕にとってのELVISはやはり人生の応援歌であり、永遠のアイドルであることは間違いがない。

いいぞ、ELVIS!いつまでも、僕たちにあなたのパワーを注ぎ続けてくれ!




2007年03月25日
家族の肖像〜ある夕刻に〜

休日の夕刻、家族でとあるコンサートに出かけた。本番までの時間を利用してのテイータイム、僕はもうワインを頼んでしまった。




2007年01月15日
名クライマー、ステファン・グロバッツと共に!(91年頃)

神奈川高体連登山専門部の春の大会に、何と当時の名フリークライマー、ステファン・グロバッツ氏(中央左)がやってきた!顧問一同大人げもなく、一緒に記念写真を撮らせて貰ったわけだが、いやあ〜、やっぱりカッコイイよね。今は亡き岳友の顔も見える。




2006年11月26日
食事会

久しぶりに家族が揃った。いつもは実家ですしパーテイだが、今日はちょっとお洒落にホテルでお食事会だ。思い出すと、昨年のこの時期から親父の入退院があったりしたのだった。こうして、みんなが元気に会えることが一番なのだなとしみじみ感じた。(ポスター加工をしています)




2006年10月01日
阿蘇山に登る(79年夏)

大学1年生の夏、初めて阿蘇山に登った。このトリオは妙に気が合い、今だに親交が篤い。何故に阿蘇山かと言えば、実はK君の故郷が佐賀で、皆で遊びに行った折りに出向いたというのが真相だ。この他にも、九十九島巡りや隠れキリシタンの里を巡ったりもしたが、とにかく熱い夏だったと記憶している。面影あるかな?




2006年09月03日
高尾山の夏(山岳部復活?)

夏季講座の仕上げ?に、有志で地元の高尾山に行った。スイカを背負っていき、山頂で食べたが余ってしまい、周囲の親子連れにもお裾分けして喜んで頂いた。何故か、お揃のような白いタオルが妙に可笑しかった。




2006年04月30日
涸沢への道(91年頃)

上高地から横尾を経て、雪の谷をひたすらつめると、そこには白銀の別世界が拓けていた。ここが、涸沢カール、そして、穂高なのだ!




2005年05月26日
正義は勝つ!(東京地裁)

労働組合員であるという理由だけで、20年間も担任を外される。こんな差別が教育現場であっていいはずがない。神奈川の労働委員会、東京の中央労働委員会の勝利命令を上回る内容での完全勝利。喜びが爆発した。




2004年09月19日
アシカリ君(92年夏)

学生ポーターの彼は、新しい時代のパキスタンを感じさせました。彼の背中にはマイ・バッグ、貸したつもりがプレゼントに・・。




2003年09月14日
大丈夫かな?(97年頃)

一度はこうして背負いたくなるもの。息子のけげんそうな顔がナイス!(ポスター風に加工)




2003年06月08日
文学散歩(79年春)

国文科の新人歓迎は、東京下町の文学散歩。いざ、出陣の晴れやかな笑顔です。それにしても、みんなフレッシュ!