☆過去の「あれこれ」★ 2003年 2004年 2005年 ☆特別寄稿 by my son

雑木林(日々のあれこれ)
「訃報」up!


2008年04月30日 訃報

世間はGWということになるが、大学時代の恩師が先月末に亡くなったことを最近知った。M先生は僕らのクラスの担任で、その頃既に還暦を過ぎていたにしては素晴らしくエネルギッシュで、僕らに常に良い刺激を与えて下さる先生だった。この先生の元で、僕は初めて文体論や形態素論などを学び、国語学の世界へ導かれたのだった。

先生との一番の思い出は、夏の軽井沢の合宿だった。当時、「牛の会」という国語学有志の会があり、実質的にはM先生門下が集う勉強会のようなものがあった。夏には軽井沢にある先生の別荘に集まり、飲食を共にしながら大らかな学問の会が開かれていた。参加者は何か一つ研究発表のようなものをしなくてはならず、年少の僕らには少々荷が重い部分もあったが、諸先輩方から温かい?アドバイスを頂き、それが終わればビールや酒を飲みながら更に様々な話題が語られていくこの会は、なかなか魅力的であった。

軽井沢の別荘は、本当に避暑のために建てられた質素なもので、華美なものや豪奢なものを嫌う先生の気風が感じられた。その別荘で、僕は忘れが難い思い出が一つある。それは、白樺の樹を輪切りにしたコースターであった。表面にはユリのような黄色い花が描かれてあった。僕は、そのコースターがとても気に入って、勉強会後の飲み会で大胆にも先生に声をかけてしまったのだ。

「これ、とても綺麗ですね。先生がお作りになったんですか」、すると先生は、
「これかい、これは娘が作ったモノなんだよ。確かニッコウキスゲといったなあ、この花は・・」
「一体、どんな娘さんなんですか?」
と、最後の質問は胸の中にしまいつつ、このコースターを結果的に僕は先生から頂いたのであった。

そして、このコースターは未だに僕の机の上にある。結局、娘さんとの出会いは果たされなかったが、このコースターを見るたび、軽井沢の合宿を思い出し、M先生を思い出すのだった。その、先生が亡くなった。

M先生の直接の弟子であり、現在は大学で教鞭をとっている同級生のHから先生の訃報を聞いたときは、何だか来るべき時が来たかという思いだった。友人のHも実は恩師の最期をみとることはできなかったという。周囲の者に余計な心配をかけまいという先生の気骨をあらためて知らされた思いだった。

職場のグラウンドにはつつじが咲き始めているが、僕の心の中にはニッコウキスゲが揺れているのだった。


2008年01月04日 鳥の話

「私の一番好きな動物は鳥です」こんな書き出しで始まるS君の小論文。とある大学の推薦試験用に練習していたものだが、これがなかなか感心する出来だった。新春を飾る作品として、少しばかり(一部)紹介したい。

『ごく少しの例外を除いては鳥類は地上に生活し、日中に活動するので私たちの目に入りやすい。私が見てきたのは気持ちよさそうに空を優雅に飛ぶ鳥で、これから何処にいくんだろう、遮るもののない空で何処まで行ったことがあるのだろう、何を見てきたのだろう。何を見に行くのだろう、と思い憧れてきた。

空を飛べない鳥でも、気持ちよさそうに海の中を自由に飛ぶように泳ぐペンギンにも憧れてきた。海の中もまた、遮るものがない。誰のものでもない地球を、人間は国境や領土というもので遮っている。人間には、国境や領土というものを通過するには、いろいろな手続きをする必要があるが、通過することのできる動物には、その必要がない。その中で特に私は、鳥に憧れた。

中学の時、ある先生に道徳の授業で「ある学者が人間になれる確率は何兆(億万)分の一の確率だと言っている。だから君達が今こうしてここにいるのは本当に奇跡なんだ。だから今、こうして人間に生まれてこれたことに感謝し、それに気づいた今、具体的に何に感謝しているのか、これから何をしていきたいかのか、書きなさい」と、プリントを渡されたことを今でも覚えている。確か難しすぎて、ろくなことをを書けなかったような気がする。

「人間に生まれてこれたんだ、感謝するんだぞ」と言われても実感はないし、誰に感謝するものなのかわからない。まあ、よくある質問で、「生まれ変わったら何になりたい」と聞かれたら、今のところ多分、鳥だろう』

S君は普段物静かな青年だが、その表情は時折年齢以上の深みを見せることがある。言葉を良く訊ねたり、どういう時にその言葉を使うのかと質問することが多い。言葉にデリケートな感覚を持っているのだろう。この作品もとても冷静で、アダルトな感じがして、僕はとても気に入ったのだった。


2007年11月02日 「なぜなんだ

優しく腕を 入れたのに」と続く。

通勤時の電車の中で、ふと見かけた広告の川柳である。おそらく、オ○ロンなどの自動血圧計に神妙な顔をして右腕を通したあげくに、「上が149、下が102」などと印字されたペーパーが出てきてしまったのだろう。本人の全く納得できない顔が想像されて、何だか妙に可笑しくなってしまって、いつもは眠そうな顔で乗っているくせに、思わず一人でほくそ笑んでしまった。

そして、これまた何の関係もないのだが、「なぜなんだ?」と叫んでいる友人の顔が浮かんできて、更に無性に可笑しくなってしまったのだ。その友人Fは大学の同級生なのだが、時折「なぜだ?」「どうして?」などとほざく癖がある。立派な中年になった今でもそうで、おにぎりのような顔に眼鏡をかけた彼が「なぜだ?」と真剣な顔をして叫ぶと、とにかく、もうひたすら可笑しくなってしまうのだ。彼には本当に済まないのだけれど・・。

と、たったそれだけのことで、久々の「雑木林」を更新してしまった。これもまあ、何かの縁なのだろう。人生は時に無性に残酷で、無性に可笑しいのだから。




2007年07月15日 大いなる人〜Somebody bigger htan you&I

大型台風4号の影響で、せっかくの3連休も沈殿という所だ。まあ、ここはあきらめて体を休めながら、次の機会を狙おう。

さて、以前から紹介しようと思っていたのが、このプレスリーの歌である。プレスリーがロックの王様と呼ばれているのは有名だが、実は宗教曲も数多く歌い込んでおり、その評価は極めて高い。彼のルーツはカントリー、リズム&ブルース、そしてゴスペルと呼ばれた教会音楽だったのだ。

そんな彼のスピリチュアル曲の中でも、この「大いなる人」は特筆すべき作品だと僕は断言する。心が疲れたとき、思い上がった自分に嫌気がさしたとき、この歌は大きな神の前に人間の小ささを思わせて、再び謙虚な気持を取り戻させてくれる。やや重めのプレスリーの声は、まるで慈雨のごとく胸にしみてくる。後年ステージで、まさしく神懸かり的な熱唱を聞かせた「偉大なるかな神」もすごいが、この「大いなる人」の静かなる感動は言い尽くせない魅力がある。

歌詞の一節は、こんな感じだ。

Who made the mountains、
Who made the trees
Who made the rivers flow to the sea
And who sends the rain when the earth is dry
Somebody bigger than you and I

誰が山を創ったのか、誰が樹を創ったのか、
誰が海にそそぐ大河を創ったのか、誰が乾いた大地 に雨を降らせたのか、
あの方は、私やあなたより遙かに大きい。

つたない訳で申し訳ないが、歌詞のラストも紹介しよう。

彼はどんなに長い道のりも明るい光で照らしてくださる。
彼はいつでもあなたの友人であり、あなたを愛し導き、
常にあなたの傍らを歩いてくださる。
私たちが恐怖に恐れおののくときも、勇気を与えてくださる。
そして、死なないで生き続けようという強い意志を与えてくださる。
あの方は、私やあなたより遙かに大きい。

抽象的な言い回しは、まさしく「ゴールデン・ヒム」ならではのものかとも思うけれど、しみてくるんですね、これが・・。どうぞ、皆さんもどこかでお聴きになって下さい。




2007年06月13日 「彼方の光〜LIBERA」

かつて放送されたNHKの土曜ドラマ「氷壁」のエンデイングテーマとなったのが、この「彼方の光」という歌である。K2やカラコルムの山々をバックに流されたこの曲は、どこか天上界から流れる天使の歌のごとき印象があり、大いに癒されたものであった。

あまりに儚く美しい歌声は、しかし、女性のものであると思っていたのだが、実はサウス・イングランドの少年たちの歌声だったことが分かった。彼らは決して聖歌隊ではなく、このボーイ・ソプラノのユニット(リベラというグループ名)を主宰するロバート・プライズマンによって見出され、指導されてながら音楽の喜びに目覚めたメンバーなのだ。普段はロックやポップスを口ずさむ普通の少年たちらしく、声変わりをしても、グループに残り活動を続ける少年たちも多いと聞く。

それにしてもこのCDを聴くと、何故かどこか遠いところから魂が静かに揺さぶり続けられるような気がする。あまりに儚いそのボーイソプラノは、まるで世阿弥の言う「時分の花」のように、一過性の美を象徴している。そして、無上の優しさに満ちている。

「氷壁」はドラマとしても楽しめたが、このエンデイング・テーマによって、一躍名を上げたようにも見受けられる。素晴らしい歌声に再び出会うことが出来、この所、ふと微笑をもらしている自分である。



2007年05月20日 「白い巨塔」の楽しみ方

ご存知、山崎豊子原作の社会派ドラマ。野望に燃える医師財前五郎の盛衰を描ききるが、最近、BSでの再放送を楽しみに見ている。主人公の財前役は唐沢寿明、親友のヒューマンな里見医師役に江口洋介、財前の師である東教授に石坂浩二など配役もなかなかいいのだが、見ている内にいくつか気がつくことがあった。

一つは、医療過誤裁判の舞台になる東京地裁・高裁が、僕の地元の八王子市役所を使って撮影されていることだ。利用されたのは玄関の部分で、なるほど建造物全体の色と雰囲気が良く似ている。また、実際の裁判所の近くにある日比谷公園内の松本楼(毎年秋には1杯100円カレーで有名なレストラン)は、本物がロケに用いられていて懐かしかった。

もう一つは、ドラマの舞台となる浪速大学病院の外来ロビーが、僕の実家のある川崎の市立病院で撮影されていることだ。これも、我が両親の通院その他で良く出向いているので分かる。ロビーから外へ出てしまうと、そこはどうやら別の病院が更に用いられているというのも、なかなか芸が細かい。

こんな風に、意外と近いところがドラマのロケ地に採用されていることが何だか無性に嬉しく、益々このドラマにあらためて見入ってしまう結果に繋がってしまう。

財前のような出世欲の塊である傲慢な男は、おそらく現代の世の中にも存在し続けるだろう。ヒューマンな医師である里見や東教授、また患者の無念を晴らすべく立ち向かう関口弁護士が「正義の人」としてしっかり描かれていることで、財前の野心家が一際目立っていることは言うまでもない。だが、男はどこかで、こうした財前のようなタイプに憧れ、許してしまう部分も持ち合わせているのではないだろうか・・。

唐沢の演じる財前が凄みを増しつつ、やがて訪れる自らのガンと左遷が見え隠れするこの時期、いよいよ毎週水曜日の夜が待ち遠しくなっている。こんな自分は、少し可笑しいですかね、皆さん。


2007年04月28日 そんなバカな!?

何とも物騒なタイトルだが、致し方ない。GWが始まり、久々に夜行で大町・白馬方面へ向かおうと切符を求めたところ、「申し訳ありませんが、今夜は運休です」「はあ????」「次の運転日は5月2日となっています」「・・・」

事前に時刻表で確認しておけば良かったのだが、今更言っても始まらない。それにしても、かつて誰でも自由に利用できた「急行アルプス」が本当に懐かしい。現行の「ムーンライト信州号」は全席指定で自由席がないというのも許せないのだが、このGW期間中に間引かれて運転されるとは、一体どういう魂胆なのか、JRよ!夜汽車に揺られる岳人の夢を壊そうというのか・・。

てなわけで、何となく意気消沈してしまった自分だが、気を取り直して次なる山行を思案中だ。そうねえ、やはり、ピッケルとアイゼンを使える所に行きたいのだがなあ・・。


2007年04月21日 Suicaな日々

そう言えば、ずっと不思議に思っていたことがある。それは組合関係の友人なのだが、彼はどこへ行ってもどこで下車しても、一切「精算」したことのない人間だ。僕はと言えば、定期の範囲からの乗り越し分を律儀に精算所で支払っているし、定期のない所では正直に新しい切符をその都度購入しているのだった。その間、彼はいつも涼しい顔をして既に改札の向こう側にいる。そんな彼を心の中で、「向こう側の男」などと密かに呼んでいた!

ところが、僕にもある日突然「向こう側の男」になるチャンスが巡ってきた。この4月からの定期券で初めて「Suica」を購入したのだ。実を言えば、以前にも定期券申し込みの際に、この「Suicaを希望する、希望しない」という項目はあったのだった。それを今まで無視してきたのは、ひとえに「SuicaではJRから京急への連絡通路が通れない」というとんでもない勘違いのせいだった。何という愚かさ!

また、その京急や私鉄にもPasmoという万能ICカードが出始めて、にわかに世間が注目した。そして、この僕もPasmoかSuicaかと悩む日々が3〜4日続いた。そして、遂に決断。Suica定期券を購入し、しかも5000円をチャージするという前代未聞の最先端の行為を実践したのだった。

これで、通勤時や出張時の面倒な手間が一切省けるようになった。実に、快適この上ない。あの友人と方を並べられるようになったというわけだ。そして、息子にも自慢した。「これが、Suicaだよ!」と・・。(もっとも、息子は「ふ〜ん」とさして驚愕の表情は見せなかったのだが)

ところで、このSuicaな日々。次にくるのは一体どんなカードなのだろうか?ひょっとして、もう人体に埋め込まれたICチップによって、すべての生活や行動が管理される世界になっていたりして・・。



2007年03月04日 ヒマラヤの学校

ヒマラヤのウルタル2峰(7538m)で91年、雪崩にあって亡くなった長谷川恒夫さんの妻で、山岳ガイド事務所経営の長谷川昌美さん(53)が、3月パキスタン政府から市民賞を受けるという。夫の遺志を継いで、ウルタルの麓のカリマーバード村に開いた学校が、10年を経てしっかりと根づいたからだ。

ヨーロッパ三大北壁厳冬期単独登頂で有名な夫は、村の共有地に眠っている。遭難前夜「登山の後は、この地に是非学校を建てたい」と言っていたそうだ。昌美さんらは長谷川さんの死後、山仲間の募金で基金を作り、実現に向けて走り回ったという。96年、仮校舎で生徒40人の授業が始まり、99年に本校舎が完成。今は日本の幼稚園から短大にあたる630人が学んでいる。

授与式は国の祝日であるパキスタンデーの3月23日、こんなに素晴らしい日本の山屋がいることを、僕は誇りに思う。


2007年02月18日 輝ける女性、K2登頂の小松さん

06年の植村直己冒険賞に、日本人女性としては初めてK2(8611m)登頂を果たした小松由佳さん(東京府中市・24才)が選ばれた。実に素晴らしいことだ。

彼女は昨年夏に東海大K2登山隊の一員として、同峰の難ルートである南南東リブから後輩の男性部員と2人で登頂を達成した。同ルートからの女性登頂者は彼女が初めてなのだから、いかにK2が困難な山かと言うことが分かる。公募登山でガイド山行が実現しているエベレストとは一線を画すことは明らかだ。

女性登山家というとグランドジョラスの今井通子さんやエベレストの田部井淳子さんの名があがるが、このK2を落とした小松さんの名は日本山岳史の中に永遠に語り継がれることになるだろう。しかも、彼女はまだ若い。今後の彼女のヒマラヤでの活躍が大いに期待されるが、それはまだあまり言わない方が良いだろう。何故なら、彼女の勝利は或る意味では「無心の勝利」ともいうべきものだからだ。ヒマラヤに取り憑かれて、やがて彼の地へ呼ばれてしまったクライマーのいかに多いことか。加藤保男も長谷川恒夫も山田昇も名塚修二も、ククチカもワンダルトキビッチも皆しかりである。

「かっこいい山に登れて、本当にうれしい」と目を輝かせた小松さん、いやあ〜、ホントにかっこいい。今後も夢のある山登りに挑戦して欲しいものだ。


2007年01月15日 カッコイイ言葉

今年の大学ラグビー日本一は、関東学院大学だった。宿敵早稲田大学の3連覇を阻み、3年ぶり6度目の優勝であった。プレーぶりもさりながら、試合後の春口監督のセリフにしびれた。

「雑草に花が咲きましたよ。次は、打倒サントリーでいきましょう!」

「スターはいらない!」をモットーに各自が直向きなプレーをすることにこだわった監督さんの、してやったり、思ったままのコメントだったろう。唯、次の「打倒!サントリー」には少しばかり男の意地が見え隠れする。それは、早稲田戦で負けた監督が現サントリーの清宮監督その人だからだ。

それにしても、縦横無尽の活躍ぶりの選手たちもカッコイイが、僕にはこの春口監督のインタビューが最高にかっこよかった!こんなコメント、自分も一度でいいから残してみたいものだ。


2007年01月01日 新年の誓い

明けまして、おめでとうございます。

さて、今年は年男。実は、息子も同じだ。大晦日の格闘技番組を真剣に見ながら、何も出来ずに敗れた曙を気遣う優しいやつだ。自分はと言えば、コーフンして座布団やクッションを蹴りまくっている息子にシェラフを渡して、サンドバック代わりにさせた。

新しい年に何をと考えつつ、一つ言えることは、自分は自分でしかあり得ないということか。良い意味でも、悪い意味でも。背伸びせず、足元をじっくりと見据えながら一歩一歩行くしかない。器用貧乏や八方美人で疲弊していては駄目だ。自分が正しいと思ったことを、誠実にやりぬくしかないのではないだろうか。

などと書いていて、ふと、少年の頃に読んだ白樺派のイメージが浮かんできた。そこまで人間の理想や高潔さを唯肯定することはないが、人が理想や希望を失っては生きて行けまいと考えたりはする。

猪突猛進もいいではないか。思い切って、やってみよう。自分が信じた正しい道を!




2006年12月02日 ♪前を見て、歩いていく・・

♪そんなに難しいことじゃない・・と続く。

先日、mm21のドックヤードガーデンで開かれた「神奈川私学の集い」に、バンドで登場した僕の教え子たちが歌った歌の一節だ。

このバンドは決して「巧い」というバンドではない。唯、いつもストレートで思い切りよく演奏する。そこにシビレて、この集いのステージに参加させたのであった。勿論、文化祭でのステージも見ての上でのことだった。

当日はランドマーク下ろしの強風が吹き、朝から気温が上がらず、いつ雨になってもいい天気だった。実際、前日の天気予報では60%の雨模様だったのだ。
しかし、天気はもった。そして、昼頃には薄日も差して来た。2時間のステージに参加したグループは11。和太鼓あり、ダンスあり、パントマイムあり、パフォーマンスありの素晴らしいエネルギーを感じさせるものだった。そして、うちのバンドもとっても良かった。

ステージ担当として、リハーサルを含めて約4時間彼等につきあったが、実にステキな経験となった。「彼等に励まされている」そんな感覚を、見ている多くの大人たちは感じたことだろう。

「前を見て、歩いていく。そんな難しいことじゃない!」あれからもう大部たつのに、時々、口ずさむのである。


2006年11月19日 癒しの消費

なんていうタイトルの本があったと思う。物を買うことで気分転換がはかられたり、穏やかな心境になったりするらしい。そう言えば、自分にも思い当たるフシがある。

例えば、本屋で文庫本を購入する。そう、一度に2〜3冊というところか。軽めのエッセイや対談集、短編集から長編小説まで幅はわりと広めだ。他には、PC関連グッズ。CDやDVDといった消耗品メデイアから、時たま、オンラインショッピングで自由自在にカスタマイズしたPC本体を求めてしまうこともある。一番新しいPCは何とMacminiで、これはウインドウズPCに若干食傷気味であるからだろう。

さて、オンラインということになれば、やはりAmazonだ。書物から家電からオーデイオからPCから、何でもござれのオンライン・ショップの殿堂である。しかも、幾度か注文していると、オーダーの傾向を分析して「お奨め」の呈示までしてくるのだから恐れ入る。「ようこそ、○○さん!」とページが開かれ、「おすすめの商品があります」と迫ってくる。「何を言ってるか!」と憤然としていた過去はどこへやら、「どれどれ」とついクリックしてしまう今日この頃の自分が情けない。

また、オンラインショップはクレジット決済が多く、実にスピーデイーに売買が成立する。そして、早いときには翌日の夜には配達されてしまうのだから、これはもうやめられまへんな〜という具合になる。

また、一般的な商品ではなく、篤志家向きのグッズ購入にはヤ○ー・オークション等というのもある。これも時にはまって、買わなくても良いガラクタをつい求めてしまう結果になるのである。

まあ、このように実に様々な「消費=購買」活動がなされているわけだが、やはり思うことは一つ。お金で人間の愛は買えないということか。等というと、やれ偽装結婚だ、偽装請負だ、偽装カリキュラムだ等と更に問題は山積みの様相を呈してくるので、この辺りでお開きにしておこう。

ああ、癒しの消費 支えているのはクレジット
カード1枚の重さ はかり知られず


2006年10月01日 夢美術館

雨の降る日は、読書か映画か美術館と決まっているらしい。息子を教会まで送った帰りに、近くの美術館へ寄った。この市立美術館は高層マンションの2Fにあり、実に身近な美の殿堂(ちょっとオーバーだな)となっている。コーヒーショップを併設し、グッズ売り場もある。受付のお姉さん達も地味だが親切で、なかなか良い。

今日は市制90周年を記念して「現代日本画名作展」という特別展が開催されていた。900円の入場料は、この美術館では破格の値段であり、年間パスポート1200円を思わず購入してしまった。まあ、そんなことはどうでも良い。内容は、実に素晴らしかった。

夏に山梨は白州の清春美術館へ行き、東山魁夷の版画展と出会っていたが、今日もこの東山魁夷に出会うことができた。「月明かり」「緑のハイデルベルグ」等というステキな作品に暫し見とれた。また、特に気に入ったのは、加山又造の「新雪の桜島」であった。極めて印象的な青の背景に浮かんでいるのは、島ではなく、全く荘厳な雪山そのものだった。また、中路融人の「足柄富士」も、実に気高い富士がそこにあった。白の中に銀がきらきらと輝いているのが、近寄って見て分かるのだった。

日本の伝統的な絵画の秀作を満喫しながら、上野だったら、更にドカンと腹に応える展覧会があるだろうになどと、ついつい無い物ねだりをしてしまった。記念に「心象風景への旅」というポストカード集を1冊求めたが、今日見た作品の多くが北澤美術館所蔵であるということがあらためて分かった。この北澤美術館も諏訪湖の近辺でかつて出会っているし、夏前に霧ヶ峰へ行った際に、上諏訪駅でガラス展の宣伝を見ていた。

絵画(美)との出会いも「一期一会」とは言いながら、結構「再見」であるのだなあと感じつつ、昼の夢美術館を後にしたのだった。


2006年08月26日 薄型液晶TVの効用

ブログにも書いたのだが、この夏、遂に薄型液晶TVを購入してしまった。サイズは32型である。予てからの懸案事項で、最後の大物として残っていただけに、即日配送で部屋に設置された時はうれしかった。以降、DVDも併せて少しづつ楽しんでいる。

そう、何と言っても画面が広くて見やすいし、かさばらない。画面は枠を入れても横幅90cmに収まるので、意外に場所をとらないのだ。もっとも、そのために本棚とタンスを移動させたのだが、それは最小限の手間に思えた。ラックを一緒に購入したが、ちょうどいい高さとなり見るのに申し分ない。今や、部屋の一隅にしっかりと独自の存在感を漂わせている。

また、TVをつけていてもいなくても、妙に雰囲気がある。画面に映像があるときは、何か、絵画のように見えてしまうことがある。そう、壁に掛かった名画のように。ふと、「これだな!」と合点をした。

実際にTV番組を視聴するという実益に加えて、あたかも一幅の絵画のような上品なたたずまい。つまり、プラスαの美的感覚、ここに薄型液晶TVの良さがあるのではないだろうか。

我々が美術館で目にする名画の優雅さは、やはり、あの独特のスペースに設置されているからだろう。そう思うと益々、この薄型液晶TVは絵画に似ているように思えてくる。所謂、電脳絵画だ。時代が生んだ一つのデジタル絵画なのかもしれない。

となると、この美的感覚にふさわしい番組作りも意識されないといけない。チャチなスタジオ観客イジリーのバラエテイーの類は、あまり見る気がしない。

とまあ、能書きをたれつつ、スイッチを入れる時のこそばゆいような嬉しさがまだある。いやあ〜、いい買い物をしたものだ、と今は書いておこう。



2006年08月14日 希有な体験

早朝に限らず、こまめにメールチェックをする方だが、先日は本当に驚いた。それは、「あの日あの時」で紹介したツーショット写真の相方である森ミドリさんご本人からのメールを頂いたからだ。

一瞬、目を疑ったが、この内容はどう見てもご自身以外には考えられない。そこには、アルパインガイド協会主催の「穂高岳大集会」に参加したことが、懐かしく楽しい思い出として語られていた。ウルタルU峰で亡くなった長谷川恒夫ガイドに誘われたことや、穂高岳山荘で演奏した電子ピアノ(エレクトーンではなかった!失礼しました)を担いで登ってくれたのが、長谷川さんとウルタルへ行った星野さんであったことなども書かれていた。

ところで、何故に森さんが僕にメールをくれたのかという疑問がある。おそらく、あのツーショット写真をどこかで見聞きして、連絡を下さったのだとは思うが、何だか未だに信じられないというのが正直な所だ。

なお、森さんのメールにご自身のHPのアドレスが記載されていて早速訪問してみたが、最近の森さんの様々な活躍を知ることができてうれしかった。チェレスタという楽器のことやあちこちでのミニコンサートのこと、そして爽やかで含蓄に富んだブログ(ひとりごと)のコーナーもあった。

いやあ、森さん、本当にありがとうございます。ムトヤンは本当にうれしかったです。今度はあらためて、どこかのコンサートでお会いしたいと思います。それでは、益々のご活躍をお祈りしております。



2006年07月17日 キスゲの花(夏期休暇直前読切小説)

昨日、霧ヶ峰高原でニッコウキスゲの花を見た。文字通り、霧と雨の中にややオレンジ色っぽい黄色い花が揺れていた。こんな雨の日でもそれは美しく、どこか儚げで風情があった。

大学生の頃、ゼミの教授の別荘が中軽井沢にあった。それは、本当に避暑のためだけに建てられたような質素なものだったが、剛たちには素敵な宿に見えた。一夏の内3泊4日程度で勉強会が開かれ、それぞれに議論や資料の購読などがなされたが、普段とはまるで違う雰囲気にみな心が浮き立っていた。一番年嵩の先輩になると一夏ずっと逗留していて、炊事や洗濯など先生のお世話をするというのも、憧憬の眼差しで目標とされた。

さて、夜分には夕食に引き続いて飲み会となり、ビールやウイスキー、酒に各自が酔いしれた。尤も、居酒屋ではあるまいし、つまみもさしてないが、それぞれに話を交わしながらの宴は魅力的だった。

剛はふと、先生の机の横に、切り株でこしらえたコースターのような物が置いてあるのに気づいた。何気なく手に取ると、白樺の樹だった。表面には黄色い、どこかぽっちゃりとした花が描かれていた。しげしげと眺めていると、傍らの先生が言った。

「それは、キスゲの花だよ。娘が描いたんだ、なかなか上手いだろう」
「はあ、キスゲですか。へえ〜・・」

キスゲの絵は確かに上手かったのだが、剛には、この絵を描いた娘さんのことが次第に気になり始めていた。
「先生の娘さんは、何をされているんですか」
「ふむ、まだ学生だよ、君らと同じようにね。でも、何も分かっちゃい居ないんだよ、あいつは・・」

そう言いながらも、先生の目はとても穏やかで優しかった。「何も分かっちゃ居ない」は決して貶し言葉ではなくて、「世間の労苦や色恋といった下世話なものから遠くて純粋だ」という意味に剛には聞こえた。

「キスゲの花かあ・・」、サナトリウムで静養する薄幸な少女のイメージや初恋に敗れて林檎の木の下で自害してしまう田舎娘のイメージがふと浮かんできた。いやいや、そうじゃない。麦藁帽子をかぶって遠くから手を振ってくれる、あのひまわり娘か。それとも、武者小路の作品に出てくるような健康的で頭のよい女性なのか・・。

「しかし、キスゲの花だよ、やっぱり!」黒ビールに酔った剛は、もう既に先生の娘に恋をし始めているかのようだった。外ではポツポツと雨の音が聞こえていた。

                  <つづく?>


2006年06月18日 祝、8000ヒッツ!

以前にも、これに似たタイトルをつけた覚えがあるが、ついに(というか)8000ヒッツを記録した。細々と日々の感慨を記し続けたわけだが、何だかうれしい。というか、この8000という数が、あたかも8000m峰を象徴しているようで、僕には特別にうれしい数字なのだ。

なんてったって、この地球上の最高所は8850mのエベレストなのだから!そして、8000m峰は、わずか14座しか存在しないのだから・・。

まあ、梅雨本番の決して爽やかとはいえない季節ではあるけれど、次は1万ヒッツを目指して?根気よく続けていきたい。

そうだよね、一歩一歩なんですよ・・。


2006年06月10日 久々です!

関東地方も梅雨入り、ドイツワールドカップも始まった。先月以来の記述になってしまったが、少し気分転換をはかろうとタイトルページの背景やBGMを変えてみた。

向日葵はまだ季節的には早いのだが、雰囲気が好きだ。また、何故かクジラが泳いでいるのも涼しげでいいでしょう?ブルース・リーは相変わらずそのままで、邪悪な?アクセスを拒否しようとしていてくれる。

BGMは「kirakira」というタイトルで、梅雨の晴れ間をイメージして作られたものである。出所は「BGMの小窓」さんだ。癒される美しい作品がたくさんあり、聞いているだけで心が和んでくる。音楽の効用は本当にはかりしれないものだ。

昨日はまとまった雨が降ったが、夕刻から晴れ上がり、今朝も上々の天気だ。午後から町田でとある集会へ顔を出してくるのだが、この分なら気持ちよく行ってこられそうだ。

てなわけで、久々の記述はさり気なく終わるのであった。


2006年05月14日 円楽さん、笑点を卒業!

日曜の夕方と言えば「笑点」だが、何と40周年を迎えたという。今日は90分のスペシャルだったが、1983年から大喜利の司会を務めてきた円楽師匠が、最後の司会を歌丸さんと共に務め、無事卒業とあいなった。脳梗塞で倒れて、よくぞここまで回復したというのが正直な所だが、「大喜利でうまく切り返しが出来なくなった」というプロの噺家としてのプライドを持っての勇退だった。本当に、ご苦労様でしたと言いたい。

ところで、僕が「笑点」を見始めた頃は、三波伸介が司会だった。メンバーには歌丸・木久蔵・こん平の他に小円遊や円窓などもいたと記憶している。僕は小円遊の少々キザっぽいところが好きだった。今日の特番で知ったのは、三波伸介は2代目の前田武彦の代役を務めたのがきっかけで司会を交替したらしい。そう語ったのは、やはり、てんぷくトリオの僚友伊東四朗だ。

40周年記念の今日は、ケーシー高峯やナポレオンズ、永井秀明・TOKIOなども顔を揃え、新旧のお笑い陣が円楽さんのラストに花を添えた。(TOKIOはお笑いじゃないけどね)

それにしても、円楽さんを囲む大喜利のメンバーたちがやはり優しい。さんざん馬だ何だとこき下ろしていても、みんな円楽さんを尊敬し信頼している。芸人仲間の温かさがにじみ出ている。病気療養中のこん平の手紙もじんとくる。こん平の代わりに新メンバーとなったたい平が涙ぐんでいたっけ。

人間の退き際の美しさと温かさを存分に見せてくれた円楽さんに、心から大きな拍手を贈りたい。ありがとう、そして、お疲れ様!どうぞ、いつまでもお元気で!!


2006年04月29日 GWの山

巷で騒ぐほど大型連休とは思えない自分だが、この時期の山というと、やはり格別のものがある。それは、初めて室堂(剣岳)や涸沢(穂高岳)へ行った時のことを思い出すからだ。世の中に、こんなに真っ白な山があるのかと我が目を疑いながら、ひたすら感嘆の声を挙げていた。

共にアルパイン・ガイドの講習会であったが、前者は雷鳥沢をベースに奥大日岳と剣岳に登頂。特に剣の下降ルートに選んだ平蔵谷を尻セードで下るというおまけまでついた。度胸一番、最初に滑っていったガイドの片桐さんはまるでレビュファのようだったが、実に無口でシャイな方で、お弟子さん?達が熱心に世話を焼いてくれたことを覚えている。

後者はガイド協会の穂高岳大集会という企画で、涸沢ヒユッテをベースに涸沢岳と奥穂高岳に登頂。集会のゲストにはエレクトーン奏者の森みどり(エコな名前ではある)さんを招き、ヒュッテでは生演奏も聴くことが出来たし、一緒に記念写真を撮って貰ったりもした。そうそう、森みどりさんを連れてきたのは、今は亡き長谷川恒夫(「北壁に舞う」の名クライマー)ガイドであった。奥穂高岳は雪となり、目出帽を被った記憶がある。涸沢カールの小豆沢にフィックス・ロープを張ったりしていたっけ。満足感一杯で下る上高地への道は夢のようなのどかさだった。

そんなこんなで、GWには穂高なんていう時期も数年続いたのだが、何時しか足が遠のいてしまった。それは、人生のパートナーやジュニアに恵まれたからである。また、5月4日が親父の誕生日であり、家族が実家に集うという慣例があらたに出来上がってしまったためでもある。

GWの山は、どこか夢が広がる。ムズムズしながら、次の山を目指す気持ちは、まだまだ無くしてはいないつもりだ。マナスル登頂50周年、山はいつだって「新しい」のだから・・。


2006年04月23日 久々のグラウンド

花見の季節が終わり、ようやく富士森グラウンドが使えるようになった。ここの芝生のグラウンドでじっくりと走り込みをするのが、自分にとっては全ての基本となっている。勿論、気の向いた時だけに限られてはいるのだが、誠に精神衛生上よろしい場所なのである。

400mのトラックは6コースはとれる。幅跳びの砂場や投擲、ハンマー投げのケージがあり、障害物リレー?のための水濠まであるのだ。トラックの外側はコンクリのランニングコース、周囲は正面スタンド席、他は芝の敷かれた観客席となっている。本部席(放送機材含む)や更衣室、ダグアウトなどもある本格的な市民陸上競技場なのだ。

そんな素晴らしいグラウンドだが、近所に住んでいる僕等にしてみれば、まるで自分の庭のような親近感を覚える。そう、近い者勝ちの世界なのである。

先ず準備体操をし、芝の感触を充分に味わいながらゆっくりとジョギングする。そして、やや固いトラックのコースも走ってみる。適度に息が上がったら、中の芝で柔軟や腹筋や腕立てをしたりする。そして、芝の上で暫し慰むのである。緑なす繁縷は萌えて、若草も敷くに至れり、という所か。

それにしても、(毎回書いているようだが)体が重い。どうにかならないものだろうか。えっ?どうにかするために走るのだろうって。いや、まったくその通り。分かってはいるのだけれどね・・。


2006年04月22日 穏やかに晴れ上がっている

休日の朝。この所、日中は随分と気温が高くなり、半袖でもいいような陽気となっている。真夜中に地震があったりしたのも、その影響だろうか。まだまだ、新年度の緊張感は残っているものの、どうやら落ち着いてきたようだ。

さて、もう少ししたら息子と自転車屋へ行くことになっている。というのも、先週頼んだ息子の自転車が製造中止となってしまったために、再度注文し直さなくてはならなくなったからだ。息子にしてみると、

「えええ〜〜!!、そんなあ〜〜〜!」という所なのだが、致し方ない。「更に、グレードアップしたいいやつが手に入るぞ!」となだめておいた。そう、前に買った自転車がすっかり小さくなっていたのだった。いつまでも、幼稚な?自転車、乗れるわけないよな・・。

また、その自転車屋のおじいさんがいい人なのだ。自分も時々、通りがかってはタイヤに空気を入れたり、ベルが壊れたり、ライトの接触が悪かったりで、良くおじゃまする。最近、左足をひきずるようになったが、自転車一筋ウン十年の匂いがする上品な感じのおじいさんである。こんなおじいさんの自転車屋をやってもいいな、などと脳天気なことをつい考えてしまうくらいだ。

さあ、八重桜も見ながら、昼飯の買い出しもしながら行ってこよう。土曜の朝、いいねえ。明日も休みなんだから・・。


2006年04月09日 新しいこと?

この4月から、遂に(というべきか)携帯電話を用い始めた。今までは考えられないことだった。電車の中で突拍子もない音で鳴り響くケータイは、軽蔑の対象以外の何者でもなかった。また、ジャラジャラと付けられているストラップの類にも辟易していた。何だか実に幼稚な気がしたし、大体、自分の居場所がすぐに分かってしまうではないか。人間、一人心静かに過ごしたい時だってあるのだから・・。

しかし、使い始めたのである。女房に言わせれば「いよいよ買う物がなくなったんでしょ!」ということになるが、決してそんなことはない。その証拠に、引っ越したら購入しようと決めていた薄型地デジ32型TVだって、まだまだ購入していない。かえって5階のせいか、古いTVの映りが良くなってしまった。

じゃあ、一体、どうしてなんだ!と訊かれると、納得させるだけの明確な理由はないのだ。強いて言えば、明日から仕事が始まるという、あの4月○日の午後。ちょうど、センバツ高校野球の決勝進出が決まった、あの時。僕の心の中で「何か」が動いたのだ。思い立ったように自転車の駐輪場の契約更新をしに行き、その帰りにケータイをゲットしたのである。

ところで、使い始めたと言っても、まだまだ、ごくわずかである。第一、あまり身に付けていない。ザックの一隅にあったりする。それでも、弟にかけた時には驚かれた。「これでやっと現代人の仲間入りだね」などとメールまで貰った。何を言う。PCでは最先端?を行っているではないか。

唯、あまりのめり込みたくはない。やはり、僕は「雲隠れの術」を時々使いたいからで、そんな時、ケータイはやはりザックの底で虚しく主人を呼び出しているのだろう。


2006年03月31日 年度末雑感

早いもので、3月も終わりを迎えた。明日から新年度と考えると、そろそろ心の準備をしなくてはと思ったりもする。細々とながら20年を超えるキャリアになった今の仕事ではあるけれど、4月は新しい何かを求めてスタートしたい、そんな想いがある。

ところで最近のニュース、切ない事件がいくつかあった。例えば、耐震偽装マンションで渦中の人となった姉歯建築士の奥さんが、マンションから飛び降り自殺をしたというものだ。国会の証人喚問で、「妻が病弱で入退院を繰り返していた」と神妙に話していた彼の顔が目に浮かんだ。きっと、いろいろあったに違いない。世間は時に冷酷だ。彼の家族も容赦ない非難や心ない中傷にさらされたろう。

また、地下鉄サリン事件の首謀者であるオウム真理教の松本智津夫代表の裁判が打ち切られ、死刑が確定するということ。高裁では一度も実質的な裁判がされずに、全てが闇に中に葬り去られようとしている。遺族のかたの無念はもとより、我々も何か暗澹たる想いがある。松本が死刑になれば全てが終わるわけでは決してない。

さて、一方で、今日は楽しみなことがある。センバツ高校野球で、ついに夢のカードが実現したのだ。本日の第2試合。元甲子園球児だった親父の母校とmy勤務校の直接対決なのだ。共に参加が決まった時から、密かに願い続けた黄金カードである。さあ、一体、どんな試合になるのか。はやる心を抑えつつ、新居の5Fから白富士を見やるのだった。


2006年03月18日 山の本(見果てぬ夢)

 先日の引っ越しで、あらためて気づいたのが山関係の本の多さだった。中でもこんな写真集、今時なかなかお目にかかれない代物ではないか、とちょっぴり自慢げ?に紹介してみよう。

 「ヨーロッパの名峰〜美しきアルプス(小森康行・矢来書院)」
 「ロックス・アラウンド・ザ・ワールド(Sグロバッツ・山と渓谷社)」
 「大岩壁(ラインホルトメスナー・山と渓谷社)」
 「モンブラン山群(ガストンレビファ・山と渓谷社)」
 「ゼクラン山群(同上・山と渓谷社)」
 「ヨーロッパの岩場(小森康行・東京新聞出版局)」
 「日本の岩場(同上・同上)」
 「尖峰・氷壁・登攀(中野融・朝日新聞社)」
 「わがエベレスト(加藤保男・読売新聞社)」
 「ヒマラヤン・クライマー(ダグスコット・山と渓谷社)」
 「山の組曲(山本和雄・山と渓谷社)」
 「アンデス大地(高野潤・山と渓谷社)」

 見ると、ヨーロッパアルプスやヒマラヤの写真集が多く、しかも登山家自身の手になる作品が多いことに気づく。メスナーやグロバッツや加藤保男は、やはり僕にとってはアイドルだった。自分には到底及ばない彼らのクライミングをせめてこの写真集の中からでも窺い知りたい、そして、出来れば自分もほんの少しでも彼らに近づきたい(無理だとわかっていても)、そんな想いが伝わってくる。
 新居の本棚に並べたこれらの写真集、時々開かれて僕自身に新しい夢を与えてくれることを願いたい。まだまだ、現役に(どんな?)こだわりまっせ〜!!


2006年03月05日 休日の過ごし方

 素晴らしい天気となった。この所、週末に会合や出張があったので、久しぶりに我が家でのんびりしているという感じだ。ただ、中旬の引っ越しに備えて荷物の整理などを少しづつ始めた。
 なんと言っても本やCD・DVDの類が多い。これらを引っ越し屋から届いた段ボール箱にどんどんぶち込んでいく。山関係の本やPRESLEYやBLONDIEのDISKが目立つのは当然なのだが、山田太一や沢木耕太郎、灰谷健次郎の文庫本がけっこうあることにもあらためて気づかされた。また、「キャプテン」や「ブラックジャック」という懐かしいコミック文庫に加えて、「右曲がりのダンデイ」「稲中卓球部」なんていうキワモノ的なコミックブックがあったことにも驚いた。また、「羅葡日対訳辞書(勉誠社と東洋文庫の影印本の2種)」「キリシタン語学の研究(松岡洸司)」「国語学原論(時枝誠記)」等、今や記憶の彼方の存在になってしまった研究書の存在にも衝撃を受ける。
 これらに加えて、膨大な?写真(アルバムやスライド)の整理となると、もういけない。あれこれと見返したりしてしまって埒があかなくなるのだ。
 まあ、暫くは段ボール箱との格闘が続きそうだ。結局、近所のbookoffに持ち込んだのは古いビデオテープ10本ほどで、買い取り価格は550円也。同行した息子の小遣いになったとさ・・。


2006年03月01日 知ってしまったあ〜!

蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
あけてぞ今朝は 別れゆく

 卒業式の定番「蛍の光」、元はスコットランド民謡で、この歌詞は東京師範学校の稲垣ちかいという方が作られたそうだ。なるほど、七五調に係り結びに掛詞に、古典文法にはぴったりの例文になる。でも、この歌を聞く度に、必ず思うことがある。
 この歌を聞きながら、歌いながら、何故か理由は分からないのだが、「勇ましい」気持ちになるのだ!ちょうど、パチンコ屋でかかる軍艦マーチのように(そこまで言うと、オーバーかな)。
 そんな疑問が実は、先ほど氷解した。結論は敢えてここには記さないので、このサイトへアクセスして下さい。
 最後に、それでも僕は「蛍の光」は嫌いではない。「扇げば尊し」とのコンビで今日も大いに泣かされてしまったから・・。


2006年02月26日 奇遇(海の中道異聞)

 組合の集会で福岡へ行った。毎年、この時期に行われる「重い」会議である。何が重いかと言えば、職場での様々な差別や権利侵害、或いは解雇やリストラがテーマだからだ。極論すれば、経営者の立場は強く、労働者は団結して交渉し闘うしかない。この原則を守ることができなければ、どこからでも切り崩されてしまうことは明白だ。結局、我々が日々いかに団結できるか、職場の世論を作れるかという所にある。
 さて、固い話はそこまでにして、博多湾と玄界灘に挟まれた「海の中道」ホテルは素晴らしいリゾートだった。大体、我々の会場がヨットハーバーのクラブハウスだったのだから実に驚いた。こんなお洒落な会場はかつてなく、それだけでもここへ来た甲斐はあったと感じられた。
 加えて会議後、予期せぬ出会いがあった。5階にある部屋を訪ねてきたのは、僕の中高時代の後輩だった、と言っても一面識もない。現在は地元の私学に勤務しており、そこへは大学時代のゼミの後輩も数人居るのである。彼がどうして僕を知りうるに至ったかは、敢えて省略するが、この集会に彼自身が直面する問題を解決するべく参加していたことは事実だった。
 「最近やっと、職場のみんなの声が出てきました。前は、僕一人でやっていたけど・・」組合のない職場で奮闘する彼に頼もしさを覚えると共に、大いに激励した。また、訪ねてもらって嬉しかった。参加者名簿を見て、やってきてくれたのだ。
 「金印」が発見された志賀島がすぐ近くにあったが、ここで出会った彼もひょっとしたら「金印」に似た存在なのかも知れない。窓から博多湾の夜景を見ながら、ふと思った。


2006年02月20日 なんじゃ、それ?

 以前、遅刻の理由に「朝起きたら、あごがはずれていた」という信じられない理由があったのだが、今日はこんなやりとりがあった。
 
 「今日は家で座談会があって、出席しなければならないので練習休ませて下さい」
 「座談会?なんだ、それ・・」
 「はい、えっと宗教です」
 「なに、宗教お?イエス様か?」
 「いえ、日蓮宗です」
 「日蓮宗う?お前、学んでんのか」
 「いえ、学んでいません」
 「・・・・・・・」

 思わず宮澤賢治かと思ったくらいだが、これは久々に笑える理由だった。と同時に、うちの生徒たちのレベルが上がったのか下がったのか、やや判断に意見が分かれる事例ともなった。皆さんは、どう思いますか。


2006年02月16日 ランチタイム

 小雨模様だったが、昼食は外へ出た。いつものハマ銀向かいの「とんかつ」屋である。ここの焼肉定食は絶品で、今日もそれが無性に食べたくなってしまったのだ。
 さて、カウンターで新聞を読んでいると、新しく入ってきたお客が何とN君だった。N君は僕の教え子で地元のコーヒー屋さんの息子さんだった。彼のお父さんも良くここのカウンターで悠然とランチを食していた。今年の年賀状で返事がないものだから案じていたら、実は昨年秋に亡くなったとのこと。それを教えてくれたのがN君だった。わざわざ電話してきてくれたのだった。
 その彼と実際に会ってみて、いやあ、いい顔になっていた。測量の仕事をしている彼が、その作業服で頭にはタオルをまいて、今、目の前に居る。「エアーズロック、登ったんですよ〜」そんな風に山好きな自分にいいネタを振ってくれたりして、気遣いもできるようになったか。昔は、駅前のパチンコ屋の辺りを所在なげにうろうろしていたというのに・・。
 「また、センバツですね!」なんて言ってくれる彼に、「そうだよ!」などと返事をしつつ、うれしさを隠しようがなかった。僕はと言えば、今は亡き彼のお父さんがよく陣取っていたこのカウンターで、ランチを取るのを最近のブームとしているのだった。
 逞しくなった彼の横顔を見つつ、焼肉でキャベツを包みながら飯を頬張った。お父さんの横顔も想い出しつつ・・。


2006年02月09日 ♪「ドシド」に「シドシ」♪

 最近、高2の現代文で夏目漱石の「こころ」を読んでいる。下宿のお嬢さんを巡るKと「私(先生)」の心の葛藤がテーマになっている作品だが、教科書のページ数にして何と33ページ。結構な長文だ。授業としてはいろいろなやり方があるのだろうが、僕は「読み物」として割り切って、いつものやり方でどんどん読ませることにしている。それは、「好きなだけ読む」「次の人を指名する」というものだ。
 さて、先日、こんな述りがあった。『我々は夕暮れの本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向こうの丘へ上るべく小石川の谷へと下りたのです。』
 これを読んでいたA君は、「〜急ぎ足でどしど」まで読むと「じゃあ、次B!」と次の読み手を指名した。B君は、少々とまどいながらも「しどし通り抜けて〜」と読み出した。
 ちょっと、待てよ。「ドシド」に「シドシ」?おいおい、音楽じゃないぞ!!何だって、そんなとこで切るんだ!?
 勿論、彼らに悪気はない。もし、意図的だったら、少し誉めてやってもいいくらいだ。となると、結局、これも偶然の産物ということになろうか。日本語って言うのは、不思議なものだ。どうやら小説も音楽になるらしい。
 まさか、こんな風に読まれるとは、さすがの漱石も考えていなかったろう。「こころ」サマサマな事件であった。


2006年02月04日 印象的なCM

 好感度CMなどという言葉があって、ランキングが発表されたりする。若者にとか女性にとか受験生にとか、対象も限定されたりして。まあ、多くの人々に支持された方がCMとしては良いのだろうが、僕だったら、こんなCMが好きだな。
 一つは、「メンバーが足りません!」と元日本代表サッカーチームの主将・井原正巳が、雨の中ずぶ濡れで厳しい表情をして立ちつくしているやつだ。献血だったか臓器ドナーだったか判然としないが(仕方ないな・・)、実に印象的なCMである。井原はアジアの壁と呼ばれたデイフェンダーだったから、「守る」イメージには相応しいのかもしれない。
 もう一つは、「走れ〜、はしれ〜!」と元ベルデイの選手であり監督も務めた松木安太郎が、息子と思われるサッカー選手に一生懸命エールを送り続けるアレだ。息子が成長するに連れて父は年老い、息子が代表選手になる頃には亡くなってしまうという設定が、また泣かせる。これは、SONY?の生命保険のCMだと思うが、一生を通じてのお付き合い(ライフ・パートナー)を強調したいのだろう。
 二つともサッカーがらみだったが、これ以外にも勿論ある。てなわけで、これはシリーズ化できそうですな。あなたは、どれ? 


2006年02月03日 恵方(えはう)巻

 節分の今日、地元駅へ降り立つと、何やらコンコースが賑やかだ。見ると駅員がハッピのような物を着て「恵方巻の特別販売です。開運お守り付きで〜す!」などと売り込んでいる。「恵方巻?・・」と訝しく思って近づいてみると、それは太巻き寿司だった。
 ちなみに、「恵方(吉方とも)」とは陰陽道で吉方神のいる吉祥の方角のことであり、その方角はその年の干支によるらしい。まあ、平たく言えば「幸運の方角」ということになるが、今年の恵方がどの方角かは定かでないし、また、何故太巻き寿司と関係があるのかも定かではない。
 思案にくれながら帰宅すると、何と妻が恵方巻を買ってきていた。そして、今晩の夕食のメインとなったのである(ちなみに、副食は何故かソース焼きそば)。
 最近、節分に豆をまくことはなくなったが、今日はこの恵方巻に日本人の節を分ける機微を感じた。


2006年01月30日 エールを贈ろう!

 早いもので、1月も終わろうとしている。高3講座も終わり、高2の授業のみになったので、少しは楽になるかと思ったら、決してそんなことはない。そう、2月は入試が控えているのだ。
 入試と言えば、思い出す。僕の中学受験の時のことを。クラスでまだ2〜3人しか受験しない時代だった。地元のK予備校なんて所で修行した僕は、2/1に東京のKT学園、2/2に神奈川のEK学園を受けた。初日は氷雨の中渋谷くんだりまで出かけたが、どうにも頭が働かず、結果的には不合格。続く2日目は見事に晴れ上がり、小高い山の上の学園は緑豊かで楽園のようだった。いつしかパワーが漲り、幸運にも合格することが出来た。しかし、その後の苦難?の道は、この時には知る由もなかったのだけれど・・。
 さあ、受験生諸君。思い切って、やって下さい。受かる時は受かるし、そうでない時も絶望することはない。君を待っている学校が、きっとどこかにあるはずだ。(福永武彦「愛の試み」風に)


2006年01月28日 ついに到達、7027ヒッツ!

 冬晴れの1日、このつたないサイトがついに7027ヒッツを記録した。感慨無量である。キリ番とはまさしくキリのいい数字のことなのだが、僕にとってはこの7027が超えるべき大きな壁だったのだ。
 そんなわけで、「キリ番をゲットした方にはプレゼントを!」などとはしゃいでいたのだが、やはり(と言うべきか)、踏んでしまったのはかくいう自分であった(トホホ・・)。
 さあ、次は8021かな。それとも、8611か。いやいや、やはり、8850でしょう。このヘンテコなキリ番の意味が知りたい方は、今夜10時からのTVドラマをご覧下さい。きっと、答えが見つかるはず! 


2006年01月22日 冬の北海道大産物展

 などというと勇ましいが、サッポロビールの販促フィギュア(おまけ)のシリーズ名である。つい、このおまけにつられて3缶も求めてしまった。全部で14種類となっているので、ダブらないように選んだつもりだった。
 しかし、帰宅して開封してみると、ゴマフアザラシ・ゆでタラバガニ、そして、ゆでタラバガニであった。ゆでタラバがダブったのは残念だが、若干ゆで具合と足の形が違うので良しとしよう。他には、タンチョウヅルやクラーク博士、AIR DOに石狩鍋、ジャンプ競技やササラ電車(知らないなあ)などもラインアップされていて、次回が大いに楽しみである。
 海洋堂さん、リアルなフィギュア作り、ホントにご苦労さん。こういうのって、やっぱり、おたっきーかな・・。


2006年01月15日 「氷壁」に期待!

 昨日の雨から一転、輝く太陽が顔をのぞかせた。気温も上がり、久しぶりに屋外でも体を伸ばせる陽気となった。こうなると、もう外へ出たくて仕方がない。自転車を浅川へ走らせ、サイクリングコースをゆっくりとジョギングした。途中、幾度か足が止まったが、無理せず陵南橋(武蔵陵手前)までを往復した。
 それにしても、昨夜のNHKドラマ「氷壁」は良かった。原案は井上靖だが、舞台設定を前穂高から何とK2へ移し、実に現代的にリメークされていた。また、主人公のクライマー二人に玉木宏(ウオーターボーイズ等)と山本太郎(新撰組)という「旬」な二人を迎えたのが実にいい。この二人なら実際に登れそうな雰囲気がある(ちょっとホメすぎか)。加えて、鶴田真由が二人にとっての「運命の女」として登場する。その旦那が何と石坂浩二。そう、鶴田真由は後妻という役柄だ。実際の登山指導には世界に誇るアルパインクライマー山野井泰史があたっているのも、今後に大きな期待を喚起する。
 まあ、それにしても「K2マジックライン」とは、大きく出たなあという感じだ。作りとしては洋画の「バーテイカル・リミット」風の感もある。昨年末の「クライマーズ・ハイ」に続き、NHKの山屋ドラマ絶好調という所か。


2006年01月11日 ES細胞捏造

 韓国が威信を賭けて開発していた人間の胚クローンES細胞が、全て捏造であったことが判明した。開発した教授は国民的英雄から一転「落ちた偶像」となった。教科書にも掲載されたほどだから、子供たちへの悪影響が心配されるという報道もあった。
 捏造は良くないことだし、残念なことではあったが、どこかほっとしているのは僕だけだろうか。クローン人間がいとも容易に製造され、巷を跋扈する近未来の状況を想像するだに恐ろしい気がしていた。動物のレベルでも、クローンで生まれた個体は短命らしい。これは、きっと我々が窺い知ることの出来ない「未知」の何かが欠如しているからに他ならない。
 新春一発目の高3講座の授業で、「人間は未知なるもの。大きな闇を抱えた存在。三種還元(社会学的・心理学的・精神病理学的分析手法)では解明できないのでは」という文章に遭遇した。尤も、これはどこぞの大学入試の過去問ではあったが、妙に納得してしまった。
 悩める人間もやがては希望を見出すだろう。また、歓喜の絶頂にあっても悲劇は訪れる。全ては神の大いなる意志、運命に委ねられるなどと知ったかぶりはしないが、人間は不可思議で愛おしい存在としておきたい気持ちが確かにある。逆に、真の意味でES細胞が発見されるとき、我々は一体どこへ向かうのだろう。


2006年01月07日 ハプニングありの正月温泉山行

 新春山行は御嶽山に行った。久しぶりの青梅線で奥多摩方面へ向かう。沿線の風景は青梅からがらりと変わる。それまでの市街地から街道沿いの民家や里山が目立つ鄙びたものになるのだ。また、軍畑や二俣尾などという面白い駅名も出てくる。
 さて、御嶽山は思ったより人も少なめで、冬枯れのすっきりした青空の下、快適な山となった。ケーブルカー(開運号)を降りたのが11時半頃であったが、御嶽神社には昼には到着。お参りをしてから破魔矢やお守りを幾つか求めた。昼食は参道脇の茶店でそば&ビールだった。実は、この茶店には夏に仲間と来ていた。確か、その時はすいかを持参して店で切ってもらった覚えがある。つい、目に入った肉そばを注文したが、後から入ってきた親子が御嶽そばを注文し、暫し悔やんだが後で山菜そばと分かり安堵した。
 その後、日の出山からつるつる温泉への「お約束」のコースを辿った。昨年新たに求めた山靴がやや小さめで、両足の小指が擦れているのが少々気になったがペースは順調だった。
 さて、つるつる温泉では身も心もじんわりと芯から温まる露天風呂がサイコーであったが、思わぬハプニングもあった。ロッカーに入らないザックをロッカーの上に置いておいた所、ザックから垂れていた紐が一番上のロッカーに挟まっていたのだ。勿論、そこは他人のロッカーで、鍵が閉められている。浴場へ戻って訊いたが成果なく、隣の方がフロントへ連絡して頂いて事なきを得た。やはり、今年も一筋縄ではいきそうにない。
 風呂上がりは地ビール(多摩の恵み)&刺身こんにゃく&生酒(喜正)で心地よく酔う。帰りは青春号バスで武蔵五日市へ、更にバスを乗り継ぎ秋川街道を経て帰宅した。


2006年01月05日 なんちゃって・・(ブログ向き?)

 いやあ、寒い、寒すぎる。ここ数年で一番寒いのではないだろうか。さすがのデロンギ・オイルヒーターでも温まらず、朝晩はライトダウン・ジャケットが手放せない。寒さのせいか、何だか肩も凝ってきたようだ。こうなると、もう、思い切って雪の山に行くしかない!
 親父も退院したことだし、少し気分を変えに行ってみるか。


2006年01月02日 人間くさい奴

 11年ぶりに実家で正月を迎えている。親父の入院に伴うものだが、まあ、こういう経験もありだろう。割り切って過ごせば、どこか気楽でもあり、懐かしい人々との再会もあって面白い。
 さて、大晦日の「プライド・男祭り」での小川と吉田の対戦が可笑しかった。同じ大学の先輩後輩でオリンピック選手、小川は銀で吉田は金、無差別級での対戦は軽量の吉田の勝利で、今回の再戦は或る意味では「実現不可能」「非情」「因縁」「運命」の好カードと言えた。その後の二人の人生を重ね合わせて、果たして我々はそこに何を見出せるかという興味は確かにあった。
 おそらく先輩であり、現在はハッスル路線の小川の方が確実にやりにくかったに違いない。吉田は正統派格闘家の範疇に留まっているからだ。結果は吉田のTKO勝ちだったが、小川自身は実はギブアップしていなかった。止めたのはレフリーであり吉田だった。負けた小川がマイクを握ってこう言った。
「おい、吉田。俺と一緒にハッスル、やってくれないか」
 このセリフはサイコーだった。小川の度量が伺えた。吉田は首を振り苦笑して応じなかったが、会場のファンは吉田にもハッスルを求めていた。もはやガチンコ勝負に拘泥しない小川の自由さを感じた。勿論、そこに或る種の虚無があったとしても・・。
 敢えてヒール(悪役)を演じる小川の、不思議な優しさを垣間見て、何故かちょっぴり嬉しかった。


2005年12月30日 年末のご挨拶

 と称して、年賀状の代わりにハガキを送ってくれる夫婦がいる。文面はこの一年を振り返り、「来年が皆様にとって良い年でありますように」と結ばれるのだが、これがとても自然でイイ感じなのだ。大仰に賀状と肩肘を張らず、「過ぎゆく年」をそのまま映し出している。
 旦那は山屋でかつて共にパキスタンへ行った仲間、奥方は陶芸で個展を開く風流人。この二人から、それぞれのハガキが届く。片方は光沢紙で片方はマット紙、体裁は大体同じで写真も3枚づつ用いられている。そして、手書きの一言はやはり同じ。
「元気ですか」
 何を書こうか書きあぐねた一言にしても、こうやって心配されている?内が花かな、などとちょっぴり嬉しいものだ。今年はなかなか来ないなあと思っていた所だったので、先ほど見てほっとしたのであった。
 実は、僕も今朝二人に年賀状を出した。勿論、それぞれに2枚!さて、二人の反応や如何に・・。


2005年12月27日 歳末の風情

 今年も残り少なくなってきた。今朝の寒さは半端ではなく、朝帰りの自転車の手が千切れるようだった。雪山へ行ってしまえば自ずと覚悟をするのだが、街中の寒さはかえって応える。
 姉歯建築士&ヒューザー建設会社の強度偽装マンション騒動、トリノ冬季五輪のフィギュア・スケート代表選考騒動、アニマル浜口の「気合いだ」に続く「わっはっは」10連発、関東以外の記録的な豪雪、アメリカ産牛肉無理矢理解禁、韓国ES細胞捏造、伊集院静「冬のはなびら」・DVD・BOX「だいこんの花」・「飛び出せ青春(村野武範)」ソングブックCDの味わい、「クライマーズ・ハイ(ドラマ)」・「白熊ピース(ドキュメンタリー)」・「川畠成道(ヴァイオリン)」等々・・。
 まあ、何だかんだTV人間になってしまっている自分ではある。


2005年12月23日 今年の10大ニュース!?

 なんてフレーズがそろそろ聞こえてくる。ちなみに自分の場合はというと、こんな感じかな。

1、初めて北海道(東大雪、帯広・上士幌・糠平温泉)へ渡った。
2、勤務校のお母さん方のハンドベルの世話人になった。
3、愛知万博に家族で行った。(EXPO’70以来)
4、北アルプス最奥の薬師岳に登頂。(亀谷温泉もnice!)
5、勤務校の全校ハイキングで地元の高尾山に登った。(5クラス約200名・引率14名)
6、「TRAD私学の集い」の生徒ステージで司会を務めた。(勤務校の「印象派」も頑張った)
7、両親の入院に伴い、初の介護経験をする。(介護ヘルパーも初めての経験)
8、家庭内無線LAN確立。(さして困難でなかった。HPにBLOGも掲載)
9、広島の原爆ドームを激写。(湯来温泉もgood!)
10、「パッチギ!」「フォー・クル」を授業で生徒に紹介。(「今までで一番良かった」とサクに言われる)

 思いつくままに幾つか挙げたが、勿論、これが全てではないし、順番もまちまちである。ひょっとすると続編が出来そうだが、紙面が尽きたので終了。


2005年12月18日 アタック準備OK!

 7000m以上の高所登山で頂上アタック前に、一度BC(ベースキャンプ)に下りるということがある。高所で消耗した体力を酸素を充分に補いながら回復し、気持ちの上でもリフレッシュをはかるというものだ。それとよく似た事例を、今日身近で見た。
 それは、手術を控えた親父の外出であった。午後から4時間ばかり自宅へ戻り、近所の床屋で散髪・シャンプー・髭剃り、家では風呂にも入って「ああ、さっぱりしたなあ」と大いにご満悦だった。もっとも、親父の入浴のために風呂洗いと背中を流すという三助までやるはめになったが、それはそれ、何だか妙に張り切ってしまった。
 帰りのタクシーに乗り込む親父は、短く刈られた銀髪に黒いコートを着込んで、近年になく精悍な顔つきになっていた。「これなら、いける!」そんな言葉を飲み込みながら、再び病院まで同行したのだった。


2005年12月15日 Eating like a Pig!

昼食を食べに外へ。しみじみと見た。了解。


2005年12月14日 Why?

 職場の近くに「タイガー食堂」という店がある。食堂だが日中は営業しておらず、夕方から開店する所謂「居酒屋」さんである。以前は「養老乃瀧」があったのだが、数ヶ月前に店をたたんでしまい、現在の店になった。
 いつも朝と帰りにこの店を見ていて、気になることが一つある。それは、店の看板に「タイガー」ならぬ「豚」の絵が描かれていることだ。また、その絵が妙に先輩のY氏に似ているものだから、ついつい可笑しくなってしまう。
 さて、一体どうしてなんだろう。誰か知ってる?


2005年12月13日 クライマーズ・ハイ

 先週末のNHKドラマである。1985年のジャンボ機墜落事故とそれを報道する北関東新聞記者悠木(ゆうき)の公私にわたるドラマである。主演の佐藤浩市が抜群にいい。ギラギラしながら泣かせる。そして、この佐藤浩市を見ていると、僕の脳裏には職場のYの顔がやはり浮かぶのだ。どこか虚無的な目をしながら、内なる魂は荒ぶるものを押さえながら静かにいる。優しさと儚さと寂しさと靱さも感じさせる。
 10日の前編に続く17日の後編も大いに楽しみだ。そこでは、主人公の悠木が友人の息子と谷川岳の衝立岩を登攀する。今から哀しい結末が見え隠れするが、極限状況で北関東新聞がどこまで真実を報道し、悠木がどこまで衝立岩の登攀を成し遂げるのか、本当に今から胸が苦しくなる。
 かつてない興奮は、この僕をドラマーズ・ハイに陥れてしまうようだ。


2005年12月10日 岩崎さん、やったね!

 今朝の新聞にうれしい記事が載っていた。中高年登山ブームの火付け役となった岩崎元郎さん(60)が、御自身で選んだ「新・日本百名山」の全山登頂を四国の稲叢山(いなむらやま・1606m)で達成したというものだ。僕は百名山の類にはあまり興味が無く、好きな山を好きなときに登ればいいというタイプだが、この岩崎さんには懐かしい思い出がある。
 僕が山を始めたのは就職してからだが、その頃に岩崎さんが主宰する無名山塾という山の会で、沢登りや富士山へ行った記憶がある。岩崎さんはとても気さくで驚くほど小柄な方だが、その風貌(丸眼鏡のマンガチックなお顔)と人柄が我々に山をとても親しみやすくさせていた。こうした講習会のような山行では、ともすれば「アルピニスト」「ヒマラヤン・クライマー」を気取りたがる方も居なくはないが、岩崎さんは全く謙虚だった。そして、岩崎さんの仲間である山塾の皆さんも同様だった。
 北壁を「きたかべ」と呼び、わらじの沢を愛し、小柄な体で大きなザックを背負い、常に等身大の楽しめる山を多くの中高年に啓蒙してきた岩崎さん。これからも、どうぞお元気で登り続けて下さい!


2005年12月07日 詩の贈り物

こんな詩を、友人からプレゼントされた。

今日も一つ 悲しいことがあった
今日もまた一つ うれしいことがあった
笑ったり泣いたり 望んだりあきらめたり
憎んだり愛したり ・・・・
そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた 数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった

ありがとう!Kさん。ステキな4*歳の幕開けとなりました。これからも、よろしく!


2005年12月06日 近況です。

 師走に入って、一段と寒さが厳しくなってきた。早朝の自転車は手袋が必要になり、ダウンジャケットも一度着たら脱げなくなってしまった。
 さて、いつの間にか期末試験も終わり、採点に追われる日々となった。試験中は毎日、翌日の問題を作成しており、その日に終わった試験の採点まで手がまわらない状況だった。4クラスで合計6つ分のテストを作成したわけだが、自分なりに良くしのげたものだと感心する。もっとも、高3などは入試問題ぶちこみの超省エネ問題だったが・・。
 そんなこんなで、明日は4*回目のバースデーとなる。四捨五入すれば50で、名実共に「おやじ真っ盛り」である。まあ、いいってことよ。明日は、少しばかり飛ばすかな。では、グッドバイ! 


2005年11月27日 11年前のこと

 秋晴れが続いている。そして、11年前の朝も確か晴れていた。その日、僕はやや緊張した面持ちで半蔵門にある東条会館に向かったのだった。人生の大きな転機だった。独身生活を終え、これから始まる二人の生活に何か漠然とした期待を抱いていた。勿論、不安なこともあったけれど、どこかわくわくするものがあった。
 一方、彼女は一足早く先に到着していて、既にドレスに着替えていた。その姿を初めて見たとき、何か言葉にならないものを感じた。こんな寒い朝に、二人して仰々しい格好をして何やっているんだろう。くすぐったいような、それでいてどこか厳粛な思いもあった。この後の、大学での式や会館での披露宴よりも、それは何か決定的な印象として残っている。
 その後いろいろなことがあったが、僕ら三人の家族は幸いに健康で暮らしている。息子も元気だ。そのことを素直に喜びたい。もう、特別なご馳走はいらない。今夜は焼きかますで乾杯だ!
 


2005年11月20日 それぞれの秋

 「Qちゃん」こと高橋尚子選手が、2年ぶりのマラソン(東京国際女子マラソン)で見事に優勝。いやあ、大したものだ。
 一方、こちらは息子と地元の「いちょう祭り」見物。甲州街道沿いの人の多さに閉口しながら、風邪を悪化させる羽目に。もっとも、午前中には床屋にも行っていたのだけれど・・。
 秋晴れに銀杏並木が映え、クラシックカーのパレードはそれなりに良かったか、等と再評価を試みたりもする。息子もポップコーンと風船とジュースで満足?してたし・・(たこ焼きは拒否されたが)。
 まあ、今日はそんな所ですたい。


2005年11月12日 ジェットドライブよ、永遠に!

 卓球の元世界チャンピオン、長谷川信彦さんが亡くなった。享年58歳、自宅の裏山で伐採した木の下敷きになったという。ちなみに木を切ったのは、自宅に開いた「ハセガワ卓球会館」のランニング・コース整備のためだったそうだ。全くもって、卓球一途だったのだなと改めて思う。
 彼のプレーはシェイクハンドの「一本差し(人差し指をラケットのほぼ真ん中に伸ばす)」が印象的で、鋭いドライブは唸りを上げる所から「ジェット・ドライブ」と呼ばれた。また、中陣から後陣に幅広く動き、相手のスマッシュをこれでもかとロビングボールで打ち返すしぶとさは、まるで魔法のようだった。その豪快で明るいプレースタイルは、多くの卓球少年達の夢を育んだ。勿論、中学時代の僕もその中の一人だった。
 当時、「卓球レポート」なる雑誌を見ながら、中国やスウェーデンとの激闘を繰り広げる全日本チームに憧れていた。前陣速攻の田坂に河野、カットマンの高島、そしてドライブの王様長谷川に今野。いずれも素晴らしい選手ばかりだった。
 長谷川選手、ありがとう。ジェット・ドライブは永久に不滅です!う〜む、愛ちゃんにも見せたかったなあ・・。


2005年11月05日 段ボール紙将棋

 風邪引きの息子と段ボール紙を切って、将棋をした。何でも小学校のクラスで流行っているらしい。もっとも、隣のクラスではそうではないという。将棋盤の方は既に作ってあって、僕は主に駒を作った。
 「歩兵(ふひょう)」「香車(きょうしゃ)」「桂馬」「銀将」「金将」「王将」「角行」「飛車」と表にマジックで書き、ひっくり返して赤で「と」「金」等と書いた。驚いたのは「龍馬」や「龍王」で、それぞれ「角行」「飛車」の成った名称だと初めて知った。駒の動き方もあやふやだったが、女房が借りてきた将棋の本を見ながら、次第に思い出してきた。
 実際に息子と指してみて、けっこう頭を使った。飛車や角を敵陣にぶちこみながら、金や銀で追いつめていく。「王手」や「つむ」時は、自分で確認しながら息子に分かりやすく解説した(つもりだ)。おそらく、20年近くはやっていなかったに違いない。
 午後の陽射しの中で、優しく懐かしい対局だった。


2005年11月02日 例語の意味

 次の動詞の活用を答えなさい。
「会ふ」「話す」「喜ぶ」「怒る」「悲しむ」「別る」。
 最後の「別る(下二段活用)」を除けば全て四段活用なのだが、本当はこの動詞の並びに意味を込めたつもりだった。
 全く優秀でなく、上品でなく、礼儀正しくなく、しかし、素直でどこか憎めない蹴球大好き男。そんな彼が「働きたい」と、遂に学校を去って行った。そんな時だけ、やけに決断が速いじゃないか。普段、うだうだしているくせに、今度はやけに潔いじゃないか。カッコ良すぎるぞ。
 「給料もらったら、おごれよ。一杯やろう」そんなことを言って握手をした。文化祭明けのサプライズだった。


2005年10月31日 秋の読み切り、「闘う男たち」

 週末の夕刻、剛はJR逗子駅へ向かった。最近では、もう5時になると暗くなってくる。おまけに、いつ降り出してもおかしくない空模様。気分は重いものがあった。しかし、行かねばならないのだ。
 駅前のロータリーに辿り着くと、そこには既に数人の仲間が黄色いビラを配っており、Yさんはマイクを肩から提げて、まるで辻説法のように道行く人に訴えかけていた。そんな様子を見て、剛には唐突に得体の知れない怒りと闘争心が湧いてきた。Yさんのマイクを借りると、思い切り叫び始めた。
 「地元で評判のS学院で、何と20年間に渡って、担任外しという差別人事が行われています。私学の教員の組合員だという理由だけで、こんな差別が許されていいのでしょうか。S学院は東京高裁の判決に従って1日も早く争議を解決し、Y先生を担任に就け、名実共に誇れるS学院の教育作りを進めるべきです!」
 いつの間にか小雨が降り出していたが、剛の声はロータリー中に響き渡っていた。幾人かの人が足を止め、貼りだしてある横断幕を見たり、ビラを取りに来たりした。若い女性はOBかもしれない。S学院の幼稚園に通っていたという3人組の小学生は「頑張って下さい」と声をかけてくれた。
 剛は疲労を感じていた。裁判で勝利し正義を手にしている者が、このように困難さを伴いながら大きな悪と闘うことに。しかし、一方で、訴えようによっては如何様にも人々の胸に届きうる可能性もあることに、僅かばかりの希望と光明を見出していた。悪とはいえ、そこは学校なのだ。人を育てる場所の筈なのだから。
 「しかし、手強いものだ」次第に広がる闇の深さに、剛は声にならない声をあげていた。


2005年10月26日 半吉(はんきち)

 うっかり八兵衛の弟ではない。「大吉」「小吉」「凶」などの仲間である。由緒正しい飯縄権現のおみくじ(1回200円)を引くと出てくる。しかし、「中吉」なら聞かないこともないが、「半吉」とは如何?くじを引き当てたM嬢も驚いている。
 「半吉って、何だ?半ケツみたいなもんか・・」とつい口走ったら、傍らにいた生徒に「セクハラです!」とたしなめられてしまった。
 秋晴れの高尾山。ハマッ子を引き連れた、とあるハイキングの微笑ましい一場面である。


2005年10月23日 磯子の大将、逝く

 横浜市磯子にある横○学園のT学園長が亡くなられた。質実剛健にして温厚篤実、創立100周年を超える学園を見守って来られた。神奈川私学では知る人が居ないほどの名伯楽で、「磯子の大将」と呼ばれた。うちの理事長も一目置いて、心から敬愛していた朋友だ。
 僕自身はT氏とお会いしたことは1回のみである。かつて、私学教育研究所に研修に出向いていた時に、会議のため来所したT氏がわざわざ研究室まで足を運んで下さったのだ。「あんた、頑張ってるかいな」と声をかけて下さったT氏は、本当に好々爺で慈愛に満ちていた。杖をついて歩いており、足元がおぼつかない様子であったが、大変うれしく思ったものだ。同室の研究員が、T氏が僕の勤務校の学園長だと勘違いするくらいであった。尤も、何故他学園のT氏が僕を見舞ってくれたかについては、少々複雑な事情があるのでここでは一切省く。
 磯子の大将、どうか安らかにお眠り下さい。うちの理事長も心から哀悼の意を表して居ります。合掌。 


2005年10月19日 挨拶

 「こうして、やっと皆様にご挨拶できるようになりましたっ。ありがとうございましたっ」、一言ひとこと噛みしめるようにYさんは話した。朝の打ち合わせの出来事だった。脳梗塞で倒れ、約半年。ようやく出勤に至るまでに回復したのだ。一説には癌だという噂もあったから、正直言うとここまでの回復は到底望めまいと多くの人が考えていた。頭はほぼスキンヘッドで、一回り小さくなってしまった顔と躰。長身のYさんは、どこか雲水のようでもあった。
 僕の席からは見えなかったが、メモを見ながら冒頭の挨拶をしたとも聞く。丁度、定年を迎える年である。過去のいきさつは抜きにして、胸に染みいる挨拶であったことは、確かだ。 


2005年10月16日 同窓会異聞

 初夏の頃、銀座で大学時代の同窓会を開いたと書いた覚えがあるが、これは後日談。
 いつものように撮っていた皆のスナップ写真に銀座の街並みを加えてDVDに仕上げ、恩師や幹事に謹呈した所なかなか評判が良く、参加者と記念品代などを贈ってくれた仲間全員に配ろうかという話になった。幹事の一人であるO嬢とメールや電話でやりとりしながら、更にI君の撮った集合写真や恩師の写真なども挿入し、改訂版にして最強?の同窓会DVDが完成した。問題はこれを如何にコピーするかなのだが、手回しの良い彼女は安価なDVDライターを見つけ出し、一気に量産体制を確立した。う〜む、相変わらずやのう。
 ところで、こうしたやりとりが実はなかなか楽しかったのである。お互い立派な?中高年になったが、何だか学生時代そのままの感じがあった。彼女が手間をとらせたと贈ってくれた「出世の石段」というスゴイ名前の和菓子を食べながら、「見事に踏み外しているんだけどなあ・・」と呟くのだった。


2005年10月11日 罵詈雑言

 全国父母懇交流集会が大盛況の裡に終了した。2日間で延べ2千名近い人が、横浜は磯子に集ったことになる。これはもう凄いことだ。自分も実行委員として運営に加わり、特に歓迎アトラクションで生徒や父母のステージに力を貸したが、ブラバンもプク(韓国太鼓)もぶちあわせ太鼓もロックソーランもハンドベルも実に素晴らしかった。全国の皆さんに感動を与えたと誇りに思う。
 一方、本日の教室。
「3日間、何やってたんですかあ!」
「何、エンジョイライフしてるんです」
「もう、サボリマン!」
「女房といちゃいちゃしてたんじゃないの?(それは絶対にない!)」
 おいおい、そう責めるなよ、いくら中間テストの採点が終わってないからって。自分だって、いろいろ忙しかったんだから、ブツブツ・・。
 てなわけで、今度はうちの連中のために、どっこいしょ〜!を決意する彼であった。 


2005年10月08日 学校で儲けようなんて思うな!

 3連休の初日、東急線の東横大倉山駅にある某女子校に行った。何のためにって?そう、「赤字になりそうだから」という理由で来年から生徒を募集せず、廃校にしようとする東急グループの経営者から学校を守るためだ。
 損得勘定で学校を潰すなんて、あり得ない。もし、あなたの母校がなくなると聞いたら、あなたは平静でいられるだろうか。少なくとも、学校は儲けを追求する所ではない。子供たちの成長を願い、平等に学ぶ権利を保障できる所だろう。それを、企業の論理で「潰す」なんて!
 そう思った現場の先生方がストを決行し、正門の前で座り込んだ。そして僕たち神奈川や東京の私学の仲間が沢山応援に行った。下校時、中には泣いている生徒もいたし、「頑張って!」と声をかけてくれる生徒もいた。「静にガンとばしてくる」なんていう頼もしいOGもきてくれた。午後から予定されていた同窓会やPTAに集まる皆さんもビラを手にとり、「ご苦労様!」と座り込んだ先生方を激励してくれた。
 そう、来週も火曜から夕方の15時半から、継続してスト&座り込みをやる予定。この闘いに、皆さん、力を貸して下さい!

ps、今流行のブログなるものを、別フィールドに立ち上げた。キーワードは「メンフィス・テネシー」。どんな展開になるかわからないが、今日の内容もupしたので、よろしく!


2005年10月05日 肩を貸す男

 それは、帰りの横浜線の中で起こった。ふと、左肩に重みを感じたので目を開けると、隣のアベックの男の右腕が力強く押しつけられていた。「まったくなあ」と声にならない声を胸の中で挙げつつ見ると、男の左隣の女が男の股間にどっぷりと躰を投げ出して寝ている。「もう、ええ加減にせえよ」と呆れたが、まだまだ先がある。「うん・・」と女の左を見ると、もう一人の女が躰をすっかり女に預けるように右横に傾いている。「?」更に、驚いたことには、その女の左隣の男までもが、その女に右半身を投げ出すようにして寝ているのだ。
 つまり、都合4人の男女が将棋倒しのように重なって、自分の左肩にそれぞれの重みをかけ続けているのだった。「おいおい、どうなってんだ、まったく・・」、男はやるせなく呟くと再び目を閉じるのだった。もう、日付の変わる頃の話である。終点は、近い。


2005年10月04日 がんばれ!えらい人たち

 なんて、運動会で生徒からアナウンスされたらどうする?とある学校の体育祭の話だ。何でも教員リレーがあって、最後に校長や副校長といった管理職がアンカーで登場したらしい。進行係の生徒のアナウンスは、「がんばれ!えらい人たち。えらい人たち、ありがとう!」というものだったらしい。コレを聞いて、僕は正直可笑しかったし、また、リレー後に校長先生が高3の生徒に胴上げされたという話を聞くに及んでは、「それはステキな運動会だなあ」と心底羨ましく思った。だって、うちの学校には体育祭なんてないからね・・。
 その学校は実は僕の母校で、話はそこへ息子さんを通わせている同僚からだった。彼女は大変しっかり者で、旦那の勤務する学校へ息子を入学させ、自分はまた違う学校でしっかりと稼いでいるわけだ。そう、僕が生徒だった頃は、ドイツ人の校長だった。でも、ヒットラーではなくて、マイスタージンガー(親方)みたいな慈愛に溢れたおじいちゃん神父だった。
 「がんばれ!えらい人たち」、そんな風に僕もうちの管理職に声をかけてみようか、生徒に成り代わって。僕が言われることは先ずはないだろうから・・。


2005年09月26日 虫の気配

 実に涼しい1日、季節は確かに移ろっている。今朝は寒いくらいで、思わずブルーのヤッケを羽織ってしまった。
 さて、この所授業で詩を扱っているが、2作続けて虫が登場する。クサカゲロウにミズスマシだ。前者は、愛しい人に手紙を書きあぐねていると便箋にやって来て留まり、後者は水面の表裏を行き来しながら人生の機微を象徴する存在となっている。カゲロウはイトトンボのように儚い風情だし、ミズスマシはアメンボとも言われるが最近はとんと姿を見かけない。僕でさえそうなのだから、生徒が知る由もない。
 さあ、こうなると昆虫図鑑の出番だ。図書館から借り出した図鑑の1頁1ページに驚嘆する。秋の虫はスズムシと相場が決まっているが、どうしてどうして、ムシキングの世界暫しハマリそうだ。


2005年09月24日 常念乗越(じょうねんのっこし)

 夜行テント泊で、北アルプス常念岳へ同僚と行ってきた。初めての一ノ沢ルートでダイレクトに常念乗越へと上がったが、4時間程で稜線に立つことができ、槍ヶ岳から穂高岳の大パノラマを一望できるのだから、これはやはり素晴らしい。久々に見る槍ヶ岳があんなに鋭く屹立しているとは!そのあまりに鋭角な三角錐に、暫し度肝を抜かれた感じだった。
 ところで今回のテント山行は、夏の薬師岳でおニューのゴアライトX(エックス)が雨で使えなかったことのリベンジでもあった。同僚は食糧の一切や「Aマット(銀マット)」、コンロに「グラボー(グラウンド・ボード、木製の風防)」、ムーンライト信州白馬号(急行アルプスはなくなった!)のチケット等の手配をしてくれたが、その岳人としてのキャリアの深さをあらためて再認識させられた山となった。
 結局、往復一ノ沢で常念岳をピストンした形になるが、色づき始めた紅葉と何より僕等を常に見守ってくれていた槍穂高の稜線に胸を熱くしたのだった。

ps、下山後の一浴は穂高温泉郷「常念坊」がお奨め。松本駅からは「はまかいじ」もお奨めです。


2005年09月19日 敬老の日

 というわけではないが、川崎の実家へ行った。弟の所もやってきて、いつもの和やかな宴となった。母は夏前に転倒して折れた右腕も治り、父はその介護の合間に痛めた腰も治り、二人とも表情が明るかったのが何よりだった。
 寿司をご馳走になった後は、公園でキャッチボール。昔は運動音痴だった?弟も、今は地元のソフトボール・チームで活躍している。親父や弟とボールを回しながら、ふと、汗が目からもにじみそうになった。
暑い陽射しの中での一場面である。


2005年09月17日 その瞬間の顔

 予想外の自民党圧勝に終わった衆議院選挙だったが、今日は敗退した民主党の党首選の模様をTVで見た。前党首の菅直人と新党首を目指す若手の前原誠司の一騎打ちとなったが、結局、2票差という僅差で前原氏が新しいリーダーとなった。
 僕は自民党も民主党も支持していないし、この二人にもさほど興味はないのだが、それにしても2票差で勝利した前原氏のその瞬間の表情は美しかった。登壇して就任の挨拶をした際にも、その潔さと漲る使命感に溢れた表情に何故か惹かれた。男にはこんな瞬間の1度きりの顔があるのだな、という思いだった。43歳というと僕より年下になるのだが、その風格は充分に感ずることが出来る。今、現代文の授業で扱っている評論「<顔>を差し出すということ」の言を借りれば、「迫ってくる顔」ということになる。
 最近やや体調に不安を覚え、どこかでセーフモードになりがちな自分に、この表情は何かを訴えていたことは間違いなかった。


2005年09月12日 時に思う

 今日は暑い1日だった。朝晩は大部凌ぎやすくなっただけに、日中の酷暑は応える。5時間目の中程の職員室など実に静かで、まるで時間が止まったような感覚にすらなる。やがて、6時間目のチャイムが鳴り、「さあ、行くか!」と意を決して向かった某体育クラスでは、これまたなかなか「ハードやのう」という有様。「ほらほら、やるぞ!」「聞いとけって」「もうちょい、もうちょい」「ここだけ、集中しろ」「おい、いい加減にしろ!」等々、いつの間にか総合格闘技になる(勿論、パンチは出ませんよ)。
 さて、こんなこと、一体いつまでやるのだろう・・。あと5年、あと10年?なかなか学校と縁の切れない自分ではある。


2005年09月09日 いいぞ、UNO!

 この所、Kー1を始めとして格闘技が脚光を浴びている。それも異種格闘技系や中軽量級までもがプロデュースされ、大いに人気を博している。そんな中で、久々に宇野薫の素晴らしいファイトをTV(「TheHero!」)で見ることが出来た。そう、今年30歳になる彼は、高2〜3と僕のクラスにいたのだった。
 在学中レスリング部で鳴らした彼は、卒業後も格闘技を追求し、修斗(しゅうとう)で一躍脚光を浴びる。佐藤ルミナや同窓の渋谷修身(パンクラス)らと好ファイトを繰り広げたのもこの頃だ。その後、アメリカで修行を積み、更に一回り幅を広げた総合格闘家への道を着実に歩んでいる。
 物静かで心根の優しい彼は、一見格闘技には不向きのようにも見えるのだが、その純粋な闘う魂は進歩を求めて止まない。家族想いで、小さいながらファッションの店も営んでいる。
 試合の方は、彼の後輩になる所に優勢勝ち、キッド山本には負傷敗退となるのだが、闘いぶりを見る限り、二人の若手とは歴然としたキャリアの差を見せつけていた。しかも、試合後に相手を労う彼の表情は、本当に笑顔が爽やかで人の良さが満面にあらわれていた。「いい奴なんだよなあ、宇野は!」TVを見ていてつい呟いてしまうのだった。
 ところで、この夏、北海道で再会した帯広のI君も実は彼の同級生である。つまり、二人の教え子との素晴らしい再会を果たしたことになる。いやあ、本当に嬉しい。こんなことが、ある時突然起こるなんて、やはり人生はステキだ!  


2005年09月04日 いい汗かいた

 高曇りの日曜日、午前中は息子とキャッチボール、午後は浅川のサイクリングコースでジョギング。汗が滝のように流れて、面白いくらい。意外に浅川の流れがきれいで、子供たちが歓声をあげては淵に飛び込んだりしていた。それでも、黒い雲がひろがりつつあり、そこはかとなき夕立の気配。一気に銀輪を駆って戻った。
 その後は、松ノ湯&ビールと続く、いつもの展開。風呂の帰りに、「平和だなあ」などとつぶやいてしまう。さて、明日は台風14号の影響で雨かな・・。今しも、ゴロゴロと遠雷の音。


2005年09月02日 何だろう?

 2学期が始まった。今日の1時間目は酷暑の中、防災訓練が行われたが、本番の授業に入る前に、こうして生徒達と汗をかきながらイベントを行うのはいいものだ。それにしても、暑かったなあ。
 さて、授業の方では宿題集めから始まるのだが、僕は宿台帳のラストにある文芸コンクールへのチャレンジを敢えて課している。俳句や短歌なら10、詩なら3つ、小説なら1つという具合である。作品は千差万別だが、中には、おやっと目を引くものもある。使っている言葉も「欠氷(かきごおり)」「鵯(ひよどり)」「身乃木(かはす・漢字が出てこないのでパーツを並べた)」等、辞書を見なくては普通には出てこないものだ。そして、分からなかったのが、次の作品。 
 空高く 白いの二つ 赤いの一つ
星と月じゃないだろう。旗?バルーン?・・。当の本人は、「ふと、目に入った」とニヤニヤしている。う〜む、このままでは眠れない。please help! 


2005年08月31日 勘違い

 居酒屋で大根おろしとすりおろしニンニクを間違えて、思い切り口に含んでしまった。もう、どうにもとまらない、舌が痺れるような強烈な痛み(と言ってよい)。こんなことも、あるのだね、人生には。
 ところで、部長の体罰問題で揺れに揺れた駒大苫小牧高校、全国優勝は取り消されずに良かった。ただ、新チームの主将が決まらないとの話も伝え聞く。もう一度、初めからやり直すつもりでやったらいいのでは。3連覇なんて、絶対考えることないさ。


2005年08月29日 夏の終わりに

 日光から戻り、夜の横浜の涼しさに驚かされた。日中は暑かったそうだが、確実に季節は変わりつつある。穿いていた短パンが、少々恥ずかしいくらいだった。
 さて、この夏は多くの収穫があった。それは、初めてのことにチャレンジするというテーマ?をいくつか達成することができたことだ。例えば、無線LAN・北海道・薬師岳・熱気球・マウンテンバイク・某季刊紙原稿掲載・父母ハンドベル練習付添・身内の介護等々。
 これらの経験が今後、自分の中でどのような形で真のものになっていくかは定かでないが、少なくない種が蒔かれたことに喜びを覚える。そんなわけで、そろそろ9月です。


2005年08月25日 北の大地に遊ぶ(大雪山国立公園)

 2泊3日の旅程で、初めての北海道へ行って来た。地理的には東大雪と呼ばれる地域で、帯広から上士幌・糠平(ぬかびら)周辺を巡ったが、とても充実したものとなった。
 帯広空港には地元の私学に勤務する教え子が迎えに来てくれて、糠平温泉まで送ってくれた。途中、リンク集でも登場する十勝工藝社に寄り、工房の主である陶守さん兄妹から貴重な話を聞くこと事が出来た。また、黒曜石の原石をお土産にも頂いた。
 糠平温泉では山湖荘という民宿に泊まったが、実に親切なオーナーと洞窟風呂、地の根菜類をベースにした美味しい食事に満足した。翌日は、宿のマウンテンバイクで三国峠から糠平までの33kmを一気にダウンヒルしながら、士幌線軌道跡に残る数々の石のアーチ橋を巡った。中でも糠平湖に残るタウシュベツという幻のアーチ橋を見ることができ、感動した。風化しつつある石のアーチ橋を目前に、折しも強まる雨の中、暫し立ちつくした。
 また、途中にある幌加温泉にも寄り、素朴な露天風呂を堪能したし、ゴール近くでは糠平小学校も見学できて良かった。何と全校児童5名で、「ここにはいじめも不登校もないです。心洗われますよ」とおっしゃる先生の言を楽しく聞いた。
 最終日には熱気球の体験乗船をしたり、帯広に戻って植村直己野外学校を訪ねたりした。野外学校の設立は1985年で、もう20年になる。ちょうど僕が現在の勤務校の中学部に奉職したのと同年であることに、何か縁を感じた。現在でも様々なプログラムで若者を育てており、植村直己のスピリットが心ある人々によって受け継がれていることにしみじみと感動を覚えた。
 先日の薬師岳に続き、自分の中での空白の部分(未踏の領域)をこのように埋めることが出来、大変うれしい。また、教え子の元気な姿にも勇気をもらった。 というわけで、乞うご期待、フォトギャラリー!


2005年08月21日 北アルプス・薬師岳行

 猛暑が続く。甲子園では北海道代表の駒大苫小牧高校が昨年に続いての連続制覇を成し遂げた。苫小牧は昨年の大会で、僕の勤務校が敗れた相手だったが、奇しくも準優勝の京都外大西高も昨年対戦したチームだった。これも何かの巡り合わせかもしれない。
 それにつけても、先日の北アルプス・薬師岳は良かった。久々のジャイアント(山として)クライムであり、裏銀座の山々がぐるりと見えていた。特に薬師の山頂から一瞬ガスがきれて顔をのぞかせた槍・穂高の高くて黒いギザギザとした稜線は感動的だった。また、常にどっしりと見守ってくれた黒部五郎岳や北の股岳も美しかった。初日の大雨で人と雨具が溢れていた太郎平小屋も下山後に立ち寄った亀谷(かめがい)温泉の「おおやま」も良かった。太郎には黙々と雨でぬれた床を拭く五十島親父さんがいたし、おおやまは母娘で切り盛りする心やすい宿だった。
 また、初日の土砂降りで地鉄の一部が不通となったり、やはり同時期に起きた宮城地震で新幹線が止まったりと、アクシデントもちょっとした調味料になった。
 かつて、愛知大山岳部が雪の薬師岳で大量遭難し、当時朝日新聞の記者だった本田勝一がヘリで太郎小屋に降り立ち、「来た、見た、いなかった!」という衝撃的なスクープをしたことなどが思い出された(勿論、リアルタイムでなく知識としてですよ)。彼らの慰霊碑が薬師岳のすぐ手前のピークにあり、白い花が一輪手向けられていたのが目に焼き付いている。折立の登山口にも立派な慰霊塔が建立されていた。
 考えてみると、夜行急行の能登に1人で乗り込んだとき、今回の山は8割方成し遂げられたようなものだった。実は、そんなところの決断が次第にしづらくなっている年代でもある。まだまだ、いける!そんな感触が得られた北ア最奥への山行だった。


2005年08月18日 ご自愛下さい

 手紙やハガキの末尾に、良く書かれている。「まだまだ暑い日が続きますが、くれぐれも〜」という具合だ。何だか紋切り型のセリフのようで、今まであまり気に留めていなかったのだが、最近、少しこの言葉の意味が分かってきたように思う。
 暑いからと言って冷房を効かせすぎる、ビールをがぶ飲みする、半裸で寝る。海や山へ出かけては調子に乗ってはしゃぎすぎ、やはり暴飲暴食。巷にあっても鯨飲馬食、挙げ句の果てに酒池肉林?。とくれば、自ずから「ご自愛」の意も生まれようというもの。
 「分をわきまえよ」「摂生しなさい」「思慮深くあれ」「他人の気持ちも考えろ」、要するに「自分を見つめて、大事にしていきなさいよ」てなことになるのだろうか。
 胸に手を当てれば、思い当たることはいくつもある。「そんなことを一々気にしていたら、生きては行けない」なんて物言いも出そうだが、今回は何となく身にしみる言葉になっている。だから、どうしたのかって?いや、どうもしないさ。どうも、ね。


2005年08月13日 白馬岳土砂崩壊!

 11日、北アルプス後立山連峰の白馬岳の大雪渓で大規模な土砂崩落があった。雪渓が終わる葱平(ねぶかっぴら)の辺りで、杓子岳側から家一軒分ほどの土砂が崩れ落ち、5名程の登山者を直撃。数名が生き埋めになったという。現在、この大雪渓ルートは通行禁止になっている。
 この所、原爆&戦争&飛行機墜落事故という人災を繰り返すまいというアピールや特番が多いのだが、そんな中でのこの天災もやはり驚くほかはない。かくいう自分も4年ほど前の夏にこの大雪渓を登り、栂池方面へ抜けたり、或いは不帰の険を経て唐松岳へ縦走したりしたのである。その時も大きな岩が雪渓に落ちているのを幾度か見た覚えがある。今年も、白馬から日本海へ抜けるという案を考えたこともあった。
 人間の存在は自然の中では極めて小さいものだが、その命の重さはまた1人ひとりかけがえがない。戦争であろうが土砂崩れであろうが、易々と失いたくないし、失いたくなければ守るしかない。不戦の誓いは、その最たるものだ。ということで、憲法9条は絶対に不可欠なのだ!(やや強引かな) 


2005年08月10日 日本人、頑張る!

 真夏日が続く中、国際舞台で活躍する日本人の話題をいくつか。
@スペースシャトル・デイスカバリー号の野口聡一宇宙飛行士。3度の船外活動を的確にこなし、船内ではピアノ演奏からあやとりまで幅広く大きな夢を身近に我々に届けてくれた。コロンビア号の悲劇を乗り越えた勇気と努力に心から敬意を表したい。
Aフィンランドで開催されている世界陸上の為末大選手。400mハードル決勝で見事3位の銅メダル獲得!ラストサムライ(自称)の面目躍如。200mの末続慎吾選手も余裕の予選突破で期待大。他にも、活躍選手が目白押し。TV番組司会の織田裕二ではないけれど、じんとくる。
B大魔神・佐々木投手、涙の引退登板。清原を得意のフォークで三振に!日米で活躍した名ストッパー。番長・清原が涙目で別れを惜しんでいた様子に、またじんとくる。
C別の意味で信念を貫いて衆院解散した小泉首相。郵政民営化法案の成立を目指して解散をちらつかせるやり方は、やはりアンフェアー。誰のための議会制か。9/11総選挙とは、「これは戦争だ」と言ってるようなもの。国際人としては如何なものか・・。
 てなところで、今夜はお開き。また、次回!


2005年08月07日 夏の親馬鹿

 暑さにうだったわけではないが、トップページの背景を変えてみた。暫く続いた青を基調としたピアノの鍵盤から、一面の緑の水稲に。どこか涼しげになったかなと思うが、どうだろう。
 さて、今日は息子の満10才の誕生日であった。プレゼントは先週既にゲームのカセットを母親からゲットしたようだが、僕は彼を銭湯に連れて行った。今では一丁前に一人で頭も洗うし、「露天風呂に行こう」などと積極的に銭湯内を歩き回っている。そのくせ、たいてい露天風呂が漢方薬の匂いがきついので、あまり中へ入らずにいるのだ。湯上がりには女房が持たせた水を飲み、僕が缶ビールを1本空けるのを待っている。家から歩いて6分ほどの銭湯が、とても新鮮なオアシスになる。
 さあ、もっともっと大きくなって、たくましくてやさしい人間になってくれ。そうそう、親父のことはあまり見習わずに・・。


2005年08月05日 夏はやっぱり御嶽(みたけ)でしょう!

 各地でこの夏最高の気温を記録する中、同僚と息子を連れて奥多摩の御嶽に行ってきた。勿論、ケーブルカーやリフト(ごく可愛い)は充分に利用させて貰ったが、それでもケーブル駅までのアプローチを真面目に歩いてしまった余波か、御嶽神社の頂上社までは敢えて行かずに、参道の茶店で弁当休憩とした。
 ここの女将さんが、もう80に近いというのに矍鑠としており、話し上手。ビールを頼めば葉唐辛子、持参したスイカも切ってもらい、店の名入りの手作り団扇まで土産に持たされてしまった。ここで、あまりにメートルを上げすぎ、日の出山からつるつる温泉への大縦走が危ぶまれたが、どうしてどうして、結果的には初志貫徹。飲んだくれ一行は、無事、温泉へ辿り着いたのであった。
 秋の紅葉の頃はいざ知らず、夏の盛りの御嶽は人も少なく、実に静かなことは言うまでもない。数ある宿坊もひっそりとしており、つるされた提灯が夏の陽ざしに揺れている辺りは、そこはかとなき風情もある。
 しかし、ちょっと気を許せば、否応なく汗が滲み出てくる。その汗を夏のアルカリ温泉で洗い流し、冷房の効いた大広間の休憩室で生ビールを飲めば、これはもう極楽千万。かくして、夏の低山徘徊の醍醐味を存分に満喫してお開きとなったのである。(尤もザングツをバスに置き忘れるというハプニングもあったが・・)


2005年08月02日 だいこんの花

 8月に入り、いよいよ暑い日が続く。夏期講座も一息ついて、漸く自分の時間がやってきた。こんな時は、昔懐かしいTVドラマでも見ることにしよう。
 「人知れず忘れられた茎に咲き、人知れずこぼれ散り、細かな白いだいこんの花」こんな竹脇無我のナレーションで始まるホームドラマを、皆さんご存知だろうか。元巡洋艦日高の艦長・森繁久弥と竹脇無我の親子にお手伝いの川口晶、亡くなった妻役に加藤治子。森繁のかつての部下に大阪志郎、その娘に武原英子、他にもミヤコ蝶々や細川俊之など芸達者が顔を揃える。脚本は向田邦子だ。
 確か、リアルタイムで見ていたのは中学生くらいの頃だろうか。東芝日曜劇場が嫌いな親父が面白そうに見ていたのが印象に残っている。子供ながらに竹脇無我の格好良さと武原英子の爽やかさに惹かれた。こうしてあらためてDVDで見てみると、竹脇無我の二枚目ぶりに驚き、かつ、森繁の味わいが染みてくる。武原英子の清純さもますます光る。いやあ、こんなに鮮やかに蘇ってしまうと何だか本当にびっくりしてしまう。
 このドラマの味わいが分かる年齢になったのかと思うと、ちょぴり切ない気もするが、まあ、いいだろう。こんな家族や人間関係の機微が現代の日本人には決定的に欠けているかもしれないのだから。
 それにしても、この時から向田さんは加藤治子が気に入っていたらしい。その後の、向田ドラマには欠かせない存在であり、日本のつましく心根の美しい女性を体現する女優だからなのだろう。さあ、次は第5話を見なくては!


2005年07月31日 どこか懐かしい所(別府全私研)

 屋上の露天風呂から、別府湾と高崎山が広々と見渡せる。深夜でも早朝でも、真に良い眺めで心地よい。木枠の浴槽から上がり、テラスを裸でゆっくり歩く。遠い目をしながら、両手を左右に大きく広げたりする。あ〜と、声にならない声をあげて、自分を海の中に開放していくようだ。
 この別府は確か、二度目だった。最初は修学旅行の引率で訪れた。バスで移動しながら、地獄巡りをしたことを覚えている。あの時のクラスは可愛がりもしたが、押さえつけもしていて、実はあまり良い雰囲気でなかったことなどを今頃になって思い出したりする。
 まあ、そんなことはともかく、海べりのホテルは快適で、殊に早朝の散歩は思いの外素晴らしかった。日中の会議は重い課題に溢れているので、尚更、オフの時間を大切にしたいというのが近年の想いである。
 そういった意味で、夜更けの大陸ラーメンも、帰路に立ち寄った熊野の磨崖仏(まがいぶつ)も山香(やまが)温泉も実に愛しい時間だった。
 日豊(にっぽう)線のソニックという特急に杵築(きつき)駅から乗り、新幹線の小倉駅に向かった。車窓からは夕立の後で、しっとりと蒸し返す夏の緑や遠く山並が過ぎ去ってゆくのが見えるばかりだった。


2005年07月26日 夏休み読み切り短編小説

「最近、登ってんの?ただ、ガイドと一緒なら登れるって訳じゃないし、日頃からもっと準備しなきゃあ・・」
 そんな風に一方的に言われて、岳彦は正直面白くなかった。「なんだい、せっかく人が新しい目標を見つけて気合いを入れようと思っていたのに・・」
 確かに、剣岳の八峰上半部が易しいわけではないし、ましてチンネを始めとする岩峰の登攀が難しいのはわかっている。かつて、アルパインガイドの重田と源治郎尾根を登ったのは10年以上前だったし、3年前の前穂高・松高ルートでハング越えに苦労して、涸沢小屋へ着いたのが午後8時になったことも苦々しく思い出された。
「あの時は、ブランク後の最初の穂高だったんだ。横尾から普通にいくより、奥又から前穂のバリエーションを一つ登って涸沢に入ろうと言ったのは重さんじゃないか。」岳彦にとって久々の岩場が穂高だったことは、うれしくもあったが、逆にプレッシャーも大きかったのだった。松高ルートはクラシックルートであり、難度は高いわけではないが、先人の開拓したルートを味わう余裕は全くなかった。ハングに降り立つ前に一度懸垂下降をしたが、久々の懸垂に思わずびびってしまったこともショッパイ思い出である。そんな岳彦の姿に重田も少々語気を荒げていたっけ。
 岳彦は重田に電話で一括され、ショックだった。「こうなったら、やってやる。自分なりに出来ることをな。そうさ、人を頼っちゃいけないんだよ。重さんなんか、もう、頼まねえ!」
 岳彦は翌日、地元の山道具屋で1〜2人用テントと新しい山靴を求めていた。そして、昭文社の地図が1枚。タイトルは「日本アルプス総図」であった。<続く?>


2005年07月25日 独身生活

 妻子が3泊4日の韓国ツアーに出発し、束の間、シングル生活を営んでいる。この時とばかりに羽目を外そうなどという野望はさしてないが、まあ、少し自由で少し物足りないという感じである。
 朝起きても「お早う」と言う相手がいない。普段ならカップに一杯用意されている薄目のコーヒーもない。勿論、飯も炊けてはいないし、冷凍の飯をチンするのも味気ない。結局、今朝は昨日入院している母を見舞いに行って父に貰ったバナナを一本食して職場へ出かけた。
 そう言えば、昨日の帰りもそうだった。日曜の夕食を外で済まそうという家族連れで賑わう駅ビルの中を、自分は1人でとりとめもなく歩き、寿司屋で生ビールに八海山など飲んでいたのだった。周囲の話に自然と耳を傾けながら、それを酒の肴にしていたのである。
 何だろうな、自分の家族。居ないとやっぱり3341ってとこかな・・。


2005年07月22日 野球部、ご苦労さん!

 勤務校の野球部が、県大会予選4回戦で慶応高校に敗れた。1−2の僅差だったが、相手投手に抑えられ、とにかく打てなかったらしい。というのも、僕はその試合を見ることが出来なかったからだ。TV中継もなく、辛うじてラジオでの試合経過を同僚から聞く程度であった。そう、夏期講座なんてものをやっていたのだ。
 僕はそれほどの野球おたくではないし、愛校精神に溢れているわけでもないが、なぜかひっそりと夏の闘いを終えてしまった彼らが、少々不憫だった。常勝を宿命づけられ、準決勝や決勝が全校応援と行事予定表に明記される中、ノーシードから頂点を目指すためにメンバーの1人ひとりにかかる重圧は並大抵のものだはないからだ。前評判では、この慶応に勝てれば一気にいけそうだとのことだったが、内容は完敗だったようだ。
 相手の慶応は、「勝てて良かった」とベスト16入りを殊の外喜んでいた。裏を返せば、それほど、うちが神奈川の中で特別な存在でもあるということだ。「早過ぎる」敗退も、どこか「奥ゆかしい」と考えれば、それもたまにはいいのではないか。
 静かな夏も、また別の意味で魅力的であるのだから。 


2005年07月20日 21万人、34度、湿度70%

 万博2日目の様子である。前日は夕刻5時からの入場で過ごしやすく、人出もそこそこだったのだが、さすがに3連休の中日に会期中最高の人出を記録してしまった。リニアモーターの乗り換えに約1時間、会場のゲート前で1時間以上、結局入場したのは11時になっていた。
 そんな中でも、外国のパビリオン専門に見て回れば、そこには多くの異文化との出会いがあり、目に耳に心に、新しい何かが伝わってくるのだった。子供達は各パビリオンでのスタンプラリーに夢中になっていたが、それもいいだろう。オーストラリア館でカモノハシ君と写真を撮ったり、韓国館で3Dアニメに興奮したり、カバブーやナン、椰子の実ジュースに舌鼓を打ったのもいい思い出になったことだろう。
 冷凍マンモスやユビキタス・ロボットには出会えなかったけれども、ポケ・パークで遊んだことや、名古屋駅前の高機能ビジネスホテルにステイし朝食におにぎりを4つも食べたこと、「宮本むなし」という早朝からやっている食堂があったこと等なども忘れることはないに違いない。
 2泊3日は、あっという間であった。


2005年07月16日 愛知は叡智

 成績会議も終わり、いよいよ1学期も終わりに近づいた。北海道・知床の世界自然遺産決定や野口飛行士が搭乗するスペースシャトル・デイスカバリーの発射延期などもあったが、この連休に思い切って愛知万博へ行くことになった。
 事の始まりは5月のGWに弟ファミリーと遊んだ際に話が出て、急遽宿泊先などを決めたりして計画が具体化したのであった。まあ、自分にとってはEXPO’70の大阪万博以来となるのだが、新しい世代と共に参加するのは又一味違う趣がある。
 それでは、行ってきます。土産話をお楽しみに!


2005年07月11日 ニュージーランドの風

 ニュージーランドと言えば、「オールブラックス」「オージービーフ」「ホームステイ」と相場が決まっている。つい最近は、ロンドンで同時多発テロを受けたイギリスの、ウイリアム王子が訪問して大歓迎を受けている。そんなニュージからステキなお客様が来校した。
 その名も、ケルストン・ボーイズ&ガールズ・ハイスクールの皆さんである。勤務校が夏のホームステイでお世話になっているのだが、最近では相互交流ということでケルストンの皆さんをこちらへ招待している。総勢10名ほどだが、1週間ほど授業を受けたり、部活に挑戦したり、京都や広島に行ったりと、日本の佳き伝統文化を学びながら交流を深めるというもの。
 今朝は歓迎式典が体育館で行われ、両国の国歌吹奏から始まり、音楽部の和太鼓や応援指導部のリーダー、HAKAチーム(有志)などが心から歓迎のパフォーマンスを披露した。唯、残念なことは、体育館には高1のみが入り、高2・3は教室で放送中継であったことだ。かくいう自分も高3の教室で臨場感溢れる?演奏に耳を傾けていた。
 「ニュージの国歌って、かっこいいなあ」、窓の外を見やりながら、ぼそっと呟くのだった。


2005年07月08日 短冊の文字

 母親が入院している市立病院の玄関ロビーに、七夕用の柳が1本据えられていて、沢山の短冊が下げられていた。診療やらお見舞いやらで来た人が、それぞれに想いを託した短冊の数々。
 その中で、何とも簡潔にして可笑しかったのが「頭がよくなりますように」だった。「頭がよくなる」とは、どういう意味か。脳血栓や脳梗塞、脳腫瘍、脳浮腫、脳挫傷、そういった難病から回復して欲しいという意味だろうか。それとも、単純に「閃きのある」「回転の速い」「おりこうさん」を意味しているのだろうか。おそらくは後者だと思うのだが、ふと考えさせられてしまう所に、妙におかしみがあるのだった。
 そして、僕も一つ書いてみた。「早く骨がつながりますように。親父の心に平安がありますように」と。


2005年07月04日 GINZA、GINZA、GINZA

 週末、大学時代の同窓会で久々に銀座へ赴いた。早めに新橋駅に着いたので、ぶらぶらとメンストリートへ歩いていった。
 実はこの歩行者天国を歩くのは初めてだった(と思う)。時計台や鳩居堂のある交差点を挟んで、そう、2〜3回往復しながらデジカメ写真を撮りまくっていた。外人も多いし、所謂海外有名ブランド店が目白押しだ。CHANEL・BURBUREY・PRADA・LANVIN・BROOKBROTHERS・FERRAGAMO等々。日本の老舗も負けてはいない。とらや・SHISEIDO・中村屋・ヤマハ楽器・タサキ(真珠)・山野楽器等々。なかなか絵的に美しいものが多く、フォト・ギャラリーにいつかまとめたい。
 ところで、どうして同窓会が銀座なのかって?それは専ら幹事の趣味によるものなのだが、彼女の実家が近所であるというのが一番の理由かも知れない。そう、彼女は生粋の東京人で風流を解する人間だからである。あまりに風流すぎて「本日は閉店しました」という自己紹介をとある文集に載せた程である。
 まあ、それはさておき、同窓会は楽しく、皆あまり老け込んで居らずに健在であったのが嬉しかった。お世話になった先生は米寿を迎え、何とPCでビデオ参加であったのには時代の流れを感じた。
 2次会の後、新橋の駅前で夜景を1枚撮った。酔いと疲れと寂しさが少し漂っていた。 


2005年07月01日 7月の情勢

 ようやく7月になった。合わせて期末テストも始まった。最近、気になった出来事をいくつか挙げたい。

@高松塚古墳解体決定!
 保存の為とはいえ、国宝級の遺跡を解体できるのか。超法規的行為と批判も。
A超惑星出現か?
 理論上の倍の核、質量は地球の70倍。日米の観測チームが発見。「HD149026b」という名前。
Bフェデレーションズ・カップ、ブラジル堂々の優勝
 アルゼンチンを4−1で下す。黄金の4人(ロナウジーニョ・ロビーニョ・アドリアーノ・カカ)で圧倒! 
Cウインブルドン・テニス、シャラポア準決勝敗退
D両親殺害の15才、供述進む。
 「俺より出来が悪い」と言われて抑え難くなった。
E刺又&ネットランチャー、職場に導入される!
 不審者対応器具の決定版。何と、校長机の両脇に設置。(シュレッダーも!)鬼に金棒、○○にはさみ?
F銀行顧客情報紛失、200万人分超!
 一体、何が、個人情報保護法だ!!
G母転倒して右手首骨折、入院
 今年は正月から市立病院の世話になっていたが。いよいよ両親の介護を本格的に考えないと・・。


2005年06月26日 ローマは1日にして成らず

 うだるような暑さと言って良い週末だった。夏風邪なのか喉が痛く、しつこい咳が出る。洟も出るし、何を食べてもあまり味がしない。薬のせいもあるが、どうにもパッとしない。喉は仕事柄酷使?することになる。教室でパントマイムのみで授業をするのは、さすがに無理だ。何せ相手は一番エネルギーに満ち溢れた若者達なんだから・・。
 さて、そんな日の夜はフェリーニの「ローマ」でも見るといい。地下鉄工事で偶然発見された古代邸宅の遺跡のフレスコ画が、外気の進入によって見る見る内に色あせてゆく様があらためてはかなくて素敵だ。また、高級娼館を尋ねる青年や枢機卿の前で開かれる教会ファッションショー、戦時下の下町風ボードビルショーも笑える。ラストのオートバイの爆走や冒頭の雨の道路のシーン(全ての道はローマに通ず)は特に印象的だ。
 さて、夢から覚めた後は現実が待っている。粛々と期末テストを作らねばならない。それもうんと気の利いたやつをだ。しかし、「空飛ぶ男(安部公房)」ではなあ・・。


2005年06月25日 いいぞ、ロビーニョ!

 コンフェデ杯の日本は、世界王者ブラジルと2対2で引き分けるという大健闘を見せた。準決勝へは進めなかったものの、実に立派な闘いぶりだった。日本は10番中村の左足から2点が生まれたが、セットに近い形で蹴らせれば間違いなく世界の一級品であることが証明された。(ゲームメーカーとしては、もう一息。ロナウジーニョを見習いたい)
 さて、久々に見るブラジルも大変魅力的だった。10番のロナウジーニョは細身ながら、柔軟で閃きのあるプレーヤー。所属のバルセロナでも大活躍で、現在世界のナンバー1プレーヤーと言ってよい。何より顔つきがいい。サッカー大好き少年がそのまま大人になったような、目の大きいどこか女性的な表情だ。また、7番のロビーニョがいい。小柄で若い彼は既に「ペレ2世」と呼ばれているらしいが、スピードとテクニックに優れ様々な形でゴールを狙う。特に驚嘆したのは、相手ゴール前で自分の左側のBKを右足のバックヒール一発で交わしてドリブリ&シュートした場面と相手BKを前に左右にボールを細かくまたぎながら振り切ってシュートした場面である。その左右の振幅のキレの良さ(スローで見ても全く体の軸がぶれていない)といとも容易に行うバックヒールの鮮やかさは、確かにペレを彷彿とさせる。計算されたプレーのようで、それは全て自然に出てくる閃きなのだ。
 ブラジルの2点は結局このコンビによるものだったが、実に楽しみなプレーヤーである。これにロナウドやカカ、アドリアーノらが絡むのだから、更に見応えがあるだろう。録画しておいて超ラッキーの一戦だった。


2005年06月22日 ローマン・ホリデイ(石田衣良「スロー・グッドバイ」より)

 メル友同士が実際に会うことを「オフ会」と言うそうだ。メールやチャットは「オンライン」で成り立つコミュニケーションなので、実際に顔を会わせる時は「オフ」ということになる。
 銀座で待ち合わせたメル友は、女子大生風の若い娘。しかし、本当はメル友の孫娘であり、メル友自身は70才を過ぎたおばあちゃんだったとしたら、貴方は一体どうするだろうか?
 この小説の中で、結局、彼は孫娘と一緒におばあさんが入所している特養老人ホームへ出向き、おばあさんとの面会を果たす。そこで、ヘプバーンが大好きだったおばあさんと楽しい一時を過ごして帰るのである。そして、この作品にはステキな落ちがつけられている。次に孫娘からのこんなメールが彼に届く。「私とプリテイ・ウーマンしませんか?」
 ゲーリー・クーパーやリチャード・ギアにはなれない自分だが(当然だよね)、とても粋な小品だった。


2005年06月19日 父の日の過ごし方

 何だか母の日に対抗して無理矢理作ったような感がある。それでも、今日は久しぶりに家族でゆっくりした。考えてみると、ここ2週連続で日曜日は家を空けていたのである。
 昼に「父の日祝いにぎり」なるスーパー寿司をほおばり、ママ手製の焼きそばやプラムも食す。暫しの昼寝の後は、息子と近所のいちょうホールへウインドオーケストラのコンサートを聴きに行った。ドリカム・ソングブック(サックス・アンサンブル4人衆)や山口百恵メドレー、チャールダッシュ(バスクラ・超絶技巧ソロ)、アルセナール(祝典序曲)などを堪能した。
 夕刻は、富士森グラウンドでこれまた久々のジョギング。自慢じゃないけれど、本当に体が重い。重いけれど、芝の上をじっくりと走るのは何とも楽しいものだ。風に吹かれながら、まるで自分がネッツアーやジーコになったような錯覚に陥る。これで、松ノ湯(銭湯)に行ってれば、完璧だったかな・・。尤も、夜寝の後に妻から一言。「自分の洗濯物は、自分で(外の干し場から中へ)入れてね」
 小市民的な1日は、斯くしてささやかな物語になる。


2005年06月17日 ゴールド・レコード

 先日、yahoo!(yafoo!ではない)のオークションでELVISのゴールド・レコード(勿論レプリカ)を落札した。曲目は、「今夜はひとりかい」「好きにならずにいられない」である。前者は間奏の語りが甘く、当時いくつものアンサー・ソングを生んだし、後者は映画「ブルー・ハワイ」の中で唄われ、ELVISのショーのクローズイング・ナンバーとしてあまりにも有名だ。
 こうしたグッズには嘗てあまり興味がなかったのだが、今回はどういうわけか無性に欲しくなった。そして、無事に現物が届いた後はじわじわとうれしさが増してきたといった感じである。木枠に納められたゴールド・レコードの上には、淡いグリーンのシャツのELVISが健康的に微笑んでいる。
 う〜む、やはり、いい。いいものは、いい!のだ。


2005年06月15日 晴耕雨読

 いつの間にか紫陽花が目につく季節となった。日光であまりにも晴れやかな新緑を見てきただけに、今日あたりのしのつく雨はやりきれない感じだった。こんな時は、最近読んだ、或いは、求めた本でも紹介しよう。
 「あふれた愛(天童荒太)」「アレキサンドリア(曽野綾子)」「空港にて(村上龍)」「スローグッドバイ(石田衣良)」「夫と妻と女たち(真野朋子)」「憲法なんて知らないよ(池澤夏樹)」「キリマンジャロの雪(ヘミングウェイ)」
 ちょっとだけコメントすると、「あふれた愛」は読み出してすぐに重くなり、「スローグッバイ」に乗り換えてしまった。あなたの好みは、どんな本? 


2005年06月12日 NIKKO IS NIPPON

 梅雨の合間に夏のハイキングの下見に日光へ行ってきた。いつものNANBU4人衆なのだが、今回は宇都宮在住の岳友Tさんが、ガイド兼ドライバーとして特別参加。機動力を生かして、充実した現地調査となった。
 竜頭山の家をベースに高山を始め近辺を巡ったが、「どうせ雨だろう」と期待していなかっただけに、素晴らしい晴天に目眩がするほどだった。きらきら輝く新緑にシロヤシオ、アカヤシオ、シャクナゲ、ヤマツツジ、シラカバが彩りを添えて、実に爽快な山となった。山の家良し、高山良し、小田代ケ原良し、彩雲良し、下山後の「やしおの湯」も良し、竜頭の滝も中禅寺湖も男体山のご来光も良し!なのだ。
 こんなにステキな日光、おそらく8月末の本番には見られないかも・・。至福のグリーンハイクに大満足!T翁、どうもありがとうございました。


2005年06月08日 クールビズ騒動

 何でも、新「省エネルック」らしい。「ノーネクタイ、ノー上着」を合言葉に、まあ、冷房の省エネとひいては地球温暖化防止策ということに結びつくのだろうか。日常から「カジュアル」「省エネルック」である僕には、やっと時代が自分に追いついてきたかというくらいにしか感じないのだが、ここへ来て、突如大クレームが出ているという。
 それは、ネクタイ業界組合からのものだ。「父の日」を前に「ノーネクタイ」を政府から提唱されてしまうと、売り上げが大幅減となってしまうというのである。実に尤もなことで、日頃ノータイの自分も、「そうか、頑張れネクタイ組合!」とエールを送ってしまう。それにしても、世の中微妙に持ちつ持たれつ関係が出来ていて、ある日ある時突然そのバランスが崩壊してしまうのだなと痛感する。
 昔の人は言っているではないか。「風吹けば、桶屋が儲かる」「戦争すれば、兵器が売れる」「嘘ついたら、針千本飲ます」と。
 クールビズ、何だか「うすのろまぬけ」のゲームのようである。したけりゃすればいいし、そうでなければしないがいいのだ。それだけのことだろう。何も政府が号令かけるものではないと思うのだが・・。


2005年06月05日 美しい村に行ってきた。(関東ブロック父母懇交流集会)

 まるで公園のような長閑さだった。池と芝に彩られて、水辺にたたずむ建物は蔵のようでもあり、明治開化期の校舎のようでもあった。「森と池と共に生きる」、そんな精神がゆるやかに訪れる者を包み癒してくれる。ウイーン生まれの建築家クリストファー・アレグザンダー氏が設計したという東野高校、想像をはるかに超える素晴らしい環境だった。
 このような自然の豊かさの中で、一人一人が大切にされる教育が成り立つのだなと実感できる。学園の名物犬「ししゃも」にも会うことができ、校内を自由に見学することもできて大いに満足した。しかし、こんなに素晴らしい学校が、八高線でわずか30分もかからない所にあったとは!
 遅くなった昼食を地元の蕎麦屋で食べつつ、偶然相席となった「税務署から睨まれている」富豪?老人に酒をつぎながら、美しい学びの村の姿を反芻するのだった。 


2005年06月04日 夕立と新体操

 長かった一週間、夕刻には俄に雷雨となった。折しも妻子が教会(土曜学校)に行っていることもあって、踏切前のマンションのエントランスで写真を撮りながら待っていた。
 それにつけても、つい先ほどまで見ていたTV「熱闘、笑ってコラえて男子新体操SP」の素晴らしさを思うのだった。今や女子だけの種目ではなくなった新体操を、男子高校生がマジにチャレンジするのを地道に追った番組。実は以前にも偶然目にしたことはあったが、今日の選抜大会を賭けた青森山田・盛岡市立・大阪清風・関西清明などの部員も顧問も死に物狂いの日々には心を打たれた。こんなに一生懸命やれるのは一体何故なんだと、時折熱くなる目頭を押さえつつ、それでも時折笑わせてくれる彼らのひたむきな姿に惹き付けられるのだった。
 轟音とともに滝のように土砂降る夕立に、いつの間にかこちらの心も洗い流されるようだった。他人がどう思うかの問題ではなく、自分が納得する演技をとことん全力でやり遂げようとする姿に、やはり手放しで感動してしまう。
 さあ、もっともっと降れ!さもしい心や計算高い心や臆病風をとことん洗い流してくれ!そんな気持ちになった土曜の夕刻だった。


2005年05月31日 キャッチ・コピー

「良薬口に苦し」東京薬科大学。だから、何なのか、良く分からないが妙に心に残る。「死ぬ前に一度、美術部へ」と並んで、学内で見るキャッチ・コピーの双璧。やっと、雨が上がったようだ。


2005年05月30日 ブルー・マンデー症候群

 というのがあるらしい。週末の土日にしっかりと遊び休養し、さて今朝から仕事というと体調に異変を起こしたり、最悪の場合は自殺に至るということだ。勿論、わからないではない。職場でも学校でも月曜日の足取りは昔から重いと相場が決まっている。まして、今日のように雨模様の朝と来た日には、正直、遅れてでも来た者は良しとしなくてはいけない。
 さて、世の中物騒な事件が相次いでいる。イラクの武装組織アンサール・アルスンナによる斎藤昭彦さん銃撃事件。インターネット上でビデオ映像を公開しながら、アメリカに荷担するものはこうなるという威嚇の弁。また、フィリピン・ミンダナオ島で発見された?という旧日本兵事件。詳細は定かではないが、まさしく戦後60周年を象徴するような衝撃的な報道だった。加えて、小泉首相の靖国参拝問題。先に来日した中国の副首相が首相との会談をドタキャンした本当の理由だけに事の重要性が忍ばれるのだが、当の首相自身を始め某幹事長代理などは「今後の首相も必ず参拝して頂きたい」などと宣う有様で、日本のお偉い衆の不見識ぶりが実に嘆かわしい。 
 こんなことを考えていると、確かにブルー・マンデーになるのだが、デイープ・インパクトのぶっちぎり第72回日本ダービー制覇(競馬)に少しばかりの溜飲を下げる。ああ、また一つ悲しい報せがあった。二子山親方(旧貴乃花)ガンで逝去(享年55歳)。ああ〜、惜しい人は早死にする。合掌。


2005年05月27日 動物図鑑

「キリマンジャロの山頂に凍てついた一匹の豹の死体がある」、有名なヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の序文である。この序文を題材にした高樹のぶ子さんの文章が、高3の現代文の教科書に載っている。豹のイメージをあらためて喚起したくて動物図鑑を繰っていた所、とんでもない発見をしてしまった。
 それは黒豹でもユキヒョウでもなく、何と「ミツユビナマケモノ」であった。不思議な表情の写真に次のような説明が付されていた。「あまりに動きが鈍いので、毛にコケがついている」
 毛にコケがつくほど動きが鈍いことが、生存に有利なのか不利なのか定かでないが、そんなことはともかく、何だか無性におかしかった。一人で笑い続けた。やはり、自然はでかい!


2005年05月23日 走るとき、休むとき。

 昨日の「私学の集い」記念講演のタイトルである。講演者は現在白鵬女子高校陸上部コーチである出水田(いずみだ)有紀さん。ご自分のスピードランナーとしての競技人生と周囲で彼女を支えて来た様々な人々との出会いが感動的に語られた。
 松野明美に敗れてオリンピックに出られなかった悔しさや拒食症に陥った時の恐怖心や懊悩、やがて拒食症を克服しての競技復帰と優勝、結婚に出産。現在の陸上部コーチとしての仕事の素晴らしさ、高校生に自分が教わっているという謙虚で素直な言葉に感動を覚えた。
 「女性は男性に比べて、立ち止まり、考える機会が多い。結婚も出産も、仕事も・・」そんな彼女の真摯な生き方は、どこか爽やかで時折凄みも感じさせた。華奢でスリムでいながら、「絶対に負けたくない」と頑張ってきた有紀さん。一体、どんな方が旦那さんなのだろうと、余計な気さえまわしたりした。
 講演の最後に陸上部の教え子から花束を貰ってにっこり。実行委員として関わった自分も、会場に満ちた感動の余韻をかみしめながら、デジカメのシャッターを押し続けていた。 


2005年05月19日 おお、ルーブル!

 まるで初夏のような陽気となった。中間テストも終わり採点に追われる日々だが、過日、懸案のルーブル展(横浜美術館)に行ってきた。平日の午後ということもあり、殺人的な混み様は避けられたようだが、それでも各展示室では多くの人が真剣に絵に見入っていた。
 そんな中、気に入った絵が2枚ほどあった。イポィット・フランドランの「若いギリシア人の娘」とカミーユ・コローの「泉水のわきにたたずむギリシア娘」という作品である。前者は美しいうなじを見せながら、束の間アンニュイな表情を見せている若い女性であり、後者はこれまたどこかはかなげな少女の絵である。何故か2作ともギリシアの娘となった。
 この2枚のA4版ポートレイトを見ながら、ランドマークのアボガドという店でジントニックを一杯飲んで休息した。窓の外には大観覧車がゆっくりと回転を続けており、見るとテーブルに置かれたコースターもルーブル展の絵(トルコ風呂)であった。「そうか・・・」などと呟きながら、男は再び遠い目をして外の景色を見ようとするのだった。


2005年05月16日 ハットトリック!

 ひょうが降った昨日とは打って変わって、爽やかな快晴となった。先週から中間テストが始まっているが、今日は何と3つの試験問題を実にスムーズに完成させることが出来た。これも一重に「がんばれ!日本国憲法」(憲法劇・ドームシアター)と「ナース・コール」(青年劇場・紀伊國屋サザンシアター)のお陰だろう。熱くてステキな舞台を披露して下さった皆さん、本当にありがとうございました。
 さあ、これで後は明日の試験で生徒が頑張ってくれるのを待つだけだ。えっ?結局、前日のやっつけ仕事だって? さて、そろそろ風呂にいこうかなと・・。


2005年05月14日 緑がまぶしい季節となりました。

 こんな書き出しの、引っ越し葉書が大学時代の後輩から届いた。彼は沖縄の私学に勤務していたのだが、どうやら鹿児島の私学へ転進したらしい。
 「百年くらいかけて故郷の神奈川に帰りたいと思います。(中略)今度のところは、先生方も生徒も気合いが入っています。そのうち甲子園でお会いできたらいいです」
 よ〜し、受けて立とうじゃないか。思わず腕組みをして鼻息荒く、E君のうれしいハガキに見入るのだった。


2005年05月12日 ちゃんぽんきしめん、旨し!

 今週は夜の会議が続き、疲れも出るが、外食の機会も多い。どうしても偏食の傾向になってしまうが、今日は友人と「きしめん」を食した。場所は桜木町の地下街、次の会議に向かう途中のやや慌ただしい時間帯だった。
 友人は「カレー南蛮きしめん」で僕は「ちゃんぽんきしめん」、残念ながらビールはなし(一人なら飲んでたな・・)。これが、なかなかどうしてうまかっちゃんだったのである。やや場末の良く言えば庶民的な店だが、さすがに看板に偽り無し。実にきりっと美味い「きしめん」軍団だったのである。
 もっとも、この前に今年度初の団体交渉を先ずは上々に終えたという充実感もあったが、タイミング良し、旨さ良し、値段も良し、てな具合で実にキレのイイ「きしめん」だったのである。しなやかで守備範囲の広い、「きしめん」君、万歳だ!


2005年05月08日 その時、彼は決断した!(プロジェクトX)

 初狩の高川山へ行った。頂上からは360度のパノラマが拓ける、手頃な低山である。この時期には花も多く、人は少ない。真にいい山なのだ。
 ところで、今日は富士急の禾生(かせい)駅から登った。これは僕にとって初めてのルートになる。最初から計画していたわけではない。偶然、高尾駅でホリデー快速河口湖行きに乗ったからだ。大月で下車して後続の中央本線普通列車に乗るつもりだったが、大月で30分以上待つことになるのが車内放送で分かった。ならば、このまま田之倉か禾生まで行ってしまおうと急遽決断したのだった。
 禾生からのルートは実にいい道だった。富士山もよく見えたし、長閑で静かで花の色に溢れていた。ツツジ・ふじ・あやめ・ヤマツツジ・ヤマブキなどなど。途中で猿にも出会ったが、頂上まで約2時間、久しぶりに汗が体中から湧き出て、細胞がどんどん生まれ変わっているような感じだった。下りはいつもの初狩側にとり、八幡荘で風呂を使う。いつものおでんの代わりに出された赤かぶ大根をかじりながら、キリンラガーをぐいっ!
 至福の山となったことは言うまでもない。

ps、目に青葉 山ほととぎす 赤かぶ大根


2005年05月05日 風そよぐ人

 GWも今日でお終い、父親の誕生日やら弟ファミリーの来訪やらでいつの間にか過ぎていった。唯、先日、高血圧で目眩がしていた父の回復した姿を見ることができて良かった。
 さて、GWの名残を味わうかのように、夕刻自転車を走らせた所、いつものセブンイレブンの前で、前方から歩いてくる背の高い大きな女性が目についた。白っぽいトレーナーにブルージーンズ、肩からバッグを提げている彼女は、風に髪をそよがせながら悠然と優雅に歩いてくる。すれ違う瞬間、ふとうつむいた彼女の素顔を一瞬だがはっきりと見た。それは何と、元全日本女子バレーの大林素子さんであった。
 何故に彼女がこの通りを歩いているのか定かではないが、思うに母校の八王子実践高校にでも来たのだろうか。印象に残る、一場面であった。 


2005年05月03日 音楽のバイブレーション

 富士森グラウンドへ自転車で向かうと、何やら聞こえてきたのはブラスの響き。これは片倉高校のブラスバンドに違いないと勇んで駆けつけると、案の定、トラックでのマーチングバンドの練習だった。ここのブラバンは全国レベル、いや、世界大会にも参加しているからワールドクラスといっていいだろう。そんな彼らの生演奏を聞きながら、ゆっくり体操をし、養生なった芝の上をジョギングした。同様に、東高や日大明誠の陸上部、実践高校の野球部有志も至福のトレーニングに汗を流していた。いやあ、青春だなあ。
 さて、午後からは息子のピアノの発表会へ行く。会場のいちょうホールは地元のNo、1コンサートホールである。年長から小学生までの子供たちが多いが、みんな一生懸命弾いている。誰でも最初はこうだったんだと、なごやかに楽しみながら初心に帰る。自分もかつて1回だけ、やったことがあった。両親が無理してタキシードかなんか着せられたっけ。
 いい写真を撮ろうなどと邪念にとらわれたりもしたが、息子の演奏も素晴らしく(親ばか)、ママとの連弾も無事こなし、いい発表会になった。後でビデオを見ると小刻みに画面が揺れたりしていた。きっと、「音楽」の波動が押し寄せていたのだろう。


2005年05月02日 男がすたる!(GW読み切り小説)

 「オレは絶対、お前なんか殴らないからな。お前のような奴を殴ったら、オレの男がすたる」そう言って、剛は少しだけ目尻にしわを刻んだ。明るい午前の教室であった。
 世間は大型連休だというのに、どうして学校という所は、こうも旧態依然の如く暦通りの生業なのだろうか。創立記念日が休みの土曜に重なった頃から、その鬱憤は少しづつ剛の胸の中につもり始めていたのかも知れない。まさか、ここでお調子者の隆太を叱りつけてしまうとは。しかも、悪ふざけの過ぎた隆太を床に正座させようとして反抗にあい、いつもの倍は時間とエネルギーを取られてしまっていた。
 「オレが隆太に言ったことは、乱暴だったか」、剛はクラスの皆に訊いた。「いいえ、そんなことはありません」、隆太と同じクラブの正志が答えた。「ここで自分は隆太を追い込むつもりではない。人から注意されて反省をしているというのなら、それを素直に態度で表すべきだろう。口先だけなら何とでも言える。ただ、床へ座れと突然言われて、拒否反応を示した隆太の気持ちも分からないではない。お前達はいつも、あれしろ、これしろと命令されては、それに従ってきたのだから・・」
 クラスは静まりかえっている。剛は横の壁の黒板を見た。「隆太、寝てたらなぐっていい」そんな落書きがいつも書かれている。「なぐりゃあ、いいってもんじゃない」剛は胸の中でつぶやくと、先述の言をやや苦々しく吐きだしたのだった。
 隆太との一悶着は、午後遅くまで剛の胸を圧迫し続けた。6時間目の授業が終わって職員室に戻り、隆太からの置き手紙を見るまで。(続く) 


2005年04月30日 あしなが学生募金

 GW谷間の土曜日、初夏のような晴天が広がった。半日の勤務を終えて地元駅へ戻ると、何やら威勢の良い掛け声が響いている。それも、どう見ても生徒達の張り上げた声である。訝しげにエスカレーターで下っていくと、何とそれは「あしなが育英募金」であった。
 青い制服の生徒達は、おそらく中学生だろうか。女子のコンビが二つ、男子は一人でそれぞれタスキをかけて、「あしなが募金宜しくお願いしま〜す!」と頑張っている。そうだ、自分も大学生の頃にやったのだった。あれは確か錦糸町の駅前だった。タスキをかけて、「交通遺児のために募金をお願いします」と信号待ちの人々に声をかけた。全く成果がないなんてことはなかった。中には、いきなり1万円をクチャクチャにたたんで入れてくれた、ごっついおじさんもいたっけ。
 貰ったチラシを見ると、「あしなが学生募金」は交通遺児だけでなく、災害遺児や病気遺児・自死遺児の支援にも当てられている。35年間に約76億円、遺児6万6千人の進学費用を支援しているそうな。また、この募金活動に加わったボランテイアは約185万人に上っている。
 500円玉を募金箱にそっと入れ、彼等の奮闘を願いつつ自転車置き場へ向かったのだった。


2005年04月27日 気分はGW?

 近所の八重桜の並木が見事だ。同じ桜でも、こうして時期を違えて楽しむことができるというのは、やはり自然の懐の深さだろう。金剛院の新緑も鮮やかさを増している。
 ところで、僕の勤務校でも正門からの道沿いにツツジが少しづつ咲き始めている。薄いピンク色に中央部が深紅のツツジは、男子校にはやや不似合いなほど可憐に見える。そう、一頃のキャンデイーズのような感じかな(わかる?)。
 芝生のトラックの水溜まりには、ツバメやオジロも姿を見せる。う〜む、季節が変わっていくんだなあ・・。


2005年04月25日 真夜中の恐怖

 珍しく、真夜中に目が覚めた。胸の奥がじんわりと真綿でくるむように痛い。締め付けられはしないけれど、どんよりと重く痛い。場所は、そう、肋骨の下辺り。横隔膜かも知れない。横になっても息苦しく、若干体をねじりながら胸をさすりつつ、まんじりともせず不安な時を過ごした。このまま、痛みが続くと気を失うかもしれない。そしたら、その前に救急車を呼ばなくては。しかし、呼んだらさぞかし喧しいだろうな、などと頭は勝手にとんでもないことを考え始める。さて、どうしよう・・・。胸をさすりながら、いつの間にか、また眠りに落ちたらしい。
 昨日の昼のジョギングと腕立てや腹筋のせいだろうか。とすると、内臓脂肪と筋肉が体をしめつけたのかもしれない。久々に冷や汗をかいた。


2005年04月22日 posta prioritaria

 初夏のような陽気となった。夕方には突然雷雨にも見舞われたが、その後には透明な大気が清々しかった。帰宅すると、欧州旅行中の妻の両親からハガキが届いていた。
「ナポリからカプリ島へ渡り、 青の洞窟へ入りました。入口から光が走り、海は青く輝き、岩の中の海がボートとまぼろしのようでした。(中略)これからシチリア島へ向かいます。元気に旅をしています。イタリヤ・アルベロベロにて」
 青とゴールドの切手も洒落ていて、思わず見とれた。そして、ため息を一つついた。


2005年04月21日 快適さの秘訣

 ちょっとしたことで快適になるもの。
@自転車のタイヤの空気(特に後輪)
A風呂で体を洗うこと
B手足の指の爪をきること
C電気シェーバーの充電
Dほどほどの服装
 何だか、あまりに身近なことで拍子抜けするくらいだが、経験的に思いつくのはこんなことだ。自身の肉体がらみのことも多いが、要するに「手をかけると、その分良くなる」ということか。「良くなる」を「愛着が増す」と置き換えても良い。これは、モノも人間も同じかも知れない。「ほったらかし」は愛情の薄い証拠と言われても仕方がない。マリー・ローランサンも言ったではないか。「一番不幸なのは、忘れ去られた女です」と。
 ところで、最近、Dで少々悩む。勿論、フォーマルは殆ど縁がないが、ジャケットやYシャツ、スラックスも次第に縁遠くなってきている。ポロシャツ、フリース、ジーンズに近いワークパンツなど。勤務如何に関わらず、たいてい同じである。ちょっとメリハリに欠けるかな。というわけで、そろそろ脱皮?の時期のようである。 


2005年04月17日 ジョギング断想

 春爛漫の週末、気持ちの良い日曜だった。午後から浅川のサイクリングコースをのんびりとジョギングした。昼の特製ラーメンが効いたのかやや体が重かったが、土手沿いの桜や菜の花、ハナモモなどが目を楽しませてくれる。颯爽と風のように走れないのは口惜しいが、ドスドスと牛のような走りでも気分は悪くない。
 ところで、北星余市高を辞めたヤンキー先生こと義家弘介(ひろゆき)さんが横浜市の教育委員になり、何と南区に新設された不登校児童や生徒の支援施設に赴任した。週1回の授業も行うという。何ともうれしいニュースだ。彼にとっても良かったのではないだろうか。擦り切れた自分を見直すにはもってこいの所だと思える。
 そう言えば、同業で山の先輩でもあるOさんも、この4月から養護学校へ転勤した。今までとは全く違う自分を日々創生しているという。実に素晴らしいことではないか。
 春霞にけむる奥多摩の山並みを遙か彼方に見ながら、もう一息と鈍牛(丼牛とも)は走ったのであった。 


2005年04月13日 鳴くよウグイス、ヴァルタン星人

 まったりとした5時間目の職員室、ふと睡魔に襲われていたが、どこからか不思議な音がしてきた。「ブ・フォオ・フォ・フォ・フォ・フォ・・・」それは紛れもないヴァルタン星人の声であった。そう、誰かの着メロなのだ。いやあ、びっくりしたと同時に思わず苦笑した。しかも、本人がいない机の上から声がしているのだから、尚更可笑しかった。
 また、3号館の教室へ行くと、どこからともなく「ホー・ホケキョ」の鳴き声が響いてくる。生徒は勿論のこと、こちらも耳を澄ますが、まさしくモノホンの鶯の鳴き声に相違ない。それも、やけに力強い調子で何度も連呼している。これって、ひょっとして「恋の季節」なのかな?
 何とも不思議な取り合わせであった。


2005年04月10日 花見の果てに

 この週末、桜が遂に満開となった。近所の富士森公園も浅川沿いの土手も、そして今日出かけた上野も、実に素晴らしい桜が満面の笑みを浮かべて咲き誇っていた。しかも、時折花吹雪も交えるという粋なはからいも見せ、多くの見物人を喜ばせた。
 こんな美しい桜を見ていると、竹島問題や国連安保理問題等で韓国や中国で反日運動が高まっていることなど、まるで信じられない。中国で1万人のデモ隊が日本大使館や日本料理店に投石したと聞いて、やるせない気がする。
 さて、今日は桜にもまして美しい宴が開かれた。従妹の結婚を祝う会であった。爽やかなカップルを見ながらいつの間にか酒も進み、気がつけば宴の司会めいたことまでしていた。詳細はここでは披露できないが、とにかくうれしかったのだ。この若いカップルが、みんなに希望と勇気を与えている様子が、とてもうれしかったのである。
 これからの長い人生、良いときばかりでないだろう。しかし、若い桜も老いた桜も同じように春には花を咲かせるのだ。そんなことを思いながら、ついつい酔っぱらいと化してしまった。


2005年04月07日 一進一退の日々

 入学式も終わり、昨日から授業も始まった。持ち上がったクラスは一つだけで、後の3つは新しいクラス。それぞれの雰囲気をつかみながらの日々だ。
 この時期、どこにでも真新しいスーツや制服に身を包んだ新人が溢れている。旧人には妙に眩しかったり照れくさかったりするのだが、しかし、新しい季節が巡ってくるというのはいいことだ。ともすれば身構えたり、自分のスタンスを保とうとしがちだが、ええい、ままよ、思い切ってあっさり脱皮するのもいいだろう。その後の軌道修正には慣れっこになっているはずだから・・。
 生徒の自己紹介文に、「楽しくやりたい」と並んで数少ないけれど「いっぱい学びたい」なんて書かれた日には、余裕かましている場合じゃないぞとまなじりを決したりする(ちとオーバーか)。


2005年04月03日 ローマ法王御逝去

 ヨハネ・パウロ2世が亡くなった。84歳だった。ポーランド出身の法王は、世界を巡りながら世界平和を唱えた。日本にも1981年にやって来た。先日訪れたばかりの広島国際平和記念聖堂にも、来訪の記念に胸像が建てられていた。同聖堂では祭壇の上から黄金色と白のターフが吊されていたが、これは法王のシンボルカラーということだった。
 僕はクリスチャンではないが、カトリック・イエズス会の学校で中・高・大と過ごした。神父さんに教えを受け、敷地内に修道院があっても全く違和感がなかった。当時、図書館に「躍進の世紀」というイエズス会伝道史の写真集があり、その中に「少年の町」と題された1枚の写真があった。戦後、身寄りのない日本の孤児たちと外人の神父たちが楽しそうに笑っている写真である。高校生だった僕は何故か、その写真が好きだった。「マルセリーノ」の世界がそこにはあった。
 大学でキリシタン資料を扱い、一度は研究者を目指したが、訳あって現在の道に転じた。それも神が与えた使命だったと思えなくもない。受難の時期もあり(常にかな?)、いいことばかりではないけれど、キリストの教えは僕にとって決して遠いものではない。
 今日、広島の記念聖堂に400名が追悼のミサに集まったという。一緒に見学した岳友もさぞかし驚いたに違いない。セント・ポウプ、どうぞ、安らかに!


2005年04月01日 情けは人のためならず

 先日、大学時代の友人を広島に訪ねたが、実は波瀾万丈の旅だった。というのも、前夜から広島入りしながら、肝心要の彼の住所の電話番号を自宅に忘れてきてしまったのである。フロントで調べさせれば良かったのだが、結局、最寄りの駅と住所の地名を頼りに「尋ね尋ねて三千里」の旅が始まった。
 JR山陽本線五日市駅の駅員、広電楽々園駅の駅員と通りすがりのおばちゃん、広島工業大学の学生と守衛所のおじさん。特に守衛のおじさんは友人の神学校の教団の電話番号を調べてくれた。ついでに大学構内を縦断し、ゴルフ場やリハビリ病院を手がかりに行くと、上から1台の車がやってきて急停車した。中から飛び出してきたのは、何と当の友人だった。「急用で駅前に行ってくるから、待ってて。家族もいるから」ということで、客観的に分析すると実に見事な「すれ違い」になってしまったのである。
 それでも、彼の元気そうな様子は一目で分かったし、彼の家族とは楽しく過ごしたし、夜には宿泊先の湯来温泉まで彼から電話をもらったりもした。「そんなに気を遣わなくても」と思ったが、うれしいことだった。
 翌日は更に山の友人とも再会を果たし、焼きそば入りのお好み焼きを食べ、平和記念聖堂などを訪ねて至福の時を過ごした。前日の早朝訪ねた原爆ドームといい、胸にしみる旅となった。というわけで、「若者よ、書を捨て旅に出よう!」のココロだあ〜。


2005年03月31日 年度末日の攻防(忘れませんぜ〜)

 今夜は、とある私学の女子校の団交に参加していた。生徒が減り経営が立ちゆかずに、別の学校法人に身売りするという瀬戸際の攻防だった。結局、身請けを画策していたバイヤーが手を引き、学園は再び茨の道ではあるけれど、再生へ向けて新たな一歩を踏み出した。これも、ひとえに学園を簡単に身売りさせまいとした、教職員組合を中心にした団結のたまものだ。
 しかし、依然として不安は消えない。何故なら、ここまでの惨状を招いた経営陣はそのままなのだし、また新たなバイヤーが現れれば身売りの可能性は大だ。一度買われたら、今度こそ「潰そう」が「合併」しようが新しい理事長の肝一つである。そう考えると、今日、かろうじて「身売り」を凌いだことは真に大きな成果だった。そして、その重要な場面に立ち会えたことが実にうれしいことだった。何より、一つの学園をみんなで守ったのだという実感だ。
 帰宅すると、また、うれしいメールが入っていたが、そろそろ紙面が尽きるのでここらでグッド・ナイト!
 


2005年03月27日 「3150万秒と少し」(昨日見た芝居です。本文のイメージです)

 早いもので終業式も済み、春休みとなった。今年は1週間ばかりと短い気もするが、それでも自分を見つめながら充電するにはいい期間である。最近、すり減ることが多く、中年真っ盛りにしては今ひとつパワー不足である。
 などと少し弱気の弁も披露したが、先週はいろいろとドラマチックだった。嵐の夜の県民ホール、勤務校のブラバン・コンサートに、偶然やって来たOB共々励まされたり、かつての同僚に再会したり、息子の通う学童父母会のお母さんや先生方と飲んだり(カラオケも!)、その一コマ一コマが胸に焼き付いていたりする。
 3月は別れの季節で、今年も大事な仲間を数人失った。僕は校長でも何でもないが、学園にとって惜しい人材が減っていくのは、何とも淋しい限りだ。「長い間、ありがとうございました」なんて言葉は、あまり聞きたくないなあ。だから、この時期妙にへこんだりする。自分は何も出来なかったのではないか、なんて考えると・・。しかし、去りゆく者は美しい。そこに新しい未来があるから。そして、後に残る僕らにもまた、それは待っているのだ。見送り、残り、そして歩み続ける。こんな風にして、季節は巡るらしい。


2005年03月21日 時代はめぐる

 春の陽気に恵まれて、川崎の実家へ遊びに行った。弟家族も来て、賑やかに楽しい時間を過ごした。子供同士は共に小学校3年生だが男の子と女の子、少しづつお互いを意識し始めているのか、うち解けるのにちょっと時間がかかる。そんなこともあったなあと、自分の昔も思い出したりする。
 時節柄、25日から開幕する愛知万博の話題になり、みんなで行こうとの声が上がる。そう、かつて大阪万博(1970年)に家族で行ったことがあるからだ。「月の石」を見たり、「太陽の塔(岡本太郎氏制作)」に驚いたり、迷子になったり、京都の小さい宿に泊まったりと、もう随分前の話なのに次から次へと話題は尽きない。
 そうだよ、こんな経験を今度は子供たちにさせなきゃ!EXPO’70から35年。巡り合わせの妙に胸が弾んだ。


2005年03月19日 デジカメの気持ち

 今日は驚いた!だって、このデジタル文化全盛時代にあり得ないようなことが起こってしまったのだから。
 事の起こりは先週末、息子の通う学童でスケートに行った所、リンクの上で突然デジカメが不調になってしまったのだ。スイッチを入れた画面が全体的に赤みを帯び、撮影後のポストビューに横縞が走ってしまう。冷えすぎたのかと思い温めてみたが変化がなかった。何度繰り返してもダメだった。その後、日をおいて二度三度繰り返し撮影してみたが、同様だった。
 仕方なく、今日は家族とコジマへ行ってみた。カウンターで修理を申し出て愛用のfinepixを手渡すと、「これはCCDの3原色の回路の内、緑が壊れていて、青と赤の2色になっています」とのことだった。なるほどと思いつつ、「もう2年くらい使っているんですけどね」とスイッチオンしながらいじりだした所、何故か赤みを帯びていた画面が一気にノーマルになり、慌ててシャッターを切るとポストビューは全くの正常に戻っていた。「あれ、今、どうされました?」店員も目を白黒、自分も訳が分からない。しかし、カメラは完全に復調していた。
 「きっと、新しいカメラに変えられようとして頑張ったんじゃない」とは息子の弁。う〜む、そうかもしれないなあ。それにしても、起死回生とはこのことか。土壇場の大逆転劇は、なんだかとてもうれしく得をした気分だった。 


2005年03月18日 春色の風

 今週は一気に春めいてきた。陽ざしも風も何となく柔らかい。高1が修学旅行で留守の間、高2は特別講座で2時間授業、いきおい少しばかり余裕ができる。
 陽気につられて中学生と硬式テニスで遊んでみたり、新入生出校日には仮担任としてあれこれと面倒を見たり(いっそのことそのまま担任でいいのに)、昨日などは小雨の中、サッカーまでしてしまった(1ゴール!)。そして、今日は映画鑑賞で桜木町の紅葉坂を上っていた。「僕はラジオ」という映画自体も良かったのだが、坂の途中から見えるランドマークやmm21の景色が何とも爽やかだ。
 心地よい風に吹かれながら、映画の中の至言が耳に残る。「誰かのためにすることは、決して間違ってなんかいない」そうだよ、自分のことばっかり考えてちゃいけないな・・。目を遠くして観覧車を見るのだった。 


2005年03月14日 ケッキング

 「クッキング」ではない。息子が真剣に見ていたポケモン図鑑に載っていた。種別はナマケモノらしいが、見た目にはごついゴリラのような感じだ。得意技は「いばる」「ドタバタ」「なまける」というので、傍で聞いていた女房が大笑いしていた。
 でも、これ、どう見ても「欠勤王」からきているのだろうし、「ing」も掛け合わされている。いかにも大人が考え出しそうなネーミングだ。いささか、あざとい感じもする。
 実は、僕は皆勤賞にはあまり縁がない人間である。また、目指そうという感じもない。第一、体調の悪い時に無理したって仕方がないだろう。長欠や入院になったら目も当てられないし、もし伝染病だったら生徒や同僚にうつすわけにいかない。これは常々生徒にも言っていることだ。また、自分以外の家族の理由で休まなければならない場合もある。妻子の病気や親類の冠婚葬祭も含めて、所謂家事都合というやつだ。加えて、年休をとることもあるだろう。そうなると、結局、「何が何でも皆勤賞だ!」というわけにいかないのが実情だ。(尤も、どこぞの校長は、この皆勤賞が一番のお気に入りらしいが)
 それにしても、「ケッキング」。本来はもっと「おっとり」したポケモンになり得たろうに、嫌なレッテルを貼られて実に気の毒である。慚愧の涙に耐えない。大いに同情しながら、僕は新しいポケモンを考えた。「コウカサテーマン」「リストラキング」「セイリカイコンタンマルミエール」「サーベツライクラー」「ナンデモハーケン」「ケイエイジョウトラクター」「モウカリマッカスクール」、あざとさ満点の仲間たち。皆さん、よろしく!


2005年03月12日 孤独の歌声

 天童荒太(あらた)の原点となる作品で、93年には日本推理サスペンス大賞優秀作となっている。その後の「家族狩り」シリーズも読んだのだが、この作品には久々に行き詰まるような緊張感や、深くて暗い現代家族の病理が余す所無く「ナイフで切り刻まれるように」描かれている。幾度か行き帰りの横浜線の中で胸を妖しく揺さぶられ、読了し終えた時には、その大団円と希望を感じさせるエンデイングにほおうっと安堵感を覚えたものだった。
 コンビニ、ひきこもり、監禁、拉致、連続猟奇殺人、異常性欲、家庭崩壊、家族再生の幻想、希望と絶望、怨みと赦し、癒しと蔑み、そんな言葉が様々な枠組みを持って作品を縦横無尽に支配している。
 内容については敢えて書かないので、興味を持たれた方は、是非ご一読をお勧めしたい。

ps、そうそう、伊集院静の「白い声(上・下)」もいいですよ。


2005年03月09日 類義語の魅力

 「魅力」の類義語は?と訊かれると、やっぱり困ってしまう人が多いと思う。これ、実は学年末テストの枝問の一つだった。「文中の二重傍線部の類義語を答えなさい。2つ以上はプラス点とする」てな具合だ。中にはこういう所だけ、目の色変えて必死に書く者がいる。
 そんな中で、例えば「美力」という答はインパクトがあった。「美の力」、それはまさしく魅力に違いない、○。「魅惑」○「引力」う〜む○、「長所」○「良点」ふむ○。「☆☆(僕の名字)」おいおい、なに考えてんだ。ゴマすったって何も出ないぞ。ノーカウント!こんなの自分で○つけるわけにいかないだろめが、ニャロメ!
 「じゃあ、僕が○をつけてあげましょうか」そう言いながら、彼は答案用紙を持ってやって来た。答案返却日のささやかな、ドラマ。


2005年03月05日 長春花(ちょうしゅんか)

 土曜の午後、素敵な日本画を頂戴した。お世話になったということなのだが、恐縮以外の何者でもない。頑張ったのはあくまで本人なのだから。
 可愛い孫のためにお祖父さんが描いたというその赤い花は、一見薔薇の花のようにも見えるが、良く見ると棘がない。柔らかい感じのする、愛らしい絵であった。「本来ならば、2年前にお渡ししたかったのですが・・」と苦笑された。そう言われると、この2年間はやはり長かったのだろうと推察された。未だ矍鑠として日本画を描き続ける老絵師に、次の歌を贈ってお礼に代えたい。ありがとうございました。
 
 赤々と燃えてをり長春花
   名残の雪の志(こころざし)栄ゆ 


2005年03月03日 明日は大雪?

 3月に入って、飲む機会が増えている。卒業式後のお祝いの会や浪人組の合格祝いなどである。浪人組も成人となり、立派にアルコールを口に出来る年令になったのだが、意外にまだまだ量はいかないようだ。むしろ、食べる方に余念がない。そんな彼等を尻目に、僕はひたすら中生やサワー、白ワインにポン酒と何でもござれなのだ。居酒屋で3時間近くも飲み食いしていると、これはもう大変だ。確実に2kgは増える。翌朝はコーヒーだけという感じだ。
 そんな最中、訃報に接した。僕がかつて教えたことのあるD君がパイロットになるための飛行訓練中に墜落事故に遭ったというのだ。単身アメリカに渡り、夢の途中で若い命を失ってしまうとは、こんなに残念なことはない。親御さんの哀しみを思うとき、言葉がない。確か、再開中学の第3期生のはずだった。腿が太いのでズボンがいつもピチピチだったのを覚えている。黒縁の眼鏡の下には、ややタレ気味の目が常に面白そうなことを探していたような子だった。
 その中学も、この4月で20周年である。1期生はもう32才になるわけだ。OB・現役の区別無く、生徒達が学園の宝であると言うことは、昔から永久不滅の黄金律である。だって、彼等のために学校はあるのだから。
 彼等と飲みながら、ゆっくりと当時を反芻する。「お前の将来の夢は?」なんてやり合っている彼等を見て、悪くないと思う。ロシアンルーレット・タコ焼き&コロッケに2度も大当たりをして、涙目になりながらそう思う。「いいじゃないか。彼等を信じろよ」なんてね・・。


2005年02月27日 打ち上げ成功!

 とある会議で大阪へ行ってきた。大阪といっても新石切駅というのは、もう生駒山の麓で奈良県に近いところである。そのわりには新大阪から地下鉄で35分程、いやはや近いものだ。
 さて、会議の詳細は別の機会に譲って、とても気になる事があった。それは、昨夕、見事打ち上げに成功した国産大型ロケットH2Aだった。03年11月の打ち上げ失敗で揺らいだ信頼を辛うじて繋ぎ止め、更なる進化を期待させるのに充分な今回の成功だった。
 それにしても、何というタイミング。金曜日に「明日があるさ〜THE MOVIE」をラストまで見たばかりであった。きっと、このニュースを映画の画面の続きのようにしてTVで見た生徒も居たことだろう。映画スペシャルの仕掛け人の僕としては、嬉しい限りだ。
 それにしても、コストは約94億円とのこと。国際相場は70億円とも言われているが、気の遠くなるような数字である。それでいて、日本はまだ有人ロケットの打ち上げには成功していない。まさしく、未だに「明日があるさ」の段階なのだということに、暫し言葉少なになる。
 早朝、生駒山の頂稜から眺めた大阪の市街地の朝焼けは美しかったが、僕には、そんな街の上空にゆっくりと天に向かって上昇していくロケットの幻影が見えたような気がした。 


2005年02月23日 春一番なのかな・・

 いやあ、1日中スゴい風が吹き荒れた。しかも温かい南風だ。思わずアデイダスのウィンドブレーカーを脱ぎ、フリースもうっとうしくなるほどだった。こんな日の午後は、どこかに散歩でもと思いながら、結局、視聴覚教室でビデオを見たりした。何せ、同じクラスが3時間(6時間中)あったのだ。
 何を見たかって?一つは去年の文化祭のソーラン節の模様。彼等にしてみれば、自ら踊ってはいるものの、客席からの映像は見ていない。もう一つは「明日があるさーTHE MOVIE」。言わずと知れた吉本オールスターズの「それでもマジっすよ!」の映画だ。これは残念ながら時間切れで途中で終わらざるを得なかったが、結構、生徒は見入っていたようだ。
 映画の中のハマちゃんに営業マンの弟の姿を重ねつつ、ハマちゃんが切れる場面でやはり、自分も熱くなったりしている。「大人が夢を見なくて、どうして子供に夢を語れるんじゃ!」
 漫然と「物分かりの良い」大人にはなりたくないものだ。(って、もう充分おっさんなんだけどね・・)


2005年02月20日 復調の週末

 寒さのピークといった感のある週末だったが、心身共に復調の兆しがあった。詳細は避けるが、逃げずに前向きに行動した結果だと思いたい。
 ところで、今夕、やや長い昼寝から目覚めると無性に体を動かしたくなった。着替えて、近所の富士森グラウンドで40分ほど走り続けた。降雪や霜でフィールド&トラック内は立入禁止なので、外周のコンクリの上だが、妙に体が軽く感じられたのには驚いた。思えば、ここ暫くは昨年末からの風邪っぴきで、まともに走れない有様だったし、息が苦しく肺にも違和感があったものだ。それが、今日は全く無かった。次第に雲が切れ空が明るくなってくるのも、気分を軽くしたのかも知れない。
 心地よく汗ばみながら、ふと、昨日ガンで亡くなられたTAKEさんのことを思った。寡黙で男気があり、酒も力も強く、それでいて穏やかな人間の滋味に溢れたステキな先輩だった。どうぞ安らかにお眠り下さい。


2005年02月18日 尊敬できる先達

 滅多に休むことのないFさんが欠勤した。職場のすぐ近くに住んでいながらやって来れないとすれば、これはかなり重症だ。しかも、彼は未だ独身だ。果たして食事はとれているのだろうか、そう思ったI先輩はさり気なく放課後にFさんに電話をしていた。
 一方、昼の労働組合の集会でK先輩が真顔で提案していた、「労働組合の規約に新しい条項を追加したい。労働組合員またはその家族が死に至る際、組合からの供花や寸志を正式に贈るものとする」というもの。勿論、その裏には昨年末まで共に飲んでいた元同僚が、ガンで余命幾ばくもないという差し迫った事情があったのだ。
 長い間一つの職場にあり、今は定年に近いような先輩方がこうした同僚への心遣いを我々に残すべく時に示される。やっぱり、これが基本だろう。人間として、共に働く仲間として。自分たちこそ、是非、受け継いでゆきたいものだ。


2005年02月17日 韓流ブーム

 「かんりゅう」と漢字変換しても「韓流」とは出てこない。しかし、どうも世の中「韓流」ブームである。別に悪いとは言わないし、前回の日韓共催ワールドカップサッカーあたりから、今日のブームの下地は出来ていたようにも思える。でも、やっぱり、「ヨン様(冬のソナタ)」なのか!
 まさかと思ったのだが、息子と二人でスキーに行った留守に、風邪で自宅療養中の女房が、やはり韓流ドラマの「ホテリア」を6時間も見ていたという事実が発覚した。詳細は知らないが、このドラマにも若き日の「ヨン様」が出演している。一体、いつの間に女房までもが韓流ブームの軍門に下ったのか。
 さて、女房の攻勢は続く。アマゾンで「冬ソナ」のDVDボックスセットを頼みたいという。僕がいつもアマゾンを利用しているのを知っているから、結局、僕が「冬ソナ」を頼むはめになった。そして、今晩、早速届いた。そして、彼女は言った。「パパは早く自分の部屋に行った方がいい」と。
 これが現実なのだ。3月末には、息子と二人で韓流ツアーに出かけるらしい。そのために、最近、パスポートも取得した。う〜む、どこまで本気なのか?なかなか手強い韓流ブームである。


2005年02月15日 おいおい、ホントかよ?

@小論文2秒で自動採点のシステム「Jess(japanese essay scoring system)」を大学入試センター研究開発部が試作。800〜1600字程度の小論文を、文章の形式(5点分)・論理構成(2点分)・問題文への対応(3点分)などの3観点から評価し、計10点満点で採点。
A北星余市高校のヤンキー先生こと義家先生、3月に退職。
B横浜市立高校の夜回り先生こと水谷先生も同じく退職。
C大阪・寝屋川市の中央小学校で、OBの17才少年が同校の鴨崎先生を包丁で背後から刺殺、他に2人の教職員を負傷させる。「元担任に恨みがあった」との動機?
 本日のタイトルの「ホントかよ」では括れない問題もあるが、どこかで落胆・笑止し、また一方で納得・懐疑・苦悩する。「教育」は「共育」であろうとやや茫漠としながらも信ずるのみか。


2005年02月12日 パッチギ!

 韓国語で「乗り越える」「突き破る」の意。井筒和幸監督の最新映画の題名でもある。1968年という時代設定の中で、京都を舞台に日本の高校生と朝鮮高校の若者たちの「統一闘争」と「在日」をめぐる血と汗と涙と階級的・人種差別的・侵略戦争お前ら日本のクソガキは知っとんのか的、まさに獅子奮迅跳梁跋扈の熱い映画であった。詳細は見てのお楽しみだが、これを見るために立川シネマシテイまで出向いた価値は充分過ぎるほどにあった。
 全編を覆うフォーク・クルセーダーズ(略してフォークル)の歌「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛よもう一度」もさりながら、「イムジン河」の持つ今日性にあらためて唸らされる思いだった。朝鮮高校の番長の妹(キョンジャ)を好きになってしまった主人公の康介が、朝鮮高校の仲間の葬式で居並ぶ在日から「出て行け」「お前らは違う」と罵倒され、夜の川にギターを滅茶苦茶にして投げ捨てながらも、ラジオ曲で涙ながらに唄う「イムジン河」。そして、放送禁止をものともせず唄わせるデイレクター。熱い涙がこちらの頬にも流れてゆく。
 喧嘩のシーンの惨たらしさも在日の日本人への恨みも実にリアルだが、一方で若者同士の想いの繋がりや純粋さをそのままストレートに描ききっている。自分よりやや上の世代には、更に紅涙を絞らせること間違いないだろう。
 それにしても客席に目立っていた高年のおじさんおばさんたちは、やはり、アボジにオモニなのだろうか。「殴り合ってもエエ、殺し合ったらアカン」井筒監督のメッセージは明快で、とても懐かしい感じがした。


2005年02月10日 飢餓海峡(05入試異聞)

 昨夜のサッカー北朝鮮戦、予想通り2−1で日本の辛勝となった。何かとプレッシャーの多い初戦のホームゲームでは、勝つことこそが大事である。小黒の決勝ゴールはロスタイムであったが、実に劇的だった。こうした試合毎のラッキーボーイが出てくると、ジーコジャパンは益々進化が期待される。
 ところで、本日は所謂高校入試というやつで、これまた中学3年生にしてみれば、決戦の1日となった。尤も私学の入試は予め打診がされている者もおり、試験一発のみで合否を冷酷に峻別するというものではない。しかし、各教室に着席した彼等の表情は一様に緊張感に充ち満ちている。かつて、そんな彼等を「ガラスの少年」などとも呼んだけれど、最近は自分自身の緊張感が今一つで、何とか彼等を和ませようと余計なことを考えたりしてしまう。
 話がついつい長くなりそうだが、言いたかったのはズバリこれだ。本日の昼食の「まずさ」である。入試の際に学食が用意する昼食は、常にスペシャルメニューであった。例え、それが「ゴム」のような「うなぎ」であれ「ステーキ」であれ、チンしただけの「グラタン」であれ、冷たい「ローストビーフ」であれ、ジュースもデザートもついて、みんなが嬉々として楽しげに食したものである。それが、今年は史上サイテーのメニューだった。簡単に言うと「しゃけ」と「煮物」だけであった。これで「メロン」がなければ、暴動が起きたに違いない。我々でさえ怒り心頭なのだから、生徒(入試補助員)にしてみたら、ショックのあまり卒倒するのも頷けるというものだ(そんな柔な生徒はいなかったが)。一体、どうなってんだ?
 みんなが気持ちよく入試業務が出来るようにするのが、管理職や経営陣の仕事ではないのか。大事な入試で、生徒や教員の食事をケチって一体何になるのか。腹立たしいこと限りがない。もう、一気にやる気が無くなってしまったことは言うまでもない。
 ついつい、職員室で出前のカニクリームコロッケ定食を食べている同僚に八つ当たりしてしまったが、何だか実に情けない気がした。昨日、朝の打ち合わせで黙祷を捧げた(39回忌)創立者は、何と思うだろうか。さぞや、せこい学校になったなと呆れているに違いない。 


2005年02月06日 「君の笑顔、君の涙」

 タイトル・ページのBGMを変えた。出所は「BGMの小箱」というサイトで、作者が一つ一つ想いを込めて創られたオリジナル曲である。その曲にまつわる様々なエピソードなども紹介されていて、じっくり味わうのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 皆さんにも、是非、気に入って頂けると思うのだけれど、如何かな?  


2005年02月05日 絶妙の語り口

 先日、中高時代の母校からDVDが届いた。昨秋、みなとみらいホールで行われた同窓会40周年記念のコンサートの模様だ。第一部は吹奏楽、第二部はオーケストラと第九の合唱であるが、何よりも目を引いたのは、第一部のI先生の司会ぶりだった。
 I先生は英語科で、英語の苦手な僕はどちらかというと敬遠しがちではあったが、どこか飄々としてさばけており、落研出身という噂がまことしやかに流れていた。風貌はがっちりとした猪タイプで、笑っているのか怒っているのか時々分からないような表情も印象的だった。そんなI先生も定年を迎えていると思うが、冒頭の挨拶でこんなことを言っていた。
「僕は本当に何もしない、吹奏楽部の顧問でした。(ここで、背後の楽団員から「そうそう」の声あり)あっ、そうそうって言ったね、あまり正直なのもいけないけど、でもね、君たち考えてご覧なさいよ。僕がもし一生懸命やったら、どれだけ多くのご迷惑を皆さんにおかけしたかということを・・」
 僕はもう、嬉しくなってしまって涙目になっていた。更にI先生は続けた。
「大体、先生や親が一生懸命やりすぎるとろくなことがないんだから」
 そうそう、その通り!よくぞ言ってくれました。時折、煮詰まってしまうような僕らの仕事に、I先生の言葉は実に爽やかだった。自分勝手な思いこみで行き詰まるな、角を矯めるなと。子供は勝手に育つのだからってね。
 第一部のラストは、僕たちのテーマ曲だった「○IKO HIGH FOREVER!」。少し恥ずかしげに、力強い発音で紹介したI先生。やっと先生の味が分かるようになったようだ。


2005年02月02日 いいぞ!小笠原

 ワールドカップ最終予選を控えて、ジーコジャパンが好調だ。カザフスタンに4−0、今夜はシリアに3−0と快勝。メンバーは所謂国内組であるが、攻守にわたってバランスがとれており、連携もスムーズだ。中でも司令塔の小笠原がいい。勿論、鹿島では中盤の将軍だが、代表ではどうしても中村や小野の控えにまわってしまう。そんな小笠原が今夜は自ら3点目をボレーで叩きだし、完勝を締めくくった。カザフ戦での玉田へのスルーパスといい、鹿島の「ジーコ」から日本の「ジーコ」へ更なる飛躍を期待したい。
 一方で海外組はケガや出番の少なさに存分に力を発揮できずにいる。まずまず健闘しているのは中村くらいで、ベテランの中田も不調、柳沢や稲本にしても出番がない。小野はケガで、マジョルカの大久保もまだまだこれからである。欧州サッカーへの移籍は我々の夢を大いに駆り立てるが、実際の所は選手の実力を発揮しかねる状況にあるとも言えよう。そうなると、大事な予選に不調の海外組を敢えて招へいする必要もあまり感じられない。
 「黄金の中盤」は、ジーコ・ソクラテス・ファルカン・トニーニョセレゾで可能であって、小野・中村・稲本・中田では、やはりまだそのレベルでないということか。いづれにしても、ジーコジャパン、ドイツへの切符を是非手にして欲しいものだ。 


2005年01月27日 哀れな国

 と言われても仕方がない。NHK腐敗の親玉が会長職を辞任したと思ったら、何と翌日から「顧問」に就任とは!桶川ストーカー殺人では、「警察の初動捜査に怠慢はあったが、それが事件に直接影響を及ぼしたとは言い難い」との超不当な高裁判決。
 極めつけは、東京都の管理職試験での「外国籍拒否は合憲」との最高裁大法廷。訴えを棄却された原告の在日2世、チョン・ヒャン・ギュンさんは「世界中に言いたい。日本には来るなと。外国人が日本で働くことはロボットになること。人間として扱われていない」と失望と落胆を顕わにした。
 憲法や教育基本法を改悪し、自衛隊を人道支援の名目で戦闘地域に派遣し続ける。一体、どうなっていくのか、この国は。何だか、本当におかしいぞ!


2005年01月23日 オークションの愉しみ

 「競売」である。最近、某大手プロバイダーのオークションにはまっている。趣味のCDやDVDなど、Amazonでも充分にカバーできるのだけれど、所謂、マニア向けのBOOT(海賊版)やレア物になると、やっぱりこういうサイトが面白い。何気なく見ている内に、やってみようかという気になった。
 僕のアイドルは何といってもプレスリーだが、ブロンデイというデビー・ハリー擁するアメリカのパンクバンドも気にいっている。この二つをオークションで商品検索すると、結構な数の様々なグッズが出てくる。音源メデイアはもとよりフィギィアからポスター、Tシャツ、バッジ、トレーデイングカード、切手、ジーンズなどもある。その中から、これはと思う物に入札していくのである。開始の金額、出品者の紹介、入札期限なども明記されていて、刻々と残り時間が表示されながら競売が進行していく。勿論、競売者同士の簡単な情報も知ることが出来る。
 一発で「即決&落札」することもあるが、大抵は複数で競り合う。ここで面白いのが自動入札で、最高金額を設定しておけば、いちいち手動で100円や10円単位で入札しなくても済む。唯、これが最初は良く分からず、100円づつ手動入札するたびに「他にこの金額を上回る入札がされました」と表示が返ってくるのには閉口した。それでも、競売の額としては、今の所3000円くらいまでのレベルだ。落札すると、後は出品者とのやりとりになるが、発送方法と振込手段を決めるのが重要な項目になる。大体1週間以内に、早ければ2〜3日で振込も商品配送も終了することになる。
 まあ、風邪っぴきの副産物のようなものだが、気分転換にはいいかもしれない。尤も受験生にはあまり勧められない。なんと言っても、あなたが「落札されました!」だから・・。


2005年01月21日 祝、5000ヒッツ!

 アクセスカウンターが5000を超えた。ここだけの話だが(おいおいネットだろ!)栄えある5000番を踏んだのは僕だった。まあ、しかし、コツコツと辿り着いたなという感じだ。次の目標は1万だろうか。いや、そんなことにはあまり色気を出さずに淡々としている方がきっといいに違いない。
 さて、最近、授業で俵万智さんの短歌を題材にしている。「短歌を訳す〜言葉の壁を越えて」というものだ。サラダ記念日の短歌を英訳した時の逸話や古典の「伊勢物語」や「みだれ髪」の短歌を、きっちり現代語の31音で置き換えるという試みが面白い。
 例えば、「this tastes great you said so, the 6th of july,our salad aniversary.(この味がいいねと君が言ったから、7月6日はサラダ記念日)」とか、「二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のヴィーナス(その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな)」である。僕だったら、「畏れを知らぬ」を「天下無敵の」とでも訳すかな。
 ところで、現代語訳していない小野小町の短歌が一つ出てくる。有名な「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」である。これを現代語に訳すことを生徒にチャレンジさせてみた。いい訳にはささやかながらご褒美を!?なんて。実は僕も考えていた。そして、こんな訳を例に示した。
「女も花も咲いて散って色々と、まあ、あるけれどそれも人生なのね」どんなもんでしょう?
 はい、今日は、ここまで! 


2005年01月16日 一発ぶちかましてきます!

 何とも勇ましいメールが入った。この週末に行われたセンター試験に挑戦しているK君からだ。現役時代、何とも熱く味わいのある楽しい詩を作ってくれた彼だが、思うところあって3回目のセンター受験になる。昨年も文化祭の折には悪友?達と来校し、一緒に楽しんだ愉快な青年だ。
 そうそう、今年は成人式を迎えたはずだ。後は、彼の希望が叶えられるように願うばかりだ。今度こそ、本当に美味い酒を飲もうじゃないか。
 この週末の荒天で息子達の餅つき大会が中止になり、担当だった僕は何だかしおしおのぱ〜だったが、彼のお陰で少し熱い気持ちが甦ってきた。Kよ、いけ〜!どんどん行け〜!!とことん行くのだ〜!!!


2005年01月12日 しびれる!

 イカス!なんて話ではなくて、本当に痺れるような早朝の寒さなのである。3学期も始まり、再び5時半起床の生活が戻ってきた。家を出る6時20分前後は、未だ夜明け前である。駅までの道を銀輪を駆りながら、遠くの地平線に僅かばかりの黎明を見る。
 もう格好なんてつけていられない。フリースにダウンジャケット、手袋で武装する。しかし、これが横浜線に1時間乗車し、職場の近くへたどり着く頃にはそこそこ陽が当たって寒さも和らいでいるから不思議だ。やはり、海が近いせいだろうか。今朝は早速、門番をしながら「お早う」おじさんをやっていた。
 こうやって、また、新しい日々が始まる。自分もまた、新しくなってゆきたいものだ。


2005年01月09日 ブルースリーが登場したわけ

 どうも風邪が抜けない。昨年の下旬からだから、もう2年越しとなってしまった。セキと洟がしつこい。医者にも行って薬を貰ったのだが、ちゃんと飲まなかったせいか。少し良くなると、寒風の中へ出て行ってしまうのもいけないのかも知れない。
 そんな中、昨夜の「少林サッカー」は愉快だった。「ありえね〜」場面の続出だが、少林カンフーをサッカーで広めんと主人公が兄弟子達を口説き、少林隊を結成する辺りが泣かせる。また、悪役が滑稽なほど徹底的に悪く描かれているのも面白い。そう、良い方も悪い方も皆とことん「熱い!」のだ。また、お約束的なナンセンスギャグやパクリにも笑えた。
 今朝、息子とビデオを見直したが、早速彼はビーチボールで火の玉シュートを、「らしき」スタイルで蹴り始めていた。「どうやったら、あんなシュートが打てるのかな」
 人をハッピーにする映画であることは確かだ。


2005年01月07日 ♪「もしも今が幸せなら、寄らずにほしい」

 昨日は桜木町でとある会議を終え、仲間内で新年会となった。横浜からの東横線がなくなり、みなとみらい線が中華街まで延びたお陰で、桜木町の野毛側は大部閑散としてきている。それでもmm21の展望が広がってはいるので、気分はやはり変わる。
 さて、野毛の居酒屋で刺身や焼き鳥、焼酎(海童)などで一頻り盛り上がった後、第2ラウンドはカラオケになった。僕自身歌は嫌いではないが、積極的に唄うというわけでもない。ただ、昨夜は流れのままに付き合った。
 5人のメンバーの中には若手が二人ほどいたが、あらためて歌の上手さに感心した。選曲もいいし、情感がこもっている。本当にその歌が必要だったのだろう時期を噛みしめながら唄っているようだった。尾崎豊の「アイ・ラブ・ユー」や「シェリー」、「チェリー」も良かった。かくいう自分は郷ひろみやシャネルズの古い曲でお茶を濁していたが、最後に「五番街のマリー」を唄った。あの郷愁をそそるイントロからピアノの音、「マリーという娘と遠い昔に暮らし、悲しい想いをさせた、それだけが気がかり・・」の歌詞。自分自身にそんな経験などない?のだが、何故か心にしみてくる懐かしい歌だ。すると、今までノリにのっていた若手の一人が背を向けて、すすり泣きを始めた。曲の間中、ずっとそんな有様だった。「すいません、ついガーっと泣けちゃって」
 僕の歌が上手かったわけではない。彼の中にある少々辛い思いが、この曲に感応したのだろう。そして、それは多分ロマンス的なものだったのかもしれない。そんな彼をピュアだなと思いつつ、自分も熱いものが頬を伝うのだった。


2005年01月05日 高尾詣で異聞

 新年最初の山は、最近無沙汰を重ねていた高尾山にした。正月は近郊の参拝客で賑わうが、まあ、それはそれで良しとして晴れがましい姿を見に行った。
 登りはいつも通り沢沿いの6号路だったが、これがけっこう難儀だった。というのも大晦日の雪が凍ってツルツルと滑り、おまけに陽が殆ど当たらず、まるで冷蔵庫の中にいるように寒いのである。ヤッケに帽子までかぶって完全装備で歩いたが、洟は出るわ咳は出るわでどうにもパッとしない。途中、稲荷山の尾根コース前後から陽も当たり始め、尾根に上がってからは今までの冷気が嘘のように温かい風が吹いていたのである。後はホイホイと山頂に到達した。(尤も、200段の階段は洟がつまってきつかったが)
 さて、頂上では例年のごとく小屋でそば&ビール。富士山は上部こそ雲に隠れていたが、優美な裾野を広げて上品に新年を祝っているかのようだった。驚いたのは一番端にあった小屋が1軒たたまれていたことだ。大見晴亭のおばちゃんに訊くと、「市の小屋だったけれど経費削減でなくなった」とのことだった。少し意外な気もしたが、年賀タオルを貰って下り始めた。また、奥の院までの間に、どこぞのおばあさんに「この先に何があります?」と訊かれ呆れたが「山頂ですよ」と答えてブラブラと先を急いだ。
 夏場はリフトで空中遊泳などもするのだが、今回は参道をきっちり下りて振り出しに戻る。高橋家(雰囲気のある木造の蕎麦屋)には寄らず、JR高尾駅から懸案だった健康ランド「ふろっぴい」に勇躍?向かった。1200円は少々高いが、浴槽は種類も豊富で明るく、館内着で食事やマッサージ、カラオケも出来る。かくいう自分も館内着で生ビールであった。ただ、ここであまりにくつろいでしまうと高尾詣でが薄れそうな気がした。人間、飽食に陥ってはいけない。 やっぱり、「ピッケルと鄙びた温泉」でなければなあと思いつつ、送迎バスをよそ目に高尾駅への道を急ぐのだった。  


2005年01月02日 美しい光

 今年は元旦から素晴らしい晴天が続き、実に気持ちの良いスタートとなった。
 さて、昨日は教会と銭湯で「美しい」光を見た。教会は新年のミサの最中、祭壇後方のイエスの像に2階のステンドグラスから差し込んだ太陽の光が徐々に当たり始め、イエスの像の両脇に影が広がっていくのであった。それはどこかイエスに新しい命を授けているかのように感じられ、僕は暫し見とれてしまった。
 一方、銭湯の初風呂では午後の穏やかな陽が窓から筋状に幾重にも差し込み、柔らかな湯気の向こうに幸せそうに煙っているのを見た。九州からやってきた妻の父と息子と3人、それはまさしく幸福な一時であった。
 でなわけで、このつたないサイトをご覧の皆さん、今年もどうぞ宜しくお願いします。



2004年12月31日 大晦日

 午後から降り出した雪は、しんしんと音もなく降り積もった。踏切の音も車の音も殆ど聞こえない。静かだ。そんな中、日が暮れる前にと息子と雪だるまを作った。最初は息子が雪玉を転がすのを見ていたのだが、ついつい自分も手を出していたのである。結局、大小二つが完成し、表情の優しさから母子像という感じになった。
 これが今年最後のイベントかなと思ったりもしたが、夜には自作すごろくを作るはめになった。子どもというのは、のってくると何でも作りたがるらしい。
 うるさいTVを消し、「白いはと」と筆で書かれた半紙を見ながら、年の暮れていくのをじっと聞いているのであった。


2004年12月30日 光合成は「ひかりごうせい」かな

 夜、「白い巨塔」総集編を見て涙する。以前にも書いたが、野心家の財前五郎が愛おしくて仕方がない。いつの間に、そんな歳になったのだろう。
 さて、今日は昨日の初雪が一転して晴れ上がった。気分転換に近所の富士森グラウンドでジョギングをした。勿論、枯れ芝の上に所々雪が残っている。そんな芝を踏みしめながら、ゆっくり走る。陽は温かく、いい気持ちだ。植物ではないが、こうして陽を浴びるとパワーが湧いてくるような気がする。心なしか咳も出ない。そうそう、風邪っぴきなんですよ、まだ。


2004年12月28日 今年も押し詰まってきましたね。

 いやあ〜、冷えてきた。晴天は続いているのだが、風というか空気がきりりと冷たくなってきた。さすがに、年の暮れという感じだ。
 さて、昨日から賀状書きに追われている。毎年、ぎりぎりまで書く気が起こらないのだが、賀状ソフトをあれこれいじくっている内に幾つか面白い絵柄が出来上がると、途端に書きたくなってくるから不思議だ。思えば、この賀状のみでしかやりとりしていない方も結構いる。その方達に近況を知らせ、何か一言書き添える。いつの間にか相手の顔が頭に浮かび、声まで聞こえてくるようだ。
 はて、気の利いたセリフはないかいな。ハロー、ジョー! 


2004年12月27日 まさかの理由

 自然災害の多い1年だったが、この年末に来て再び起こった。スマトラ沖地震、マグニチュード9.0という驚異的な巨大地震による津波の被害は、太平洋沿岸の10カ国で死者2万人を超えるという。未だに安否が気遣われている邦人も多数いる。真に心痛極まる状況なのだが、何故か思い出されることがあった。
 ノアの洪水ではないのだけれど、どこか思い上がった人間はある時突然大いなる神の意志によって淘汰されてしまうというものである。成程、近年の異常気象の多くは人的原因による地球温暖化現象の一端であろうし、エイズやHIVという免疫不全症候群といった現代病も増加しすぎた人口に歯止めをかける神の隠された意思なのかもしれない。
 手塚治虫の「ブラック・ジャック」にこういう場面がある。アフリカで奇病が発生し、動物達がどんどん矮小化(小さくなる)して、やがて死んでしまう。しまいには原住民を始め、治療に当たっていた医師にも伝染してしまう。ブラックジャックは掌(てのひら)大になった恩師の死を見送りながら叫ぶ、「神様、あなたは残酷すぎる。あなたがこうして命を奪うなら、我々医者は一体何のためにこの世に存在するのか!」と。
 地震や洪水で亡くなった方々に一体何の罪があるだろうか。その上で、時として天災が我々人間を襲い、数多くの尊い命を結果的に奪っていくのは依然として大きな謎である。貴方は、どう思いますか?


2004年12月25日 懐かしい場所

 公立の学校もいよいよ冬休みに入った。別に待ちこがれていたわけではないけれども、ほっとしたというか、ご苦労様でしたというか、とにかく良かったねである。一足先に「冬休み」に入っていた僕だったが、何だかんだ野暮用が多く、いや、野暮用というより、こういう時にしか出来ない集いやら要請やら会議があって、「そうなんだよね〜」という感じなのだ。
 今日はかつてお世話になった地元の私学研究所で全国私教連の関東ブロックの会議があり、他県の多くのメンバーが泊まりの所を、僕は自転車で往復して参加してきたのだ。会議の合間に、ふと見ると同じ階の研究室に0先生がいらして挨拶に行ったり、夜の部の交流会の舞台となった食堂では、これまた懐かしいコック長さんがいらっしゃった。思わず挨拶すると、「お元気そうで」と言われてうれしかった。
 そう、時として寂しい?想いもした研修時代だったが、こうして全国の仲間が集まる場として提供されるに及び、「あ〜、えかったなあ」と思うことしきりであった。同じ神奈川の仲間が宿泊する所をチャリンコで帰宅しながら、「冷たい風も、時には温かい」などとつぶやきながら、夜の浅川を渡るのだった。


2004年12月23日 漂流教室

 友人と日比谷公園へ寄った。正確には、松本楼である。この大都会のオアシスたる公園に、いつしか立ち寄る機会が多くなった。勿論、この日も裁判支援で東京地裁へ来ていたのだった。松本楼は外壁に赤い大きなリボンが所々取り付けられ、ちょっとばかりお洒落になっていた。入り口にはサンタクロースの電飾もあり、「ああクリスマスなんだな」としみじみさせた。 園内の池の周囲には、まだまだ色鮮やかな紅葉が午後の陽射しに映えていた。持参したデジカメで写真を撮りながら、特に池の水に映った紅葉や、その紅葉に彩られた弁護士会館の高層ビルの姿などに心を捕らえられていた。
 松本楼で飲み始めた酒は、結局、有楽町や東京の八重洲・京橋あたりにまで我々を歩ませる結果となった。とんた、マリオン(20周年)、交通会館、パインくし、国際フォーラム、おでん、etc。
 年の瀬の雑踏に身をゆだねながら、中年男二人は、いつしか大都会の夜に本格的に漂流していくのだった。 


2004年12月21日 冬枯れの日光は、格別でっせ!

 週末に日光の山へ行った。とある山の会の忘年山行である。確か5年ぶり2度目の参加になる。友人がまめに誘ってくれるのと、ドイツの有名な建築家が建てたという由緒ある山小屋が見物とのことで参加を決めたが、冬の日光という設定に何か特別なものも感じていた。
 往復友人の車だったが、いろは坂を登り、中禅寺湖や東照宮の鳥居、竜頭の滝などを見ながらのドライブはなかなか楽しいものだった。友人の子どもが「さる〜!」と大きな声で叫んでいたのが印象的だった。彼の期待に反して日光猿軍団は姿を現さず、冬枯れた林の何処かへ雲隠れしているようだった。
 さて、自慢の山小屋は大きな暖炉あり、吹き抜け式のロビーあり、掛け流し100%の天然温泉有りの快適な山小屋だった。ダイニングルームには多くのポートレートや切手シート、色紙などが溢れていたが、何故かマリリン・モンローとゲレ−ス・ケリーの写真が多く飾られており、これは僕の好みにも合うものだった。ここに総勢20人が集まったのだから、盛り上がらないはずがない。山の会のメンバーではない自分も二度目とあって、前回お会いした方々との再会を懐かしむことができ、自然に情緒が湧いてくるのだった。
 大宴会の翌日は、小屋のわきから高山(たかやま・1667m)へ登り、中禅寺湖を眺めながらのハイキングだった。男体山が大きく背後に聳えており、輝く湖も美しい。頂上では昨晩にまして豪勢な午餐会となり、中でもお汁粉や煮豚、煮込みうどんに人気が集まった。勿論、ビールは飲み放題である。下りは、戦場ヶ原の方へ下った。途中、白樺林が美しい場所があり、白樺の向こうに男体山を仰いで溜息をついた。小田代原を眺めてからシャクナゲ橋へと戻ったが、竜頭の滝へ戻る頃には体がすっかり冷えていた。
 小屋で4度目の風呂を使い、忘年山行男は帰路についたのであった。


2004年12月17日 楽しめるもの

 今年も残り少なくなってきた。期末テスト後の午前授業は、どうにも中途半端な気もするが、割り切って普段やれないことをするには格好の機会だ。例えば、「かるた」である。百人一首ではない。正しく、オリジナルのものだ。
「なかじまあつしは、こんな顔」
「あきれてものも言えない、数学の出来(12点)」
「ゆきだるま おいらのからだは肉だるま」
「とっきぶつ にぎってさする 左手で」
「あきれてものも言えない アジア大学(いい女がいるぞ)」
「男子校 気になるあの子は男の子」
問題作あり、時流をとらえた笑いありで、なかなか面白い。また、それぞれの絵がユニークで、中には描いた本人しか絶対分からないようなものもある。また、高2が作ったかるたで高1のクラスでも楽しめてしまうのだから、実に「生きた」教材である。ただ、軍手をはめ、体を床に投げ出して絵札をとるT君の姿には、いささか不安も覚えはしたが・・。
 また、ここ数年行っているCDスペシャルも、タイムリーヒットになる。昨日紹介した歌は次の通り。
「涙(なだ)そうそう」夏川りみ
「オンリー・ユー」プラターズ
「ファイテイング・スピリッツ」GLAY
「クリスマス・イブ(英語バージョン)」山下達郎
自分としてはベストチョイスのつもりでも、生徒によってコメントは様々だ。それでも、案外プラターズの受けが良かったりすると嬉しい。
 そんなこんなで2学期も終わってゆく。メリー・クリスマス!&ハッピー・ニューイヤー!(まだ、ちょっと早いかな)


2004年12月12日 夢美術館

 昨日、息子を教会の土曜学校へ送る途中、時間があったので美術館でシャガール展を見た。開館1周年記念ということだった。甲州街道沿いの高層マンションの2Fにあるこの美術館は、規模は小さいながら身近で「庶民的」な感じがする。普段は常設展として郷土出身の芸術家の作品を展示しており、たまに特別展を企画している。今回の値段は600円と若干割高だが、この日は中学生以下は無料で、勿論息子もフリーだった。
 展示作品は「ポエム」というタイトルの小版画集だったが、独特の女性や馬の絵がサーカスや曲馬団をバックに描かれていた。版画なので色合いには乏しいが、それでも青や赤や黄色といった原色が所々に印象的に塗られていて、目を惹く。そう言えば、この秋は絵を見ていなかったなあとあらためて思うのだった。
 一頃は良く上野へ行って、2〜3の作品展をハシゴして後飲むということが良くあった。友人と行くとブラブラして、大抵帰りは酔っぱらってしまう。1人の時でも上野の茶店や美術館のレストランで飲んだりする。結局は雰囲気に酔っているだけという気もしないではないが、その雰囲気こそが大事のように思える。
 土曜学校の時間が近づいて、展示室を後にする。外へ出ると、師走にしては温かい風がただ吹いているのだった。


2004年12月10日 怒濤の1週間

 採点、ドック、県庁、MM21、早朝集会、団交、梁山泊、特授、臨補、成績処理、ふう〜、疲れちゃったよ。


2004年12月07日 こんなバースデーもありかな・・

 8:30ロビー集合。点呼の後、パジャマとガウンに着替え、一連の荒行は始まった。詳細は省くが、血抜きから始まり、眼底に火花が散ったり、肛門を指で探られたり、X線を浴び続けたり、発泡剤やバリウムを飲まされNASAの宇宙飛行士のような訓練までしてしまった。唯一の救いは、昼食が外部の結婚式場のカフェだったことだ。
 さて、艱難辛苦の後の講評は、高血圧・高脂血症・軽度の肥満等、妻に言わせれば「最初から分かってる」結果となった。これに、帰宅してからは山積みの採点が加わった。
 夕食はおでんに缶ビール、カレーパン・ハーフ(息子と分けた)。まあ、いいじゃないか、こんな日も。では、おやすみなさい! 


2004年12月04日 心から哀悼の意を表します。

 元学園長が亡くなられた。80代の後半であったろうか。現理事長の実の兄であり、豪放磊落にして人情の機微に通じ、「カンパ〜イ!」と周囲を圧倒する迫力がありながら常に心優しい御仁だった。
 キス釣り大会に参加されて船酔いし、船縁から海へ嘔吐されたが、「こうすると魚が集まってくるんだよ」と笑われたこと。また、突然呼び出されて室へ行くと、「君は美容師さんは嫌いかい?」とさり気なく見合いを勧められたこともあった。(ちょうど、パキスタン遠征の直前だった)結婚式では主賓として、身に余るスピーチを頂いた。あまりにご機嫌で飲み過ぎ、翌日「ポケットに入れっぱなしだったよ」と祝儀袋を渡されたりもしたっけ。
 カンパイ学園長、どうか安らかにお眠り下さい。後のことは、どうぞご心配なく!そんな言葉を胸の中でそっとつぶやいた。


2004年12月02日 ぴったしカンカン!

 今年の流行語大賞は、やはり水泳北島選手の「ちょ〜、気持ちいい!」だった。あの日本中が興奮した夏のオリンピック優勝の瞬間から、これは大賞になりそうだなと予感はしていた。ヨン様の「冬ソナ」も北島君に花を持たせたという所か。
 ところで、今晩は久々に懐かしい山の知り合いから電話を頂いた。ちょっとした縁で2回ばかり山行を共にし、下山後は思い切り呑み合った覚えがある。海外トレッキングもこなし、花の写真にも目がない好々爺(失礼!)だ。そんな彼から、「時々、HP見させて貰ってますよ」と言われて驚いた。「お恥ずかしい限りで」というのが精一杯で、正直照れてしまった。
 う〜ん、でもなあ、かっこつけても仕方ないし、このままいくしかないね。「そ〜なんですよ、川崎さん!」(古い!)


2004年11月30日 霜月晦日

 明日から期末試験。問題作りに追われたが、若干の余裕を残して無事完成した。とはいっても、完成したのは明日の分のみで、その後の分は、また明日作るのである。こんな自転車操業を毎年繰り返しているのだが、最近は便利な世の中になり、教科書会社がCDーROMに教科書の原文やら問題集やらをファイルでまとめてくれている。(しかも一太郎とWARDの両方でだ!)
 勿論、沽券にかけてそのまま用いるなどということはしない。手を替え品を替え、オリジナルな視点を盛り込んでゲージュツ的な問題を作らんと欲しているわけだ。尤も、そのお陰で?多少のドライアイになったかもしれない。パブロンを呑みつつ、涙目になりがちな1日であった。 


2004年11月27日 焼き芋とカニ(sweet? 10 memorial)

 気持ちの良い秋晴れ、息子とセブンへ行った帰りに金剛院へ寄った。ここには広い庭があり、ちょっとした遊び場になるのだが、今日はやけに煙ったい。そう、落ち葉焚きをしているのだ。そして、奇遇なことに、その落ち葉で蒸し焼きにした正真正銘の焼き芋をご馳走になってしまった。自分は煙にかすむ銀杏の木や楓の写真を撮っていたが、息子と二人ホクホクと頬張った。何とも甘く、秋の味だった。
 また、夕食にはタラバガニを一ぱい丸ごと食した。これは昨夜、北海道から届いたものだ。脚を折り、甲羅をはがして、茹で上げた。そのまま食べ、甲羅の方は鍋にも入れながら粒々の卵も食べた。残った汁にはうどんも入れた。美味かった。
 かくして、食欲の秋は過ぎてゆくのであった。


2004年11月26日 少しばかりの滑稽

 早いもので来週は期末テストになる。授業の方は一段落して、テスト問題作りに精を出さねばならない時期なのだが、どうにもまだ手につかない。困ったものだ・・。
 ところで、今日は同じクラスが2時間あった。時間割の変更でそうなってしまったのだが、試験対策を2時間やるのも芸がないので、2コマ目は例の「伊豆の踊子」をみんなで読んだ。前回記したクラスとは別のクラスだが、途中、N君が読んでいる際に事件は起こった。
 「〜〜であった。」とN君が読んだすぐ後に、外でカラスが大きな声で「クア〜、クア〜」と鳴いたのだ。何だか無性に可笑しくなってしまって、教科書で顔を隠しつつ笑い出してしまった。生徒の方は、若干の眠たさもあってイマイチの反応だったのだが、僕が笑っているので「どうしたんですか」と聞き出す始末。説明するのも何だし、そのまま進めてしまった。
 ここで、昨日の国語部会での話を思いだした。講演は山下一海先生(鶴見大名誉教授)の「芭蕉の世界」であったが、その質疑でのやりとりだ。質問は正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句のどこがいいのか、と言うものだった。山下先生曰く、「柿を食べたから鐘を鳴らそうなどという因果関係ではない。偶々、柿を食べたら鐘が鳴ったというおかしみ、少しばかりの滑稽にその良さがあるのではないか」
 今日のN君とカラスは、正しくそのような関係であった。山下先生は芭蕉を「不器用な天才」と呼び、とても親しみを込めて話をされていた。ヒーヒーと喉が鳴り辛そうな声でも、「気にしないで。調子に乗ってくるともっと聞き苦しくなる」とユーモアのある方だった。そんな先生の言われた「滑稽」を追体験したかのような、「クア〜」であった。


2004年11月23日 ソーラン・ボーイズU

 好天の祭日、横浜西口で「TRAD神奈川私学の集い」が開催された。県内私学が多数集まり、私学の良さをアピールしながら、私学助成制度拡充を求める集会である。このオープニングに生徒の活動発表の場があり、僕の勤務校からは昨年の高3バンドに続いて高1のソーラン・ボーイズが出演した。
 以前にも記した通り、ソーラン・ボーイズは文化祭で好評を博し、今回のTRADに向けて更なる飛躍を目指して準備を進めてきたが、学外のこうした大きなイベントは初めてなだけに実は少々不安もあった。しかし、実際には、存分に彼等の本領を発揮したと言って良いだろう。クラスTシャツもハッピも再び大きな拍手に包まれた。
 さて、今回の彼等は単にソーラン節だけでなく、集会終盤の群舞にも挑戦し、他校の生徒と一緒に踊ったのであった。しかも、リハーサルはK学園女子校で行われ、普段は目にすることもない女子生徒から手を振られたり、踊りを教わったりと、ごくごく自然に生徒間交流をはかり楽しんでいた。そんな様子を見るにつけ、参加させて良かったなと思うのだった。
 勢いに乗った彼等は集会後のパレードに参加し、横浜駅前の助成金署名運動にも協力してくれた。これも、今回の集会の趣旨を彼等なりに理解してくれたからだと思いたい。この点については、昨年のバンドがステージ一本に集中したことを思うと、大きな前進があったと実感できる。
 集会後の反省会で「ソーラン・ボーイズ、良かったですね」と言われる度、満更でもなくビールの杯を重ねるのだった。


2004年11月20日 帝京、敗れる!

 久しぶりに高校サッカーを見た。全国高校選手権東京大会A決勝の帝京vs修徳である。お馴染みのカナリア色のユニフォームの帝京は1点を追う展開からPKで同点としたが、後半終了間際に速攻からダイビングヘッドを決められ1−2で惜敗した。修徳は対帝京戦7連敗とのことだから、さぞや嬉しいに違いない。フレッシュな代表に拍手を贈りたい。
 ところで、この試合を最後に約40年にわたって帝京を率いてきた古沼監督が引退するという。有終の美は飾れなかったかもしれないが、本当にお疲れ様でしたと言いたい。古沼さんは高校野球で言えば、僕の勤務校のW監督や池田高校の蔦監督のような存在で、かつて松本監督率いる浦和南との名勝負の数々は決して忘れることは出来ない。高校サッカー界の名伯楽と言って良いだろう。新監督は広瀬監督で、彼は古沼監督が最初に全国優勝を成し遂げた時のキャプテンである。こういう時代の変遷を目の当たりにして、僕も年を重ねてきたのだなとあらためて思う。
 敗れた帝京の選手たちはグラウンドに倒れ伏していたが、古沼さんは淡々と「負けるときはこんなもの」とコメントしている。いつかこんな風に自分もなれるかなと思いつつ、まだまだ無理だなあと溜息をつく土曜の暮れ方であった。 


2004年11月17日 偉大なる錯誤?

 夜の会議が続くと、いきおい寝不足になる。午前1時をまわってから床に就くと、正味4時間程度しか眠れない。これが、最近けっこう応える。やっぱり、無理がきかなくなっているのだろう。
 さて、帰宅後、息子とジャンケン遊びになった。「戦争し〜ましょ、グッパグッパーハワイ、ハワイハワイグッパー」などと息子は唄ってくる。何だか、物騒だなあと想いながら、待てよ、「ハワイハワイ、軍艦」じゃなかったっけ?息子は言う。「え〜〜、グッパーだよ。ぐんかんってなに?」僕は答えた。「軍艦は船だよ。戦争する船さ。パパが小学生の頃は、軍艦軍艦ハワイだったよ」
 う〜む、どっちが正しいのかいな。ひょっとして、僕が子供の頃からず〜っと聞き違いをしていたんだろうか。もしそうだとすると、別の意味で寝不足になりそうだ・・。


2004年11月13日 ボクサーパンツ

 下着の話で申し訳ない。僕はどうもトランクスが苦手で、どちらかというとブリーフ派ということになるのだが、大抵は綿を主体とした2枚で1000円をきる程度の地味なものを使用している。ところが、先日、新しい下着にチャレンジしてみた。
 まあ、それは気分転換と言えばそうなのだが、購入するのに暫し時間を要した。何しろ、ボクサーパンツという代物なのだ。その形状の特色といえば、先ず「社会の窓」がなく前方下部は立体裁断になっており、シンボル全体が優しく?収納される仕組みになっている。ビキニパンツのように見た目が▼にならず、やはり逆凹である。素材はナイロンやポリウレタンで伸縮自在で、股上は浅い。実際に穿いてみると、とても薄くて小さい気がする。「こんなんでいいの?」という感じである。いつも、ほどほどに「落ちている」感覚が、「フィット」し過ぎて「どうなんだろうねえ」という戸惑いもある。値段は1枚1000円から1500円程度である。
 「そんなボクサーパンツ穿いてどうすんの?」という声が聞こえてきそうだが、いいのである。「立つんだ、ジョー!」「明日に向かって、打つべし!」の気分なのだから・・。 


2004年11月10日 負けるな!

 この所、穏やかな晴天が続いている。あちらこちらで、色づき始めた木々の葉が目につく。秋、真っ盛りと言った感じだ。
 さて、今日は高1で「伊豆の踊子」を読んでみた。最近、古文が続いており、品詞分類などを細かく見ていたので、少し気分転換である。こういう時は、「好きなだけ読む」「次の人を指名する」という二つのルールで読ませる。まあ、遊びの要素を盛り込んで、出来るだけフリーに「読み物」として楽しみたいためだ。中には1行だけで終わる者もいれば、フェイントをかましたり、同じ人間を何度も当てるといった荒技も出る。そして、ごく稀にだが僕自身が指名されることもある。
 今日もイイ感じで続いていたが、幾度かリバース(同じ人が当たる)があり、当の本人が若干「押し黙る」場面があった。雰囲気はにわかに硬くなる。ただ、僕は彼の名をそっと呼びながら読むことを促した。彼は、ゆっくりと立ち上がり、しばし長めに読み続け、次の人を指名した。「よしよし」と僕は心の中でつぶやいた。
 子供は時に残酷なまでに正直だ。余計な気遣いは、一切しない。互いに「試し合う」ことが多々ある。そんな時、やはり、「受けて立つ」力強さが必要だと思う。「かばう」こともできるし、「少しは考えろ」と怒鳴ることもできるが、結局は本人が一番気まずい思いをすることになる。ここは、本人が切り抜けるしかないのだ。
 「伊豆ダンサー」、まだ続きは残っている。


2004年11月06日 Memory Time

 「♪懐かしのアメリカンポップス編」、近所のセブンイレブンで発見したカバヤ食品製造のガムである。正確に言うと、薄いガムが1枚入っている12cmCDパッケージなのだ。
 「何でこんなものが・・」と手に取ってみると、やはりそれは小さいCDで、表紙には何と9種類のレコードジャケットが印刷されている。ルイ・アームストロング、ポール・アンカ、プラターズ、ライチャス・ブラザーズ、KC&サンシャインバンド、ピーター・ポール&メリー等々。これで350円は安いと、つい衝動買いをしてしまったが、帰宅して開けてみると、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」「サウンド・オブ・サイレンス」の2曲入りCDだった。
 勿論、それでがっかりしたわけではない。当時のジャケット写真に歌詞カードもついているし、当然の事ながらCDとして充分な音質を保った歌を聞くことが出来る。こんなものがコンビニで売られるようになったとは!正直言って、驚いた。自分のような中高年が、かつての時代を懐かしんで遊び心で求めるのは分かるが、まさか、子どもたちもこれを買うのだろうか。
 「やっぱり、いいねえ、オンリー・ユーは!」とか、「何てったって明日に架ける橋だよ」なんて小6あたりの子どもたちがガムを咬みながら会話している様を思い浮かべると、それはそれは実に愉快だ。うちの息子も、いつか買ってこないかな?


2004年11月03日 たらば、時分の華。

 秋晴れの一日、両親の結婚記念日とて祝福に参りぬ。四十五周年とは、さても永き年月なり。あらためて敬意を表したり。さて、祝ひの膳にいつもの寿司に加えて、たらば並びたり。ゆで加減いと好き頃合いなれば、思ひに違わず美味し。ほのかに甘き白き肉、真に絶妙なり。妻も子も一心に口に運ぶ様、いとをかし。併せて、麦酒なる呑めり。程良く酔いて後、子らと野球(のだま)などしけり。所謂、三角べいすなるものなり。幼き頃の想ひ出蘇りて、いとをかし。誰もかく思ふにやあらむ。 
 


2004年11月01日 Girls meet Boys&Jazz

 文化祭が終わった。日曜日は天気も回復し多くの人で賑わったが、とりわけ、女子高生の姿が年々目立ってきているように感じるのは自分だけだろうか。尤も、その方が生徒達にとっては励みになるし、楽しいに違いない。僕等もいつもと違う光景に、少しワクワクする。
 ソーラン・ボーイズもアンコールを受けて、二度も熱の入ったソーラン節を披露してくれた。踊りのラストでは見事なリフトも見せ、1回目は「見てくれてありがとう!」のプラカード、2回目は「ウオーター・ボーイズ」のリフト(1等賞ポーズ)で締めくくった。結局、僕はフロアー・デイレクター?としてビデオを回していたが、ついつい「いいぞ〜」と叫んでしまっていた。NZ帰りのHAKAの新たなライバル出現という所か。他にも、一人芝居「印象派」、アコギの「ママママ〜ヤ」。リーダー公開やブラバン&和太鼓など魅力のステージが満載であった。
 さて、代休の今日は「映画の日」。1000円で「スイング・ガールズ」を観た。女子高生がビッグバンド・ジャズに挑む熱血・面白・嬉し恥ずかし物語で、監督は「ウオーター・ボーイズ」の江口史靖(しのぶ)さんである。観客席には小中高生も多く、実に楽しく爽やかな映画だった。こりゃ、やっぱ、お勧めでっせ!1000円は安い、安い!!


2004年10月31日 単純かも知れないが、敢えて言おう。「見殺しだ」と。

 イラクで武装グループに拉致されていた香田さんが、頭部を切断された遺体となって発見された。しかも、その頭部は星条旗でくるまれていたという。全く非道かつ残虐極まりない犯行だ。犯人グループに大きな怒りを持つ。
 しかし、香田さんは何故殺害されなければならなかったのか。あまりに無謀な「自分探しの旅」だったと香田さん自身の責任に転嫁するのはたやすい。また、そうした世論も生まれやすい情勢だ。でも、香田さんのように敢えて危険な紛争地域へ赴く青年は過去にも無数にいただろうし、その中の大多数は香田さんのように公に殺害されたことはなかったはずだ。
 香田さんはアルジャジーラのニュースで、「小泉さん、自衛隊をイラクから撤退させて下さい」と呼びかけていた。そして、「すいません」とまで言っていた。そうなのだ、小泉首相のアメリカ追随の姿勢こそが、香田さんを「日本人はアメリカの犬」とばかりに殺害させた原因に他ならない。
 遺族の方になり替わって言おう、「小泉総理が香田さんを殺した」と。アメリカのやり方で、イラクに平和は決して訪れない。小泉総理は香田さんの命を軽視した。断じて許せないことだ。「彼の死を無駄にしない」というのなら、やるべきことは自明だろう。「不戦」を掲げる日本国憲法を守り、アメリカ追随の政治を転換することだ。
 遺族の方の無念さを思うと、胸が痛む。香田さんも小泉総理も同じ人間の命を持っているのだから。


2004年10月29日 たまには焼酎を!

 昨夜、とある会議の後、同僚とさしで呑んだ。桜木町駅前の地階の店で、最初はビールであったが、彼につられて「おすすめ」の焼酎をロックで試してみた。
 神無(かみむ)、一刻者(いっこもん)、神の舞、美ら島(ちゅらじま)の4杯である。「神無」は実にあっさりと呑みやすく、そば焼酎の「神の舞」は香りがどこかストロベリーに似ていた。「美ら島」は泡盛なので一番きつかったが、2年前の暮れの旅行を想い出させてくれた。
 しかし、こんなに焼酎を呑んだこともかつてない。しかも、ロックで。ただ、どうかご心配なく。決して、やけ酒ではなかとよ。


2004年10月27日 人間は、すごい!

 避難者が10万人を越える、新潟中越地震。土砂崩れでズタズタにされた国道の岩塊の下から、奇跡的に救助されたゆうた君2歳。暗い土の底で、よくぞ4日間生き延びてくれた。お母さんは力尽きて亡くなったが、君の命の中にきっと宿っているはずだ。
 生きることの凄さに、涙があふれた。 


2004年10月26日 山小屋からの便り

「先日は絵ハガキになった写真を送っていただき、ありがとうございました。扉へのコースはいかがでしたか。霧は晴れましたでしょうか。巷ではいろいろと起こっているのに、山は静かに堂々と美しいブラウン色に染まっております。」

 全校ハイキングはまたしても雨。昨年の幕山(湯河原)に続き、駒ヶ岳(箱根)に登れず。雨男は、一体誰だあ〜!!
 


2004年10月23日 不思議な光景

 久しぶりに近所のグラウンドへ行った。グラウンド自体は運動会の準備だろうか、沢山のテントが立てられようとしていて使えなかったが、グラウンドの周囲をゆっくりとジョギングすることができた。
 高校生が風のように走っていた。年輩の夫婦が散歩していたり、犬の散歩の人もけっこう来る。そんな中をゆっくりと歩くように走った(つもり)。体が重い。でも、何だかうれしい。やっぱり、こんな時間が必要だ。
 ところで、さっきから気になっている親子がいる。スポーツルックのお母さんが男の子の兄弟とジョギングしているのだが、下の子はどうにも走るのがいやで奇声を上げながら母親の顔色を見い見い、腕をつかまれながら追い立てられて走らされている。奇声は恐らく生来のもので、何かのエクササイズかリハビリなのかもしれない。お兄ちゃんは黙々と走り続ける。お母さんは弟と必死だ。僕はついその子の顔を見ながら、笑顔を作った。「やってるなあ、ぼく」「お母さん、名トレーナーですね」なんて感じだ。
 勿論、そんなこと言えるわけがない。実は少々重い物も感じていた。でもね、・・。おっと、待てよ。グラウンドのテントは、ひょっとすると「ふれあい運動会」かもしれない。そうなら、この弟君は立派な出場選手で、やっぱり、お母さんは名コーチということになる。そうだ、そうに違いない。

ps、ふれあい運動会・・市内の障害者団体、施設、ボランテイア団体が一同に会する大運動会。市の広報を見ると、明日の24日が開催日となっていた! 


2004年10月20日 台風とソーラン節

 台風23号が猛威を振るっている。僕の勤務校でも珍しく?2時間目終了後に生徒は帰宅とあいなった。もっとも、我々はいつもとさして変わりはなかったのだが・・・。
 ところで、文化祭が今月末に近づいている。担当しているクラスではソーラン節を踊るという。所謂、ロック・ソーランというか「南中ソーラン」なのだろう。彼等は夏前から企画をたて、「金八先生最終回」のソーランの踊りをビデオで見ながら準備を進めてきた。1年生でこういった計画性を持った取り組みをするのは、今まであまり見られなかっただけに、期待感も高まるが、直前の時期に来て「全員が練習に揃わない」「踊る班ごとにテンションが異なる」といった「カベ」にぶつかっているようだ。
 恥ずかしながら、自分もソーランをまともに踊ったことがないし、ましてや「振り」を教えることなど到底出来ないのだが、何とか彼等をサポートしたいと思っている。クラス全員のネーム入りのTシャツは買った。後はやはり、一緒に踊るしかないかな・・。
 


2004年10月18日 秋の味覚の銀座パレード!

 またぞろ、台風23号が本土に向かっているらしいが、それにしても昨日は美しい秋晴れだった。仲間の家族と知り合いを誘って、勝沼へブドウ狩りへ行って来た。子供が4人いて、しかもみんな男の子とくれば、けっこうにぎやかなハイキングになった。
 明るく穏やかなぶどう畑の間をゆっくりと歩く。目に入るのはブドウ棚だけではない。柿やりんご、花梨にコスモス、白菊に鶏頭、秋の趣きがそこここに目立って目立って仕方がない。
 ブドウの丘では、ほうとうやキノコ汁、生ビールやワイン、「天空の湯」なる温泉にもつかりながら、晴れ渡った空の向こうの南アルプスや甲斐駒ヶ岳の山並みを心ゆくまで眺めた。
 帰りは、ぶどう園に預けておいた「種なし巨峰」を引き取り、ポクポクと駅へ向かった。誰が作ったか定かでない?チラシの文句(今日のタイトル)に違わない、秋の1日となったようだ。


2004年10月15日 太陽の岳人

 久しぶりに気持ちよく晴れ上がった。太陽が眩しく、キラキラと輝いている。こんな日は、早朝の自転車も実に爽快だ。登校指導の「おはよう」おじさんも苦にならない。
 ところで、「岳人」という山の雑誌があるのだが、今日発売の11月号に山の友人が一文を寄せている。そこには彼の正直な気持ちが書かれていて、とても好感が持てるのだが、逆に辛かった心中も察せられて「ご苦労様でした」と呟いたりしてしまうのだった。そう、彼は97年のパキスタン・スキルブルム遠征で遭難死した仲間6人を、7年かけてやっと全員日本に連れて帰ることが出来たのだった。
 一連の顛末の中で、自分の非力さをかみしめたりする彼だが、そんなことは決してないのだ。彼にしか、このような大切な仕事は出来なかったに違いない。僕は、そう確信している。同業の先輩として、山の先輩として彼のような人がいてくれることが、僕の励みにもなっている。
 どうかいつまでも、パッションの人であって欲しいものだ。 


2004年10月12日 山の扉を開けて

 連休に、松本近辺の山へ行って来た。高ボッチと鉢伏山である。これに崖の湯と扉温泉を組み合わせて、まずまずの山行となった。もっとも、高ボッチも鉢伏山も共に林道(車道)がすぐ近くまで延びており、残念ながら純粋な登山道とは言えないエリアとなっている。しかし、明るく開けた高ボッチから銀色に輝く諏訪湖を眼下に見るとき、そして、高度を上げていくスカイラインの向こうに鉢伏山の勇姿を見るとき、長閑さの中にもグッとくる「何か」がある山域だ。
 宿泊した崖の湯も味わいはあったが、霧の中の鉢伏山荘は番犬トビーの出迎えと山小屋のご主人夫妻のもてなしで、より一層しみじみと趣深いものとなった。残念ながら今シーズンは11月に小屋終いとなるのだが、是非、来年は訪ねたいものだと心に誓った。
 展望のない鉢伏山頂から扉温泉へ下る山道は、紅葉の走りと水量を増したトビラ沢の奔流が清々しかった。心地よい疲ればかりとは言えない面もあったが、久々に新しい山域にチャレンジしたということで満足したい。

ps、群馬岳連のエース、名塚秀二氏がアンナプルナで遭難した。ご冥福をお祈りしたい。ヒマラヤン・クライマーの宿命とはいえ、人間の命の無常を感じる。


2004年10月08日 カッコイイぜ!

 「国民栄誉賞を辞退する」と言ったイチロー、「未熟な身で、今貰ってしまうとモチベーションが下がってしまう」とは大したものだ。僕だったら、有難く頂戴してしまうだろう。尤も、そんな大記録を残せるあてもないが・・。
 ところで、イチローと似たようなことを今から90年以上も前にやった人がいる。明治45年に文学博士の学位授与を拒否した夏目漱石だ。「然るところ小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」として、当時の文部省の学務局長に学位辞退の手紙を丁重に記している。これが、丁度高1の教科書に「さまざまな文章」という単元で掲載されているのだ。そして、実は、今回の中間テストにも登場している。
 今日のイチロー発言を聞いた生徒達の幾人かは、きっとこの漱石の手紙を想い出すに違いない。いや、そうあってくれればうれしい限りなのだが、どうも「100点満点は辞退いたします」なんていう謙虚なメンバーが多いようだなあ・・。


2004年10月06日 どこからか金木犀の香りも漂ってきた。

 今日は久しぶりに晴れ間が広がり、日中は暑いくらいだった。低層湿原になりかけていた芝の第1グラウンドも、やっとトラックが乾いてきたようだった。
 ところで、昨日から中間テストに入っている。1日2時間程度のテストが4日間。生徒にとっても我々にとっても、まあ、一息つくことができる期間だと思う。そして、普段行かないクラスへ試験監督に行く楽しみも以前に書いた通りだし、かつて教えていたクラスと再会するのも、また違う嬉しさがある。
 それにしても、今日の1時間目の化学は大勢寝ていたなあ。「大丈夫かあ」なんて最初は声をかけたりもしていたが、すぐにやめた。こうやって、「できないから」という理由で?ゆっくり休むことが出来るのも試験の特権なんだ(と思う)。朝の光がさわやかに窓から差し込む。中庭を見回りに行った帰りの同僚が、すまして歩いて来たりする。僕は教室の後方で、腕組みしながら、そんな光景を楽しんでいた。 


2004年10月03日 氷雨の日曜日

 昨晩、TVで「タイタニック」をやっていた。デイカプリオ主演のメガヒット・ムービーだ。息子と女房がけっこう真剣に見ていたが、僕はこれを昨年の夏、中央アルプスの千畳敷ホテルの一室で見ていた。
 千畳敷ホテルはロープウェイ終点駅から徒歩20歩の所にあり、宝剣岳や木曽駒が岳を目指す登山者の格好の宿となっている。特に、銭湯のように広い大浴場には驚かされる。こんなに豊富な湯水を一体どうやって確保するのか、マジで悩んでしまうのだが、それ故に宿泊予約もままならない。まして、団体ではなかなか難しいらしい。
 幸いにして僕たちは25人近くの団体で泊まれたのだが、生憎の雨は翌朝もあがらず、結局千畳敷カールの底を散策したに留まった。そんなわけで、前夜から各部屋ではアルコールや唄に加えて、この映画鑑賞も大きな「お楽しみ」の一つとなったのだった。
 デイカプリオ扮するジャックが、力尽きて海中に沈んでいく。あの時、女性軍も涙を流していたなあ。そう言えば、ジャックの恋敵役は「バーテイカル・リミット」のクライマー役だった。そんなことを想い出しながら、やはり僕も、ついつい見てしまうのだった。
 


2004年10月02日 ハード・デイズ&ナイツ

 マリナーズのイチローが、84年ぶりに大リーグ記録を更新した。1920年にジョージ・シスラーが作った年間257安打を抜き、259安打を達成した。真に偉大な記録というしかないが、当のイチローはいとも簡単にやってのけた印象がある。まだ2試合残しているのだから、更に記録は更新される可能性があるのだ。
 今週、イチローがバットを振り続けている間、僕は何をしていたかというと、1日おきの夜の会議(交流会つき)や夏の生徒達の作品をまとめてコンクール本部へ送ったり、授業ではややゆるみ気味の子供達にカツを入れたりしていた。しかし、実を言えば、万全でないコンデイションの自分の方にこそ「カツ」が必要だったのかもしれない。
 淡々と公然と大事を成し遂げるイチロー、見ならいたいと言ったって、ちとムリかな〜。
 
 


2004年09月29日 風呂上がりには・・

 一杯の牛乳!昨夜遅くなってしまい、寝不足がたたった今日ではあったが、特にキレもせずに地道にやるべきことをやった、としておこう。
 「陰陽師U」をちらりと見ながら、台風21号の進路に僅かばかりの期待?をしながら、一気に飲み干す牛乳の味。荒れた胃の粘膜が少しは元通りになるかもしれぬ。さあ、博雅(ひろまさ)、もう寝るぞ!


2004年09月26日 ささやかな愉しみ

 週末は雨模様でやや肌寒いくらいだった。思えば、今月の土曜日は会議が多く、昨夜も3度目の東神奈川であった。終わってからの飲み会も、駅前の同じ店でそれぞれのメンバーで盛り上がった。まあ、こういう経験もそう長くはない?だろうと思いつつ、ふと溜息をついたりもする。
 ところで最近、様々なデジカメ画像をまるでムービーのように仕上げてしまうソフトにはまっている。「デジカメdeムービーシアター」というものだが、いくつかのテンプレートに画像のファイルを送り込み、BGMをつければ素敵なムービーもどきの出来上がりだ。かえって、垂れ流しのビデオよりは、一瞬一瞬を切り取った画像の変化の方が面白くもある。また、同じテンプレートでもBGMによって印象がまるで異なるのだから不思議だ。
 つい調子に乗って量産し、友人にあげたり、皆で見たりして楽しんでいる。評判も悪くない。仕上がった作品はあくまで個人の趣味のレベルとはいえ、けっこうイケてる。
 まあ、こんな楽しみくらいあってもね・・。創り出す楽しさは、やはり格別と言える。できあいのDVDに食傷気味の貴方、是非、お試しあれ!


2004年09月22日 妻に「ありがとうと伝えて」

 神戸の児童殺傷事件で、つい先日死刑執行された宅間守の最後の言葉だ。妻とは獄中で結ばれた女性だが、彼女自身は「遺族への謝罪の言葉を引き出せずに申し訳ない」とコメントしているという。
 死刑判決確定から僅か1年で執行された死刑に、実はどこか釈然としないものを感じていた。「あんな奴はさっさと死刑にすればいい」、声なき声に後押しされての早急な対応だったのではないかとの疑念が否定できないからだ。もっとも、彼自身が「半年以内に執行を」と望んでいたともいうが、それにしても早すぎる印象がある。
 結局、彼は贖罪もできず、遺族への謝罪もなく、一人この世を恨んで憤死したような気がする。彼の命もまた、大切な命の一つであったはずなのに・・。そんな中で、彼が妻に残した言葉は、一際美しい。どこかで救われる想いがするのは僕だけだろうか。


2004年09月18日 夢を生きた男〜THE BABE〜

 日本のプロ野球が70年の歴史上初のストに突入した頃、アメリカ大リーグではジャイアンツのボンズが700号本塁打を達成した。巨人の王貞治、ハンク・アーロン、ベーブ・ルースに続く偉大な記録である。そんな今日、ベーブ・ルースのビデオ(「ザ・ベーブ」92・ユニバーサル映画)を見た。
 アメリカの生んだ偉大なホームランアーチストは波乱の生涯を送ったのだが、「アメリカ人に最も愛された」という形容詞は最上級のものだろう。本塁打714本、本塁打王12回、生涯打率342、通算打点2211、打点王6回、投手成績94勝46敗。これが彼の22年間の記録だが、投手としても活躍していたことは初めて知った。
 少年時代を矯正院で過ごし、そこから大リーグへ貰われていった少年がアメリカンドリームを築く物語。しかし、映画中のベイブは、金も女性も思いのままに「何でも自分の思い通りに手に入れる」貪欲な少年の魂の持ち主として描かれもしている。最初の妻との別れや晩年の監督になる夢を諦められずに現役を退けない葛藤もリアルに描かれていた。「客寄せパンダ」の晩年に1試合3ホーマーを放って、ダイヤモンドをよろよろと走り、出迎えたチームメートの前でキャップをとって「これで終わりだ」と言う。ロッカーへ続く暗い通路で呼びかけた青年は、かつて、ベイブが予告ホームランを2本プレズントした病床の少年だった。
 「あなたは最高だった!」単純なストーリー故に、グッとくるラストだ。彼によく似た(風采とドランカーぶりが)職場のY氏のイメージも重ねつつ、久々に涙がちょちょぎれてしまった。


2004年09月17日 都会のオアシス

 延期されていた防災訓練と授業を終えると、一路、東京は霞ヶ関へ向かった。逗子にあるS学院という女子校で20年間も担任外しという差別を受けているY教諭の裁判支援である。
 彼は勤勉で創意溢れる理科教諭として定評があるのだが、私学教職員の労働組合に加盟していることを学園側から嫌悪されて、卑劣な差別にあっているのだ。既に労働委員会では勝利しているが、学園側が今度は裁判所に提訴して、労働委員会の命令を取り消せという行政訴訟を行っている。何とも、引き延ばしの卑しい作戦に他ならない。
 終了後、彼と支援のメンバーで日比谷公園へ行き、いつもの松本楼でコーヒーを飲んだ。いつの間にか、裁判所の帰りに必ず寄るようになってしまったが、ここで暫し彼とフツウの話をするのだ。そう、闘ってばかりいると疲れるから、肩の力を抜くのである。本当に、そんな時間が必要なのだ。
 公園はいつものように、多くの人が思い思いに安らっている。僕もそんな公園を歩きながら、ほお〜と大きく息を吐いていた。


2004年09月12日 週末の教訓

 穏やかな週末、労働組合の大会に参加したり、近所のグラウンドで重い躰を少しばかり絞ったりした。
 さて、際どいタイミングで週末のストを回避したプロ野球だが、選手会と理事会との対決は真に「良い教材」だとつくづく思う。実際に試合をしている選手達の意向を無視してオーナー連中が勝手にリーグの再編や合併を断行するなどあり得ない。チーム数が減れば、解雇される選手が大勢出てくるのは目に見えている。こうした状況の中で、「納得がいかない!」と団結して立ち上がり、ファンの署名を百万単位で集め、ストを通告しながら対峙してきた選手会は真に立派だ。立場の弱い労働者の闘い方のお手本である。うちの組合も見習わなくてはなるまい。
 そんなこんなで、古い言葉になりつつあるけれど、「団結ガンバロー!」なのだ。


2004年09月10日 瑠璃黄金虫

 近頃、はっとする場面で見かける。深い緑色の光沢を湛えた黄金虫。以前から、職場のエントランスをゆっくり歩いている姿を目にはしていたが、電車の座席の背もたれの溝に頭を埋め込むようにしている姿には、正直驚いた。誰かが悪戯して押し込んだのだろうか。
 そして今朝はトイレで腰を掛けると、ドアの蝶番の所にやはり一人で居た。少しづつ、僕の右足に躙り寄ってくる姿は、何か無気味だった。帰りには、階段の踊り場付近にまた一人でひっそりと佇んでいた。外は夕立で、これまた、どこか物寂しげであった。
 こんなに続けて彼に会うのは何故だろう。ひょっとすると、誰かの身代わりなのか。そんなことを思いつつ、ビニール傘で外へ飛び出ていった。


2004年09月05日 雨のウイークエンド

 涼しい週末だった。台風18号の影響なのだろうか、あまりに涼しいので、今日で閉鎖となる市民プールに入ることが出来なかった。息子と二人、デジカメ写真でその勇姿を納めるのが精一杯のお別れだった。
 さて、2学期もスタートし、授業も始まった。夏の宿題を集めたり、教科書の新しい単元に入ったり、土曜日には早速1発目の漢字テストなどもしたりした。まあ、一歩一歩である。
 ただ、感心するのは、チャレンジしてもらった読書感想文や文芸作品(俳句・短歌・詩・小説)に力作が多いことだ。小説は無理かなと思ってもいたが、担当する3つのクラスで計10作品を越えそうな勢いである。いやあ、恐るべし、平成男子軍団。


2004年09月02日 浅間山噴火!

 昨夜、群馬・長野の県境にある浅間山(2568m)が噴火した。噴火による降灰は福島や栃木にまで及び、83年以来の中規模の爆発だったようだ。
 この浅間山、先月上旬に行った湯ノ丸山のすぐ近くで、時期がずれていれば大変なパニックに遭遇したかも知れなかった。TVで見た噴火直後の赤いマグマや夜空を青白く染め上げた一瞬の閃光に、語弊はあるが感嘆した。
 「暮れゆけば、浅間も見えず・・」と島崎藤村は詩に詠んでいるが、この静かなる活火山の鳴動は我々にやはり自然の脅威を圧倒的な迫力で感じさせる。「男は黙って浅間山」なんてフレーズ、どうかな?
 


2004年08月31日 ほんとの空

 早いもので、いよいよ夏休みも終わりである。この夏は、随分とあちこちへ出向いて修行したという実感がある。特に今までどちらかというと縁遠かった関西方面で経験を積んだことは、大きな収穫である。新大阪からの御堂筋線(地下鉄)で梅田や難波といったターミナル駅からの利用に自信を持った。
 さて、先週末は未だに大きな勢力を保っている台風16号が迫り来る中、20人を越える仲間と福島の安達太良山へ行って来た。初日はくろがね小屋へ入るのみと考えていたが、台風の影響もあり、予定を変更し、ゴンドラを利用して小雨の中を一気に登頂した。下りは結構激しい雨となったが、小屋へ到着してからは高揚した宴会と温泉に身を任せた。
 翌日は、一時的に晴れ間が見え回復の傾向にあったが、下山後の予定もあり、「あそこに登ったんだよ」と乳首の突端をふりかえりつつ、美しい滝見もしながら奥岳へと下った。昼食後に、「智恵子抄」の長沼智恵子の生家と記念館を訪れた。造り酒屋の大きな家である。光太郎との東京の生活で、いつしか精神を病んでいった智恵子にとって、この生家の破産はショックだったのだろう。「安達太良山の上の空が、ほんとの空」というフレーズはあまりに有名だが、今回の山行きの中であらためて実感できた。また、この「智恵子抄」の中から、自分が気に入った詩をいくつか仲間に紹介できたことも、僕の中でうれしい思い出になった。
 とまれかくあれ、明日から9月。また、始まるなあ・・。


2004年08月27日 高野山の日々

 今年は、空海入唐1200年になるという。夏に友人と上野の博物館で「空海と高野山」展を見た機縁もあり、また、ちょうど夏季生涯学習講座が高野山大学で開催されるということもあり、単身高野山へ行って来た。連日宿坊に泊まり、金剛峰寺や大塔、奥の院等も巡ったが、想像以上に素晴らしい所だった。
 さて、講座の方は「マンダラの瞑想と儀礼」「空海の詩文でたどる在唐の日々」であったが、やはり前者は根本的な知識が不足しているために難解で、後者に救われた感があった。また、それは「高野山大学のマドンナ」と紹介された岸田知子教授の魅力の影響も否めなかった。
 そんな中、当時30歳の空海が804年に遣唐使の一行として唐に渡るが、大使が国書を持参していないために上陸を許可されず、空海が代筆した嘆願書などを読んだ。格調高い四六駢儷文(対句を多用する)で、説得力のある内容とその筆跡の素晴らしさで一行の待遇を一変させたという代物である。また、上陸後に長安の都に向かう使節団に空海の名前が無く、自ら直訴する嘆願書(「福州監察使に入京を請う啓」)も読んだが、空海がその文才で自身の道を切り開いてきたとうことが伺い知れた。ふと、自分がかつて陳述書や要請書等というものをひたすら書いていたことを思いだしつつ、空海に比することもおこがましいが、人間にはそうした時期が存在するものなのかと感じるのだった。
 諸般の事情で講座の最終日を待たずに山を離れることになったが、せめて下りくらいはと、山の玄関である大門から弁天岳や女人堂を経て極楽橋へと徒歩で下った。女人道の終わりから林道になってからが長く感じ、ラストでケーブルカーの下に出て来た時にはほっと安堵した。約2時間のハイキングであった。
 以上が概略なのだが、とても書きたらないので、いつかフォトギャラリーにまとめることを約束したい。
 


2004年08月21日 スプリッターを替えてみた。

 以前にADSLの調子が今一だと記した覚えがあるが、試みにスプリッターを取り替えてみた。スプリッターとは、電話のモジュラージャックから電話機本体へとADSLモデムへとの信号を分かつ、文字通りの分配機である。ここで様々なノイズを拾ったりすると、ADSLモデムへ繋がるケーブルにも悪影響を及ぼす。
 とまあ、そんな風に考えて交換してみた所、結構当たりなのか調子が良くなった。LINE、PPP、LANの3つのランプが点滅を繰り返すようなことはなくなり、安定して点灯するようになった。根本的な改善に繋がったかどうかは定かではないが、とりあえずOKとしよう。
 てなわけで、昼間届いたZIPANG(焼酎)がこちらを見ている。手にとって、良く見てみよう。なるほど、タウシュベツ橋梁の眼鏡橋が瓶の中央部の丸窓から眺められるという、そんじょそこらでは絶対に手に入らない特別仕様だ。味の方は、どうかな。これはもう飲むしかない。では!
 


2004年08月19日 物語の呪縛

 オリンピックは様々なストーリーに満ちている。例えば、「田村亮子でも谷亮子でも金メダル」「病気のミスター(長島監督)のために絶対勝ちたかった」「28年ぶりの男子体操ニッポン復活、美しき若者たち」等々。皆、それぞれに物語を編んで夢を重ねてゆく。そのこと自体決して悪いことではない。人は現実の人生でもそんな見方を良くする。しかし、好調柔道で予想外の敗退をした井上康生はどうだろう。
 前回のシドニーでは、直前に亡くなった母親のために頑張ったという。表彰台で遺影を掲げた姿に感動した人も多いだろう。そして、アテネ。最近のマスコミは「脳梗塞で倒れた父親のために」というストーリーを喧伝していた。挙げ句に「それはない」と井上本人に記者会見させもした。倒れても元気で気丈な師である父親のために、井上が頑張れるはずがない。あまりの陳腐さに嫌気がさそうというものだ。本当のところは分からないが、今回の井上の敗退に彼の人間くささが感じられて、僕はむしろうれしかった。彼等は誰のためでもない、自分のために闘ってきたのだ。
 さて、今日は辛かった。ついに勤務校の甲子園が終わってしまったからだ。よもやと思った苫小牧に完敗。明徳戦で力を使い果たしたのか、どこか淡白だったことは確かだ。また、ワクイの妙に疲れた表情が気になった。それはまるで沢木耕太郎が水泳の北島に見た「暗さ」に共通するものだった(本日の朝日新聞朝刊)。しかし、その北島は金メダルを2つも手にし、その「暗さ」も試合後にはなくなっていたと言う。
 僕は、とある場所のTVでこのゲームをずっと見守っていたが、最後のバッター・タマシロが三振に終わった後は、しばし脱力した。胸が痛かった。
 


2004年08月18日 銭湯の効用

 夕刻、息子と近所の銭湯に行く。あらためて、思う。いろいろな「身体」や「自身」があるものだなと。中には絵が描いてあるものも。これぞ生きた百科事典、見本市。やっぱり、銭湯はえらい!
 皆さん、子どもを銭湯に連れて行きまっしょい!


2004年08月17日 1点差の進化

 アテネオリンピックが始まった。柔道や水泳、今日は体操男子団体でも金メダルの活躍があり、暫し目が離せない感じだ。唯、小泉首相が電話でヤワラちゃんに「おめでとう」なんて言っているのをみると、パフォーマンスを通り過ぎて国家発揚的な手段が見え見えで閉口する。
 さて、日本男子サッカーは残念だった。パラグアイやイタリアといった世界の強豪に連敗し、早々と予選リーグ敗退が決まった。中には「表彰台を狙うと言っていたのに」と不甲斐なく思う方もいるだろうが、3−4,2−3という1点差での敗退に、僕は彼等の進化を見た気がする。
 山本ジャパンは良い準備を重ね、仕上がりは決して悪くなかった。更にオーバーエイジでフェイエノールトの小野を加え、大いに期待は高まった。結果的には小野が機能するには時間不足が否めず、守備陣が崩されて失点を重ねた。しかし、そこから3点・2点と奪い取った。PKもあったが、大久保のゴールや安部のFK、高松のヘデイングなど見るべき得点だった。
 かつて、中田(フロレンテイーナ)の時代にオリンピックでブラジルを破ったことがあったが、今回のチームも決して悪くはなかった。皆の期待が高かっただけに、残念ではあるが・・。
 そんなことを思いながら、甲子園では勤務校の快進撃が続いている。こうなってくると、今、雨中で力投しているダルビッシュ君とうちのワックンの投げ合いが見たくなるというものだ。でも、この分では、明日は雨で順延かな・・。
 


2004年08月15日 甲子園と後楽園(昼夜のドラマ)

 今朝は久しぶりの雨、これで連続30日を越える夏日が途切れたということになる。何だかほっとするから不思議だ。
 さて、昨日は野球の応援に甲子園へ行って来た。僕自身2年ぶりの甲子園だが、アルプススタンドに立ってみると、どこか懐かしい感じがする。まるで昔の友人に再会するようなものだ。芝生の緑が鮮やかで美しい。既に相当の暑さになっていて、球場自体が大きな熱血青春劇場と化している。
 試合は緊迫した投手戦となり、お互いになかなか好機を作れず、作っても活かせない歯がゆい展開が続いた。それでも、応援団やブラバン、野球部の父母の応援席からはまことに熱い声援が送られていた。僕も共に立ち上がり、リーダーに従いながら檄を飛ばし続けた。今回のチームの主力も応援団も共に教えている生徒たちが多いので、やはり、いつの間にかのめりこんでいるようだ。それでも、どこか余裕があるような気がしていて、楽しかった。「負けるはずがない」、そんな気持ちを否定しようがない。
 結果は延長11回裏にサヨナラで1−0の勝利となった。2塁打でチャンスを作ったシュンジも、負傷して復帰して敬遠されたイシカワも、最後まで145kmの速球を投げ続けたワックンも本当に良くやった。高校の3年間、彼等の進化には舌を巻く。
 帰りは、ペナントやボールを土産にして、ちょいと寄り道をした。岡山で友人に会い、後楽園に行ったのだ。初めての後楽園は「幻想庭園」と銘打たれて、夕闇からライトアップされて多くの観光客を集めていた。僕等は思いつきで行ってみたのだが、あまりの美しさに「好いときに来たね」と喜び合った。「気分出ちゃうな」などと言いながら、ビールを飲んだり、冷たい抹茶を飲んだり、岡山城をバックにしたステージでコーラスを聴いたりもした。唯心山から見た庭園に、鶴の形をした光のオブジェが浮かび上がっていた。あちらこちらで、たいまつ(ローソク)の灯りが揺れている。「明日は終戦記念日だな」そんなことを胸の中でつぶやきながら、夜はその闇を益々濃くしていったのであった。
 


2004年08月13日 水底の歌

 近所の富士森プールに息子と出かけた。僕にとっては、今季初のプールだった。息子は、通う小学校が建て替え工事でプールが使えないということもあり、この市営プールに10回まで無料で入ることが出来るのだ。勿論、付き添いは有料だが、それでも200円(2時間まで)なら安い安い。
 さて、久々のプールは爽快だった。さして、混んでもいずに、のびのびと浅めの丸いプールを縦横無尽に泳ぎ回る。というより、這いずり回った。息子はしっかり帽子をかぶり、ゴーグルまでしている。試しに自分も息子のゴーグルを借りてつけてみたが、これが実に素晴らしい!まさに、ファンタステイックに尽きる。
 水色のプールの水中や底には太陽の光が煌めいており、無数の水の泡が流れたりしている。水中で目が見えるというのは、こんなにステキなことだったのか!
思わず、クロールもどきをしてみたり、「お魚になった私」風に映画「スプラッシュ」のマデイスンのように自由気ままに泳ぎ回った。
 スゴイ、スゴイ!人生観がガラリと変わるような体験だった。もっとも、その後、ゴーグルの紐がちぎれてしまい、新しいゴーグルを求めるはめになったのだが・・。 


2004年08月11日 ミニ合宿

 とある勉強会で小田急線の秦野(はだの)へ行ってきた。ここは丹沢山塊の表玄関口で、ヤビツ峠や表尾根へ登山者を運ぶバスが出ている。今回は山ではないが、駅前のビジネスホテルに宿泊して、秋の運動方針を練るという作業があった。
 1泊とはいえ、初日の昼前からスタートし、午後は夕食をはさんで9時近くまでの討論が続いた。たたき台の方針案をみんなで(と言っても10人ほどだが)練り上げていくのである。当然、食事の際はアルコール厳禁となり、さすがに夕食時には「せめて二人でビール1本」と悲痛な提案がなされたが却下されていた。従って、昨夜の9時以降の飲み会は、堰を切ったように缶ビールや焼酎が溢れかえり、大いに盛り上がった事は言うまでもない。日付が変わる辺りでお開きとなったが、既に倒れ伏している数人のメンバーのいびきはふすまを揺さぶるほどであった。
 早朝に散歩などをし、朝食後に約3時間、締めの討論が続く。昼前に解放されたときには、正直、ほっとした。考えてみれば、こんな勉強合宿は久しぶりのことであった。そして、それを支えていたのは、この秦野という丹沢のお膝元の静かな町にいるという安心感であった。
 工事現場へ向かうたくましく日焼けした職人さんたちと広間で食事を共にしながら、我々も又、私学の職人にならなければと密かに心に誓ったりした。


2004年08月10日 暑さのせい?

 この所、ADSLの接続が良くない。というより、モデムの具合が今一つである。電源を入れると全くランプがつかなかったり、ランプがついてもいつまでも点滅していて、なかなか接続が確立しないのだ。仕方なく、LOOXでAirーHを用いてネット利用をすることになるが、速度は64kなのでやはりストレスを感じる。
 連日の猛暑のせいではないのだろうが、少々困りものだ。


2004年08月04日 他愛ない話である

 今夜は久しぶりに、息子と風呂に入った。その無駄な肉のない、実にスマートな肢体に感嘆すると共に、思わず口をついて出た言葉は、こうだった。
「きっと素晴らしいミイラになれるぞ!」
息子もすかさず反撃した。
「パパは素晴らしいサメのえさになるよ!!」
さて、あなたは、どちらに軍配を上げますか?


2004年08月03日 うれしい便り

 「やっほ〜、ここは立山です!」なんていう、剣岳のパノラマはがきが届いたかと思ったら、広島のMさんから暑中見舞いも頂いた。
 Mさんは、僕が初めて海外フライトをしてネパールトレッキングに出かけた時に御一緒した方で、とても気さくで楽しい小学校の先生だった。トレッキング自体はロールワリン山群というエリアで、ガウリサンカールやメンルンツエといった7000m峰を見ながら歩くというものだった。最高到達点はカリンチョックというピークで、確か3800mほどだった。ここには日本でいえば錫杖のような剣や鐘もあり、みんなで記念写真を撮ったりした。勿論、Mさんともツーショットであった。
 山中のトレッキングは3泊4日で、その前後はカトマンドウのアンナプルナホテルに滞在し、目玉寺や街中を一緒に回ったりしたものだ。もう、15年近く前になるけれど、今でも当時の様子が鮮やかに思い出される。
 その後、僕はパキスタンに遠征し、スパンテイークという7000m峰を登頂することになるのだが、このネパールがなければあり得ないことだったと、今になって思える。
 そんな意味でもMさんは、僕にとって恩人のような人で、いまだに多くの刺激や情熱をかきたててくれる人である。さあ、甲子園の帰りにでも行ってみようかな、広島へ!


2004年08月01日 ボールは丸い!

 昨夜のアジアカップ・サッカーは凄かった。中国の重慶で行われた準々決勝、日本対ヨルダンは1ー1のまま延長戦でも決着がつかず、PK戦へともつれこんだ。全くのアウェーといってよいほどのブーイングの中、ジーコ監督は選手たちに檄を飛ばしていた。
 さて、PK戦は日本の中村・サントスと二人が続けて大きく外した。これは芝に軸足をとられたせいでもあるが、やはり、反日プレッシャーのためかとも思われた。しかし、ここで日本のキャプテン宮本は、芝の状態が悪いので反対側のゴールを使うことを主審に主張した。まず、これは通らないだろうと思ったが、何と主張が受け入れられ、反対側ゴールでPK戦は続行された。ここから、日本の奇跡は起こった。
 福西・中田・鈴木と確実に決め、GK川口の好セーブもあって、5人終わった段階で3−3の同点に追いついた。さあ、これからはサドンデスだ。中澤が外し、ヨルダン勝利かと思いきや、川口の神がかり的なセーブで望みをつなぐ。続く宮本が冷静に決め、ヨルダンがポストに当てて外し、日本の奇跡的な準決勝進出が決まった。
 ジーコの表情が何度もクローズアップされていたが、「執念の勝利」に違いない。しかし、それだけに主審にアピールした宮本の冷静さが際だっていた。
 楕円形のラグビーボールとは違うが、サッカーも何が起きるかわからない。久しぶりに勝負の醍醐味を満喫した。


2004年07月30日 忘帰洞

 「ぼうきどう」と読む。那智勝浦の浦島にある、海べりの大洞窟温泉である。かつて写真で見たことがあったが、手拭い1本の裸で飛び込んでみると、洞穴から砕け散る波濤が見えてゾクゾクとする。思わず見とれて、時の経つのも忘れ、家へ帰ることすら忘れてしまうのだろう。同様の趣向で玄武洞(げんぶどう)という風呂もあった。こちらも、秀逸だ。
 毎年この時期は全国私学の教育研究集会があり、今回もそれで、この紀伊の国へ初めてやって来たのである。思えば、大学3年次に研修旅行と称して、やはり、この地域に来る機会があったのだが、とある理由で僕は参加していない。
 台風10号の影響で益々狂奔する波頭や舞い上がる浪の華はいつまでも見飽きることがなく、己の心中を重ねながら、「あやしうこそものぐるほしけれ」の心境に少しだけなった。
 何を忘れるのか、忘れたいのか、そんなことを漠然と考えていた。


2004年07月26日 百日紅

 朝方の雨が、思いがけなく涼風を呼んだのも束の間、午後からはいつもの陽ざしが戻っていた。職場の正門わきに、サルスベリの薄赤紫色の花が咲き誇っている。この時期の花だったのだなと、あらためて気づく。普段は、あの、つるんとした幹や枝振りだけが目につくのに・・。
 さて、明日は高校野球神奈川大会の準決勝である。勤務校の野球部が、強豪ひしめくブロックを着実に勝ち上がり、明日決勝進出を賭けて闘うのだ。学校としては毎年、全校応援を予め決めているのだが、その重圧の中でここまで来るのは、いつもながらスゴイことだと感心する。
 そんな彼等の闘いぶりを見に、勿論、僕も横浜スタジアムへ赴く。果たして、どんなドラマが待っているのだろう。願わくば、連日のドラマにならんことを!!


2004年07月22日 世界のユニフォーム、

 2枚で1500円!と言ったら、皆さんはゲットするだろうか。勿論、サッカーのユニフォームである。アルゼンチンやブラジル、オランダ、スペインといった代表チームから、ユーベントス、バルセロナ、マンチェスターU、パルマ、ACミラン、ボカジュニアーズなんていうクラブチームのものまで、選り取り見取り(こういう字かな?)だ。
 地元の甲州街道沿いに、ちんまりと開かれた店なのだが、最近何故か心惹かれて数回にわたって出入りしている。なかなか、自分にあったサイズを選ぶのも難しいが、やっとしっくりくるやつが出始めた。
 今回はインターミラノの青黒縦縞バージョンと白地に青黒ダスキの2種類を求めた。そして、今朝は縦縞バージョンで夏期講座へ出かけた。
「ダメだよ、遊びに来ちゃ〜」
「なに、堂々と偽物着てんの〜」
「気でもふれたんですか」
「(シャツは)カッコイイけど・・」
「いつからフーリガンになったんですか」
同僚や生徒からさんざん冷やかされながらも、まあ、いつになく高揚した気分でもあった。
「そうだよ、気分はセリエA(アー)だよ!残り3分で登場してVゴールを決めるロベルト・バッジョってとこかな」と強がってみる。
 そうさ、闘う男には違いないんだから。そう思って、黒板に「蹴る、下一段活用」などと書く。う〜む、やっぱり大部違うかな〜。


2004年07月20日 暑さの夏はおろおろ歩き・・

 終業式の今日、東京で観測史上最高の39.5度Cを記録した。一体、どうなっているのか分からないが、この暑さ尋常ではない。ニュースで実験していたが、日陰で37.5度、日向で40.5度、アスファルトの上では45度、放置車内温度は何と50度であった。これでは、置き去りにされた赤ん坊はたまらない。恐ろしいの一語に尽きる。
 さて、長かった1学期も終わった。明日からは夏期講座が始まるが、この開放感はたまらない。「夏休み」、何ていい響きなんだろう。学校に関わる人間にとって、この言葉こそ最大の魅力の筈だ。
 しかし、公立学校では完全週5日制に伴い、夏休みは事実上なくなった。出勤日や研修日、それがいやなら年休とのこと。私学職場は、まだこの限りではないが、土曜日が休日でないのに、夏休みも「出勤だ!」などと一方的に業務命令を出そうというオーナーがいるそうな。自由で大らかな経験を積んで己を高めるなんて事は、この時期にしかできないではないか。魅力のある教員になるためにこそ、この夏休みがあるのだ。それを毎日、生徒のいない学校に縛り付けて、いったい何をやれっていうんだろう。思わずゾッとする。
 ってなわけで、今日の暑さ、フェーンでもヒートアイランドでもなく、夏休みを奪われつつある教員達の怨嗟の炎によるものではないだろうか、なんて思うのは僕だけなのかな・・。
 


2004年07月18日 扇風機とDVDライター

 梅雨明け後の陽差しは、日に日に強まっているようだ。我が家にもエアコンはあるのだが、妻に言わせると「冷えすぎる」らしいので、もっと手頃な扇風機を買おうということになった。近所のコジ○電気へ行くと2千円もせずに、シンプルで使い勝手のいい扇風機が手に入った。息子と一緒に組み立て、スイッチ・オン!優しい風が心地よい。う〜む、なかなかやるじゃないか。
 一方、こちらはネットショップでDVDライターを購入した。今のパソコンにはたいていコンボドライブかマルチドライブが付属しており、CDやDVDにデータを直接書き込むことが出来る。うちのPCにもなくはないのだが、DVD+Rと+RWの2種類のみで、DVD−R・−RW・RAMは扱えないのである。そこで、この5種類全てにわたって高速の書き込み(読み込みも!)が出来る外付けドライブを手に入れたわけだ。値段の方は2・5万円程になるが、PC1台節約したとすれば安いものだ。
 また、この高速ドライブを生かすインターフェースとして、従来のUSB(1.1と2.0)よりもIEEE1394の方が圧倒的に転送速度が速いこともあらためて知った。
 時代を経て、あまり変わらない扇風機と日々進化してしまうPC周辺機器、何だか人間が一番遅れているようにも思える。しかし、そこがいいのかもしれない。恋愛も子育ても仕事も、効率100%の方法なんて絶対手に入らないのだから・・。


2004年07月17日 オペラ・リリカ・八王子

 普段はオペラ等というものには全く縁がないのだが、息子のピアノの先生も出演するというので、出かけてみた。ただ、いつぞやの森山良子のコンサートとは違って、まあ、お付き合い程度の感じだった。
 ところが、実際に聴いてみると、これが思いの外にgood!であった。プッチーニの「トウーランドット」から「誰も寝ては鳴らぬ」、ドニゼッテイ「ドン パスクワーレ」から「愛の二重唱」、ベルデイ「アイーダ」から「凱旋行進曲」など、クラッシックにうとい自分でもどこかで耳にした曲が実に力強い歌声と合唱で迫ってきた。特にテノールの井上了吏(りょうじ)さんは素晴らしく、その声はビ〜ンと響き艶があり、どこかイタリア人のような風貌もあいまって、かつてのマリオ・デル・モナコもかくやあらんという雰囲気だった。
 地元出身のソリストと市民で作り上げるこのオペラ、最後には皆さんが手をつないで誇らしげに高々と掲げる。いつの間にか、僕も目一杯拍手をしていた。そう言えば、サッカーのオリンピック予選のTV中継に、この「凱旋行進曲」の冒頭部分が使われていたのだなと、あらためて気づいたりした。
 いやはや、これで1000円は安すぎる!元気の出る薬をもらったような気がした。


2004年07月14日 野生の証明

 ようやく梅雨明けした朝、HR後に3年の担任Y君が持ってきた「もの」には、正直言ってぶっとんだ。
 「こんなものが、生徒の体操服にくっついていたんですよ」彼は、右手の人さし指に「それ」をまきつけて見せてくれた。「何?ねずみ」そう聞くには、あまりにも小さかったが、小さな指が見えている。すると、彼はおもむろにこう語った。
 「こうもりですよ」「ぎええ〜〜?!」と声にならない声を出して、僕は驚いた。「けっこう、夕方にグラウンドの上を飛んでたりするんですよ」
 いやあ〜、そんなこと全く知らなかった。それにしても、何故、教室のロッカー上の体操服にSTAYしなければならなかったのだろうか。よっぽど、いい匂いがしていたのだるか・・。
 もっとも、蜘蛛の研究家で、タランチュラを飼育していたというY君なら、こうもりを指に巻き付けてくるなんて朝飯前なんだろう。
 正直、参りました!自然は奥が深いね。
 
 


2004年07月11日 虹の架け橋

 久々に激しい雷雨があった。ベランダのすぐ前にある、妻のハーベストイエローのマーチが見る見る洗われていく。いいぞ、どんどん降るんだ!しばし、雨脚に目を奪われた。
 やがて小降りになり、選挙に出かける頃にはもう陽差しがうっすらと指してきていた。心なしか、空気までもが洗われたのか、実に爽やかな風となって吹き抜けていく。そうだ、そうでなくちゃ!ジトジトと暑いのはごめんだ。
 理不尽な事を正せないままジリジリと追い込まれ、息の詰まるような焦燥感すらあった先週末。自分一人でやれることは限られているが、どこかで助けられたのではないかと、自分を責める気持ちが拭いきれない。
 ふと、昨夕の富士森Gを思いだした。うっすらと雨上がりの芝で体操をしていたら、何と虹が大きくアーチをかけたのだった。妻や子どもにも見せたかった。そしてS君にも・・。
 僕はその虹を目指して、ゆっくりと走り出したのだった。S君の代わりに。


2004年07月10日 そうだったのか!

 昨日から午前授業になっているが、午後に合唱部のコンサートが音楽室であった。勿論、男声合唱だが、約10名ほどのメンバーがリズムをとりながら息のあった歌唱を披露してくれた。
 ところで、このコンサートに後輩の勇姿を見よう?と、今春卒業したOBたちが数人来ていた。感心しながら、少し話した。
「良く来たね、さすがだな」
「まあ、やっぱり気になって」
「元気そうだね」
「先生も!」
中にスキンヘッドのT君がいて、
「また、あの不思議の森のピカリンです!が見たいね」と声をかけた。彼は、昨年の文化祭で合唱部のステージのシナリオを書いたのだった。すると、彼はおずおずと切り出した。
「相変わらず、誤解していますね」
「うん?なんだっけ」
「ピカリンじゃなくて美化委員なんですよ、本当は」
「ええ〜、だから、(この不思議の森に)ゴミを捨てるなっていうセリフになったのか!早く言ってくれればいいのに」
「はあ、あの時はそれでもいいかって思ったんですよ」
「なるほど」
後でいろいろわかることもあるものだ。「真実の行方」なんていう映画のタイトルがあったっけ。暑い午後のささやかな出来事だった。


2004年07月08日 怪光

 この一両日の暑さは、筆舌に尽くし難い。30度は優に超えて、35度近くにも及んだことだろう。テスト返却も終わり、これから成績つけに入るところだが、何だかもう夏休みで良いという感じである。
 夜、帰宅する最中、怪しい光を見た。それは遠雷というのか熱雷というのか、雲間に浮かび上がるように低く光芒を放っているのだった。しかし、音は一向に聞こえてこない。ただただ、少々オレンジがかった光をうねるように雲間に這わせている。思わず、自転車の上で身を低くしながら、見入った。
 熱波の七夕の、激しいラブ・メイキングだろうか。これから一気に激しい雨が降るのかも知れない。さあ、僕も床に着くとしよう。Good night!


2004年07月04日 原初の風景

 週末、息子の通う学童保育所で立川の昭和記念公園へ行った。この時期、恒例の野外行事である。とても大きな公園で、とにかく桁外れにどでかい原っぱがある。ここで、大縄飛び、ボール蹴り、バトミントン、キャッチボール、バッタとり、花摘み、昼寝など何でもありの超お遊び大会だ。
 自分も大縄飛びを他のお父さんと一緒にまわしたり、サッカーもどきに加わったりしていい汗を流した。また、いつものようにデジカメ・スナップも撮っていたのだが、写真を撮りながら多くの子どもたちの1年間の成長を感じることが出来た。(昨年もここだった)
 学童は1年生から3年生までなのだが、子どもたちは確実に進化している。中には随分と生意気になってきた悪ガキ?軍団もいれば、「先生〜(おっと、ここではちがうぞ!)」「おじさ〜ん」と声をかけてくれるカワイこちゃんたちもいる。今年は特に父母会の役員をやっているせいか、多くの子どもたちに目がゆく。「そうか、あの子だったか」なんて、あらためて気づいたりする。
 昼食は、大きな木の下で丸くなって座りながらとった。すぐ近くにはジャブジャブ池と川があり、何ともいい雰囲気だ。人類の最初もこんな感じで小さい部族が暮らしていたのではと想像をたくましくした。
 おまけのアイスに缶ビールも出て、もう何をか言わんや、であった。


2004年07月01日 ふざけるな!

 昨日まで一緒に働いてきた仲間が、今朝いなくなっていた。名札もなければ、机もきれいに片づけられて段ボール箱が2つあるきりだ。おいおい、一体どうなっているんだ。
 親方の報告にならない報告を聞いて、思わず意見していた。「担当クラスや部活を途中で投げ出す人じゃない。何があったのか教えて欲しい」
 残念ながら納得のいく説明はなく、騒ぎ立てるなという。冗談じゃない!そんな辞め方ってのがあるか!これでは夜逃げじゃないか。動揺した生徒が大挙して親方の元へ嘆願に行ったという。当然だ。
 どこか狂ってる。正義の神よ、どうか力をお与え下さい!


2004年06月30日 問題は作ったけれど・・

 早いもので明日から7月、期末試験が始まる。採点の都合上か、国語はいつも初日か2日目に集中する。まあ、それはいいのだが、どうも直前にならないとやる気が出ない。そう、問題作りである。生徒達は冗談に思うかもしれないが、僕の場合、本当に前日の夕刻から夜半?にかけて完成されるのだ。中には、当日の朝印刷して、インクの香りも香しい内に直接試験監督に手渡されるというウルトラCもある。
 しかし、今日も問題を作りながら思うのだった。「羅生門」で「必要悪」をなして生き延びる決意をした下人や、「山月記」で才能に恵まれながらも、その「尊大な羞恥心」のせいで他人と交われずに自己を追い込み虎と化してしまう李徴が、果たして今の生徒達にどれだけピンとくる人間像なのだろうか、と。
 それでも、彼等は、「羅生門は下人の心理の変化が巧みに描かれている」と評価するし、「李徴はもっと人を信じて和すべきだった」と感想を述べている。
 しかし、「文学のテーマは常に道徳的でなければならない」はずはなく、「如何に書き込まれているか」「一つの世界を構築しているか」に着目するならば、この二つの作品はやはり彼等に紹介しておきたい作品であると言えるだろう。
 でも、暗い結末だよなあ・・。漱石の「こころ」も暗いし、鴎外の「舞姫」だって。もっと明るい「現代文」ないの〜??


2004年06月26日 冷やしてはみたものの・・

 まったく、蒸し暑い1日だった。家でうだっていても仕方がないので、近所の富士森Gでジョギングをしたが、案外の風に吹かれながらも汗が普段の3倍は流れた。もう、こうなるとbeerが欠かせない。セブンで6缶、ついでに梅干しとミニカップラーメンも購入した。
 ところで、夜、ふと財布が見あたらないことに気づいた。「あれ〜?」とパソコン回りや通勤用のザック、玄関の棚を探ったが見つからない。「もしや」と思ってビールを入れた冷蔵庫の下段の引き出しを開けた。すると、案の定コンビニ袋の中に黒革の財布が発見された。手を伸ばして握ると、心地よく冷えている。
 「何やってんの」と女房に笑われながら、「賃金凍結だ」と洒落てみた。そうなのだ、ボーナス1ヶ月分カットなんていうひどい案が出ているのだから、これはもう「シャレ」にならないのだとあらためて気づいた。気温は上がり、賃金は下がる。これから、どうやって交渉しようか。
 おっと、その前に期末テストの問題作りである。今度は頭を冷やして考えなければ・・。


2004年06月22日 意外な結末

 甚だ尾籠な話題を一つ。
 夜の会議を終えて向かった桜木町駅のトイレで、右隣の人が、「ハックション!」と大きなくしゃみをした。と、続けてもう1回「ヘップション〜」これは鼻毛でもひっかかっているなあと思いつつ、3回目の「ハックション」を待っていた。ところが、何と3回目は「Boow〜」という大きなお奈良。いやあ、妙に可笑しくてへなへなと腰砕けになってしまった。
 人間の思いこみって奴は、なかなか面白いね。

ps、スポ魂アニメの先駆「巨人の星」の主題歌で、「思いこんだら、試練の道を〜」というくだりがある。この「思いこんだら」を重量のある負荷器具のようなものだと勘違いしている人がけっこういるという。これまた、不思議だ。


2004年06月20日 ソーラーパワー・サイクル

 大型の台風6号の影響か、とにかく暑い1日となった。素麺と巨峰とビールで腹を満たし、一寝入りした後は、短パンで浅川へ銀輪を駆った。
 土手沿いのサイクリングコースは正面に奥多摩の山並みが見え、北浅川へ蛇行する辺りからはのんびりとした景色が広がる。始めはジョギングとも思ったが、この風と暑さに自転車を降りることができなかった。
 それにしても、暑かった。しかし、気持ちが良かった。結局、綾南公園の手前で引き返して来たが、復路は「うみんちゅ」Tシャツを脱ぎ、短パン一丁で「太陽の子」となった。開放感が満ち溢れる。いいなあ!
健康な身体と心があれば他には何もいらない、という感じだ。
 夕刻、家族で甲州街道沿いの商店街を歩く。強い風に吹かれながら、まるで夏休みのようだと錯覚するのだった。


2004年06月18日 モバイルマン、参上!

 職場のデスクにモバイルPCが一台ある。その名はLoox、画面サイズ10,6インチワイドの薄型でコンボドライブや指紋認証など機能満載のスグレ物だ。しかし、今までは気晴らしにCDを聴いたりDVDを見たりと、ごくごくフツウの使用にとどまっていた。
 しかし、Air’Hのモバイルカードを装填すると、何とこれがあっという間にメール&ネットが自由自在のウルトラマシンに大変貌した。これはもう、感動ものである。授業の合間にメールのチェックもできるし、団交に備えて経団連のサイトから一時金や賞与の回答額などをダウンロードすることなどわけない。いやあ、なんでもっと早くマジにチャレンジしなかったのだろうと思うほどの一大革命である。
 かつて、COMPAQのPDA・ipaqにPーin compactを使いながら、思うに任せぬまま挫折?した苦い過去が跡形もなくどこかへ飛んでいく。そうだよ、こうでなくちゃ!
 ユビキタス社会の一員として、束の間、遅れている職場のPC環境(ネット接続不能)に活を入れた次第だ。
 
 


2004年06月16日 橋田さんの抱擁

 いいものを見たなあ、と思わずジ〜ンときた。そう、イラクで殺害されたジャーナリスト橋田信介さんの妻の幸子さん(50歳)が、来日して無事手術を終えたムハマド君(10歳)と対面し、ただ一途にムハマド君を抱きしめていた光景だ。ムハマド君も最初は照れていたが、思わず喜びの表情を見せて幸子さんに抱きついていた。本当に愛らしい笑顔だった。
 きっと、幸子さんにはムハマド君が、志半ばで凶弾に倒れた夫の生まれ変わりのように見えたのだろう。「亡くなった二人の目の代わりに世界を見て、イラクの役に立つ人になって」というコメントは、彼女の心底からのものに違いない。イラクの人も、きっとムハマド君に対する日本人の優しさを忘れることはないだろう。
 二人の抱擁を見ながらビールを飲んでいた僕は、すっかり涙がチョチョ切れてしまった。


2004年06月13日 フィギアにソフビ

 梅雨空も午後には晴れ上がり、吹く風が心地良かった。こんな日は何と言ってもビールなのだが、最近セブンで買う缶ビールにおまけがついている。なごみ系の犬の携帯ストラップと松井のバッテイングフィギアである。正直言って、両方とも欲しいという部類のものではなく、息子に「おまけだよ!」と渡していたものだが、その息子も近頃は遠慮するようになってしまった。ふむ、どうしたもんかな。
 かつて、ソフトビニール製のフィギアは一時代を築いた。そう、ウルトラマンやウルトラセブンの時代である。女の子で言えば、リカちゃんや洋モノのバービーあたりか。ペギラやバルタン星人、レッドキングなどのソフビは多くの子どもが持っていた(と思う)。お風呂の友でもあった。それが、いつの間にか自分も歳を取り、縁遠くなっていったのだろう。
 ところで、セブンには更に様々なおまけが並んでいる。昭和の家具や家並みまでもがソフビによって復活した。ひょっとして、昭和の時代や風俗を今の子どもたちに知らせるために、総合学習の一環として販売されているのだろうか。はたまた、親子の会話の手がかり足がかりにして欲しいという、余計なお世話的な文部科学省「心のノート」みたいな企画なのだろうか。
 風呂から上がって、ふと、パソコンを見ると、何とそこには松井フィギアが3体並んでいた。しかも、テイクバック、ジャストミート、フォロースローの連続写真そのものの3体である。実に見事な劇空間プロ野球の世界が展開されていた。
 そうか、わかったよ。今度はおまけのないビールを買うさ。


2004年06月12日 お”〜ん!

 毎週末に漢字のテストを行っている。30個くらいの中から10個を書き取らせるやり方だ。1〜2年生の場合は、これがけっこういいペースメーカーになる。少しマジに準備すれば満点は取れるし、そうでなくてもまあ半分は行く。僕は採点をしながら、備考欄にいろいろコメントする。
 「Good!(でかい筆記体で用紙の上部いっぱいに)」「惜しい!」「もう一息!」「正確に覚えよう!」等。ところが、これが3クラス分くらいになると、少しづつ遊び心が加わって進化してくる。
 「よかよか」「よか字です」「よか字たい」「よか字ばい」「おしいぞ」「おしいでっせ!」「おしいだす(なまっている)」、そして、ついに「おしん!」。これは、けっこうインパクトがあったらしく受けていた。もっとも、4点以下だと、「10回づつ練習だ!」ととたんに厳しく?豹変する。
 生徒の方も中には、「おまけしてください」「土曜じゃないとダメダメです(偶数土曜日が休みで金曜日に行った時)」「いい字です」「また、おしい?」等と書いてくる。この間は、ついに「お”〜ん!」といううめき声にも似た叫び?が書かれていた。
 「おしん!」の「し」が縦に流れるのが僕の筆跡の特徴なのだが、これを踏まえたパロデイかと笑った。何と発音していいか分からないが、彼の気持ちは充分に伝わってきた。文字って不思議だ。


2004年06月10日 My Day

 今日の日付は同僚にからかわれるまでもなく、読みようによっては「僕の日」なのだ。一般的には「時の記念日」等とも言われているらしいが、まあ、昨夜あたりからちょっと意識はしていた。
 そんなことはともかく、朝晩は涼しかったり、日中は蒸し暑かったりと、何かと疲れがたまる時季でもある。正門からの植え込みのつつじが、いつの間にか額アジサイにとってかわられている。薄紫の色が時に青く、時に赤く、一雨ごとに移り変わる様子は美しくもあり、見ようによっては節操がなくて嫌いな人もいるのだろう。
 疲れたら、ムリをしないで休もうじゃないか!みんなでしかめっ面してるのも変だよ。俺がこんなにやっているのにお前は、なんて言い出したら要注意。お互いにカバーし合える体勢作りが大事だと思う。要するに、余裕のない職場はダメだっていうこと。まして、金儲けの企業ではないのだから。生身の人間と人間のふれあいやぶつかり合いこそが求められる僕等の職場だから、たまにはこんなことを言いたくなる。
 どうかしたのかって?まあ、少しね。今日は僕の日だから・・。
 


2004年06月07日 白い石けんを描く

 教育実習生N君の美術の研究授業である。指導案によれば、次の通りだ。

「単色で構成されたモチーフでも、それを絵にするとき、そのモチーフと同じ色を用いても再現することは出来ない。その理由のひとつに映り込みがある。どんなものでも、その周囲にある色の影響を受けながら自身の色を作り上げている。このことを認識することで色への理解を深めて貰う」

 つまり、白い石けんを描くのに「白」一色では描くことが出来ず、影の部分も含めて様々な色の構成によって描くことが出来るというわけだ。従って、影の部分も「黒」と決まったわけではない。考えようによっては随分と哲学的なテーマで、こんなことを高1の生徒相手に2時間でやってしまおうというN君の度胸と決断に、先ずは敬意を表する。
 たまたま、教えているクラスの生徒がいるので作品を見て回ったが、白い石けんが「消しゴム」や「豆腐」「はんぺん」「トースト」に見えたり、真っ赤なバックの中に描いてあったり、やけに緑色の石けんがあったり、これはもうスゴイ作品ばかりだった。これをどんな風に合評するのか興味のある所だったが、残念ながら都合で最後まで見ることが出来なかった。
 しかし、N君の試みは、とてもユニークで大いに感心した。それにおそらく初めてだろう、指導案の表紙にカラーコピーで生徒の作品(先週の分か)を2つもさり気なく紹介していたのは。朝、机上に置かれた、この美しい石けんの絵を見て、「行こう」と決めたような所もあった。
 何か、新しいヒントを得た気がして、心が弾んだ。


2004年06月05日 青畳とヤンキー先生

 爽やかだが、真夏のような陽差しに焼かれた1日。我が家の和室の畳替えが行われた。夕刻やって来た職人が、あっという間に6枚の青畳を敷いて帰った。けっこう厚さがあるなと思ったら、6cmはあるという。お陰で、いい匂いが居間に漂っている。
 息子などは「わあ〜、温泉に来たみたい」などとはしゃいでおり、二人でゴロゴロと青畳の上を転がったりした。い草の香りが、何とも言えず心地よい。ほっとする、どこか懐かしい匂いだ。こうした季節の変わり目の、ちょっとした風物を忘れたくないって感じだ。
 夜、TVで北星余市高のヤンキー先生こと義家弘介さんと作家の重松清さんの語らいがあった。好感を持ちつつ、時に合点しながら惹かれた。どこか、青畳のような清々しさにも似ていた。


2004年06月04日 いい話あるかな

 と訊いてみる。

「友達からビワをもらった」
「女の子から『紹介して(あなたのことを)』と言われた」
「カンヌ映画祭で世界中の目が、日本の14歳の少年に集まった」
「後輩が作った、美しい歌のCDが届いた」
「早朝の校門で、爽やかなおはようおじさんになる」
「『青大将(田中邦衛)のマネできますよね。蛍はどうして死んじゃったんですか』と言われる」
「放課後の静かな教室で、じっくりと数人で文章を読む」
「残ったカツサンドを実習生に謹呈する」
「ステキな版画を先輩からいただく」
「金田一春彦先生安らかに。(残念だけど、柔和な懐かしい顔に再び出会えて)」

 けっこうある。捨てたもんじゃないさ。


2004年06月03日 涙(なだ)そうそう、感動す!

 明るい夕刻、地元のラーメンショップでネギつけめんを食して駆けつけたのは、森山良子さんのコンサート。家から数分の所にある市民会館が舞台だ。以前からチケットを購入し、密かに今日の日を心待ちにしていた。その甲斐あって、実にステキなコンサートだった。
 白いドレスで登場した森山さんは、ピアノ・ギター・ドラムス(パーカス)のみというシンプルなバックと最初から息のあった歌声を聞かせた。当初、ややマイクの音がきつめに思えたが、いつの間にか自然になっていた。「ことばは風」「Wish」「マリエ」「あなたが好きで」など、ギターや三線を弾きながら気持ちよさそうに歌う。特に前半ラストの「さとうきび畑」はギター1本での熱唱で、大きな感動と拍手が沸き起こった。
 千人は楽に収容する客席には、どちらかというと年輩組が目立つが、それでも若手もちらほら、僕などは全体的には若い部類に属している。赤いドレスに着替えての後半は、最新アルバム「ジャズ・シンガー」より、クラシックナンバーをメドレーで。「タイムズ・ゴーン・バイ」など聞かせるが、再び客席が大きく盛り上がったのは、BEGINや夏川りみでもお馴染みの「涙そうそう」だ。実は、この曲は昨年の文化祭でうちの合唱部もチャレンジしていただけに、より一層胸に染みてきた。
 アンコールでは、「デビュー曲です。どうぞご一緒に!」と「この広い野原いっぱい」、そしてミリオンセラーの「禁じられても」など涙チョチョギレものの懐メロで客席は狂喜乱舞?であった。大きな拍手に4人のメンバーが手を取り合って大きく「バンザイ!」、ラストは森山さんの大胆な投げキッスで幕は閉じた。
 ギター1本、フォークの歌姫は美しく年齢を重ねながら、更に「進化」し続けていると実感した。より深く、より温かく、彼女の歌声と楽しいトークに僕の心は静かに心地よく揺さぶられていた。


2004年05月31日 ♪いつか想い出すだろう、大人になったときに〜

 やや哀愁を帯びたメロデイが、何とも耳に残っている。そう、石川セリが歌った、NHK少年ドラマシリーズ「つぶやき岩の秘密(新田次郎原作)」の主題歌である。
 三浦半島の寒村を舞台に、海辺の洞窟や戦時中に作られた地下要塞に隠された埋蔵金を巡る大人達の醜い確執と殺人事件を、両親を亡くした孤独な少年が危険な目に遭いながらも解決していくという話だ。リアルタイムで見た僕の頭の中には、ずうっとこの歌と海辺の洞窟の光景が残っていた。
 あらためてDVDで全6話を見返してみると、やや説明的なナレーションやあまりにあっさりと行われてしまう殺人に少々驚いてしまうが、何ともナイーブで正義感に溢れた少年役の佐瀬洋一君がとてもいいし、少年を見守る女先生役の菊容子さんも美しい。また、先生の弟の春雄がヒマラヤ遠征の準備をしている山男で、海岸洞窟の断崖を懸垂下降するあたりは思わずニヤリとさせられる。白ヒゲさん、亀さん、くるくるパーの安(やす)等というネーミングも妙に時代を感じさせる。しかも、この3人が埋蔵金にからむ重要なメンバーなのだから舌を巻いてしまう。
 放送は1973年というから、やっぱり中学生だったのだろう。この少年にどこか自分の姿を重ね合わせて見ていたに違いない。しかし、何とももの哀しいメロデイーだ。この少年の未来に幸多かれと祈ってしまう僕は、もう、すっかりおじさんになってしまったのだから。


2004年05月30日 花笠音頭は永遠に不滅です!(瞳の中に)

 昨日の暑さと言ったらなかった。息子の運動会と桜木町で行われた「私学の集い」をハシゴしたが、正直言ってバテた。特に、灼熱のグラウンドから自転車で駅までとばし乗り込んだ横浜線車内、朦朧とした頭でデジカメをいじっていたら、ついうっかり、先ほどまで撮りためた珠玉の運動会画像を「1コマ消去」のつもりで「全コマ消去」してしまったのは、筆舌に尽くし難い「痛恨の極み」であった。
 泣く泣く午後の集いに向かったが、そこではあらためて多くの感動的な講演や光景を目の当たりにすることになり、これはこれで大いに僕の心を癒してくれた。
 それにしても、今週はハードだった。月曜日を除いて昨夜まで出ずっぱりであった。金曜の夜にも、「誰でも1人でも」入れる新しい労働組合「NANBU ザ・フォー・ユニオン」の立ち上げに参画していた。詳細はまた別の機会に譲るが、これも夢のある大きな仕事である。
 人が共に学びながら成長していこうとすることの素晴らしさや、それを保障していく制度や組織の構築の難しさと楽しさも、あらためて感じたりした。日焼けした顔と腕をまじまじと見ながら・・。


2004年05月26日 We have a Dream

 午後から出張でハマの海港記念会館へ。有益な講演を聞いた後は、久々に大桟橋へ行ってみた。午後の陽差しはまだまだ明るく輝いており、巨大なクジラの背のような桟橋は、強めの風の中で大きく深呼吸をしているかのようだった。
 数組のカップルが横たわる芝に、僕も寝ころんでみた。空が蒼く、身体が吸い込まれていきそうだ。手足を十字の形に伸ばす。何て気持ちがいいのだろう。こんなにイイ寝場所があったなんて!ふと汽笛が鳴って、色とりどりのバルーンが上がり風に流されていく。みるみる小さくなっていく風船が、とても自由に見える。
 帰りしな、したたかなハマトラ姐さんに声をかけられた。「いい天気ね、日焼けしそう!」「ホントですね」ユーミンを今少しごつくした?感じだ。「どちらまで?」「磯子まで!」「気をつけて!」「ハ〜イ」と苦笑しながら、桟橋を後にする。気分は、ペ・ヨンジュのような、フーテンのユウさんであった。


2004年05月23日 こんなことを考えた

 21日、ネパールの登山ガイド、ペンパ・ドルジュ・シェルパ(26歳)がエベレスト(8850m)をBC(5300m)から8時間10分で登頂。史上最速の記録となったという。つい先日、公募ガイド登山隊(近藤謙司隊長)が同峰登頂を果たしての帰路、日本人女性1名が滑落して亡くなるという事故があっただけに、まるで別世界のような話だ。彼は夜中に南東壁を駆け上ったというのだろうか。まさに、空飛ぶ男である。
 一方、昨日の日朝交渉の結果、拉致被害者蓮池さん地村さんの5人の家族が帰国。約1年7ヶ月ぶりの再会を果たした。どんなにか、会いたかったことだろう。しかし、曽我さんを始め、消息さえ不明の10名の方々の「ひたすら待つ」時間は更に延長された。明暗の分かれ方の非情さに、暫し言葉を失う。
 誰にでも同じように時間は流れるわけではない。或る時はゆっくりと、或る時は奔流のように流れる時があるのではないか。「あの時を忘れない」、そんな瞬間が幾重にも積み重なっているのかもしれない。
 僕にも辛い4年間があった。しかし、今、思い返してみると、多くの人々に助けられ成長した時期でもあった。さて、その後の成長や如何に?
 一歩一歩、行くだけだろう。時に立ち止まりながら・・。
 


2004年05月22日 答えられますか?

 さて、ナゾナゾです。次の3つに見事ご名答の方には、ステキな賞品を進呈しましょう。

@お寺が壊れました。一体、どんな音がしたでしょう?

A太郎君は花子さんに告白しました。りんごの木の下で告白したら、フラレてしまいました。3日後、みかんの木の下で告白したら、OKでした。なぜでしょう?

B皿の上にイワシが4匹のっていました。そこへ野良猫がやって来て、3匹くわえて逃げていきました。皿の上には、何匹のイワシが残っているでしょう?

 こんなナゾナゾを、子どもたちからさり気なく聞かれたらどうします。残念ながら、僕の頭も大部固くなっていたようです。


2004年05月19日 肩を貸す

 朝の京浜急行車内、ふと左肩に重みがかかった。ふむ、左隣に座っている女性がうつらうつらと寄り掛かって来るのだ。こうした場合、僕は相手が誰であれ、むげに押し返すようなことはしない。まあ、仕方ないなとやや渋めの表情をして、目を車窓に向けるのである。しかし、今朝は正面に、教えてはいないけれどもうちの高1が座っており、ちらっと見てはほくそ笑む?ので、若干きまりが悪い。
 ところで、こんな状態を「肩を貸す」と言うのだろうか。「手を貸す」「耳を貸す」「胸を貸す」等という言葉もあるが、とてもリアルな実感だった。まあ、「顔を貸せ」とからまれるよりははるかにマシだが・・。
 そう言えば、かつて、大学の恩師のパーテイーの帰り、恩師から「これを持ってくれるか」と花束を手渡されたことがあった。その時、こういう状況を「花を持たせる」と言うのだろうかと傍らの友人に呟いた所、「う〜ん、ちょっと違うんじゃねえか」と言われた。僕には、まさしくそのものずばりに思えたのだが・・。
 日本語って微妙だよなあ。


2004年05月16日 雨の日曜日

 ヨーカドーへ買い物に行ったり、中間テストの採点などをしたりした。問題が簡単だった?せいか、出来の方は悪くなさそうだ。それでも、赤のサインペンを走らせながら、一人一人の顔が浮かんだり、時に「できてね〜」なんて思わず口走ったりもする。
 そう言えば、GW中に新兵器LooxT50Hが手に入った。モニター価格で若干安くなっているのだが、これがなかなかいい。Looxのシリーズでは初の薄型筐体で実にノーマルである。これに比べると同僚に格安で譲ったT90bは、まるで弁当箱のように見えたりする。おまけに指紋センサーでログインするなんて、ちょっとばかし「イケてる」って感じ。もっとも、モバイルとしての機能はまだまだ生かされてないのだけれど、これは今後の課題である。
 おっと、アテネオリンピック出場を決めた女子バレー、ロシア戦が気になってきた。それでは、今夜はこの辺で。


2004年05月15日 鉄の男達の物語

 昨夜、磯子の小高い丘のホテルで、素晴らしい勝利集会があった。800人を優に超える人々が集まって、17年に渡る闘いの末に勝利した喜びを共に分かち合った。僕も、その中の一人だった。
 旧国鉄が民営化されJRになったのは、1987年のことである。移行に際し、国鉄の労働組合員1067名が不採用となり、その差別を許さじと現在でも労働争議が継続している。そして、これとは別に、5名の国労組合員がありもしない暴力事件をでっち上げられ懲戒免職となり、やはり、JRに不採用となったのだ。彼らは当時、「人材活用センター」という「収容所」で、本来の機関士などの仕事を取り上げられて、草むしりやレールを切断しての文鎮作りなどの作業を強制されていた。
 こんな非人間的な扱いが許されるはずがない。彼らは裁判に訴え、2003年までにあらゆる裁判に勝利したが、JR当局は彼らの現職復帰を頑なに拒否した。解決は困難を極めたが、原告団や支援団体の努力を神は見捨てなかった。今年の2月に、晴れて「3月から職場に復帰する」との合意を勝ち取り、全面勝利解決を果たしたのである。
 5名の中でとりわけ、詩や歌が得意なOさんが僕にとっては身近な存在だった。Oさんの詩や歌を聞いて、どれだけ励まされたり、感動したことだろう。
 昨夜の巨大なホールでは、きたがわてつさんや国労合唱団の歌が響き、そして家族と共に花束に埋もれて勝利に涙しながら歌う彼らがいた。
「止められていた時計はうごきはじめた。ゆっくりと、ほこらしく、さわやかにリズムをきざめ」
 会場で配られた報告集のラストに出てくるOさん(と思う)の詩の一節だ。おめでとう!本当に良かった。僕の頬にも熱いものが幾度も流れていた。



2004年05月10日 醜いこと、美しいこと。

 この所、アメリカ兵のイラク人虐待(アブグレイブ刑務所)の記事が絶えない。裸にして頭から袋をかぶせて人間ピラミッドを作らせたり、電流を流したり、性的な行為を強要したり、軍用犬で威嚇したりと許せないことだらけだ。「大儀のない戦争」の中で、終結宣言後にも多くの仲間を失ってきたアメリカ兵が、こうした虐待を行うに至った心中も慮らないわけではないが、人間として到底許せない行為であることに間違いはない。こうしたニュースをTVや新聞で見る子どもたちが、一体どんな思いを抱くだろうか。
 ところで、今日は、実に素晴らしい生徒の文章に遭遇した。「力作ですよ」と言った高2の彼の作文のラストで、『普通という字をカタカナで書いたら笑顔ができた』というものである。フツウというカタカナを上から下へ組み合わせる。「フ」を冠のようにして、下に「川」のような「ツ」、その下に「ウ」。これが何と笑った顔に見えるというのだ。
 正直言って、ブットンだ!こんな素晴らしい発見には未だ嘗て出会ったことがなかった。やるのお、S君!日本の将来、決して捨てたもんじゃないぜ!!


2004年05月09日 母の日は藤野でダバダ〜

 雨模様の日曜日、仲間6人と相模湖南端の石老(せきろう)山へ行った。標高は700mにわずかに満たないが、顕境(けんきょう)院側から登ると苔むした奇岩巨石のオンパレードで、実に楽しいルートである。
 同行したメンバーの中に小学4年生のツーさんがおり、今回の隊長を務めた。そうそう、前回の幕山で隊長を務めたチーさんの兄ちゃんである。「疲れたよ〜」等と言いながらスタスタ登っていく。下りも急で狭い篠原への道を小気味よく先頭で下った。やっぱり、子どもは自然の中で生き生きと暴れ回るのである。
 最後は篠原の鄙びた集落を抜け、車道を1時間近く歩く(長かった!)。到着したのは、藤野やまなみ温泉。ここでゆったりと汗を流し、ビールを流し込む。ツーさんも、「飲むヨーグルト」「ナタデココ」「フランクフルト」で盛り上がっている。いいぞ、ツーさん!ママも喜んでいる。
 かくして、親孝行&山野草探索山行は無事に終了した。
 


2004年05月08日 えくぼの秘密

 その店は、黄金町から伊勢佐木モールへ続くメインストリートから、やや奥まった小径にあった。前にも1度探したのだが見出せず、この日は乾物屋のおじさんに訊いてやっと分かったのだ。
 思ったよりこじんまりとした店構えだったが、喫茶店としてはこんなものだろう。天井には大きなプロペラが回っていて、若干南国風である。右奥からカウンターがあり、左側と前方がテーブル席となっている。「いらっしゃいませ」と迎えてくれたママさんは、実は、この3月に卒業したY君のお母さんだ。僕は、初対面ということになる。メニューを見て、缶ビールとスパゲテイを注文した。
 「是非、店に来て下さい」とY君から言われていたこともあり、金曜の夕刻、やって来たのだった。残念ながら彼は不在で、お母さんに何と挨拶すれば良いか、逡巡していた。いっそのこと、名乗らずに又来ようかとも思ったのだが、やはり、一言伝えておきたかった。会計をする際、思い切って切り出した。「Y君のお母さんですか」、お母さんは目を見開いて驚かれた(申し訳ない!)。そこで、僕は3年次に彼と勉強していたこと、遅れたけど立派に卒業したこと等を話した。そして、彼がいいやつだったので、みんなが助けたのだということも。
 お母さんは頷きながら、「私たちもつらかったです」とポツリと言われた。本音なのだろうなと感じた。最後に「(来店)ありがとうございます」と言われた。うれしかった。次回は是非、彼とここで一杯やりたいと思った。彼は、もう二十歳なのだ。
 店の看板にはDで始まる単語が書かれている。意味は「えくぼ」だそうだ。なるほど、彼にもえくぼがあったように思えて、店を後にした。


2004年05月05日 何となく走ってみた。

 連休の良いのは、朝、ゆっくり寝ていられることだろう。毎朝5時半に起床している僕にとって、7時まで寝られるというのは正に至福である。今日は、昼食後にも寝てしまい、3時頃まで熟睡してしまった。妻子はいつの間にか出かけており、一人ポツネンと覚醒したのである。
 朝の雨は上がり、少しは明るくなっている。TVをつけると、女子バレーの特番をやっていた。柳本ジャパンのメンバーは、実に個性豊かで魅力的だ。何がすごいって、この軽薄な時代にバレー一筋の人生に彼女たちが本気で取り組んでいるということだ。こんなにひたむきな時間を送れるというのは、或る意味で彼女たちは幸せなのだろう。
 夕刻、思い立って富士森グラウンドへ行き、いつもの芝の上をゆっくりと走った。しっとりと水を含んで実にいい感触だ。空は曇天のままだが、身体が動くことで気は晴れてくる。スッ、スッ、自分はアテネもサスケも目指さないけれど、ハッ、ハッ、こんな感じで連休を締めくくったでごんす。
 


2004年05月04日 パステル・レインボー・シャツ

 と勝手に命名した。今日、72歳の誕生日を迎えた親父にプレゼントしたシャツである。横浜駅東口の某大型デパート紳士服売り場で購入した。
 最初はポロシャツをと思ったが、ラルフローレンでは高価すぎてやや困っていた所に、この一見パジャマのようでもあり、パステル・ストライプの上品で楽しそうなボタンダウンシャツが目に飛び込んできた。「これがいい」と息子も気に入ったようで、正直、僕が欲しいくらいだった。これも一応ブルックス・ブラザース(最初、ブルース・ブラザースと思った)というアイビー系の名門?らしく、そこそこの値段だったが、直感でこれに決めた。
 昨夜から我が家に泊まりに来ていた弟ファミリーと強風の中、車で川崎の実家へとひた走ってきたが、これで懸案のプレゼントは準備OKだ。これも一重に渋滞のない16号と名ドライバーのお陰である。
 結局、親父は照れくさそうに受け取ってくれたが、帰る頃には「せっかくだから」と着替えてくれた。「よっ!バーバーのマスター!」とのかけ声を胸の中にしまって、「いいよ〜」を連発。親父は満更でもなさそうに、白い頭をかいていた。


2004年05月02日 スパニッシュ・アイズ

 床屋へ行った。大部、頭が軽くなったようだ。おかしなもので、「ちょうどいいな」と思っていると、すぐに「むさくるしく」なってしまう。微妙なタイミングなのだ。それに歳のせいなのだろうか、前髪が軽くカールしてしまうし、分け目も心なしか薄くなってきた。
 カールについては、同僚も嘆いており、真ん中分けの彼は、「まるでおばさんパーマだよ」と笑いながら言う。そう言われてみると、確かにおばさんに見えてくるから不思議だ。かつては、自称ジョン・レノンだったのに、今ではすっかりノレンである。
 さて、床屋さんは近所なのだが、おじさんもおばさんも気さくで、とても話し好きだ。ついついいろんな話で盛り上がる。この日は、やはり、海外で武者修行中の息子さんの結婚問題がメインであった。詳細はプライバシーを尊重して省略するが、「いいセン」行ってるらしい。しかも、おじさんがえらく気に入っている。まるで、本人よりも夢中になっている気配すら感じる。う〜む、親はいつまで経っても「子ども命」なんだろうな。自分にも身に覚えがある。
 そう言えば、息子の髪も妻の手で小波のように刈られていた。前は床屋さんで「正調坊ちゃん刈り」だったのに・・。おじさんのうれしそうな顔を想い出しつつ、修行中の彼にエールを贈った。


2004年05月01日 May Day 雑感。


ようやく、GWに突入した。まあ、この辺で一息つきなさいということなのだろう。それにしても、今日は素晴らしい晴天で、教室にいるのが勿体ないほどだった。それでというわけでもないが、1クラスは図書館へ連れて行き、利用ガイダンス&読書。もう1クラスにはCDラジカセを持ち込んで1曲聞かせたりした(「オーバー・ザ・レインボー」、東儀秀樹の篳篥<ひちりき>バージョン)。だって今、彼のエッセイ(「雅楽のバイブレーション」)を授業で扱っているのだから。ちょっぴり?うらめしい土曜の朝の1時間目に、篳篥とピアノのコラボレーション、なかなかいいでしょう。
 ところで、この所、芸術文化を堪能している。それは、バチカンの古代ローマ彫刻展だったり、オランダ絵画のフェルメール展、空海と高野山展だったり、昨夜の横浜憲法劇だったりする。いずれにも見るべきものが多かったが、感動が新しいせいか、やはり、憲法劇には心を激しく揺さぶられた。
 勉強したくても入学することさえ出来ない、横浜市の定時制高校廃止路線、転籍出向に応じなければ仕事を取り上げて退職に追い込もうとする企業、更には、現在の自衛隊イラク派兵問題。こうした、身近でありながら、どこか他人事のようにすら思えてしまう問題に対して、一般市民や学生たちが年代や職種を越えて集まり、日本国憲法の大切さを説き続けている。
 踊りもセリフも歌も素人だが、一生懸命さはダイレクトに観客席の我々に伝わってくる。まさしく、良心と正義のバイブレーションである。
 心をふるわせ、共に歌い、涙を流した後の仲間と飲むビール。やっぱり、サイコーだ!
 
 


2004年04月28日 東山魁夷の白い馬

 先日、京急上大岡駅のウイング7階で開かれていた、東山魁夷の版画展に寄ってみた。デパートの催事場ということもあって即売会を兼ねており、雰囲気は今一つだったが、かつて見た作品がいくつかあり楽しめた。
 実は、この東山魁夷のエッセイが教科書に載っている。それも「ひとすじの道」というタイトルだ。勿論、有名な絵画の方も写真で載っており、新学期始めの教材としてはなかなか好ましいものに思える。
 僕は、この両側にエメラルド色に近い碧の草が生い茂る「道」の絵も好きだが、やはり、蒼い画面に白い林と白い馬が氷のように象徴的に描かれている絵が大好きだ。初めて見たのは何時のことだったか、今はもう覚えていないのだが、この絵を見るとなぜか引き込まれる。深い深い森の奥に、白い馬がもの哀し気に佇んでいる。これからどうするのか、なぜ、そこにいるのか分からないが、その何とも言えない姿に惹かれる。
 この絵も会場にあった。暫し、足を留めて魅入った。そして、また歩き出した。白い馬は「あおうま」とも言う。束の間、美しいものを見たような気がした。


2004年04月25日 夜風がしみるぜ・・

 連夜の会合があった。一つは息子が通っている学童保育所の父母会総会、もう一つは私学職場の労働組合の臨時大会である。規模も雰囲気も若干(大部かな?)違うが、子供たちが充実した学校生活を送ることが出来るように、教育条件や環境を整備すると言った根底は共通するものがあると思う。
 そして、二つの会議に出席していて、あらためて思うことは、会議は多くの仲間によるトータルな意思疎通の場なのだということだ。一方通行的な伝達ではなく、提案され議論され、質問し見解を述べる。時には重くなり緊張感や懐疑の念も生じるが、新たな提案や積極的な賛同、押しつけでなく分かり合おうとする姿勢に再び息を吹き返したりする。所謂、「揉む」状況がいくら激しくとも、締めくくりの印象が良ければ、「いい話し合いだった」と胸に落ちる。(そう、単純でないこともあるけど)
 二晩続けて、共に身近で頼りになる仲間の姿を見ていて、どこかで励まされたり、翻って自分ももう少し頑張らねばと自省したりした。ガッツ・ジュン!(古い!)
 


2004年04月24日 バナナと冷や奴

 久々に初狩の高川山へ行った。この所、夏のような日が続いていたが、体が自然と癒しを求めていた。また、前夜に少し飲み過ぎていた?せいもあり、とことん腹ごなしもしたかった。
 さて、高川山は静かで花と新緑にあふれていた。八重桜、山吹、山つつじ、麓の畑にはチューリップやネギぼう、タンポポも顔を揃え、楽しい春の装いだ。沢沿いのコースで上がり、頂上では高曇りの冨士山を正面に360度のパノラマが心地よく広がっている。ここで、バナナを1本、ゆっくりと食べた。美味かった。傍らでビッキー(と言うらしい)が、物欲しげに見ていた。彼は一見カモシカのようにも見える、名物頂上犬なのだ。ビッキーという名前は、頂上の寄せ書き帳の中で発見した。
 下りは、初めて大岩から屏風岩を経る縦走コースをたどった。二カ所の極端なアップダウンは体に応えたが、バナナのせいか、けっこう動いた。屏風岩では絶壁の縁で5月の風に吹かれ、新緑けぶる向こうに冨士を再度眺めた。三ツ峠山や滝子山もよく見えている。いやあ、なかなかいいコースだ。
 下っては、初狩駅前の食堂で瓶ビールに冷や奴で乾杯。この日は、本当にヘルシーで飽食からは遠い1日となった。こんな日が、やっぱり必要なんだよね、僕たちには・・。

 
 


2004年04月21日 少年とアフリカ(文春文庫)

 「音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」と副題にある。対話しているのは、音楽家の坂本龍一と小説家の天童荒太だ。予感はあったのだが、これがなかなか面白い。砂に水が染みこんでいくように、すうっと入っていく。
 坂本はYMOや「ラスト・エンペラー」でお馴染みの国際的な作曲家で、「戦場のメリークリスマス」ではテーマ曲に加えて自身俳優としても活躍、同じくミュージシャンのデビット・ボウイと競演している。一方、天童は「永遠の仔」で一躍有名になった作家だが、僕は「幻世の祈り」で彼と初めて向かい合った。二人とも、どこか似ているような所があり、僕としては非常に興味をそそられる対話集になっている。じっくりと読んでいきたい。
 そう言えば、「アフリカの少年」という高倉健さんの作品集があったっけ。「子供向きに」書いたと健さんは言っているが、やさしめの文章のそこここに、健さんの体得した「知恵」や「思いやりの心」が感じられて、実に温かい作品に仕上がっている。
 アフリカついでに言えば、やはり「アフリカの王(伊集院静)」だろう。マサイ・ラマの大地を舞台にしたスケールの大きな話だが、やはり、アフリカは我々の心の内の何かを呼び起こすに違いない。
 中1の頃、「ケニア!」と友人から呼ばれたりしたが、一体何故だったのか。何だか、急に疑問になってきて眠れそうにない春の宵である。


2004年04月18日 走った、歩いた、銭湯だ。

 朝からGWのような陽気、息子と久々に浅川の河原へ出かけた。枯れ枝で釣りのマネごとをしたり、土手沿いのサイクリングコースを一緒に走ったりした。沿道には、菜の花、タンポポ、八重桜、ツツジ、チューリップなどが咲き乱れ、我々のタラタラ走りを歓迎してくれた。
 午睡の後は、近所の富士森グラウンドで勝手気ままに一人で走り込む。花見のシーズンが終わるまでは整備中で使えなかったのだが、解禁となった今もそう混むことはない。身体をほぐしながら、リハビリのような運動である。
 帰宅してからは、調子に乗って近所の銭湯で汗を流す。湯上がりにはロビーで缶ビールを一本空ける。息子はママに持たされた水を一気飲み。これが、男の社交場だ。
 外では強めの風が心地よく、陽はまだ高い。プラスチックの桶を持ってほくほくと歩く。こういうのを、幸せというのかな・・。踏切で中央線をやり過ごしながら、思った。


2004年04月17日 どこかで聞いたようなセリフ

 長かった1週間が終わった。4時間目の授業を終えて職員室へ戻り、頼んでおいた冷やしたぬきを一気に頬張る。解放感と相俟って美味いの何の、まさに至福のひとときである。
 外は明るい春の光に溢れており、半袖で充分な陽気となっている。花が散って、今度は若葉の季節か。正門からの引き込み道のつつじも、次第に花をつけ始めた。いいことばかりあるわけではないが、ほおうっと心が和む時が必ず訪れる。
 いいんだよ、そんなに急がなくても。自分の足元から、空ってのは広がっているんだから。


2004年04月16日 そりゃあ、ないよ!

 初夏を思わせる陽気に、八重桜が一気に満開となっている。鷺沢さんが自死だったなんて・・。何が彼女をそうさせたのか。
 気怠い午後、風に吹かれながら目を遠くした。


2004年04月15日 鷺沢萠(めぐむ)さんを悼む

 イラクの人質3名が無事解放された。先ずは素直に喜びたいが、日本テレビ独自映像とやらの解放直後の映像を見ると、いろいろと裏がありそうだとつい邪推したりしてしまう。真相究明が切に待たれる。
 さて、悲しいニュースが朝刊に掲載されていた。作家の鷺沢さんが心不全のため自宅で急逝されたというのだ。まだ、35歳の若さである。油の乗ってきた、これからと云うときに真に惜しまれる突然の別れだ。心からご冥福をお祈りしたい。
 以前にも記したが、彼女は大学の後輩であり、昨年は国語部会でお招きし、楽しい座談会を披露してくれたものだ。2次会の懇親会では文庫本にサインを頂き、トイレの前で「何で除籍(大学)になっちゃったの?」などと大変失礼な質問を投げかけたりしてしまった。彼女の照れたような笑顔がいまだに瞼に焼き付いている。
 酒も麻雀もタバコも人一倍、イイ女で若いのに姉御肌。一緒に飲みたい女性であったのに・・・。愛犬コマもさぞかし途方にくれていることだろう。どうか、安らかに。アイ・ウイル・リメンバー・ユー!


2004年04月14日 パパと呼ばないで!(イメージです)

 新学期がスタートして約1週間、まだまだ疲れる毎日だ。やれオリエンテーションだ、県テストだ、登校指導だ、副教材の仕分けだなどと行事や野暮用が多いせいもあり、授業のローテーションに馴染めていないからだろうか。
 それでも、去年は高3だけだったので、今年の担当の1年生はやはり幼くフレッシュに見える。考えてみれば、彼等はもう息子の年代なのだ。彼等が僕をどのように見ているのか、けっこう気になる。でも、当分は自分のペースで引っ張るつもりだ。ウェルカム・トウ・メジャース!という具合に。
 「ちゃがわりゅうのすけ(もう、古典ですな!)」「おおとものいえもち&かねもち」「しおさわぎ」「一人七色」だってかまわない、これから一緒にがんばんべ〜!!


2004年04月11日 再会はベトナム料理で!

 週末は実に波乱に満ちていた。イラクで武装集団に邦人3名が人質に捕らわれ、自衛隊の撤退を要求されるという前代未聞の出来事が発端だった。この3名の方は草の根的なボランテイア活動をされている方々で、現在は「24時間以内に解放」との状況が伝えられているが、無事が確認されるまでは全く油断できない。小泉政権が抱える根本的な問題は、何ら解決されてはいないからだ。
 そんな中、金曜の夜に昔の山仲間に横浜で再会した。彼は北海道在住の医師で、学会の出張でやって来ていた。92年のパキスタン遠征に共に参加して、中心メンバーからはちと外れた「第3の男」的なメンバーとして気が合ったものだ。彼は荷揚げ中に石油による火傷を負い、単身高度を下げてキャラバン出発点まで戻り治療、再び引き返して登頂したという強者だ。彼の驚異的な粘りによって、16名の登山隊が全員登頂を果たすことが出来たのだった。
 彼を囲んで懐かしい面々が揃い、更に新しい顔ぶれも加わった。初めて会う人もいたが、山の仲間というだけで、昔からの知り合いのようにベトナム料理やビールで盛り上がった。ワハーン回廊やシスパー&ビアホー氷河、アコンカグアにバインターブラック等という名前が出る度に胸が少し熱くなった。
 この会合の少し前に、大部重い交渉に立ち会っていた僕は、何だか大いに癒され、励まされたような気がした。
 


2004年04月07日 やっぱり、おかしいよね。

 入学式真っ盛りである。昨日は、僕の勤務校も多くの新入生を迎えた。桜もまだまだ美しく、親子連れで記念撮影する様子は本当に微笑ましい。僕等もあらためて、しっかりやらなくてはなどと身が引き締まったりする(ホントですよ)。
 ところで、ニュースでは都立高校の卒業式や入学式で「日の丸」に向かって立たず、「君が代」を歌わないからといって教員の処分が相次いでいるという。東京都の教育委員会からは視察の人間が派遣されており、通達に違反した教員や指導できなかった教頭などもチェックしていたという。全く、バカバカしい話だ(と思う)。
 愛国心が強制されて高まるはずがないし、強制されて「君が代」を歌って「誇り」を持てるはずもない。強制する(される)ことの愚かしさが何故分からないのだろうか。「よっぽどヒマなんだね」と笑い飛ばすことはできるが、根本的に「間違っている」と誰もが思うのではないだろうか。
 また今日は、私的な参拝として靖国神社への電撃参拝を続けてきたK総理に、「参拝は宗教的活動に当たり、違憲である」との判決が福岡地裁から出された。「内閣総理大臣」と記帳して参拝することと、フーテンの寅さんが参拝する(しないと思うけれども)ことは意味が違うということを、K総理はどうも「分からない」らしい。「戦争を起こしてはならないと思って参拝している」人が、何故、益々治安が悪化する一方のイラクへ自衛隊を派遣し続けるのか。
 腹立たしくなるばかりだが、この辺でひとまず落ち着こう。どうも最近、血圧が少々上がり気味のようだ。これから、ぬるいお風呂にでも入りますか・・。
    


2004年04月04日 A島家の一族(日本最後の大家族、ちとオーバーか)

 氷雨の1日、せっかくの桜も心なしか寒々しい。桜吹雪ならいくらでも浴びたい処だが・・。
 さて、昨日は新幹線で静岡へ行って来た。妻の親類の法事である。一人でお暮らしになっている大叔母さんのご主人の23回忌だそうだ。元来は醤油屋さんで製造から小売りまで大所帯であったという。従って、家族も多い。関東一円から都合9世帯23人が集った。僕などは、妻の連れ合いとやや遠い存在ではあるけれど、結婚式の時にいらしてくれた皆さんとの再会は、なかなか楽しいものだった。
 お墓参り2カ所に法要の読経(2巻も!)、その後の宴席と続き、老舗の結婚式場の会席料理も存分に堪能した。移動はすべて式場のバスだったのだから、これもスゴかった。酔うほどに、つい、瓶ビール片手についで回ったりしてしまい、息子に「どうして知らない人にお酒つぐの?」と不思議がられた。そう言う彼も、親類の小さな子どもたちと遊んで兄貴ぶり?を発揮していた。
 それにしても、日本の大家族っていいもんだ。広いお寺の本堂も、大きい金庫のある大叔母さんの家も、実に良かった。そこには大勢の人間を受け止める何かがあるような気がした。いや、受け止めてきた歴史があるのだろう。昨夜のTV「犬神家の一族」とは、別のベクトルで。(稲垣五郎の金田一耕助は、まあまあね)


2004年04月02日 はな、花、華・・・

 
 いよいよ4月になった。新しい年度の始まりであり、新しいステージの始まりだ。そんな中、昨日今日と桜の花に酔いしれている。立川の昭和記念公園と近所の子安公園だ。
 前者は突然動かなくなって西立川駅で回送になった青梅線による偶然の産物だったが、あれほどのスケールの桜はそうないだろう。しかも、園内の至る所に桜だけではなくチューリップやスイセンやポピーなどがあふれている。そして、花見の静かな家族連れで大賑わいだ。園の真ん中にある大きな原っぱが、一大宴席と化している。
 一方、子安公園は息子が5年間お世話になった保育園の庭のような公園だ。新しい遊具が入ったらしいと小学校の友人に聞いて、珍しく息子が「行きたい」と言いだしたのだ。久々に行ってみると、とても懐かしい。園では新しい園児を迎えて、馴らし保育の最中で、先生方とも再会してお話しすることが出来た。「背が伸びたね〜」と言われて、息子も照れながらうれしそうだった。
 それにしても、桜がきれいだ。子どもたちを見守る桜ほど美しいものはない。ここからみんなスタートなんだなと、いつも思う。春の桜はいつでも初心の在りかのようで、やさしい母親のイメージだ。馥郁たる淡い白い花に、幾度もデジカメのシャッターを押し続けた。遠い記憶を蘇らせながら。


2004年03月29日 さあて、これから!

 この所、どうもダウン症である。勿論、本来の意味で使っているのではなく、気の張りがないということだ。何だか、ヤル気が出ない。山への意欲もさして湧いてこないのだから、重症かな。
 そんな中、広島へ旅立つ友人の引っ越しを手伝った。以前にも書いた記憶があるが、大学時代からもう20年を越えるつき合いになる。私塾を主宰し、神父への道も追求してきた。結局、あらためて牧師たらんと神学校に入学することになったのだ。
 2トントラックに積まれた荷物はさして多くはなかった。教会や近所の友人も手伝いに来ていて、終始なごやかな引っ越し作業だった。彼と先輩の神学生が乗り込んで、これから夜通し走るという。
 気をつけて、無理するなよ、落ち着いたら手紙でもくれよ、女房や子供に心配かけんなよ、などと言いながら、出発するトラックをバス停からそっと見送った。
 トラックはあっと云う間に小さくなり、彼の前途を祝福しつつ、僕は秋川沿いの小さな山々の連なりを見ていた。
 


2004年03月27日 春の音色

 春らしい陽気に、桜たちがいよいよ本格的に咲き始めている。久々に家族で実家へ行って来た。いつもの寿司に加えて天ぷらやいちごもご馳走になり、腹ごなしの散歩が不可欠なくらいだった。
 バス通りの広い公園は、子供や花見客、将棋を指しているホームレス等でにぎやかだ。どこか長閑でポカポカである。BB弾を拾い集める息子と妻と、いつの間にか公園から近くの教会へ来ていた。
 カトリックK塚教会、見違えるような瀟洒な建物になっていた。聖堂の中をのぞくと、オルガンの練習をしている女性の後ろ姿が目に入った。暫く聴きながら、昨夜聴いたみなとみらいホールのパイプオルガンを思いだしていた。銀色の魂がいくつも天に飛翔していくような、あの荘厳なパイプオルガン。そして、この町の小さな教会のオルガン。きっと、共に奏でられる魂の音色にそう大きな違いはないのだろう。
 また、どこからか昨夜の八木節(太鼓)や木管のバッハ(「主よ人の望みの喜びよ」)などが聞こえてきて、僕の心は暫し春風に浮遊した。


2004年03月26日 白い巨塔・特別編にハマル!

 昨夜は寝苦しかった。喉の痛みはとれたものの、今度は咳がひどくなり、咳き込んでいると体が次第にエビのように丸くなってしまう。こめかみの辺りにもズキンと響く。こういうのを、やはり風邪というのかな。
 さて、昨夜の「白い巨塔(特別編)」には参った。20分程からだったが、一気に引き込まれてラストまで見通してしまった。何と言っても、唐沢利明演ずる財前五郎がいい。野心の塊のような彼が裁判に負けた後肺ガンで倒れ、就任するはずだった癌センターの所長からも外される。余命三ヶ月と親友の里見(江口洋介)に診断され、「ただ、無念だ・・」と言って涙ぐむ。そんな財前を男ならどこかで理解して、同情することが出来る。正義の医師である里見や柳原(伊藤英明)の生き方にも心を打たれるが、昨夜は唐沢演ずる財前の悲哀に何故か深く共鳴していた。野望には無縁と思っていた自分も、実は野心家なのかもしれない。
 それはともかく、ハルウララが連敗記録を更新し(武豊でも勝てない!)、長島監督が倒れ、Qちゃんがアテネ五輪に選ばれず、ドリフのいかりや長介も死に、イラク戦争勃発から1年が経過した。我々は一体、何をつかみ、何をつかみ損ねるのか。
 「巨塔」のラストで柳原医師の手がつかもうとしているのは、まさしく、白日夢のような白い太陽であり、結局は確かなものなど何一つないという「虚像」なのではないだろうか。


2004年03月24日 ささやかな愉しみ

 どうでもいいことなのだが、僕はわりとヒゲが濃い方で、朝のシェイビング・タイムは重要な時間である。剃刀は使わず専ら電動だが、剃り心地の良し悪しが1日を左右すると言っても過言ではない。つい充電不足のシェイバーのスイッチを入れてしまった時ほど、情けない思いをすることはない。
 もっとも、充電だけの問題ではない。内刃や外刃の手入れも時には必要だ。内刃は常に古いハブラシと柔らかめの刷毛で前回の掃除をきれいに済ませてから、スイッチオンなのである。  
 今日は、たまたま職場付近のヨーカドーで内刃と外刃の両方を見つけた。普段、この二つが揃ってあることは稀である。勇躍、ゲットし、帰宅後早速交換した。明朝が待ち遠しいことこの上ない。こんな愉しみ、女性には分からないだろうなあ・・。
 


2004年03月21日 人生の速度

 昨夜見たTV「DNAスペシャル」に登場していたアシュリーちゃんが、頭から離れない。彼女はカナダに住む12才の少女なのだが、その風貌はまさに老婆そのものだ。そう、彼女はプロジェリアと呼ばれる遺伝子の突然変異によって、普通の人の8〜10倍の速さで老いてゆくのである。そんな彼女が、同じ病を持つジョン君と二人で楽しく過ごす姿に、言いしれぬ感動を覚えた。
 神が与えた生命の尊厳に貴賤はない。どうして彼女たちが速く老いてしまうのかは分からないが、精一杯生きる姿に胸が揺さぶられる。ひょっとしたら、過去にも彼女たちのような人間が存在していたかも知れない。そして、今日のようにプロジェリアと診断されることもなく、ひっそりと誰にも顧みられずに短い人生を終えていたのかも知れない。
 僕は、ふと思い出した。先日、深夜に放送されていた「マーズ・ミッション」という映画のことを。人類が火星の調査を進める内に火星人と接触し、彼等から彼等の子孫が地球に渡って新たな生命を築いたということを告知されるストーリーだった。3人の宇宙飛行士が見たのは、何ともスケールの大きい生命(DNA)の歴史そのものだった。
 アシュリーちゃんとジョン君の姿を見ていて、僕は遠い宇宙の人類のルーツを想った。彼女たちがその人生を終えた時、還っていくのは一体どこなのかとも・・。



2004年03月20日 雪が降った・・

 仲間と青梅の吉野梅郷に行く予定があったが、雨必至の状況で取りやめとなった。もっとも、この決断は正解だったようで、雨はすぐに大ぶりの雪となって降り続いた。春分の日だというのに・・。
 おかげで良く寝たし、たまったデジカメの記念写真らしきものをプリントし、その合間に「スリラー(マイケル・ジャクソン)」「世界に一つだけの花(スマップ・紅白&女子十二楽坊)」「涙を越えて(ヤング101・懐かしの)」「ウオーターボイズ(ラスト)」「shall we ダンス?」等をパソコンで見たりしていた。おまけに、ほんの少しHPにも手を入れたりした。
 この時期、突然「お世話になりました」等と職場で挨拶されることがある。非常勤の方に多いが、時折は長年の同僚もいたりして、言葉に窮することがある。「力になれませんで」「また、がんばってね」等と言いながら、胸が痛むときもある。そう、3月は別れの季節なのだ。
 結局、雪は降ってはとけて、あまり積もることはなかった。人との出会いや別れも、この雪に似ているかも知れない。所詮、全てを覆い尽くすことは出来ないし、全てを水に流すことも出来やしないのだろう。静かで寒い、土曜の晩である。


2004年03月18日 いいことあったよ、雨だけど。

 温かい朝、雲行きは怪しく、昼過ぎには雨が降ってきた。そんな日だったが、嬉しいことが幾つもある。
@newOBのS君に「のどは大丈夫?」と訊かれた。
AnewOBのN君に「お世話になりました」と手製のクッキーを貰った。勿論、N君は男性である。
BnewOBのK君とN君(AのN君とは別人)と、正門前のメインストリートで楽しい会話をした。「ヒマなんですね」と言われる。
CnewOBが今一人遅れて立派に誕生した。お母さん持参の「写るんです」で激写して差し上げた。
D夕刻、保土ヶ谷にあるS高校の先生方と楽しく懇談した。相棒は売り出し中?の同僚A氏。積極的でいいぞ! 


2004年03月17日 シービスケット

 海のビスケットではない。体は小さいけれど、とてつもなく脚の速い競走馬の名前である。二度の安楽死の危機を乗り越えて、奇跡の復活と優勝を果たす。彼と運命を共にしてきたジョッキーも馬主もトレーナーも、それぞれ波瀾万丈の人生を送ってきたが、最後は彼と共に大きな喜びと栄光を手にする。
 「ダメな馬を良くしたのではない」「馬が僕等に力を与えてくれたのだ」というエンデイングの言葉が、一際大きな感動を呼び起こす。「最後まであきらめるな!」「人生は捨てたものではない」そんなことをあらためて感じさせてくれるステキな映画だった。
 これだから、映画鑑賞会、やめられないっす!


2004年03月16日 のどは痛いが、ビールは飲むんだな、これが!

 セキが出始めたのは、先週の土曜あたりからだった。前日の金曜日が寒く、ちょっとした宴もあったために帰りが遅くなったのが原因だろうか。週末はのんびりし、日曜の夜は別口の宴を開いて楽しかったのだが、セキの方は相変わらずだった。
 今夜も会議で遅くなってしまったが、やけにのどが重く、唾を飲み込もうとすると痛いのには参った。何だかのどの奥にゴルフボールが詰まっているような感じだ。こういうのは、花粉症とは言わないよね・・。
 疑心暗鬼になってストレスがたまり不眠症になる。何とか、その苦しみから抜け出ようとして、あらゆる試みをしながら「気晴らし」を得ようと涙ぐましい努力をする話。それが、「気晴らしの発見(山村修)」である。是非、ご一読をお勧めする。
 既に読んでしまった僕は、風呂に入って寝ます。おやすみなさい!


2004年03月13日 旅立ちの詩

 昨日は肌寒い1日だったが、時間数不足の補いを済ませた8名の卒業生が巣立っていった。会議室に集まったのは総勢40名ほど、うれしかったのは一足先に卒業したメンバーが仲間のために来てくれたことだ。
 追加卒業式では、一人ひとりが校長から直接卒業証書をもらう。どの顔も緊張の中に喜びがある。ややわざとらしく格調高い話をする校長の後ろから、僕は彼等の表情を少々胸を高鳴らせながらデジカメで撮っていた。今年、教えていた生徒が6名もいるのだ。内、1人は現代文の補いをし、もう1人とは体育の補いで一緒に走ったりもした。130kgの彼との併走は、きっと忘れることはないだろう。
 良かったなあ、おめでとう。少しくらい遅れたってかまわない。立派な卒業生だということを、その場にいたみんなが実感したにちがいない。
 おめでとう、そして、ありがとう!

ps、まだ残っている二人も、最後まで頑張れ!


2004年03月10日 青年Aの仮退院に思う

 今日一番のニュースは、やはりこれだろう。神戸で97年に起きた児童連続殺傷事件の犯人であった少年Aが、関東医療少年院から6年5ヶ月ぶりに仮退院したというものだ。少年は現在21歳、時の流れの早さを感じる。
 「償いの道、これから」「地道な努力、しっかり覚悟を(審判担当判事)」「心の十字架忘れないで(土師淳君の父)」「いばらの道、生き抜いて(山下彩花さん母)」「更正全力尽くす(青年の両親)」等の言葉が紙面に大きい。それぞれの立場での、青年への悲痛とも思える願いがこめられている。
 僕は、人間は弱いけれど強いものだと思っている。その逆も又真であると言えるのだが、青年とその家族が一生打ちひしがれて、喘ぎ喘ぎ苦渋の人生を送らねばならないというような物言いや考えには少し異論がある。人間はより良く生きようとする所に、生きる価値や希望や喜びを見出すのだろう。青年がかつて犯した罪の大きさは言うまでもないが、この青年が希望を持って「より良く」生きようとすることを誰も妨げることは出来ないはずだ。
 時として世論や噂は、彼に凶暴に襲いかかるだろう。しかし、彼には前へ向かって歩き続けて欲しい。いつまでも下を向いてではなく、彼にしかない彼の未来をしっかりと見据えて。


2004年03月08日 楕円の不思議

 穏やかな午前、京浜急行に面した芝のグラウンドで応援指導部が練習をしている。今日は答案返却を明日からに控えての採点日のような1日。一般の生徒は家庭学習なのだ。
 ところで、彼等の練習はちょっと風変わりだ。コーチが蹴り上げ、生徒が捕球しにいくボールは、何とラグビーボールだ。しかも、その後のミニサッカーでも同様にラグビーボールを使用している。僕は思わず、唸ってしまった(う〜む、マンダム!)。
 ご存知の通りラグビーボールは楕円形で、転がるとどこへ行くか分からない。狙って蹴っても(投げても)バウンドすれば、後は天のみぞ知るだ。これは、如何に不測の事態に直面しても常に全力で物事に当たれという、実に奥深い修行の一環だと認識した。しかも、それが応援指導部だという所が面白いではないか。
 なるほど、縁の下の力持ちは楕円パワーなのねと、「惑星の軌道が円ではなく楕円である」と主張したケプラーを思い出しながら、またまたうっとりと練習に魅入ってしまった。


2004年03月07日 楽しいお休みが終わっちゃう・・

 「ひょっこりひょうたん島」を見終わった後の息子のセリフである。「学校だって楽しいだろ?」と訊くと、「月曜から金曜までは頑張るから疲れちゃうんだ」ということらしい。どうやら彼なりに土日の効用を悟りつつあるようだ。
 そう言えば、自分もそうだった。日曜の夜、家族でTVを見るのだが、7時から8時のゴールデンタイムが終わると、とたんに淋しくなったものだ。夢中になって見ていたのは、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「サインはV」「ミラーマン」少し下って、「宇宙戦艦ヤマト」「日本沈没(実写版)」等か。親父が好きだったのは「素晴らしき世界旅行」で、兼高かおるさんの旅の紹介や久米明氏のナレーションが耳に残っている。
 9時になると東芝日曜劇場という番組があり、もう明日の朝のことを考え始めて、憂鬱になったものだ。親父はこの番組があまり好きでなかったらしく、「お涙ちょうだい(番組)だ」と吐き捨てるように言っていたのを覚えている。
 そんなわけで、息子と一緒に風呂に入った。「明日は明日の風が吹く」、タオルの風船をつぶしながらあくびをした。


2004年03月06日 海の碧、空の青に染まず、漂う。

 仲間10人で湯河原の幕山へ行ってきた。観梅ハイクというわけだが、麓の梅林公園は大にぎわい。裏登山口の大石平へ向かう林道が静かで良かった。白梅・紅梅・咲き分け梅(というのかな、紅白混ざっているもの)が優しく香っている。
 それにしもまして、頂上からの眺めが実に素晴らしい。眼下には真鶴半島がミニチュアのように見え、強風であおられてその碧を更に深くして光っている相模湾が、これでもかと広がっている。真に胸のすく光景だ。大島はもとより、三浦半島や房総半島まで見えている。
 下山後の温泉やビールの旨さは言うまでもないが、今日の風と海の蒼さは格別だった。勿論、仲間の笑顔も。(6才の隊長、ごくろうさま!)



2004年03月03日 うれしいぞ、3000hits!

 数日前から気になってはいたが、遂にというかやっとというか、3000アクセスを記録した。自分で踏んでしまうという予感もあったが、どうやら、それは避けられたようだ。素直に喜びたい。
 次は5000、7000、10000か。それまで、この「お気楽」サイトが続いているかどうか分からないが、のんびりやってゆきたい。
 それにしても、アテネ五輪サッカー予選の日本vsレバノン戦。時折、テープの早送りかと思うほど、選手の動きが速い。2−0で終わるとは到底思えないね。それでは!
 


2004年03月02日 転倒、した!


 週末は劇的に過ぎた。土曜は中華街のお膝元で組合の定期大会、日曜は辻堂で不当な整理解雇と闘う音楽教諭を職場へ戻せ!と100人規模でのパレード(デモ行進とも言う)、昨日は雪降る中を第56回卒業式。共に終了後は、お疲れ会やら交流会やら食事会やらで随分とアルコールの量が増えた。肝臓が苦しい。心なしか顔が黄色い。
 そんな中、事件は起きた。昨夜の帰り自転車に乗ったのだが、やはり運転が危うかった。ガードレールにぶつかりそうになってバランスを崩し、右前方に投げ出される格好で転倒し、右膝と右側頭部を道路にぶつけた。左手の小指はガードレールに接触して、第二関節のあたりが赤く腫れ上がっている。人気のない裏通りだから目立たないが、けっこう派手にやらかした(と思う)。
 昨年も確か似たようなことがあった。後続のトラックでもあれば、ひとたまりもないだろうに。校庭の記念樹を見ながら、溜息をついた。
 


2004年02月27日 死刑判決の裏に

 オウム真理教教祖・松本被告に東京地裁で死刑判決が下された。地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など13の事件で、計27名もの死者を出した罪は果てしなく重い。「極刑でも生ぬるい」は、遺族の方の正直な気持ちだろう。
 ところで、どうしても忘れることが出来ないのは、やはり坂本弁護士一家殺害事件である。かつて僕がお世話になったK弁護士は、実はこの坂本弁護士一家を救う会の事務局長を務めていたからだ。彼の奮闘も空しく、坂本さん一家は拉致されて間もなく還らぬ人になっていたことは、後日分かったことだった。警察の初動捜査の遅れも指摘されたが、数年の努力を一瞬にして無にする残酷な結末だった。
 今でも、はっきりと覚えている。横浜アリーナで行われた「お別れの会」で、彼が「どうして生きて帰ってくれなかったのですか!」と涙ながらに弔辞を読んだ時のことを。いつもは冷静で余裕のあるK弁護士が、初めて見せた人間くさい一面だった。
「一度は事務局長を辞めようと思った。でも、仲間に君が辞めたら後は誰がやるのかと諭された。決して頂の見えない山に一歩一歩登るしかなかった」そんな言葉を聞いたこともあった。そして、そんなK弁護士の気持ちが少し分かるような経験を、実は僕自身、今している。
 地裁の判決は上告され、係争状態は続くに違いない。最大の不幸は、事件の真相が永遠に明らかにならないのではないかということだ。先日は、薬害エイズの被告安部英が高齢のため裁判に耐えられないと、裁判が事実上打ち切られている。かくして闇はますます深く、真実は遙か彼方に遠のいていく。
 知らなくて良いと神が言うのだろうか。いや、そんなはずがない。地を這うような一歩を先へ踏み出すしかないだろう。てなわけで、皆さん、日曜日は辻堂駅に午後1時半に集まりましょう!


2004年02月25日 つながる

 穏やかで温かい1日、県内民主労働団体の総行動に参加した。大企業本位の政治の仕組みや年金改悪、自衛隊のイラク派兵、憲法改悪等に反対を唱えるものだ。また、労働組合の組織率が20%を切っている昨今、未組織労働者をゆるやかに且つ広範に組織しようと準備をしている「NANBU ザ・フォー ユニオン」の宣伝行動も取り組まれた。
 ところで、忘れることの出来ない場面が一つある。早朝の駅頭宣伝でビラをまいていると、かつての同僚に偶然再会したのだ。彼は専任講師という身分で10年を超えるキャリアがあったが、最後は不本意に退職を余儀なくされていた。その彼に、思わず声をかけた。しかし、彼は一瞬驚き、そして拒絶するかのように顔をそむけて立ち去った。僕は、正直言ってショックだった。その後も、一日彼のことが頭のどこかにあった。
 そして、夜。思いがけず彼から電話を貰った。「朝の失礼を許して欲しい」という内容だった。彼の心も葛藤に揺れ、電話せずにはいられなかったようだ。嬉しかった。彼の不本意だった思いの一端をあらためて聞きながら、その思いを今の職場に生かさなければと、強く感じた。


2004年02月24日 本当にいけないの?

 素朴な疑問。お巡りさんが小学生に、
「これが手錠だよ。こうやって、かけたりします。(ガシャリ)みんなの手は小さいので、これじゃあ、抜けちゃいますね〜。」
「さて、これは拳銃です。いざという時に威嚇発砲したりします。本当に相手を撃つわけではなくて、脅かすためです。この拳銃は、今、弾が抜いてありますが、それでもけっこうズシリと重いです。ちょっと、さわってみるかな?はい、君。」
 なんて、行動をとると処分されてしまうのだそうだ。なんでだろ〜、なんでだろ〜、ナンデダナンデダロ〜、チャンチャン!
 


2004年02月22日 春めく、温みゆく。

 この週末は本当に温かく、もうこのまま春になってしまうのではと思うほどだ。ダウンもフリースも脱ぎまくって、Tシャツ1枚でOK!昼時の富士森グラウンドは、まったくGWの陽気であった。
 今日は、多摩市に住んでいる従姉が娘さんを連れて遊びに来ていたが、子供同士で遊んでいる姿にどこか嘗ての自分たちの姿を重ねていた。いつもは3人の食卓も5人となると、とたんにダイナミックになる。お好み焼きも焼きそばも、一段と美味そうになるから不思議だ。女房もてきぱきと頼もしく、何だかいい感じである。う〜む、束の間のハーレム状態。(ばかなことを言っている)
 二人が帰った後、何となく息子がつまらなそうに淋しそうにしている。「忘れてた!」と慌ててつけた「ムーミン(TV)」で、スニフが女の子に告白するあたりを座布団かぶって隣の畳の部屋から見ている。
 なるほどね、分かるぞ、その気持ち。自分にも覚えがある。そうだよな、そんなもんだ。成長するって、そういうもんだろう。
 ところで、僕は成長しているのかな?どうも、最近、どこか体裁にとらわれている気もする。そこを敢えてとっぱらおうとする気持ちが、時々妙にぶつかり合って悩ましい気持ちになることがある。
 「悩みなさい。せっかく人間に生まれたのだから」なんていう言葉を思い出した。外は、温かい雨の音がしている。子どもたちが昼間作ってた泥団子、大丈夫かな。ベランダに出しっぱなしだけど・・。
 
 
 


2004年02月20日 文士の顔

 先日、新聞に「文士の顔」という記事があった。梶井基次郎の「檸檬」を読んで感動した女子高生が、梶井の写真を見た途端に「吹き出して」しまい、余韻もなにもあったもんじゃなかったという話。
 そうねえ、僕の好きな「文士の顔」と言えば、やはり、こんな感じになるかな。
第1位 川端康成
第2位 太宰治
第3位 吉川英治
第4位 立原正秋
第5位 田山花袋
第6位 松本清張
第7位 夏目漱石
第8位 沢木耕太郎
第9位 遠藤周作
第10位 伊集院静
 何と言っても川端康成がダントツなので、後は趣向で「みつくろって」しまった感じになった。上位は着流しスタイルの似合う伊達男風、ややキワモノが続いて明治の文豪、現代のスカッとサワ・コーラ、狐狸庵先生に再び伊達男。そう、伊達男はいつも哀愁を漂わせていなければならないのだ。
 それにしても、その記事の中にあった写真には笑った。「南しん坊演ずる村上龍」であった。いやあ、実によく似てる。そうだ、もう一つ思い出した。「爆笑問題」演ずる樋口一葉(田中)と夏目漱石。何かのCMにあったが、これも絶品だった。
 文士の顔は、所謂「大人の顔」なのだろうか。あながち、そうとも言えまい。文学の味は、良質の老舗から大衆食堂まで幅広い。「いい顔」は、きっと「いい味」なのだと思うが、さて、如何。
 


2004年02月18日 どうにか、とりあえず、がんばんべえ!

 職員室でパソコンをいじっていたら、3年のN君の顔がのぞいた。「元気い?」と声をかけると、「はあ・・、どうにか、とりあえず・・全部落ちました」との返事。「それ、日本語の使い方、間違ってるよ」とは、後ろのパソコンに座ってた担任の弁。
 なるほど、おかしいには違いない。
「どうにか、一つ受かりました」
「とりあえず、滑り止めは受かりました」
等と使うのが正しいのだろう。しかし、
「どうにか、こうにか、やってます」
「とりあえず、(落ちてしまいましたが)元気ですよ」
ぐらいの意味なら、使えるだろう。丸顔でガチャピン似の彼のやや沈んだ表情を見ていると、そんな風にも思えてくる。
「まだまださ、あきらめるなよ」
そう言って、スマイルマークの黄色いマグネットを一つ「お守り」としてN君に渡した。


2004年02月16日 胸の高鳴る時

 1月末で高3の授業が終了し、入試も一段落すると、何だか少しばかり手持ちぶさたになる。平たく言えば、ヒマになってしまった。やっぱり、授業が一番緊張するし、それ故にやり甲斐もあるということなんだろう。
 自由登校となった高3の代わりに、昨年度(高1の時)教えていた高2の面々に会うと妙にうれしくなる。朝遅刻で来たM君は週番でもない僕の所にすかさずやって来るし、昼休みには正門までの道で野球部のA君やS君に会った。かなり、遠くからニコニコして「チワッス!!」と声をかけてくる。
「やけにうれしそうだなあ」
「はい、今日は練習休みなんです」
「それで、早退かあ〜」
「いえ、通院ですよお」
「そんなこと言って、カバンの中に着替えかなんか入ってたりして・・」
「そんなことないですよ〜」
「まあ、気をつけて行って来なよ」
「はい、行って来ます!」
病院に行くには本当に元気そうな彼であった。
 他にも、来月みなとみらいホール(2000名収容)で創部20周年記念コンサートを開くブラバンのF君やN君も良く見かける。彼等は顧問のT先生の所へ毎日、練習等のお伺いをたてに来るのだ。また、帰りがけには、駅前から青いTシャツで走ってくるバトミントン部のY君にもあった。
「やってるなあ〜」「元気か〜」なんて声をかけるくらいなのだが、やはり彼等に会うとうきうきしてくる。これが、我々のエネルギーの素なのだろうか。恋人でもないのにね・・。


2004年02月14日 メガニューラ、飛翔!

 春一番が吹き荒れた温かい日、近所の富士森グラウンドへ出かけた。砂埃も舞い上がったが、それにもまして異様な凧が上がりそうで上がらずもがいていた。
それは、本当にトンボの形をしていた。それも、かなり大きめの。全長1mは優に超えていた。
 枯れ芝をゆっくりとジョギングしながら、ひげもじゃのお父さんと子供のチャレンジを見ていた。風はあるのに今一つ上がりきれない。いい線行くと急降下してしまう。ふむふむ、ちょっとやってみたいなとムズムズし始めた。
 近くをまわりながら、トンボが落ちてしまった所へうまく走りかかった。さり気なく近づいて、持ち上げて両手で風に乗るように掲げた。ひげ父さんは了解したのか糸を引き始め、少し後方へと走った。すると、全く偶然だが一気に上がり始めた。紺碧の空に極彩色のメガギラスじゃなかったメガニューラがひらひらと飛んでいる。実に愉快な光景だった。
 「良く、来るんですか」と後で声をかけられた。「たまにです、近所なんで・・」と答えると、ポンッ!と肩をたたかれた。見ると子供の方だ。つい、自分の子供にたたかれたのではと錯覚するほど自然な感じだった。「ねえ、円盤投げしよう!」「えっ?」「これこれ」、それはフリスビーだった。
 こうして、見知らぬ親子と遊んでしまったというわけだ。春の椿事と言えば、椿事だろうか。親子に別れを告げて、もう一回りドスドスと走り出した。


2004年02月13日 地上25階の宴

 昨夕、横浜で仲間と飲んだ。西口のホテルロビーで待ち合わせ、人で溢れかえった地下街を抜けるとエレベーターの前に立つ。目指すは25Fの居酒屋だ。前回は予約でいっぱいだったために、隣の「月の滴」という日本酒の名前みたいな店で飲んだのだった。今回はそのリベンジもかねていたが、すんなりと中へ通された。
 窓側のボックス席は畳の小上がりだが、足は掘り炬燵式なので楽だ。そして、何と言っても眺めが素晴らしい。明るい夕陽がいつしか薄暮と化し、やがて、「夜は千の目を持っている」状態となっていく。夜空の星も美しいが、街の灯りがチロチロとけなげに瞬いているのもいい。テーブルには、焼きたらばや刺盛り、ラーメンサラダにソーセージ盛り合わせ、生ビールに「たんたかたん(焼酎)」。遅れて来た仲間を迎えた後は、ドイツワイン(KATZ)を皮切りに3本の白ワインなどが並んだ。
 和やかで心安い時間がゆっくりと過ぎていく。気づけば、もう、6時間になろうとしている。こんな時が永遠に続けばいいのになどと思いつつ、終電にも気をまわしたりする。
 「じゃあ、行こうか!」、ようやく重い腰を上げる。束の間の小さな家族が、解散する。


2004年02月11日 祭日ならぬ災日

 本日は休日出勤だったが時間を大幅に持て余し、何とも「間の抜けた」1日となった。それでも、普段あまり話すことのないメンバーと語り合ったり、学食でスペシャルメニューをゆっくりと味わうのはいいことかもしれない。
 やっと終業になったと思ったら、帰りの横浜線が人身事故(鴨居〜小机間)で運転見合わせ。仕方なく、川崎から南部線経由立川まわりとなった。これだけでも厄日なのに、もう一つ最悪の出来事が・・。
 昼休みにヨーカドーで衝動買いしたコートを着て帰ったのはいいが、何と後ろのセンターベンツの縫い糸を切っていなかったのだ。変につぼまったまま電車に乗っていたとは・・。もう、田舎丸出しである。これも一重に「予備日」という緊張感のなさ故なのだろうか。
 明日は心して臨みたいものだ。


2004年02月09日 女子テニス雑感(百花繚乱)

 東レ・パンパシフィックテニスでアメリカのダベンポート(27歳)が4度目の優勝を果たした。僕が見たのは、ドキッチとの準決勝だったが、これでもかと唸りを上げるサービス・エースの連続にドキッチもほぼお手上げ状態だった。187cmの長身から繰り出されるサーブは時速約150km、実際には2m以上の高さから打ち下ろされるのだから相当な角度でもあるだろう。
 実は、僕はあまり彼女を買っていなかった。以前に見た時は、とにかくパワーヒッターで重そうな身体を持て余しているようにさえ思えた。優雅の「ゆ」の字もなかったが、今回の彼女は見違えるくらいにスリムになっていた。サーブのキレに加えて、ストロークでもナイスショットを連発。全身がムチのように「しなり」を上げていた。平安絵巻の漆塗りの賜杯を両手でそっと掲げる彼女は、どうして、なかなかチャーミングではないか。女性は、変わるものだ。
 ところで、この大会、ダブルスで47歳のナブラチロワが出ていたのには驚いた。もうとっくに引退したかと思っていたが・・。彼女の時代と言えば、グーラゴング、エバート、キング夫人等という名前が出てくる。男子だと、コナーズ、ニューカム、ローズウオール(やや古いか)あたりだろうか。そう、マレーバという日本人好みの清楚なプレーヤーもいたな・・。
 えっ、日本人選手?杉山愛も頑張っているが、個人的には浅越しのぶあたりか。やはり、「華」が欲しいね、たとえ「時分の花」でも・・。


2004年02月08日 冬そばキャンペーン、3/31まで。

 今年初の高尾山へ、息子と出かけた。昼食は山頂の茶屋でそばでもと思っていたので、妻に弁当は頼まなかった。そう、息子と一緒だと弁当が用意されるのだ、我が家は!
 さて、素晴らしい晴天に恵まれ、沢沿いの6号路も河床も山頂直下の200段の木段も快調だった。息子は拾った木の枝を杖にドンドン登っていく。なかなか、やるのお。
 頂上では富士山がくっきりと見えており、気分爽快であった。記念撮影の後は茶屋で、たぬきそば(山菜入り)&おでん&ミソおでん&ビール。何もかも美味いったらない。息子もたぬきそばを一人で平らげた。冷たいビールの後に、温かいそばつゆを飲むとフォワ〜と頬が熱くなったりする。いいねえ、こうでなくちゃなあ〜。会計では端数をキャンペーン・クーポン券でおまけをしてくれた。茶屋の女将さん、ありがとう!
 下りはリフトでややしびれる空中散歩。参道で蒸かしたての抹茶饅頭をそれぞれ頬張りながら、午後の高尾をホクホクと後にする。食べに行ったような高尾山、それも大きな魅力に違いない。さあ、あなたも行ってみる?


2004年02月07日 心あたり、ありませんか?

 土曜の朝、Yシャツを着ずにフリースの上にダウンで出かけた。そう、言ってみればカジュアルデーなのだ。いつもそうじゃないかという見方もあるが、まあ、そうしておこう。
 ところで、今朝は思いがけない拾いものをした。職場の事務所前で何やらキラリと光るものを発見したのだ。それは本当に小さなもので、腰をかがめて拾い上げるまで良く分からなかった。シルバーのシャフトの先端に四つ葉をかたどった薄紫の宝石?がはめこまれている。タイピンにしては、小振りだ。はて?
 後ろから来た若手に見せると、
「髪留め、ですね」
「そうか!じゃあ、受験生のお母さんかな・・」
「そうかもしれませんね」
「ステキな拾いものをしたよ。何か、いいことあるかも」
「でも、落とした方は、あまり縁起よくないですね」
 時、あたかも入試真っ直中。今朝は中学部の3度目の入学試験だった。僕は、拾ったヘアピンを掌の中で光らせながら、「大丈夫ですよ」と胸の中でつぶやいた。

ps、落とし物は事務所へ届けたので、どうぞご安心を! 


2004年02月05日 走り出す!

 今日は風が冷たかったが、輝く太陽に誘われて長浜公園の方へジョギングに出かけた。
 北門から出て学習センターの前で準備体操をし、京急のガードをくぐり16号線を渡る。循環器呼吸器センターへの坂道をゆっくりと駆け上り、最高地点から屏風ヶ浦を遙かに見下ろす。
 ここからは下りで、循呼センター下の空き地はすっかり分譲住宅街と変貌している。我が校の野球グラウンド手前にも、コロニアル風のマンションが出来ている。グラウンド沿いに走り検疫所跡や長浜ホールを右手に見て、公園の外側を回り込んでいくと並木の住宅街に出る。ここも気持ちの良い所だ。
 公園内を走り抜け、野鳥観察が出来る池の前で小休止。ここで柔軟や腕立てや腹筋を少しやる。汗がうっすら出てくる。帰りは、先ほどのマンション手前から逆に循呼センターへ向けての長い上りとなる。この辺りで一瞬足取りが軽くなるのだが、すぐに息が上がってくる。そこを耐えて駆け上がる。新ルートは循呼センター内を周回して16号へ下っていく。再びガードをくぐって、職場へご帰還である。約1時間。
 学習センターへ戻ると、中学側のグラウンドで近所の保育室の保母さんと子どもたちが散歩に来て遊んでいる。ついつい、かまったりして束の間楽しい時間を過ごす。3歳ぐらいだろうか、可愛い盛りで、抱き上げて「高い高い」をしたり、ぐるぐると「ジャイアントスイング」を決めたりする。「バイバイ〜」と手を振りながら別れ、ゆっくりと北門から職員昇降口へと向かう。
 入試を控えた、ある晴れた冬の日のことであった。


2004年02月04日 懐かしい顔

 国語部会の出張で、午後から鶴見へ行った。平日の午後に職場を抜けるのは、やはり、言うに言われぬ解放感がある。それに、久々にIBS石井スポーツ(山の店)にも寄ってみようと思っていたのだ。結婚して川崎を離れてから、おそらく初めてのことだろう。
 部会の前に訪れた店は、かつてとは見違えるほど広く明るくなっていた。山とスキーの売り場を統合してオープンにしたせいだろうか。IBSは高級品よりは普及品でリーズナブルな商品が多かった印象がある。だから、学生たちの最初の装備は大体ここなのだ。
 僕のお目当てはサロペット型のオーバーズボンであったが、残念ながら心を奪われる?ほどの物はなかった。以前に使っていたLATERAのサロペットが、もうすっかりカビだらけになってしまったのだ。その代わり、懐かしい顔に出会えた。「ちわ〜す!お元気ですか〜」と声をかけてくれたのはTさん、多分店長のはずだ。頭と鬢に白いものが目立つようになったが、優しそうな笑顔は全く変わっていない。「最近、若い人が少なくて。また、学生さん連れてきて下さいよ〜」と屈託がない。僕はadidasのダウンを手に、笑うしかなかった。
 そうそう、部会でも懐かしい顔に遭遇した。かつてキナバル山へ一緒に登った、SWOB会のN君だ。彼とは気があって良く話し、当時、結婚を前に揺れる?心中を吐露しながらふざけ合った仲だった。「最近はもう高い所へは行ってなくって〜」と早口にまくしたてていたが、その分厚い唇とがっしりとした体躯は相変わらずだった。
 さて、部会の方は「日本語教育」や「コミュニケーション能力」を高めるための実践が報告されていたが、前者では「学校文法(橋本文法)」が、外国人相手の日本語教育には全くつかえない(有効でない)」という、いささかショッキングな内容が語られていた。これについては、また別の機会にじっくり論じたいが、上田萬年〜新村出〜橋本進吉〜森岡健二〜松岡洸司という「学統」にどこかで繋がっていると自負してきた僕にとっては、決して放っておけない物言いでもあった。
 そんなこともあって、組合仲間と一緒になった帰り、車窓から沈みゆく夕陽を見やる目は、やや遠いものになったようだった。
 
 


2004年02月02日 フトンの置かれているわけ

 先週あたりからだろうか、僕の掛布団がリビング脇の畳の部屋にさり気なく置かれているのは。平たく伸ばしてあったり、四つくらいにふわりと折りたたんであったりする。とても陽当たりのいい部屋なので、「陽に当ててたのよ」と言われると「そうかい」とも思うし、「本当は昼寝してたんじゃないの?」と聞くとニヤニヤしている。
 食後に、眠くなるのは自然の摂理だろう。僕は、良く「少し、横になるよ」と言いながら「ハアーッ」と畳にひっくり返ることがある。そんな時、毛布や布団をさり気なく引っ被ったり、お腹に当てたりするのだ。勿論、それは和室の押入にある妻子のものである。というのも、僕は夜、いつも一人で別の洋間で寝ているからだ。(イビキがうるさいという理由で)
 もう、お分かりだろう。要するに「自分の布団で寝ろ!」ということなのである。「心ゆくまでゆっくり休んで貰おうと思って」などと女房は言うが、僕に自分の布団を「使われたくない」という明確な意思表示なのだ。
 そうか、そうか、左右田一平!(2回目の登場かな)僕はもう夜叉が池へ行ってしまうからな。留めるなら今の内田良平、三木のり平、丹下段平、原一平。
(最近多いな、このパターン)good night!


2004年02月01日 ビッグマックセット&回転寿司


 温かい1日、とある行動のために相模線で平塚へ向かった。橋本までの横浜線は混んでいたものの、相模線に乗り換えると本当に長閑になる。自分でボタンを押して乗り込み、車内のボタンを押して扉を閉める。冬の時期には有難い機能に思える。
 陽差しが柔らかく溢れる車内、天童荒太の「幻世(まぼろよ)の祈り」などを読みながら、気づいたことが二つ。途中の海老名や厚木で小田急線とダイレクトではないが接続するのだということ。今まであまり意識しなかったが、重要だ。後、「社家(しゃけ)」という駅名。「次は〜、しゃけ〜、しゃけ〜」のアナウンスには、やはりクスリとする。
 ところで、今日の行動の始めと終わりの集合場所は、駅前の「MAC」であった。地階のフロアーで、打ち合わせをして、ブツを持って散り、再度集合してランチとなった。温かい陽差しのせいか、1時間半ほどのポステイングはちょうどいい運動になり、期間限定のビッグマックセット390円が心地よく胃袋に収まる。もっとも、ポテトはあんなにいらないのだが・・。その後、同僚ともう1件駅ビルの北海道という名前の回転寿司に寄り道した。きれいな店で、陽当たりのない半分は完全に「居酒屋」となっている。今日は健康的に陽当たり&見晴らし良好の寿司スペースであった。窓から駅前の弾丸道路が見え、今日の行動範囲が大体把握できる、素晴らしい場所だ。
 生中で始まったが、すぐに同僚は日本酒に切り替えており、結局付き合うことになった。「もう1本!」「はい、次〜!」などという単語が続きながら、日だまりの宴は続いていったのである。





2004年01月29日 さよなら、ハマの伊達男

 渋谷と桜木町を結ぶ東急東横線の横浜駅〜桜木町駅間が明日の30日をもって廃止となる。代わって、横浜駅から中華街まで新しい地下鉄が開通することになる。中華街と渋谷が最速で35分だなんて言っているけれど、桜木町にあのお洒落なシルバー車両がやって来ないというのは、やはりどこか淋しい。
 mm21はハマの名所だが、野毛方面や紅葉坂方面から見るランドマークや観覧車がどれだけ美しかったことだろう。それは手前にJRと並んで高架線を併走していたシルバーボデイの東横君が居たからなのだ。きっと、あのガード下の壁画君達も別れを惜しんでいるに違いない。
 深夜の京浜東北線上りホームから見下ろす東横君には、いわれのない親しみを覚えたものだ。「君も帰っていくんだね」と幾度心の中でつぶやいたことだろう。そんな光景も明日限り。きっと、カメラやケータイを手にした君のファン達がさり気なく山ほど集まるに違いない。
 さようなら、東横君!平和と労働会館からも4Fのエビさんや3Fのトモキチさんがきっと手を振るに違いない。カモシカスポーツの店員達も餞(はなむけ)にピッケルやアイゼンを振ってくれるだろう。僕は、磯子からそっと君を見送るつもりだ。
 ゴッド・ブレス・ユー、アデイオス!


2004年01月28日 のどがヒンカラ会議(深い意味はありません)

 水が飲みたいんじゃない、のどが焼けるように(ちとオーバーか)乾くのである。原因は多分、これだろう、「パ○ロンSゴールド微粒」という風邪薬だ。
 なるほど、飲み始めは効きがいいように思えた。洟ものどの痛みも軽くなった。しかし、どうも、乾いてしまう。のども鼻の奥もだ。女房に言わせると「強すぎる」ということになるのだが、確かにそんな感じもする。
 それから、もう一つ、「眠く」なってしまうのも難だ。まあ、朝の横浜線内や夕食の後はいいとして、昼食の後に飲んだりすると、もう大変。グーッとまぶたが重くなってシパシパしてくる。沈思黙考を装って腕組みなどしてみても、もうろうしょうもない。
 えっ、それは単純に食べ過ぎだろうって?ちなみに今日は、「とんこつラーメン&ミニチャーハン」。次はキャベジンでも飲むか。こうして、現代人は「薬害あって一利なし」ということになるのだろうか。マツキヨさまんさである。奥多摩はなぞ〜。これにてお開き!


2004年01月26日 楽しみなこと(春の物語)

 高知競馬で連戦連敗を続けている、ハルウララという馬(8歳・牝)をご存知だろうか。確か、もう100連敗は更新したはずだ。競争至上主義の現代にあって、どこか癒される話題作りの主人公となっている。
 しかし、いくら連敗の女王だからといって、勝たなくていいという訳ではない。彼女を育て、走らせ、見守る多くの人々は、やはり彼女に1度は勝たせたいと願っている。それが人情というものだ。そして、その夢を叶えるべく、彼女に騎乗するジョッキーが決まった。その名は、武豊!日本中央競馬会(JRA)のリーデイング・ジョッキーである。
 どこか、親しみを感ずる名前の彼に、是非ともハルウララの初勝利を実現して欲しい。勝負は3月22日、高知競馬場。時はまさしく、彼女の季節になっているはずだろうから・・。


2004年01月23日 やっぱり見てしまった、

 「Shall we ダンス」。さあ、明日の朝は早いぞ・・。


2004年01月22日 クチバシくん

 BSE(狂牛病)や鳥インフルエンザなど、家畜動物の疫害が話題になっている。吉野家の牛丼がなくなるとか、何十万羽のニワトリが袋詰めで埋められたりしている光景をニュースで見たりする。詳しいことはわからないが、どこか人為的なものを感じる。
 一方で、クチバシくんという、上下の嘴が90度以上開いて左右に交差している白鳥がニュースで取り上げられていた。園児達が「クチバシく〜ん」と可愛い声で呼びかけながら餌をやるが、うまく噛めなくて周囲の仲間に餌を取られたり、時折は異形のためか仲間から「暴力」を受けることもあるそうだ。しかし、これは「矢ガモ」や「釣り針タマちゃん」とは違うだろう(と思う)。
 人間とは勝手なもので、食物(肉)としての動物と友人たるべき(愛玩し保護する)動物とを勝手に分別している。そして、時折、いっしょこたにして都合のいい部分を強調する。
 「クチバシくん」に安っぽい哀れみをかけながら、大量に破棄される「インフルエンザ鳥くん」たちにはお構いなしだ。どこかおかしい。矛盾している。おじさんは、ニラニンニク牛肉炒めをつまみつつ憮然としてしまった。
 


2004年01月20日 生きることは辛いな・・

 GLAYの「Fighting Spirit」のエンデイングのフレーズである。間違っても、中央線に身を投げようなんてことはないので、どうぞご心配なく!
 本日で終了した高3講座「歌の魅力」は、Y君によるGLAY特集であった。2時間続きの授業が計4回で1講座となるわけだが、実はY君、最終回の今日が初出席だった。希望制なので、彼が講座を選択した以上、1度も出席しないというわけにもいくまいと、3回目の欠席の後で今日の出席は半ば必至の情勢ではあったが、こちらの心配をよそに素晴らしい講義だった。
 今日、紹介された曲は、次の6曲。
1、All Standard is You
2、ひとひらの自由
3、Fighting Spirit
4、Think about your Daughter
5、嫉妬
6、Highway No,5
 特に、1〜4は彼が信奉するTAKUROの曲で、次の3つの視点で創られているという。
@自由とは?
A身近な人への思いやり
B自分のこれから(将来)について
 自らバンドを組んでライブ活動をしているY君は、それこそ水を得た魚のように、自身に多大な影響を与えたGLAYについて語り、笑い、「何でも聞いて下さい」と約2時間を完投したのであった。
 いやあ、勉強になった!終了後、スペシャルに来週もう1回Y君の追加講演を決め、彼からGLAYのCDを借りた僕は、実は嬉しさと共に「してやったり」でもあった。




2004年01月18日 早いもので、1周年!

 今日は二つの記念日。一つは妻のバースデー、もう一つはこのHPの開設1周年だ。どちらもめでたいことは言うまでもない。
 考えてみると、この「雑木林(日々のあれこれ)」も1年間書き続けてきたことになる。そんなに続くとは夢にも?思わなかったのに、いつの間にかいいペースメーカーになっている。(時折、ちょっとカッコつけちゃうけどね・・)
 まあ、これからも地道に書き続けようと思います。ご声援よろしく!
 


2004年01月17日 パワー、パワー!!(或いは勇気)

 早稲田と関東学院の全国大学ラグビー決勝戦を見た。後半の途中からだったが、互いにぶつかり合い、突進し、阻み、もつれながら転がり回る。そして、一瞬の間隙をついてのトライ。筋肉の鎧を身につけた荒ぶる若者たちの直向きな闘いに興奮した。
 そして午前中の、学童の餅つき大会。大きな臼を運ぶのも、杵で餅をつくのも、竈や大鍋に大きな火を焚き続け煤だらけの大鍋を洗うのも、やっぱりパワーが必要だなと痛感した。
 共に小雪の舞う中、二つの舞台は対称的なようでどこか似ていた。
 


2004年01月15日 遙かなる道のり(K点越え)

 それは、どこか醒めきらない夢のような光景だった。普段ならとっくに出発しているはずの6:16発の横浜線が停まっているのだ。車内にもホームにも人影は少なく、とりあえず乗車して座席に座り込んだ。すぐに車内放送があり、矢部〜相模原間で人身事故があったため発車を見合わせているとのこと。復旧のめどはまだ立っていないが、6:50頃という案内だ。現在の時刻は6:25、先ずは様子を見ようと座席に沈み込んだ。
 結局、出発は7:25、そこから先の各駅では車内とホームに溢れんばかりの乗客が乗降もままならないという悲惨な状況に至った。実際、僕の足にも目一杯鞄や足が押しつけられてきた。座っておいて良かったと、つくづく思う。
 終点の東神奈川駅到着は8:37、八王子駅で乗車してから既に2時間が経過していた。すぐに大船行きの京浜東北に飛び乗り、横浜駅で京急に乗り換える。最終的に職場に着いたのは、9:10をまわっていた。勿論、「交通扱い」で遅刻にはならなかったが、何だかがっくりと疲れた。同様の理由で横浜線組が数人遅れていたが、僕が最長不倒であった。
 家を出たのが6:10として、通算3時間の通勤(片道)となる。まぎれもなく新記録達成である。しかし、ちっともうれしくないのも、また、事実であった。


2004年01月14日 冬のオリオン

 夜更けの帰り道、空を見上げると大きくオリオン座が輝いている。はて、どこかで見たような形だ。そう、「図工」の「図」という字に似ている。


2004年01月12日 青梅だるま市異聞

 息子がダルマを欲しいと言い出した。何でもTVでドラエモンを見ていて、のび太が机に飾っていたらしいのだが、縁起物だしなかなか面白いと出かけてみた。
 青梅で開かれているだるま市は正月の風物詩だが、僕等は初めてだった。だるまを売る店の他にも沢山の露天が並び、なかなか賑やかな「楽市楽座」ぶりである。息子は早々と直径30cmに近い大きめのダルマを求めた。てっきり小さいダルマかなと思っていただけに意外だった。良く見ると、ダルマには鼻がある。それも三角錐のような形だ。へえ〜、そうだったのか。金銀、黄色に緑、獅子舞の獅子ダルマ?まであるのには驚いた。
 僕は気に入ったものがなかったので、今日は求めずにいたが、代わりに「昭和レトロ博物館」なる小さなお店に入った。博物館というより、古いおうちの一角がそのまま全てレトロ館となってしまったようなものだった。昭和30年代を中心に、懐かしい様々な雑貨や日用品が並んでいる。嬉しかったのは、象が踏んでも壊れない「アーム筆入れ」や「狼少年ケン」のメンコ、お尻にスクリューがついている「マブチモーター」や髑髏(どくろ)マークも怪しい「スパイ手帳」などと再会できたことだ。おたくの面々には垂涎の品がこれでもかと顔を並べている。
 レコードジャケットコーナーでは、裕次郎からキャンデイーズ、ビートルズやジョンレノンなどが並んでいたが、僕はある二人の歌手の並びに妙に親近感を覚えた。「3日前のハンバーグ」こと菅原洋一となぜか「Hね」と言われてしまうフランク永井である。この二人の間で妻に写真を撮ってもらい、今日の成果とした。


2004年01月10日 もう一人のムトヤンともう一つの学校(オルタナテイブ・スクール)に乾杯!

 京急上大岡駅のウイリングタワー5Fで、とあるフリースクールの創立10周年記念イベントに参加した。横浜線の小机駅にある楠の木学園は、LDや不登校といった様々な「個性」を抱える子どもたちのための学校である。かつてはこうした学校が存在しなかったために、本当に悩まれ苦労された親子は多かったろうし、今でもその状況が是正されたとは言い難いのが現実だ。僕は、ある人のつてで、この学園を支える会の一員になっている。
 今日のイベントは講演会と学園の先生方の実践報告であったが、広い会場は本当に沢山の参加者であふれていたし、内容もとても良かった。ジャッキーチェン似の体育の先生は皿回しやカスケードを取り入れ、頭や手足を柔軟にして姿勢を良くすることが大事だとされた。また、音楽の先生は、スノーダストのような微かな金属音を発する金銀の球を振りながら、「大切な音の聴きにくさ」を逆説的に話された。他にもカウンセラーや進路担当の先生方の話も啓発に満ちていた。
 ここで感じるのは、子どもたちの抱える「問題」をみんなが大事にしながら、惜しげもなく向き合って、「あるべき」姿に近づくための努力を楽しく丁寧に、そして根気よく続けているということだった。この小さいけれども美しい学園の責任者が、僕と同姓のoldムトヤンである。
 「先生方と子どもたちが学園の財産」と言い切る学園長は、しかし、NPO法人ゆえに定期券の学割や私学助成が認められないなど金銭的な悩みも多いのだが、柔和で優しいその眼差しには熱いものを感じさせる。10周年を共に喜び、頼もしく誇らしく思いながら、また、自分に出来ることはないだろうか等と考えたりした。



2004年01月07日 「あゆみ」を書く

 明日から3学期が始まるということで、息子の「あゆみ(通知表)」の2学期家庭欄のコメントを書くことになった。何でも、1学期は女房が書いたので、「2学期はパパ」となったらしい。ところが、これがけっこうムズい。
 先ず、書き出しに困った。そこで、やはり、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と始めてしまった。後は、学校が楽しいこと、友人と遊ぶ機会が増えたこと、かけ算の九九や漢字の練習をしていること、教会で初聖体を受けたことやピアノの稽古を始めたことがいい刺激になっていることなどを書いた。
 だから、何なのかと言われると真に苦しいのだが、自分ではなかなかの力作だと思った。しかし、女房は「年賀状じゃないんだから」と少々呆れ、「はみ出し過ぎよ」とも言った。なるほど、欄を大きくはみ出しているが、1学期だって少しはみ出している。「まあ、想いがあっていいじゃないか」とやり過ごした。
 ふむふむ、ところで、なぜ「あゆみ」なのか?僕等の小学校の頃は「通知表」ではなかったか。大体、「あゆみ」ちゃんが「あゆみ」を貰ったらどうするんだよ、などと話は一気に盛り上がる気配を見せたが紙面が尽きるのでここまで!


2004年01月05日 小屋番さんと差しで語り明かす〜あだたらの正月

 新春山行は福島県の安達太良山、くろがね小屋をベースに温泉と雪山を存分に楽しもうという魂胆だ。安達太良には既に何度も足を運んでいるが、正月の山は実に美しい。風が強いことも有名で、稜線はけっこうクラストしたりするが、ピッケルやアイゼンを使うにはもってこいの雪山である。
 五葉平からのコースでくろがね小屋を目指す。案の定、小屋の宿泊客は僕一人であった。美味しいカレーの夕食の後は、つまみやお酒で小屋番のSさんと四方山話。気づいたらもう11時を回っている。一緒に風呂に入って寝たが、こんな経験は初めてだ。何だか、とってもトクをした気分になる。
 明けて今日は、輝く雪面にトレースを刻みながら安達太良山に登頂、薬師岳経由でゴンドラで下りた。箕輪山や鉄山方面にはやや雲がかかってはいたが、総じて穏やかな陽差しが降り注ぎ、キラキラとダイヤモンドダストが舞う白銀の山は、まさに天国のようにさえ感じられた。(山頂直下の斜面が一カ所、雪壁になっていて緊張したが・・)
 何度入ってもじんわりと温かい風呂や、Sさんのきかん坊時代の話や日本酒(千功成)の味を思い出しながら、二本松を後にした。


2004年01月02日 凧になったお父さん


正月の晴天は、どこか清々しくきりりとしている。元日は教会で新年のミサに授かり、今日は近くのグラウンドで凧揚げをした。
 凧自体は昨年もとめたビニールカイトだが、これが実に良く上がる。今日も風向きを確かめながら、気持ちよく上がっていった。息子は凧は走って上げるものだとつい走り回ってしまうが、これではせっかく風を受けて上がっているのに勿体ない。僕は若干余裕をかましながら、一気に上げた後は暫く凧のなすがままにさせる。まあ、それでもやがて落ちてきてしまうのだけれど・・。
 凧揚げは常に空を見上げていて、適度に走り回りもする。健康的で文字通り上昇志向の遊びなんだなとあらためて思う。そんなことはともかく、青い空に舞い上がる緑の遊戯王デュエルモンスターズ・カイト、サイコーだ!


2003年12月31日 ボブ・サップ&曙、SMAPでグッドバイ!

 皆さん、佳いお年をお迎え下さい。来年も、どうぞよろしく!!(ってもうじきなんだけど・・)


2003年12月30日 女子十二楽坊の「世界に一つだけの花」を聴きながら

 横浜線から八高線を経由、中央線を乗り継いで、まるで「点と線」を結ぶかのような行動をしてきた。物事には様々な決着の仕方があるのだろうが、今日の行動も僕等の「納得のいく」決着を手元に引き寄せるためのものであり、何よりも一人の人間の窮地を救うためのものだった。
 先日、新国立劇場で観た「ケプラー、あこがれの星海航路(青年劇場)」の中で、ケプラーは「宇宙は調和を望んでいる」という偉大なメッセージを披露している。そして、地球は「飢えと戦争に喘ぎながら、それでも回っている」とも。
 新しい年が来て、この紛争もやがては一つの帰着点を見出すだろう。いつも精一杯応援できているとは言えないが、微力ながら支えたい。


2003年12月29日 本物は違うなあ・・

 先日求めたバトミントンのラケットである。Mizuno製のグラファイトカーボン仕様で、とても軽い。いくら振っても、まるで重量を感じさせずに空気をシャープに切り裂く。これに羽のシャトルで、息子と近所のグラウンドで打ち合ってみた。
 さぞ、縦横無尽に打ちまくれるだろうと思いきや、これがてんで駄目なのだ。ラケットが軽すぎて、シャトルを待ちきれずに振ってしまうのと、同様の理由でシャトルを遠くへ打ち飛ばすことが出来ない。つまり、羽を打つタイミングをきっちりとらえ、パワーヒットしないと相手方にまともに飛んでいかないのである。硬いガットも今一つ、まだしっくり来ない。あの、おもちゃ屋で売ってるバトミントンとは、大部勝手が違うのに正直驚いた。
 野外だろうと室内だろうと関係ない。せめてもう少しラリーが続くようにと、心中密かに特訓を誓ったのだった。


2003年12月28日 白銀は招くよ!

 暮れも押し詰まったが、家族で白樺湖へ行って来た。ファミリー向けのお手頃なホテルに宿泊し、温泉やバイキング料理、ソリ遊び等に興じた。
 そんな中、今朝の夜明けの光景は心に残った。和洋室の3Fの部屋はちょうど湖に面しており、正面に車山が見えている。この車山に朝陽が当たり、刻々とその色を変えながらやがて真っ白に輝いていく。この自然のドラマは見飽きることがなく、つい、10枚以上もデジカメのシャッターを切っていた。
 4Fのメインダイニング「氷河」で朝食をとる頃には、白銀に輝く白樺湖と車山がこれでもかと目前に迫り、多くの家族連れを喜ばせていた。帰りの茅野行きのバスでも、蓼科山から阿弥陀岳まで八ヶ岳連峰がくっきりと見えており、これまた大いにこちらのハートを揺さぶった。
 さて、そろそろ出番ですかね?地元のICIでおニューのガスコンロ(EPI・STRASTOVE、Sー1022)も買ったことだし・・。


2003年12月24日 サイコーだぜ、片倉高校!

 昨日、二人の子供を連れて、市民会館で開かれていた吹奏楽フェステイバルへ行った。もっとも、その前に見晴らし公園と富士森グラウンドをはしごして存分に遊んだ後だった。実は、ちょっとでもいいから聞きたい、いや、聞かせたい(子供たちに)演奏があったからだ。
 この演奏会は地元の市内高校16校の吹奏楽部が一堂に会して交流と技術の向上をはかろうというもので、既に18回を数えている。今年のテーマは「夢を奏でよう〜無限大〜」であった。プログラムを渡されて、思わずほくそ笑んだ。お目当ての片倉高校が、まだ残っていたからだ。
 片倉高校の演奏を聴いたのは、もう4年くらい前になる。GWの定期演奏会だったが、これが抜群の楽しさだった。サザン・メドレーやデイープパープル・メドレー等、部員達が縦横無尽に楽器と戯れながら吹きまくっている。手品もコントもボンボンガールズも卒業式までやってしまう(つまりもう1回だね、新OBたちの)。正直、こんなコンサートかつて見たことがなかった。そこには、情熱とユーモアと音楽をとことん楽しもうとする彼等の全てが弾けまくっていた。そして、その後も機会ある毎に彼等の演奏を堪能してきた。
 そして、今回もやってくれた。曲は「サウンド・オブ・ミュージック」、ハンドベルの美しい音色に続いて、何とエアーポンプで「エーデルワイス」を演奏したのだった。「プ〜ピr、プア〜、ピ〜プルスu〜」とまさに「おなら」のような音色で場内大爆笑。しかも、きっちり1コーラスをハンドベルと競演し、ガッツポーズの彼に場内からは嵐のような拍手が巻き起こった。実は、この時、パート毎に手を振りながら舞台の袖へ消えていったメンバーは、黄色のトレーナーからマーチング用の赤と黒の衣装に着替えていたのである。その後は、再び舞台の上手と下手、会場の後部座席からマーチングバンドと化したメンバーが登場し、リーダーの指揮で幾重にも隊列を組み替えながら、その演奏は揺るぎなくドレミの歌を奏で続けていった。エンデイングが決まった瞬間、会場は揺れんばかりの拍手で、僕は思わず「いいぞ〜!」と叫んでしまい、隣に座っていた息子と友人に呆れられてしまった。
 勿論、他にもステキな演奏がてんこ盛りで、このコンサート暫くはやみつきになりそうである。


2003年12月23日 冬の日

 冬晴れの穏やかな日が続く。少しゆとりが出来ると、今までやれずに放っておいたことに取り組めるというものだ。
 例えば、錆びついて鳴りにくくなった自転車のベルをプラスチック製の小型のものに付け替えたり、パソコンの液晶画面に光沢アクリルシートを貼って輝き画面にしたり(けっこう気泡も入ったけど)、たまっていたチケットや入場券、レシートや記念プログラム等をノートに貼付して整理したり、という具合だ。
 少し手をかけると、何故か愛着が湧いて大事にしたくなるから不思議だ。きっと人間もそうに違いない。手をかけすぎても、かけなさすぎてもうまくない。そんな塩梅が分かる頃には、もう先が短くなっているのだろうか。もっとも、まだまだ「したり顔」をしたくはないけれど・・。
 


2003年12月21日 ♪草津良いとこ、一度はおいで〜!

 週末、横浜南部労連の仲間と群馬県の草津温泉へ行って来た。来年1月の冬の行事の下見なのだが、久々に大量の雪を見て爽快だった。それも、昨晩ドッサリと降り、快晴の今日はもう輝くばかりの銀世界。これにピリピリするような温泉が、あっちこっちで湯煙をあげて待ってるのだから、もう言うことはない。
 とりわけ楽しかったのは、宿泊したホテルの副支配人が毎日やっている早朝散歩でラッセルをしたことだ。ソフトクリームのような雪の肌を、両手にストックを持ち、総勢15名で泳ぐように歩いた。スノーシュー等は使わず、基本的にツボ足でヨイショコラショと踏み込んでいく。
 いつもならプラブーツの僕も、下見の今回はメレルシューズにオーバーズボン&ロングスパッツという下半身の出で立ちだったが、まずまずラッセルには差し支えなかった。終盤ややマジになり先頭をかってでて、みぞおちくらいの深さの雪の中でもがいた。しかし、膝を上げて脛で押さえつけながら踏み固めるというテクニック?を披露していい汗をかいた。
 他にも温泉街の中央にある湯畑を見、西の河原の大露天風呂にもしっかりとつかった。2学期を終えたばかりの自分にとっては、開放感に丸ごとひたりきった気分だった。ややしょっぱいお湯で顔をなでながら、「はあ〜〜、いいねえ〜〜・・」と何度も口ずさんだ。やっぱ、日本人はこれですな、ベルツさん!


2003年12月16日 歌の魅力(CDスペシャル)

 先週から始まった高3講座の中で、今年から新設した講座だ。自分の好きなCDをかけて、自由に感想を出し合うというもの。歌にまつわるエピソードや時代性、歌詞にも注目している。
 先週の第1回目は僕がやり、2回目の今日は生徒にバトンタッチしてやってもらったが、これがなかなかスゴイ。正直言って、感心した。ラインナップは次の通り。
1、Message(福山雅治)
2、こんなにあなたを愛しているのに(シャ乱Q)
3、泣かないで(同)
4、ハピネス(B’z)
5、もう一度キスしたかった(同)
6、Another Orion(藤井フミヤ)
7、True Love(同)
8、Hey Jude(BEATLES)
9、Let it be(同)
 担当のT君は自らの体験をもとに「恋愛の切なさ」や「自分に問いかけられている」メッセージ等を淡々と語った。休憩を入れて2時間の講座の主役は、まさしく彼だった。
 B’zやフミヤも良かったが、明るい教室で久しぶりに聞く「Let it be」に体が震えていた。


2003年12月15日 箱根ホクホクハイク

 好天に恵まれ、箱根の山を歩いてきた。湯本から登山鉄道に乗り小涌谷で下車、千条の滝から浅間山へ登って、後は湯坂路を湯本まで下るというポレポレ山行である。
 集まった仲間は総勢5名、一番遠いTさんは船橋から品川乗り換え新幹線で駆けつけてくれた。いやあ〜、有難い。紅一点のKさんは、ソフトボールで鍛えた足腰でおしゃべりの方も舌好調!!
 日だまりの浅間山では、どこかの尺八おじさんが妙なる調べを奏でてくれたし、鯛の押し寿司やサンドイッチ、みかんにコーヒー、茎わかめも出てもう満足。下りはゆるいカヤトの尾根を快調に飛ばし、下山後は○○しゃらの湯で一浴&ビールで言うことなし。
 久々の至福の山。これが元気の素ですね! 


2003年12月12日 将来、就きたい仕事

 2学期も終盤を迎えている。ここ数日は、成績処理等で慌ただしい日々だ。そんな中、担任があちこちで生徒や保護者と面談を行ったりしている。学期末には良くある光景なのだが、こんなやりとりを耳にした。
 コピー機横のラウンドテーブルである。若手のO君の冷静な声が聞こえてくる。
「ところで、将来就きたい仕事なんですが、これ、全く意味不明です。何ですか?この催眠術師っていうのは・・」
「はあ・・、なりたいもんで・・」
 端で聞いていて思わず吹き出してしまった。生徒は1年生、どこか恐縮しながらもボソボソと力強く?答えていた。むしろ、若い担任のO君と話しているのがうれしくて仕方がないというようにも見える。
 そうかあ、催眠術師ねえ。透明人間になりたいっていう奴も昔いたなあ。「何、考えてんの、チミは?」なんて、突然カトちゃんに変身したくもなるが、こういう発想、嫌いじゃない。
 ところで、かくいう自分も教室で生徒をケムにまいている催眠術師かも知れない。いや、ハーメルンの笛吹だったりするかも。いずれにしても、自己催眠には陥らないように気をつけたいものだ。


2003年12月11日 肩を貸す

 帰りの横浜線、淵野辺駅を過ぎた辺りで、ふと左肩に重みを感じた。僕の左隣には町田駅から乗車してきた若い女性が座っていたはずだ。う〜む。
 残念ながら、前には二人連れの男性が立っており、窓でどのような状況になっているのかを確認することが出来ない。うっかり左を向くと彼女の寝顔を目前に見ることになりそうで、それも出来ない。まあ、なすがままにして、僕もうつらうつらとしていた。
 ところで、この電車は橋本駅止まりであった。「終点〜」のアナウンスが流れ、乗客達は三々五々立ち上がる。僕もゆっくりと立ち上がろうとした。しかし、彼女はまだ、寝たままだ。どうしよう。やはり、立ち上がった。「終点ですよ」と声をかけて起こすべきか。立ち上がって、一瞬、彼女の寝顔を見た。思いの外、美形であった。
 そこへ車掌が二人出てきた。「お客さん、終点ですよ!」いとも普通に彼女を起こして過ぎ去っていく。彼女は慌てて飛び起きてバックを落とし、拾うとややふらふらしながら下りていった。僕は、そんな様子を見送って、ゆるりと下車した。
 あそこで僕が起こしていたら、新しい物語が始まったろうか。後続の列車を待ちながら、空想に耽った。


2003年12月08日 5コマ7発!

 以前にも、こんなタイトルがあったかな?今日の答案返却のことである。現代文が5つ、古典が2つ、とてもじゃないけれど土曜日に返せるメドがたたず、確信犯的に今日に全てを集中する作戦を組んだのだった。5時間で7つ返すためには、そう、1時間にダブルで返却しなければならないクラスが2つということだ。
 いやはや、終わってみるとヨレヨレというよりは、一騎当千?の清々しさがあった。これで、3年生の授業は実質的に終わりとなる。後は、各自の選択による講座が4回あるだけだ。
 そんなわけでもないが、一通り終わった後に、「自分の成績は大丈夫か」「課題はもらえないか」等とやけに集まってくる。うれしいような、そうでないような、「最初からやっとけよ」と言いながらも、こちらもついつい「○○は、どうかなあ・・」と話に乗り出してしまう。
 イラクで外交官が狙撃され、尊い命が亡くなったにも関わらず、今まさに自衛隊が派遣されようとしている。しかも、陸海空に何タラ砲という武器まで携行する予定だとか・・。「教え子を戦争に送るな!」なんて、随分時代がかったスローガンだと思っていたが、何のことはない、すぐ目の前に起こり得る現実になりつつある。
 平和な教室を抜け、県庁へ足を運びながら、そんなことを思った。


2003年12月06日 月とシマフクロウ

 漆黒の闇の中、大きな明るい月をバックに一羽のシマフクロウのシルエットが浮かび上がっている。孤独なようで、陶然とした時間の流れを感じさせる。月面にも細かくクレーター等が彫り込まれており、その刻まれ方も一様でない。そう、これは黒曜石の彫刻なのだ。
 十勝工藝社の「元気くん」に言わせると、シマフクロウは「男の想い」らしい。真に、共感できる。このシルエット・シリーズには、他にエゾシカやナキウサギ、流星群や宇宙、石のアーチ橋や禅僧のようなものまである。作者の想いは壮大にしてロマンテイックであり、北海道と黒曜石という舞台と素材から自然に湧き上がってくるようだ。
 そう言えば、イギリスの詩人ブレイクの言葉を思い出す。「水槽は水をたたえ、泉は湧き出て絶えることがない」こじんまりとした水槽でなく、泉のようでありたいと願うのは言うまでもない。
 片手にはややあまり、両手で左右から握るとけなげな大きさ。夜になったら、心なしか月が大きくなったように感じる。その内、満ち欠けし始めたらどうしよう。何ともステキな黒曜石の世界、あなたも経験してみては!


2003年12月05日 メレルの靴

 偶然、ヨーカドーのスポーツ用品売場で目にしたのだが、これがなかなかいい。スウェード地で色はライトキャメル、紐は大ぶりに2回で締め上げる。甲の部分は真ん中に縫い目が入って、大きく二つに割れる感じだ。ソールはコンパクトに、且つ、がっちりと靴全体をホールドしている。ややつま先と甲の部分が長いような気もするが、それは甲のベロが長めなせいか。全体にスポーテイーで上品である。あっさりしていながら、どこか堅牢でもあって、ホーキンスや軽登山靴にはないスマートさがある。どこかフラットソールのクライミングシューズに似ている。
 こんなに一目で気に入ってしまう靴も少ない。元来、シューズ・フリークではあるが、過去に満足のゆくシューズに出会ったことは稀だ。ハッシュパピーの通勤靴や、冬山で履いたアゾロのプラブーツ(インナーの長いベロを切り落としたらサイコー!)、夏のデッキシューズなど、数えるほどである。
 店で求め、帰りには早速履いてきた。しかも、雨の中を!ニューシューズは雨天にさり気なくおろすのが粋だと、密かに自負している。
 まあ、それはともかく、暫くはこれで毎日の通勤が楽しくなりそうだ。


2003年12月03日 白鷺を見た!

 それは、間違いなく白鷺だった。京浜急行の線路に面した芝のグラウンドで、ゆっくりと歩きながら時折嘴を芝の間に突き刺していた。思わず、帰りの足をとめ、魅入ってしまった。
 後ろから中学部の若手がやってきた。
「あれは、何かな」
「・・白鷺ですね」
「カラスは見るけど、白鷺とはね・・・」
「何か、いいことがありそうですね」
「あるといいけどね、生徒が増えるとか」
「やっぱり、減りそうですか」
「う〜ん、増えないんじゃない、特○コースなんて言ってる内は・・」
 話はややリアルになったが、グラウンドの一方にはカラスもいた。
「白と黒か」
「そう言えば、うちの創立者はクロツチシロウさんだよ」
「クロシロですね」
「いや、苦労しろーだってさ」
 僕等は門を出て、駅へ向かった。白鷺の残像に、少しばかり胸をはずませながら。


2003年12月01日 師走のわけ

 
今日から期末テスト、やっと作った問題が1時間目には5クラスで実施され、あっけなく終了。職員室の机上は早くも答案用紙の山と化した。しかし、高3の彼等にとっては、実質的にはこれが最後のテストとなる。そんな想いもどこかに感じながら、少しづつ採点を始めた。
 窓の外は雨で、昼下がりの時間はいつもより長いように思える。赤のサインペンを軽快に?走らせていくと、ふと、目が余白にとまる。「1年間ありがとうございました」おいおい、まだ早いよ、高3講座もあるじゃないか。卒業までは、油断できないんだからな・・。
 そうつぶやきながら、けっこうじんとくる。師走の朔日である。





2003年11月29日 ハシゴ酒、たまにはね・・

 久々にハマの夜を満喫、などと書くと随分豪勢だが、大したことはない。出張で開港記念会館に行き、「中国古典の愉しみ(伊波律子氏)」という文学講演を拝聴した帰り、県庁経由で関内近辺を友人と散策したのだった。domadoma〜Queen Marry〜関内ガードシタ(ドーカシタではない)という順序で、物の見事にハットトリックを達成、ゴ〜ル!!と叫んで走り出しはしなかったものの自由闊達な夜となった。
 ところで、二軒目は当初、「デカハイ」が名物の「関内ハイボール」を目指したのだが、何と焼肉の「牛角」に替わっていたのにはビックリした。洒落た店だっただけに残念だ。ちなみに、この店は新横浜にもある。
 三軒目で今一人の友人が合流し(実はずっと呼び出していた)、宴は最高潮?に達した。ハットトリックとアルバトロス、「はっけよ〜い(立ち会い)」から一気にダイビングヘッド、式守伊之助まわしを握ったまま力士丸裸、木村庄之助は何人いるんだなどという話題が跳梁跋扈し、「金瓶梅」「紅楼夢」の夜は更けていったのである。



2003年11月27日 そうか〜、9周年!

 この間の月曜日、川崎の実家から花束が届いた。シンビジュームという大型の蘭である。丸っこい大ぶりのつぼみが早くも満開になりつつある。
 そう、9年前の今日、僕は妻と結婚したのだった。クリスチャンの彼女のために、大学の聖堂で式を挙げ、披露宴は大学に近い半蔵門のT会館で開いた。一世一代の?イベントにしては、淡々と心安く進んだようにも思う。唯、感じたのは、本当に多くの人が自分たちのために喜んでくれているということだった。これはもう、まぎれもない感動ものであった。皆さんに祝福されて、やっぱり、うれしかった。
 その後、思いがけず早く子どもが生まれたが、この時も「なかなかやるもんだ」と自信を深めた?覚えがある。こんな人生の一場面が、多かれ少なかれ誰にでも訪れるのだろう。さあ、次は一体どんな場面が待ち受けているのか・・。(おっと、その前に期末テスト作らねば!)
 


2003年11月24日 TRAD(私学の集い)余話

 TRADは天気にも恵まれ、多くの参加者を集めて盛況だった。オープニングセレモニーでは、我が有志バンドも十二分にその実力を発揮し、15分3曲という短いステージだったが大受けであった。機材のレンタルからセッテイング、リハーサル殆どなしという超過密スケジュールの中で良くやってくれたと思う。正直、嬉しい限りだ。
 ところで、午前中のセミナーは時間が早い(10時スタート!)こともあり、僕も入れて4名でしみじみと楽しくやった。用意したCDを聞きながら、率直な感想を出し合って歌詞にも注目したりした。その中で、H学園の音楽の先生がいた。彼女はテレサテンの「別れの予感」を聞いて、「歌が上手すぎて、音楽が流れる」と称した。また、原田知世の「愛情物語」では、「歌の指導を考えてしまい、歌詞には注目できなかった」と語ってくれた。なるほど、音楽の先生はやっぱり「歌唱の指導」に重点を置いているらしい。
 「別れの予感」が男性本位の歌詞であり、「愛情物語」が歌詞的には素晴らしい(「初めて会うのに、想い出のような人」etc)などと僕は指摘していたが、この静かな日だまりの教室でのセミナー、バンドの興奮とは別の高揚感があったことは否めない。やっぱり、これって、幸せもんってやつでしょうかね・・。


2003年11月22日 グータラのルーツ

 ♪○から始まるリズムに合わせて、パンパン(手拍子)ママ2、ママ・ママ♪、なんていう歌遊びがある。互いに何回か名前を言い合って、間違った方が負けだ。今日は近所のグラウンドへ行く途中、うちの息子とやっていた。
 1回の時は、二人で「グー、○○○」なんて声を合わせるのだが、「パパ1」の時に出た言葉が、「グー、パパ」ならぬ「グー、タラ」にはまいった。大きい声で「グータラ」と言われると、妙にバツが悪かったり、また、それ故に可笑しかったりする。
 そうか〜、やっぱり、グータラかあ・・。ところで、「グータラ」の語源って何だろう。きっと、「たらふく食べてグーグー寝る」に違いない。音の響きの割には、ひょとしたら至福の時を意味する言葉かも知れない。(まあ、違うでしょうが・・)
 秋晴れのグータラ、いいんでないかい。手には黄色いフリスビーが揺れていた。
 


2003年11月20日 相模女子で会いましょう!

 トップページに見る通り、今度の日曜日に「神奈川私学のつどい」がある。主催は私学助成を進める会となっているが、私学教職員組合連合と父母懇談会が中心である。
 私立学校には国と県から補助金(助成金)が出ているのだが、神奈川県は全国でも最低レベルである。公立へ通う生徒の約7倍ものお金を、私学に通う生徒の親は負担しなくてはならない。公教育と言いながら、これではあまりに不平等だ。そこで、県内私学が集まって、その素晴らしさをアピールしながら助成金の拡充を皆さん(議員さんにも!)にアピールする、そんな集いになっている。
 僕もつたないセミナーを設けたし、うちの有志のバンドも登場する。正直言って、今回は入れ込んでます。乞う!ご期待。


2003年11月17日 北の国から’03

 5時間目の授業を終えて、教務日誌を書いている時だった。事務所からのインターホンに呼び出されて玄関へ行くと、何と北海道の帯広の高校へ就職した教え子が立っていた。傍らには、校長先生まで一緒だった。修学旅行の帰りに寄ってくれたと言う。
 彼は在学中3年間、野球部のマネージャーを務めていた。大学へ行ってからは学生野球連盟の仕事もこなし、プレーヤーとしては決して学ぶことの出来ない野球の裏方をとことん経験したのだった。そんな彼が、北海道の帯広へ野球部の監督として赴任するという連絡を受けた時、僕は思わず快哉を叫んだ。「彼ならきっといい監督、いい先生になれる!」と。
 案の定、赴任して2年目には北海道大会のブロック別の準優勝校になった。担任も持って、試行錯誤しながら奮闘している様子だった。
応接室で話しながら、地道に成長を続ける彼に気分が高揚していた。「先生は山岳部の顧問なんですよ」と彼が僕のことを校長先生に紹介すると、「今度は是非、北海道の山へ。日高の山はいいですよ」と勧めて下さった。僕は有難いなと思いながら、素足にサンダル履きの足下を一瞬見やった。
 藍より遙かに青し。進むべき道を着実に歩む彼と、そんな彼を見守って下さる校長さんに、いつの間にか励まされているようだった。帰り際、二人を見送る僕は、暫し、遠くなる後ろ姿を陶然と見据えていた。


2003年11月16日 すれ違う物語・相模線

 とある行動のために、JR相模線に乗った。横浜線の橋本駅と東海道線の茅ヶ崎駅を南北に結ぶのどかなローカル線である。乗降の際にはボタンを押してドアを開け閉めし、上下線がすれ違うためには片方が待っていなければならないという、今時珍しい列車なのだ。
 まるで真夏を思わせるような昼下がり、僕は昼のカレーをお腹でこなしながら、うつらうつらとしていた。車内は適度に空いていて、まったくのんびりとしている。橋本から茅ヶ崎までたっぷり1時間かかる。
 そう言えば、夏に一度この相模線に乗り込むはずが、大雨と弱気のために引き返したことがあった。そうだ、今日はリベンジだったのだ。そして、そのリベンジは見事に?完遂されたのだ(としておこう)。
 帰りは、車窓に夕陽が映り、やがて薄暮と化していった。橋本に着く頃には、すっかり今日の一日が終わるかのように暗くなっていた。


2003年11月15日 こけちゃいました〜(男子マラソン谷口選手の笑顔を思い浮かべながら)

 授業変更で同じクラスが2時間続きになった。以前から分かっていたので、土曜と言うこともあり視聴覚教室で映画を鑑賞した。候補に挙がった作品は「耳をすませば(ジブリ系)」「至福の時(チャン・イーモウ)」「シコふんじゃった(周防正行)」「愛と青春の旅立ち(リチャード・ギア)」等であったが、結局、選んだのは「戦場のメリークリスマス(大島渚)」であった。
 実は自宅にあったものなのだが、久々にパッケージを開けると何と中のテープに白カビが生えている。これではいかんと、職場の近所のビデオ屋で借りたのは良いが、かなりの年代物になっている気配。実際にビデオが始まってみると画面は暗いし、字幕は小さくて見づらいし、どうも今一つ。勿論、視聴覚のデータビュアの調子も万全とは言い難い。
 デビットボウイ扮するセイヤーズが自分の過去を回想し弟への冷たい仕打ちを悔いたり、坂本龍一扮するヨノイ大尉に捕虜への蛮行を止めさせるために抱きついて両頬にキスしたりするシーンなど幾つかの印象的なシーンもあるのだが、総じて重く、「腹切り」「白鉢巻」に象徴される日本人像や暴力、戦争の持つ馬鹿げた狂気の部分が目立ってしまった感があった。
 「それこそが狙いなんだよ」などと開き直るには、大部疲れる鑑賞会になった。時に不平や寝息を交えながらも付き合ってくれた3年生に心から感謝したい。
次回はコメデイーで行くからね・・。
 


2003年11月12日 疲れたら、花梨(かりん)!

 先日、近所の方から庭先に落ちている実を一つ頂いた。でこぼこしていて、黄色くて、不思議な格好だが、とても良い香りがする。居間のテーブルに転がしておいたが、ついつい触ったり、鼻に近づけて香りを楽しんでいる。
 そう言えば、柏原芳恵の歌に「花梨」というのがあった。「♪花梨、花梨、実らぬ恋・・」だったかな。香りはいいけれど、食用には適さないらしい。しかし、うっかり、息子の学童の連絡帳に書いてしまった。
 「マッスー(学童のお兄さん)に貰った花梨が、とてもいい匂いです。その内、食べてみようかな」まあ、いいよね。暫くは、僕の大切なアロマテラピーなのだから。


2003年11月10日 雨の日と月曜日は

 なんていう歌があった。確か、カーペンターズだったと思う。こんな日は生徒ならずとも足取りが重い。仕事でしょう、しっかりしてよ!なんて声も聞こえそうだが、真実なのだから仕方がない。
 また、良く言うのだが、その日の一発目の授業が終わらないと何だか落ち着かない。始まってしまえば、後は流れていく。自然にエンジンがかかっていく。そんなものだ。
 雨の日の朝、しっとりと心を歩く。


2003年11月09日 ニワトリさんから電話?

 それは、昨夕の出来事だった。最近、電話が鳴ると息子が出るようになったが、少しのやりとりの後に、「パパ、ニワトリさんからだよ」と呼んだ。はて?と受話器を握ると、何と駅前駐輪場の「ナトリ」さんという方からであった。
 要するに、自転車の駐輪契約の更新が遅れているということだった。そう言えば、先月末から文化祭がらみでドタバタしており、つい、うっかりしていたのだった。結局、夕食前に一っ走りして更新を済ませてきたが、意外と仕事熱心なんだなあと感心した。
 僕の自転車は、早朝6時20分には駐輪場に置かれるのが常だ。まさしく鶏が鳴く頃で、そう考えると息子の言葉が妙に可笑しい。ニワトリさん、ご苦労様。今度はウグイスさんか焼き鳥さんでお願いします。


2003年11月08日 ヒマラヤから教わったこと

 登山家の重廣恒夫さんの著書である。本当のタイトルは「エベレストから百名山へ」なのだが、僕にはこの副題の方がしっくりくる。
 本書を読むと、あらためて重廣さんの山歴に驚嘆する。これだけ永くヒマラヤの第一線で活躍してきた人もいないだろう。実際、多くの登山家が輝かしい登頂と引き替えに、どこかで命を失うことが多すぎるからだ。
 1973年エベレスト南壁(第2次RCC隊)
 1976年ナンダデヴィ縦走
 1977年K2(日本人初登頂)
 1979年ラトックT峰
 1980年チョモランマ北壁初登攀
 1984年カンチェンジュンガ縦走
 1985年マッシャーブルム&ブロードピーク連続登攀
 1988年チョモランマ交差縦走 
 1991〜2年ナムチャバルワ初登頂
 1995年マカルー東稜
 これらの中で特に印象深いのはナムチャバルワで、NHKの特集で偵察と本番と幾度か見た覚えがある。隊長として日中の登山隊をまとめ、周到なタクテイクスを組み、一度は阻まれた未踏の世界最高峰を落としたドラマは、まさしく「重廣隊長がナムチャバルワにまさった」という番組のコメントを引き出していたことを思い出す。この時、重廣さんは自身の登頂の機会を他の隊員に譲る結果になった。
 また、186〜7頁にかけて「K2会」の記述があり、その中でかつて共にパキスタンへ赴いた、今は亡き仲間の名前が出てきた時には、はっとさせられた。
 読後の感想は、これだけの山に多くの仲間と打ち込んで来られた重廣さんは、本当に幸せで強運な山屋なんだなということだった。勿論、その裏にどれだけの苦労や努力があったかということは言うまでもないのだが・・。
 最近、すっかりハイキングおじさんになってしまい、大きな山に挑んでいない僕だが、この書を単に「憧憬」の書とはしたくない。もう一度、挑戦の機会があるのではないか。いや、作るんだ!そう思わせる「何か」を持っていることは確かだ。
 


2003年11月07日 大きい字を書いてみよう

 文化祭での書道部の試みである。作品展示にとどまらず、お客さんに実際に好きな字を書いて貰おうというもの。しかも、かなり大きい(60cm四方くらい)半紙にだ。筆もまことにぶっとく、墨もたっぷりと硯に溜まっている。本番前には新聞紙で練習も出来る。これでは、書かないわけにはいかないってもんだ。
 先鋒の息子は、自分の名前を漢字で書いた。なかなかの出来だ。書き方も様になっている。副将の女房は、何と「華」と書いた。これは彼女の勤務校の文化祭に関係があるらしい。書き順が話題になったが、まずまず。
 さあ、いよいよ裸の大将の出番だ。やはり、名前を書くことにしたが、平仮名でトライした。おもむろに極太の筆に大量の墨を含ませ、ゆっくりと筆先を下ろしていく。「ゆ」とダイナミックに書いた。久々にしてはイイ感じだ。しかし、致命的なのは、この一文字でスペースが殆どなくなってしまったことだ。「お風呂みたい」とは息子の弁。う〜む、もう一回!
 2回目、やや半紙の上方に「ゆ」と書き、下に並ぶように「た」「か」を書き下ろした。「ゆかた!」今度は女房が言う。
 男は黙ってサッポロビール、世界の三船も言っていた。誰が何と言おうと、流れるようなダイナミックな筆致に満足をした。そして、ふと、中山鶴雲(かくうん)という名前を思い出していた。これは、僕が小学生の時に書道を習い、そのお手本を書いていた人の名前だ。一体、どんな人だったかは当時から全くわからない。ただ、いつも臨書する手本に、この人の号があったのだ。
 「大きい字は、大きい心につながる」展示場の雑記帳にさり気なく記した。偽らざる実感だった。
 


2003年11月04日 ふろ煩悩、やっぱりお湯で流すのか・・

 文化祭の代休で大月の岩殿山へ行って来た。中央線が大月へ近づくと見えてくる、あの巨大なカブト岩の山だ。天気もまずまずで富士山は雲の中だったが、紅葉狩りと大岩壁を眺めるハイキングにはうってつけである。また、その岩壁はほんの一部だが、鎖や鉄釘に助けられて?凹角を登攀することになる。軽登山靴では細かいスタンスに立ち込むなんてことはなく、刻まれたスタンスにガバッと靴底をしっかり置いて登ってしまう。
 山自体はとても良かったのだが、期待していた温泉が不調だった。というのも、前回来た時は下山口の浅利の集落から橋倉鉱泉(工事中)へ向かい、真木温泉で風呂にありついたのだが、今回はまっすぐ大月駅へ周回したのがまずかった。運良くハマイバ行きのバスが出るので飛び乗り真木温泉へ向かったが、何と「男性用風呂工事のため入浴不可」であった。「だったら、泊まってる男連中はどうすんだよ!」とキレても仕方がないので、上品に「もう来ないけんね」と胸の中で呟いて駅へ戻った。「これなら橋倉鉱泉へ行くべきだった」と、タクシー20分の看板が目についたが、今回は駅前で一杯やって帰ることにした。
 人間には百八つの煩悩があるというが、どうもこの大月では風呂煩悩らしい。まあ、いいワインを見つけたので良しとしよう。(おっと、これは酒煩悩だ!)


2003年11月01日 ワールドカップバレー開幕!


 今日から始まったW杯、日本女子チームはアルゼンチンに3−0で完勝し、順調なスタートを切った。マスコミの注目はもっぱら2人の19歳アッタカー大山と栗原だが、僕にはキャプテンを務める吉原の姿が何とも頼もしく感じられた。
 吉原と言えば、大林や中田久美と同世代の選手で、華であった大林や中田の陰で実に堅実でしぶといアタッカーだった。後年、大林と二人で日立を辞め、日本人としては初めてイタリアのプロリーグで活躍したことも忘れることの出来ないキャリアである。一体、どこにそんな強靱な精神力があるのかと不思議に思うほど、普段の吉原は静かに見える。
 女子バレーは多くの人気選手を生んできたが、息の長い玄人受けのする吉原が現役のキャプテンとして若い選手を引っ張る姿は、どこか実に感動的だ。冷静でいて熱く、勝負所をすべて心得ているかのような、まさしく「達人」の如き風格を持っている。
 僕のアイドルは、この試合の解説者の一人であった中田久美であったが、今回の吉原には大いに注目したい。頑張れ、ニッポン!



2003年10月31日 夢のあとさき

 文化祭を直前に控え、少しづつ学内のあちこちでそれらしい雰囲気が高まりつつある。校門に美術部が制作した歓迎の門が建てられたり、来校者の受け付け用テントが設置されたり、音楽団体のリハーサル、各展示や企画毎のデイスプレイも形になってきたし、宣伝ポスターも増えてきた。
 そんな中、僕はもう一つの仕事で大わらわである。それは、指定校推薦や公募推薦、AO入試等の志望理由書や小論文などの添削だ。余裕をもって取り組む生徒もいれば、直前になって「お願いします」という生徒もいる。まあ、当てにされて持って来られると見ないわけにはいかないし、基本的にそういう作業が嫌いではないのでついつい精を出す。疲れもするが、これがなかなか楽しい。
 なぜ、法学部なのか、経済学部なのか、そんなことを簡単に答えられる筈がない。しかし、きっかけになった出来事や将来の夢を語ることは出来る。そんなことを、ああでもないこうでもないと生徒と話しながら一つの作品に仕上げていく。いつの間にか、持参された下書きは赤ペンで真っ赤になっている。これこそ、生きた勉強そのものだ。
 少し疲れて体育館へ行くと、バンドのリハが行われており、ビートの効いたノリノリのロックや懐かしい「想い出がいっぱい(H2O)」がしみじみと聞こえてきたりする。ああ、いいもんだなあ。これが学校のもう一つの顔なんだ。こんな時間が永久に続けとは言わないけれど、時には必要であることに疑いの余地は全くない。
 フィエスタはいよいよ日曜日から始まる。乞う、ご期待!である。
 
 


2003年10月29日 許せない事ども

 日本テレビが視聴率操作をしていたと聞いて、そんなバカな!と怒った人は多いだろう。そこまでして自局の番組を見て貰おうとする、涙ぐましい雇われ人の悲哀と健気さを感じたりもする。しかし、もっと脳天気で視聴者をバカにしているCMが存在する。これが画面に出てくると、僕は本当に気分が悪くなってくる。「ええ加減にせいよ」とテイッシュの箱を投げつけたくなる。それは、YAHOO!BBのCMだ。
 あのヒロスエが「こんなに早くて、こんなにカンタン!」などとyahoo!bbと白抜きされた赤い巨大な袋を見せて思わせぶりに笑っている。赤い袋の中に一体何が入っているのかは一切示されない。ちょっと知識があれば、あの袋の中にはブロードバンド用のADSLモデムセットが一式入っているのだろうと想像できる。しかし、何の予備知識もない老人や中高年は、あの赤い袋だけ見せられて「いいからとにかく黙って買ってね!」と言われてるようなものだ。こんなに人をコケにした商法もない。サギと言って良い。あれは福袋でもないし、おまけでもない。れっきとした商品なのだから。
 そのヒロスエもW大を中退してしまった。AO入試の先駆けで話題を提供したが、実際には殆ど通学できなかったそうだ。だからといって、このCMはないだろう。いや、ひょっとすると、このCMは究極の諧謔CMなのかもしれない。
 そんな風に考えると、やっぱりTVマンは悪人と紙一重のアイデアマンが多いのだろうか・・・。世知辛い話である。


2003年10月27日 ますらおぶり

 今朝はいつもより寒い気がして、コーデュロイのズボンを穿いていった。明るめのブラウンのジャケット(カシミア風味)には、ピッタリのようだった。しかし、これが意外な事件?を引き起こそうとは夢にも思わなかった。
 それは、3時間目の授業の最後の方のことだった。「ほらほら、ラストラスト・・」などとみんなの注意を喚起したのはイイのだが、一人妙に可笑しさをこらえながら僕の方を見ている生徒がいた。それも顔を見てではない、どうも、目線は下の方に行っている。はて?何か?気になりながらも、問いたださぬ内に終わってしまった。
 その後、トイレへ行って、ふと我が身を見て気づくことがあった。それは、このコーデユロイのズボンのせいである。股上の浅いズボンがややきつめになったなとは感じていたが、チャックの部分が盛り上がって、光の加減では随分とズボンの前方中心部が隆起しているように見えるのだ。
 そうか、これだったか〜!彼の視線の位置に重なるではないか。授業で興奮して勃起するほど若くはなくなったが、笑うに笑えない勘違いであった。そう言えば、時々、名前を呼ばれて立ち上がったり、前へ出たりする際に妙に前屈みだったり、困ったようなかったるそうな表情をする生徒がいるが、ひょっとすると今日の勘違いのような理由なのかも知れない。
 まあ、男子校ならではの話題である。


2003年10月25日 陰陽師U(千年の闇をVFXで断て)

 久しぶりに映画を見た。前作の大ヒットに続くパート2なのだが、今回の趣向は「鬼と人」というより「神と人」のようだった。野村萬斎扮する安倍清明が命を賭けて、天の岩戸を開けんと舞い踊る姿が印象的だった。総じて前作のおどろおどろしさは影を潜め、洗練されながら(VFXも全開!)清明と博雅の絆に一つポイントが置かれているように感じた。
 敵役の中井貴一(幻角)が巧い。凄みもあるし、優雅さもある。前作の真田広之に勝るとも劣らない。しかし、「妖かし」や「現世に苦しむ民の姿」の描かれ方がやや淡白なためか、どこかで空中戦になっている感も否めない。
 まあ、それは土曜日だというのに10人足らずの劇場のせいではないだろう。むしろ、じっくり見過ぎて評が辛くなってしまったかな・・。頑張れ!シネマ3。
ps、帰りにモスバーガーに寄り、ハヤシ(ライスサンド)を買ってしまったでごんすう!


2003年10月24日 シーサイドよ永遠に!

 職場の近くに小さなピザ屋がある。ちょうど銀行の裏手に店があるので、お金を出し入れに行く際に良く立ち寄った。ランチはハンバーグ定食(ライス大盛り)、ドライカレー、飲み物はコーヒーやジンジャエールを好んで注文していた。人の良いおじさんとおばさんの二人できりもりしている、小さなピザ屋なのだ。
 店の壁には何枚かの写真が飾ってあるが、その内の一枚は僕が撮ったパキスタンのライラという山の写真だ。そして、おばさんはいつも会計の時にコーヒー飴を一つサービスにくれるのだった。
 つい最近、同僚と二人で行き、いつものようにハンバーグを食していると、おじさんが厨房から出てきて言った。「長い間お世話になりましたが、今週いっぱいで店を終わることになりました」正直、驚いた。同僚も目が踊っていた。「それは、残念です。ご苦労様でした」というような意味の言葉を返したかと思う。おじさんは更に続けた。「山の写真は、お引き取りになりますか」僕はおじさんの目を見て、「記念に差し上げます。受け取って下さい」と言った。
 帰り道、少しばかり淋しい気がしていた。同僚は逆に「今日来ておいて良かった。あの店だけ入ってなかったんで・・」と嬉しそうだった。そう言えば、銀行の女子行員にピザを届けて貰ったこともあったっけ・・。
 自分の生活の一部が確実に磨り減っていくように思えた。うららかな秋晴れの昼下がりのことである。
 


2003年10月22日 ホントは何が聞きたかったの?

 黒板を日直が消している間、こんな会話を生徒とした。
「この世の中で、何が一番大切ですか?」
「う〜ん、・・・希望かな」
「希望!?」
「希望がないと、何だか空しくなっちゃうだろう」
「では、他には?」
「・・・、愛情。ささやかな愛情かな」
「どうして、ささやかなんですか。たっぷりあった方がいいでしょう」
「ほら、沢山あると、いつまで続くかって心配になるだろう」
「でも、それは何でもそうですよね。やがては無くなっちゃうんだから」
「まあね」
「山はどうですか。いいですか?」
「いいねえ〜。歩きながら何も考えてないようでけっこういろんなことを考えるんだ。そして、いつの間にか細胞が入れ替わっちゃうようにリフレッシュできる。」
「へえ〜・・・」
ちょっとアダルトな彼の瞳が眼鏡の奥で光っていた。


2003年10月20日 イケてる彼

 朝の京浜急行、とある駅でうちの高校生が乗車してきた。普段見ることのない顔だが、赤バッジの襟章は間違いない。その彼は座席に座ると、手に持った小ぶりの新聞をザッと広げた。その紙面に思わず目が点になる。
 「羽生に死角なし!」「女流名人中井、気迫の一手!」
 そうか、たまに将棋で出向(生徒が対外試合などで校外へ出向くこと。出席扱いとなる)していた1年坊は彼だったのか。そんな目で見ると、紙面を読むその眼光は心なしか鋭い。端整な顔立ちは、どこか高校生離れしており、スーツ姿の似合いそうな風情である。(つまり、いささか老けている)
 そう言えば、部のないヨットやボウリングで出向している生徒もいたなあ。所属する部活ではなく、いろんな隠れキャラが密かに大活躍しているというのも面白い。
 僕はあらためて彼を一瞥し、来年度から新設される「特性コース」に思いを馳せた。スペシャルおたく軍団?の担任、やってみてもいいかな・・・。

 


2003年10月19日 初聖体

 秋晴れの下、久しぶりに教会へ行った。今日は、息子の初聖体拝領の日なのであった。カトリック系の私学で育ちながらクリスチャンではない僕だが、今日ばかりは妻と子供のために少しばかりシャンとして出かけた。勿論、デジカメも忘れない。
 聖体拝領とはミサの中で、信者の方が主イエスの体であるパンを神父さんから授かる儀式である。信者でない方は、「祝福(頭や額に神父さんが手をおく)」を授かることになっている。息子は土曜学校に通いながら、今日のためにイエス様のお話を聞いて勉強してきたというわけだ。
 男の子は白いシャツ、女の子はレースのベールに白いドレスシャツを着てちょっぴりよそ行きの顔をしながらミサに参列している。いざ本番の儀式になるとあちこちでフラッシュがたかれたりする。後で一人づつ自己紹介したり、一同で記念撮影したりとなかなかの「本日の主役」ぶりである。
 また、今日は幼児洗礼の男の子もいた。「まだ2歳なので、土曜学校に入るまで時間があります」と紹介した神父さんの言葉に、皆さん大笑いであった。総じて、みんながかつて通った道という雰囲気で、とても和やかで晴れがましい儀式に思えた。その後も、隣の幼稚園のホールでお祝いの会があり、それぞれが持ち寄ったご馳走が品佳く並び、秋晴れの午餐はくすぐったく過ぎていくのだった。
 僕には詳しいことはわからないけれど、とても大切な節目を迎えたのだろうなと思うと、息子が青いリボンで首から提げていた記念のメダルがちょっぴり眩しく見えたりした。


2003年10月18日 闇に響く声(King・Creole)

 僕の永遠のアイドル、エルヴィス・プレスリーの若き日の映画である。彼の映画は「ブルー・ハワイ」「GIブルース」など健康的なミュージカル系の作品が多いが、これは実に真っ当な本格ものである。
 どこか影のある青年ダニー・フィッシャーは、家庭でも学校でも問題を抱えてはいるが、ナイトクラブでバイトをしながら、ステップアップの機会を狙っている。悪友の魔の手も伸びるが、彼を取り巻く心ある人との出会いによって歌手として名を挙げるかに見えたが・・・。
 やや凄みを見せながらも甘く、時に弾ける笑顔や歌にあらためて魅了される。巧まず惹きつける何かがある。この作品のプレスリーは、まるでスイートなジェイムス・デイーンといった感じだ。もっとも、彼自身がマーロンブランドやジェイムス・デイーンをアイドルとしていたのだから、当然かもしれない。
 プレスリーはいい演技してたんじゃないか!思わず叫びたくなってしまう。何より、彼の目が輝いているし、気合いが入っている。モノクロ映画も、実にしっとりと人情の機微を映し出している。
 いいね、いいさ。やっぱり、プレスリー!好きだなあ〜。


2003年10月15日 採点もゲージュツなのだ!

 早いもので月半ばとなった。先週は中間テストで一息ついていたが、採点がまだ終わっていないので少々辛い。期末と違ってすぐに返却しなくてもいいのだが、3連休の後だけに分が悪い。生徒に「何やってたんですかあ?」と机を叩かれても?致し方なし。
 「せっかくイイ答えを書いて貰ったんだから、丁寧につけないとな。雑にやれば×が増えるだけだろう」などと言っても、ちょっと歯切れが悪い。まあ、すぐだよ、そのうちにね、果報は寝て待てと言うじゃないか。もっとも、それで授業中寝られても困るけれど・・。 
 けっこう、○のつけかたと得点の書き出し方には自信があり、答案用紙を1枚のキャンバスだとすれば、なかなか芸術的な作品に仕上がっていると思っている。そのまま額に入れて記念品として飾って貰ってもいいくらいだ。何?そんなこと言ってないで早くやれ?分かってますよ、それでは、お休みなさい!(ダメダ、こりゃ!いかりや長助風味)


2003年10月13日 こんな午後の紅茶

 雨上がりの午後、富士森グラウンドにてジョグ。しっとりした砂のトラック、潤沢な芝を踏み、輝く陽射しを浴びて走る。体は重いが、眼差しは高く遠い。鱗雲や筋雲が空に気持ちよく棚引いている。あの雲のように、どこまでも走って行けたらいいのに。


2003年10月12日 世界に一つだけの花

 昨日は愛知県豊橋市の日航ホテルで、一大イベントが繰り広げられていた。私学に子供を通わせている、或いは通わせていた父母・保護者と私学に勤務する教員が全国から集まっての大交流会であった。講演会や分科会もあるのだが、何と言っても夜の宴会がスゴイ!
 てっきり、立食だと思ったのだが、巨大なバンケットホールには10人用円卓が数え切れない程並んでいた。総勢千人はオーバーにしても、800は堅いと見た。ここで、各県からの出し物合戦となるのだが、僕らの神奈川は寸劇とスマップの「世界に一つだけの花」を手話のふりつきで歌ったのだった。
 往きのバス内でも練習はしたのだが、いざ、ステージに上がると、また一段と高揚感が増す。ライトがまぶしい。右手にはめた軍手ももどかしく手話の振り付きで、僕らは大いに歌い踊った!いつの間にかステップを踏み、左右に体を揺らしながら。2コーラスの後半、エンデイングにかけては、何だかとってもイイ気分だった。こういうのを、エクスタシーというのだろうか。いつの間にか、会場の多くの人があちこちで踊り始め、一緒に歌っていたのもうれしかった。
 「いやあ〜、本当のスマップのコンサートみたいでしたね〜」と司会の方が持ち上げてくれたが、実際、自分がSMAPになったような気がした。
 部屋へ戻ると、夜空に花火が小さい花を咲かせていた。11階からの夜景に、僕は暫し見とれた。


2003年10月10日 体育の日に

 今ではハッピーマンデーということで、13日の月曜になったりしてしまうのだが、僕たちが学生だった頃には、必ずこの日に体育祭や運動会が開かれていた。
 僕の通っていた中高では、実はこの日が特別な日だった。それは、今は亡きドイツ人校長の誕生日だったのだ。彼は大柄で威厳と威光(頭の)に満ちていたが、マイスター(親方)であり、頑固ながら慈愛に満ちた神父だった。「日本の父へ」なんていう本をベストセラー?にしたこともあったっけ。
 そんな彼のバースデーに、僕たちは騎馬戦やら棒倒しに興奮し、組体操やプロムナード(大行進)で観客にサービスをしていたのだった。格好良く言えば、全校の絆を深め合っていたのだ。
 その母校から学園通信が届いた。「特集号2003夏、高校生大活躍」とあった。軟式野球だけではない、クイズも数学オリンピックも化学グランプリでも頑張ったようだ。四代目になる校長さんの挨拶も載っていたが、この手作りの小冊子には、何か温かいものが感じられた。そして、それが何よりだった。
 親方のハートは連綿と受け継がれており、かつての問題児であった僕も親方につながる道を細々とではあるが歩いているのだと思うと、ちょっぴりうれしい気がした。「諸君(しゅくん)に一言(いちごん)申し上げたいわけなんですが・・」、親方の声がどこからか聞こえてくるようだった。


2003年10月09日 走る男

 早朝の路上で、確かに彼は走っていた。白い上着をなびかせ、優に1m90はあろうかという長身を若干前屈みにしながら。遠くから見ても頭が小さい、まるで草食恐竜のデイプロドクスが立って早足をしているかのようだ。一説には、元GIANTSの駒田ではないかともいう。
 何故、彼が走るのか定かでないが、横浜線の時刻に遅れるからなどというセコイ理由でないことは確かだ。いや、たとえそうであったにしても、彼の走る姿はどこか人の心を惹きつけて止まない。また、彼の、ドリフ靴のような薄っぺらいデッキシューズも見過ごすことは出来ない。
 そんな彼を、ゆっくりと遠慮がちに自転車で追い越しながら、僕はそっとつぶやく。「今朝も、走ってますね」と。秋の深まりつつある、早朝の一シーンである。
 


2003年10月06日 カカシの夏休み

 「かっぽん屋(何ともユーモラスな響き。意味する所は男女のナニですが)」でお馴染みの重松清さんの小説。きれいごとではなく、実に深く共感できる現代の悩める教師像が描かれている。
 決して無気力でなく、どちらかと言えば熱い部類に属すコンタ先生は、突然発作を起こして暴れ回る小学生カズに手を焼いている。カズは授業のほとんどを教室のベランダで過ごしているのだ。クラスの子供は、「先生、シメちゃいなよ」とか「かまわずに授業やって!」と言うのだが、コンタ先生はカズが気になって仕方がない。プライベートな面での動揺もあったりしたある日、自分が「カカシ」と子供たちに呼ばれていることを知らされる。
 併録されている「ライオン先生」も、一気に読ませる。こちらも、まるで重松さんは教員だったのかと思わせるほど、共感を呼ぶばかりだ。少し前に伊集院静さんの「機関車先生」にも感動したが、どちらかというと今回の重松さんの方にしっくり来る。
 ふと思うのは、コンタ(小谷)先生のネーミングは、灰谷健次郎さんの「兎の目」の小谷先生を意識したものかどうか。まあ、それはないかな・・。いずれにしても、重松ワールドにしみた。



2003年10月05日 たまには焼肉を!

 ということで、今夜の夕食は焼肉になった。パパとしては、手間いらずの近所の「かるび屋」でもと思ったのだが、生協&大地とまたにかけ、日頃のメニューに全力投球の妻にしてみると、いきなりの「外食」の提案は沽券に関わるといった感じだった。まあ、そこをなだめすかし?すねてゆずって合意に達し、ホットプレートの焼肉にランデイングしたわけだ。
 しかし、やってみれば子供も喜び、ママも肉じゃがや厚揚げ、残り物のアジフライまで乗せ始め、しまいには焼き豚&ねぎ&卵&かつおぶし&中華だしでサイコーの焼飯まで出来上がってしまった。いやあ〜、もう言うことナイッス!
 こんな時、ホットプレートってのは大いに役立つ。おでんやすき焼きにそれなりの鍋があるように、ホットプレートは賑やかな食卓のホームラン王なのだ。ついついビールも飲み過ぎたが、こんな夕食、たまにはやらないといけない。
 次は、West of Tokyoの仲間でも呼び出すかな・・・。
 


2003年10月03日 タコ社長、お元気で!

 学食の店長が9月末に定年で退職された。僕などは「タコ社長」と呼んでいたが、丸顔でぷっくりした如何にも人の良さそうなおじさんだった。我々が行くと、傍らのおばさんたちに「ほらほら、早く早く、もたもたしてんじゃないよ!」なんて急かす辺りが可笑しかった。また、そんな店長の声色を真似る生徒もいたのだから、大したものだ。
 「冷たい麦茶入りましたよ!」「今日のスパゲテイはうまいよお」「八王子の方は暑いでしょう〜」なんていうおじさんの声がもう聞けないのは、ちょっぴり淋しい。後任の方は、まだ慣れないせいもあり、ちょい固めだ。愛想も今一。周りのおばさんたちもピリピリしている。改善されたのは、味噌汁が濃くなったことか。
 店長が置いていった鳩サブレーが、職員室の一隅にあった。一つ頬張った。その形も味も、どこか店長に似ていた。
 
 


2003年10月01日 一発芸だか何だか・・


・全国モツ、頑張りたい!(クラス日誌より)
(一体、どんな煮込みなのかな)
・単距離(感想文より)
(剣道家のM君らしい表現だ。竹刀が届く、一踏み込みの距離感を指すのだろう)
・僕は思いきり凸む。(同上) 
(やっぱり凹むのだろうけど、心に突き刺さるものがありそうだ。内面の葛藤か?)
・ブッケン(物見)輸産(遊山)。(問題演習より)
(スウェーデンハウスみたいなもの?僕は好きだな あ、そういうタイプ。ログ・ハウスもいいね。)
・臨ば(場)感を盛り上げる(同上)
(新手の占いか、はたまた、サンダカンの姉妹店か)
・フグ開店の間柄(同上)
(やっぱり友人とつつく鍋は最高ッス!)
・「逸話」が読めない生徒に
(まゆみ。歌にもあっただろう、♪恋人よ〜そばにいて〜、妖怪人間?そんなこと言っちゃいけないね)
*全然分からないの声あり!
・「翻る」が読めない生徒に
(そうだなあ、これから早退すると、こうなるかな あ・・。今は11時半くらいだろう・・)

☆まあ、この変異して起きましょう。おやすみなさい!


2003年09月30日 やや疲れ気味・・

 今日も爽やかな秋晴れだった。昼食に外へ出ると、風に乗っていい香りがしてくる。そう、金木犀だ。濃い緑の細長い葉にオレンジ色の小さい花が固まってついている。派手さはないが、どこか清楚で甘い香りは一等賞もんである。
 そう言えば、浅川ジョギングの際、土手にコスモスと彼岸花が沢山咲いていた。中背のコスモスが風に吹かれる様は如何にも「秋だなあ」と思わせるし、放射線状に尖った赤い彼岸花の裸で立っている様子は、全く墓標に手向けた花に見えてくる。ススキや女郎花(スゴイ名前だ)が草原に吹かれているのも、趣深い。
 吹くからに野辺の草木のしをるれば
   むべ山風を嵐といふらむ
 
 何に疲れたのか分からないこの頭も、思う存分「むべ山風」に吹かれたいものだ。(注、「むべ」は「うべ」とも言い、「なるほど!」と強い肯定の意を表す副詞だってさ)


2003年09月28日 至福のとき(HAPPY TIMES)

 「初恋の来た道」でお馴染みのチャン・イーモウ監督の作品である。DVDで昨夜と今日の午後に分けてじっくり見た。
 盲目で薄幸の少女ウー・インに希望を与えたのは、ホラ吹きだが人情味に篤いチャオおじさんだった。彼は、やっと見つけた結婚相手との挙式費用を稼ぐため廃棄バスを改造して「至福旅館」を経営するが、バスはすぐに撤去されてしまい、後は倒産した工場の一角でマッサージ室を作り、そこでウー・インを雇って働かせることにするのだ。ウー・インは結婚相手のままっこで、いつも冷遇されている。家を出て行った父を待っているけなげな少女なのだ。
 ウー・インを温かく包む、チャオとその仲間がいい。皆で代わる代わるマッサージの客になり、金がなくなると唯の紙を渡したりもするが、それも彼女を思ってのこと。ウー・インも、そんな彼等の心遣いを分かっていたのだった。「働かせてくれてありがとう」ウーインの笑顔にほっとする。良かったなあと胸が熱くなる。
 しかし、結末は少し悲しい。ここでは敢えてふれないが、至福の時は永くは続かなかった。ここからが、この作品の第二のスタートなのかもしれない。
 秋晴れの下、浅川沿いをジョギングし心地よい汗を流した僕だったが、二人の現実的な結末に目からも汗が流れた。
 


2003年09月27日 彼がやって来た!

 午前中、それは静かにやって来た。先週、冷雨の中を甲州街道沿いのYAMAHAに行き、購入を決めたのであった。最初は中古でもと思ったのだが、結局、新品のクラビノーヴアに落ち着いた。そう、電子ピアノである。
 妻がせっせと片づけた部屋に、それは物の見事に納まり、この部屋だけどこか上品な様相を呈し始めた。デモ演奏機能があったり、様々な音色に変換できたり、録音やヘッドフォンも完備している。子どもはデモ演奏に合わせて阿波踊りを踊っているが、妻は昔取った杵柄だか仮免だか、「エリーゼのために」とか「トルコ行進曲」などを弾き始めた。しまいには、パパのHPのBGMまで弾きこなした。う〜む、恐るべし!
 本当のピアノはおあづけにしても、この電子ピアノ、暫くは我が家の宝になるだろう。いや、大いなる閑居の友となるに違いない。


2003年09月26日 3000K

 アメリカ・ドジャースの野茂英雄投手が、日米通算3000個目の奪三振をパドレス戦で達成したという。足かけ14年、この記録は日本人で4名、アメリカでも12名しかいないという、とてつもない大記録だ。
 両腕を高く組んで上げ、胸を大きく優雅にそらす。体をゆっくりひねりきると、まさしく竜巻のようにバッターに向かって剛速球を投げ込む。野茂の投球フォームは実に美しい。近鉄時代、「草魂」の鈴木啓史監督と(いや、日本の野球と)合わず、アメリカへ単身渡った野茂だが、その後の活躍は現在のイチローや松井の立派な先駆けとなるものだった。
 黙々とトルネードからフォークで三振の山を築きあげる野茂、男でもしびれる投げっぷりだ。そして、そのマスクも。そう言えば、野茂似の女流作家がいる。彼女自身、「私、横顔が意外と野茂似なの」と語っていた。分かります?答えは、山田詠美。
 いいぞ、野茂!サイコーだ!


2003年09月25日 ピノキオにしては・・・

 連夜の会議で少々バテ?気味ではあるが、今夜は余裕がある。ふと、朝の電車の光景を思い出した。
 「あれ面白い!」と車内の小学生が指さしたのは、ピノキオのように鼻が延びた外人の中吊りポスターだった。ワインの広告だったかどうかは失念したが、その肉色の延びた鼻は少々グロテスクでもあった。「あっ、ブッシュ大統領に似てる!」「こっちは、プーチン大統領」そう言われて見ると、確かに似てたりする。なかなか賢い坊やたちだ。さすが、K学院初等部。ひょっとして、そんな風刺も効かせているのかななどと思ったりもした。
 う〜む、待てよ。日本にも一人、この鼻の似合いそうな人がいるではないか。その鼻はどんどん延びて、ベートーベンのようなヘアスタイルも更に健在だ。いっそのこと、中吊りポスターにしてくれないだろうか。そうそう、もう一人いるね。こちらは、鼻が延びると言うよりは、まばたきのし過ぎで放言が多いようだ。育ちがいいのか、唯横柄なのか、もう分からない。二人に共通することは、弱者に対する視点がないということか。すっかり権力の座に安住している。
 そう思ったら、このグロテスク・ピノキオ、全く面白くなくなってしまった。(今日は、どうしちゃったのかな)


2003年09月23日 破れたハートを売り物に!

 爽やかな秋晴れの一日、妻が物置部屋をせっせと片づけている。物置部屋と言っても最初からそうだったわけではない。いつの間にか、そうなっていたのである。
 さて、片づけの極意は「捨てること」らしいが、不用になった大物二つも処分することになった。それは、ベビー・ベッドとベビー・チェアであった。もう全く不用かというと、僕自身は正直言って「no!」なのだが、まあ、今回は妻に協力することにした。ベッドは上品なオフホワイト、チェアーはダークウッドの木目の美しいものだった(かつては!)。近所のリサイクルショップのお兄さんに買い取りに来てもらうと、二つでたったの1000円。ベッドは値がつかず、チェアーのみの値段だ。「そんなに安いの?」と喉元まで声が出かかったが仕方がない。それで、引き取ってもらった。
 調子づいた妻は、午後には50枚近くのCDをBOOK・OFFにモッテッてくれという。「いいよ」と子どもと出かけ売り払ってきたが、こちらは何と約4000円也。名前を呼ばれて金額を聞いた時は、思わず笑いを噛み殺すのに苦労した。帰宅して妻が驚喜?したことは言うまでもない。
 しかし、物の値段ていうやつは・・・。売り物にならなかったベビー・ベッドが、妙に愛おしく感じられるのは僕だけだろうか。
 


2003年09月21日 乗り切る!

 「My Favorites」の画像処理で一苦労した。僕のサイトはDIONのHP作成ツールで立ち上げたものだが、その階層構造は極めてシンプルになっている。また、予めテンプレートが出来上がっているので、工夫の余地が難しい点がある。だから、最近は手動のHTMLページをこなさざるを得なくなってきたわけだ。
 例えば、「Photo Gyarally」は、このサイトとは別URLの「mutoyanU」にあるし、そこへ、「Favorites」の画像ファイルをupさせて、呼び出させているわけである。
 このサイトにも「ある日、ある時」という画像ページがあり、これは挿入する画像を指定すれば自動的に取り込んでupさせるスタイルになっているが、これ以外のページだと画像を一緒にupさせるファイルがどこにあるかが分からない。(少なくとも僕には)それで、仕方なく先述の方法を採らざるを得なかった。
 とまあ、こんな所ですが、何とかなったので一安心。未熟なりの進化かな・・・。


2003年09月20日 サビのない人

 最近読んだ「村上ラヂオ(村上春樹)」の中に登場する。「サビない人」でも「サビぬきの人」でもない。要するに、メリハリのない人ということになる。
 「言っていることのひとつひとつは一見まともなんだけど、全体的な世界の展開に深みがないというか、サーキットに入っちゃっていて出口が見えないというか・・・。」ということらしい。春樹さんは、これを表現するのにチンドン屋が演奏するビートルズの「オブラデイ・オブラダ」を例に引き、所謂「サビ」の部分Bがない、AAAAというAの部分だけが繰り返し演奏される「変な」感じとしている。
 う〜ん、ひょっとすると、自分もそう言う時があるかもなあ・・・。何だか妙に笑えなかった。それにしても、このエッセイ、なかなかいい感じ。大橋歩さんの絵も良い。こんなエッセイ集、出してみたいね。


2003年09月17日 死すべきものとしての人間

 というタイトルの文章が、現代文の教科書に掲載されている。筆者は村上陽一郎氏だが、彼には大学1年生の時に一般教育で自然科学史を習った。それはそれで、導入にはもってこいの話題ではあるのだが、やっぱり、事件は起こった。
 というのも、「死」の問題を扱う以上予想はしていたが、実際に生徒の家庭に不幸が起きたのである。「先生、今日はこの話題ヤバイッすよ」と率直に言ってくれる生徒がいたのは有難かった。実は担任からも事情は聞いていたので、「今日は予定変更だ」と大学の入試問題をやったりした。週が変わって本人が登校して、やはり、最初は別のことをした。しかし、どうもすっきりしない。気を遣っているようで、どこか逃げ腰の自分が鼻についてきた。
 生或る限り、死は避けられない問題だ。死と直面すれば、尚更、真剣に考えることも出来るだろう。僕は、余計な気遣いを捨て、今日はしっかりと「死」の問題をやった。自分の高3時に1週間のうちに祖父母をいっぺんに失い、虚無的になった話もした。それが原因で?勉強意欲を失って浪人したが、浪人時代には初めてフリーになって自分のやりたいようにやれたことなども・・・。(別に浪人を勧めているわけではないですよ、念のため)そこには、いつものクラスが戻ってきたような感じがしたし、僕も、また、いつものスタイルに戻っていた。
 こういうことは、時折、不意に僕たちを襲ってくる。そして、そこに小さなドラマが生まれる。その小さなドラマを、僕たちはやはり大切にするしかないだろう。
 暑い午後だったが、授業を終えて廊下を歩く足取りは、どこか軽くなっていた。


2003年09月15日 金田一少年の事件簿

 夕食後には激しい雨となったが、日中の陽射しは容赦なく、布団や洗濯物をこれでもかと乾燥し尽くしていた。そんな午後、布団を取り込む僕の足が一大事件を引き起こした。
 「パパが通ると白い跡がつく」と子供に言われて、驚いた。「わかったあ!かかとの形だよ。サンダルからはみ出た・・」「ええっ!?」つまり、ベランダ用のサンダルが小さいのでいつの間にか踵がコンクリの下に着いていて、部屋に上がるとフローリングの床に白い跡をうっすらと残していたらしい。
 「さすが○○ちゃん、名推理!」などと昼寝していたはずの女房が手を叩く。「そうかあ・・、なるほどね・・」とこちらは少々(いや、大部)格好悪い。
 その後、彼はベランダでドライアイス(生協の荷物に入っていた)に霧吹きで水をかけて遊んでいたっけ。早朝の鼻血が、いい発見につながったのか。満更でもない、やられかたではある。


2003年09月14日 夏のスーパー低山の楽しみ、天然サウナで2kg減も生ビールの逆襲!

 普段なら通過してしまう相模湖駅から石老山(せきろうざん・694m)へ行って来た。実は初めてのコースだったが、なるほど登路には多くの奇岩巨岩が迫り、顕鏡寺のあたりで既に汗だくになっていた。
 頂上では丹沢方面の展望が開けるはずだったが、残念ながら雲が出てきていて、おにぎりと巨峰を頬張って登頂の祝いとした。下りは大明神展望台に惹かれて行ったが、今一つであった。しかし、相模湖と高尾から陣馬山へ続く山並みがくっきりと見えており、いつもとは正反対の位置にいるのだなと実感した。
 鼠坂(ねんざか)方面に下り、暫く行くと「ぷかり・ボート渡し」の看板が目に入った。ポツポツ雨が降ってきて、後続のおじさんと話のタネに乗ることにした。結局、本降りの中をモーターボートで「脱北者もかばかり」と相模湖を縦断。左手に傘、右手にデジカメのスリル満点の逃避行?であった。雨に濡れた体で生ビール、ついでにかねてから気になっていた「やまなみ温泉(藤野駅」に寄り、汗を流した。
 相模湖もなかなかやるじゃないかい、つるつるした顔になって帰宅した。


2003年09月13日 最高裁棄却!

 茅ヶ崎にあるH学園から不当な整理解雇を受け、裁判で闘っている音楽教諭の事件である。横浜地裁・東京高裁から2度の不当判決が出され最高裁へ上告していたが、昨日、その訴えが棄却された。高裁から書類が届いてわずか4ヶ月という早さだった。極論すれば、最高裁は単に判断を避けただけではないか。
 これで、「学園の総合的な判断で整理解雇の4要件を満たさずとも解雇が可能」「人件費比率65%以下を目指した学園の財政計画は妥当」「整理解雇の対象者として学園が基準とした、生活上問題のない人(夫が職業に就いている女性、及び独身者)を容認」等、果たしてこんなことが許されていいのかという高裁の不当判決が確定したことになる。
 この間、本人は元より「支援する会」や「守る会」といった人々により最高裁要請や宣伝・署名行動、学園にも解決に向けて交渉に応じよとの要請行動が取り組まれて来た。学園理事の自宅にも要請に行った。決して少なくない数の人間の輪が少しづつ包囲をし始めていたのだ。
 「不当判決を許すな!」「人間を大事にする学園の教育作りを!」の思いは、たとえ最高裁で上告が受理されずとも揺らぐものではない。そのことを、昨夜、急遽開かれた会議で本人も交えて確認をした。僕も彼女を支援する一人として、そこにいた。「不当なことは不当と言い続けるしかない」これからが本当の勝負である。


2003年09月11日 安息日またはアニュス・デイ

 強烈な暑さが続く。子どもが昨夜から発熱、今日は1日付き添った。妻にも僕と同様に教え子があり、ここは話し合いの上での結論である。こんなことがたまにあるのだが、最近はけっこう割り切ってしまう。明日は、ヒゲを生やした子ども達のために一生懸命やるさ。 
 さて、TVのニュースでは、アメリカのテロ事件2周年で持ちきりだった。ビンラデインがまだ生存しているとか、本当の悲劇はこれからだなどと怪しい情報も飛び交うが、多くの死者が生まれることだけは避けなければならない。同時多発テロに自爆テロ、正義のための戦争に聖戦、何と呼んでも亡くなった人は帰らない。悲しむ人が増えるだけだ。 
 冷えピタシールを貼ってアイスノンを枕に寝ている子どもを見ながら、素朴に思う。子どもの病気は、どこか神の声に似ている。


2003年09月09日 ランデブー

 暑かった一日。夜の会議を終えて帰宅すると、もう日付が変わる時刻となっていた。駐輪場で見上げる夜空には、明るく大きな月の右下に金色の火星が小さく輝いている。どこまで走っても、二人の関係は変わらない。なかなかやるじゃないか。
 セブンで求めたおにぎりを頬張る。缶ビールはモルツ、丹沢山系天然水100%仕込。おや、これもgold!


2003年09月08日 偉い違い

 昨日は新宿へ芝居を見に行った。沖縄を舞台にした愉快な劇だったのだが、会場で思わぬアクシデントがあった。
 チケットをもぎられ、チラシを渡されると、いつものようにマキちゃん(劇団の若手女優・僕がパトロンなわけです)が出迎えてくれた所までは良かった。「どうも、お元気でしたか〜」などと言いながら、財布の中から友の会のカードを探していると、「チャリ〜ン、チャリチャリッ!」とコインが縦横無尽に転がり始めた。「あれあれっ・・」と床を這いずりながら、10円玉や5円玉を慌ててかき集める。「大丈夫ですかあ〜」とマキちゃんも笑いながら拾ってくれる。「大丈夫、小金持ちだからさ」などと返事をしながら、今回の「キジムナー」のパンフと交換する。
「財布に穴が開いちゃったみたいでね」「わあ〜、すごい」って、感心されても困るのだけれど・・・。
 僕の黒革の財布はミラ・ショーンというイタリアのブランドだった。勿論、自分で求めたわけではなく、頂いたものである。一体、誰に?それは、ちょっと言いにくいのだが、とあるladyであった。カードが沢山はいる割には全体的に小ぶりで、上品な黒革の艶が美しかった。そう思って、もう一度手にとって見た。
 あれっ、あれれっ!石立鉄男じゃないけれども、「そんな、バカな!」これ、TRUSSARDIって書いてあるぞ。破れた裏地に。???確か、ミラ・ショーンのはずなんだけど・・。じゃあ、これは、一体誰の?
 う〜む、これはキジムナーの仕業に違いない。そうだ、左右田一平です(古い!)。 


2003年09月06日 夕食はモスバーガー、けっこういけるよ!

 長い1週間が終わり、夕刻、地元駅に降り立った。南口のエスカレーターを下り、歩き出す。ちょうど正面に、明るく透明感のある黄色い太陽が輝いていた。それは、残照のようでもあり、どこか南極の沈まぬ太陽のようでもあった。背景は全体として暮色を帯びているのに、太陽だけが明るいのだ。大気も少しずつ澄んできているのだろうか。
 夕陽に向かって、自転車を走らす。瞬きを繰り返すと残像があちこちに瞬く。「夕焼けが目にしみるぜ」と夕焼け番長のようにつぶやく。
 さあ、明日は床屋に行こう!元気なら芝居も観るんだ。新兵器のlooxT93Bを眺めながら、記す。


2003年09月05日 顔のこと

 この夏の山や家族旅行の写真を見ていて、自分の顔がやはり変わってきたなと感じる。笑ってはいるけれど、あまり爽やかでないし、目尻が下がっている。全体的に肉厚が増し、まぶたも重そうだ。そう、一頃のキレがない。あの、目元の涼しさは何処へ行ってしまったのだろうか。
 小学校の卒業時には、「短足フォーリーブス」と呼ばれ、僕はター坊(青山孝さん)そのものだった。また、高校生くらいの時には浜畑賢吉さん(劇団四季)に似てると思っていた。ところが、子供が生まれて生活に追われて?からは、子供番組に出てくるグッチ裕三さんに似てきていた。ちょっと前には、親類が集まった際に「徳光さんに似てる」と言われたし、その路線で行くと、かつての性格俳優出光元さんにも似てるかもしれない。
 これも日頃の不摂生がなせる業なのか、理想を追いきれぬままに日々悶々?としているせいなのか。まあ、いい。山下清でも植村直己でもいいさ。西田敏行だって寅さんだっていいよ。男は生き方が丸ごと顔なんだから・・。


2003年09月03日 火星の王子様

 連夜の会議でJR桜木町駅近辺へ出向いていた。高架線に沿った大通り2本の裏に「音楽通り」という小路があり、本町小学校の斜め前に、その店はあった。以前から噂は聞いていたが、実際に彼が居るかどうかは定かでなく、居たらうれしいのだがという淡い期待を持って何度となく店の前を通ったものだ。
 そして、一昨日、彼は居た。赤いTシャツにやや渋い表情を浮かべながら。ウインドウ越しに彼の顔を確認した後、ドアを押して店の中に入った。彼もすぐに気づいてくれた。「どうも、ご無沙汰しています」「元気ですか。いやあ、会えて良かった〜」といつの間にかしっかりと彼の手を両手で握りしめていた。高校生の頃に比べればはるかにがっしりとした体躯に童顔がはにかみながら座っている。「随分と活躍しているようだね」と言うと、「また、試合があるんですよ」と目をきらりとさせた。「記念にTシャツでも・・」とこじんまりとした店内を歩くと、「今、模様替えの最中で・・。また、きれいになったらお願いします」と照れくさそうだった。「じゃあ、がんばってね!」と、もう1回握手をして店を出てきた。
 彼はプロの格闘家、「修斗」のU君である。専門の雑誌では「星の王子様」等とも呼ばれ、絶大な人気を博している。そして、高2〜3と僕のクラスだった。隣のクラスだったS君も「パンクラス」というプロレス団体で活躍している。二人ともレスリング部のOBなのだ。
 2学期最初の日に、彼に会うとは・・。「平和と労働会館」などといういかめしい名前のビルに向かう僕の胸には、何かほのぼのとした温かいものが流れていた。


2003年09月01日 秋の陣

早朝の横浜線、いつもの車両に見慣れた顔。さて、また、いつもの日々が始まる。


2003年08月30日 転がり続ける

 フランスで開催されている世界陸上男子200m決勝で、末続(すえつぐ)慎吾選手が見事銅メダルに輝いた。やったな!という心地よい興奮がある。それは熱狂的というよりはどこか淡々としており、採るべくしてして採ったという感じにも近い。傍若無人で強心臓の新人類という一昔前のタイプとも違って、素直でさばけていてユーモラスで健気なようだ。
 そんな彼を見ていて、今年の三月で定年になったM先生を思い出した。同じ職場の大先輩には、こんな逸話がある。これは本当に、M先生が語った言葉だ。
 「人間には三つの種類がある。金と銀と銅。そして、お前たちは、ただの石だ」
 M先生は「大蛇のような(生徒曰く)」目で、そう語ったとされている。残念ながら、この至言の前後の文脈は定かではないのだが、初めて聞いた時は、ひたすらおかしかった。その内、とほほ的な要素も含めて、どこか味わいが増すのであった。
 「ただの石」が大化けして、金や銀にもなるだろう。或いは、そのまま誰かに蹴飛ばされて水たまりに落ちてしまうかもしれない。「ただの石」は誰にも見向きもされないかもしれないが、人に媚びることもない。悠々自適にのんびりところがっている。しかも、無口だ。かっこつけようなんて、これっぽっちも思わない。
 いいねえ、「ただの石」。自分もそんな石でありたい。そうだ、こんな英国の諺もあった。「転がる石は苔をつけない」。いいぞ、ローリングストーンズ!
 


2003年08月28日 あたご一息坂

 夏の一日、多摩の親類を訪ふ。飲み食ひなどして遊ぶ。時思ひの外早く過ぎゆけば、家に帰り着く頃とっぷり暮れぬ。天に火の星あるといへども、見えず。されど、心にうれしき想ひあり。


2003年08月27日 素顔のままで

 デミー・ムーア主演の映画(DVD)「Striptease」の邦題である。スーパー・ハリウッド・プライス・シリーズvol5、2003summer、期間限定¥1500(長いね!)という代物だ。以前から気にはなっていたが、思い切って購入。見終わった感想は、まぎれもなくbest buyであった。
 元FBI秘書のデミーは、一人娘の養育権を夫から奪い返すためにストリッパーをしながら弁護士代を稼ぎ、挙げ句の果てには、難事件の解決まで手伝ってしまうというもの。
 何と言っても、デミーの踊りがサイコーだ。冒頭シーンの切れ味鋭い濃厚なダンスもさることながら、中盤に登場する、自宅でシャワーを浴びた後の自称リハーサルシーンのダンス。バスタオルをまきながら、下着をつけ、ドライヤーを髪にあてながら踊りまくる彼女に、僕はすっかりハートを奪われてしまった(音楽もいいのだけれど、歌も・・)。
 この役柄のために彼女はずいぶんと減量をしたようだが、成る程その表情も肢体も実にスレンダーで清潔感があり、元FBIという設定に妙にはまっているから不思議だ。ストリッパーでありながら潔癖で娘想いの母親役を、デミーは見事に演じきっている。というより、彼女自身がそんな女性のようにさえ見えてくる。
 ところで、彼女を見ていて、とある女性を思い出していた。一つ年上の従姉である。デミーのようにまぶしく見えた時期があったっけ。そう、「素顔のままで」、いいタイトルだ!


2003年08月26日 夕餉のひととき

 マンギョンボン号、謎の美女軍団、金日成は吉永小百合が好き・・etc。そんなTVを横目に、今年初の秋刀魚を食す。ビールは秋味。


2003年08月25日 原初の風景

 恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で、白川義員(よしかず)氏の写真展「アルプスから世界百名山へ」を友人2人と見た。空撮によるものも多いと思われるが、巨大なヒマラヤジャイアンツ、ヨーロッパアルプス、マッキンリーやパタゴニア、南極大陸の迫力ある山々に圧倒された。しかも、黎明や夕照など、色彩が実に鮮やかだ。自分一人では到底足を踏み入れることも出来ないこの山稜に、どうやってここまで分け入ることが出来たのか。しかも、その対象となる山と氏が渾然一体となって、これらの写真が撮しとられたように思える。
 「これが、本当のアルプスなんだよな」という友人の声は正直で、アルプスは結局一つしかなく、僕たちが登った日本アルプスは飛騨山脈や赤石山脈などと呼ぶべきものなんだろう。圧倒されっぱなしだったが、一つだけ自分の登った山が登場していたのはうれしかった。そう、パキスタン・カラコルムの山である。しかし、この山域は今は亡き友人や山の先達のことを強烈に思い出させることも又事実で、そういった意味では、世界百名山の中でも「聖域」に入る所だ。
 すっかり山の写真に酔いしれた僕らは、次に、麦酒記念館やビアステーションで更に酔いを深くしていくことになった。「いいねえ、夏はやっぱりこれだよ!」などと言いながら・・。
 その後、何故か三鷹の夏祭りを見たり、ビッグパフェと格闘するはめになったりするのだが、詳しいことは別の機会に譲ろう。かくして、夏の集いは終わり、8月も最終週を迎えるのだった。


2003年08月22日 夏の学校

 昨日は登校日で、久しぶりに多くの生徒が集まった。校舎裏の第2グラウンドでは、やっと夏らしい太陽に照らされながら朝礼が行われた。校長の話が終わると、頭髪と服装の検査がある。検査と言っても、そう大したものではなく、担任が生徒の格好を見ながら教室へ戻らせるくらいのものだ。中には、ずいぶんとアフロそうな頭やベッカムもどきのツンツンと逆立てるようなスタイルの子もいるが、総じてまともな方だ。もし、金髪に染めてしまった子がいたとしたら、その生徒は昨日は間違いなく休んだだろうから。
 しかし、教員の方もグラウンドのあちこちで話を交わしながら、どことなくうきうき?している。こうやってたまに顔を合わせるって言うのは新鮮なのだ。(毎日だとどうとも思わなくなってしまうのだけれど・・)生徒も同じで、たまに会って「どうだ、休みは?」なんて言ってるうちが一番気楽でいいのだろう。みんな、そこそこいい顔している。
 朝礼の後、職員室で3年生の何人かと話す機会があった。1学期に僕に美少女漫画を描いてきてくれた子がいたので、「今度は夏バージョンで頼むよ。ビキニとか浴衣で!」と冗談半分に言ったら、本当に午後になって描いてきてくれた。角刈りの彼が恥ずかしそうに手渡すのが、可笑しい。彼は級長でもあるのだ。ニュージ直輸入のHAKA(マオリ族の闘いの踊り)もこなす男だ。また、別の彼は「焼肉は塩タン、ねぎ塩カルビ。氷結シリーズ(缶酎ハイ)はいいですよ」などと大胆不敵なことを言って通り過ぎる。他にも知った顔が見えると何故かうれしくなる。
 やっぱり、学校は生徒がいないと始まらない。僕たちは、彼等の刺身のつまなのだ。その「つま」も、あと10日ばかりパワーを充電して、2学期に備えよう。
 ところで、どうして昨日が登校日なのかって?それはね、給料日だからなんだね、これが。学校の不思議、其の四くらいの真実である。


2003年08月20日 River runs through it !

 久しぶりに浅川のサイクリングコースを走った。随分と重くなった体だったが、ゆっくりと丁寧に足や手を動かした。市役所前の河川敷をスタートし、南浅川沿いに進むと、八王子工業(左)・富士森高校(右)・○○小学校(左)と見えてくる。川の水量は多めでけっこう澄んでいる。釣り糸を垂れている人もいる。勿論、ランナーやジョガー、犬連れのウオーカーも多い。年齢はまちまちだ。いくつかの橋をくぐり、南浅川橋を右に折れると、多摩御陵がある。今日の目標は、そこまでの往復だった。距離にして約4キロくらいか。
 往路の調子は今一だったが、多摩御陵に着いて一休みすると大分楽になった。足や手をブラブラさせ、肩をまわし、頬をふくらませて息を吐く。帰りは、見事なけやき並木のトンネルを出発だ。全体的に下りとなるので少し楽になる。腰の方も大部安定してきた。足どりも軽い、と思ったら最後にバテてきた。スタート地点に戻る頃には、ラーメンが無性に食べたくなってきた。ビールはきっと水のように入るに違いない。一体、何のために走っているのか・・・。
 いい汗をかき、自転車で土手をとばす。実に、いい気持ちだ。ふと、こうして浅川を走っている時期があったことを思い出す。11ヶ月という間のことだった。そして、今があるのだとも思える。
 萩原橋で浅川に別れを告げて、秋川街道から甲州街道へと帰路を急いだ。
 
 


2003年08月19日 君は行くのか、そんなにしてまで・・

 夜の部の合唱祭(宴会とも言う)の翌朝、霧雨にすっぽり包まれながら、千畳敷カールを歩いた。雨に降り込められ、部屋でうずうずしていただけに、歩き出したとたん、不思議なほどにいろんな花が目に飛び込んでくる。
 シナノキンバイ、チングルマ(花弁のおちたものが多かった)、コイワカガミ、ミヤマキンポウゲ、クルマユリ、ヨツバシオガマ、ミヤマクロユリ、クルマユリ、ハクサントリカブト等々。黄色、紫、白、ピンク、オレンジといった宝石が緑の中にけむって浮かび上がっていた。今、あらためて図鑑を見てみると、こんなに多くの花が見られたのだなと感心する。中でも、白露に濡れたコマウスユキソウ(だと思う)は一際可憐で心にしみいるような風情だった。
 山頂から多くの山座を同定するのと並んで、高山植物の花々を見事に言い当てる人がいる。僕はそうした技にはうとい方だが、今回は知りたくなる花が沢山あった。先のコマウスユキソウもそうだったのだ。
 一緒に登ったメンバー26人の中に、5歳の男の子と8歳の女の子がいた。共に黄色いポンチョをかぶり、ひよこのように元気に雨の山を歩き、登った。あと少しで、浄土乗越まで抜けようかという辺りまで往復したのだ。そんな彼等と霧にけむる岩稜や露おく花を見、時に手をつないで登降する。人生のベテランも駆け出しも自分探しに疲れている人も、みんなここでは同じように歩いている。色とりどりの雨具と笑顔で。
 さて、来年は、何処へ行こうかな。いいとこがあったら、教えてください。


2003年08月16日 はやぶさ顛末記

 昨夜は、どんでん返しの連続だった。事実は小説よりも奇なりというけれど、まさしくその通り。
 寝台特急はやぶさ(熊本行き)は東京駅発18時3分の予定だった。雨の影響が出始めているので早めに家を出て、16時45分には東京駅に到着していた。中央コンコースのインフォメーションブースで訊ねてみると、「東海道線が小田原〜熱海間で運転見合わせとなっているが、はやぶさは発車させたいので様子を見ている」とのことだった。ここで、「まさか」は80%くらいになり、B1の広場でギネスを飲みながら待つ間には「引き返して、また後日」案が主流となっていた。
 17時40分頃、再び、インフォメーションブースへ行くと、何と「30分遅れで発車」となっていた。2度目の「まさか!」でどんでん返しが本格的に始まった。慌てて、土産の東京バナナ(和菓子風)とゆめ花火弁当2つを仕入れて10番線ホームへ向かう。実は僕も「はやぶさ」に乗車するのは初体験だった。1号車の車内で暫し妻子と歓談し、デジカメ画像を撮りまくり、二人を無事見送った。こんな風に見送ったことはかつてなかったので、列車が消え去った後、一抹の寂寥感が残った。
 やや放心して雑踏の中を中央線のホームへ向かい、通勤快速の大月行きに乗車。待つ間、ホームから新装なった丸ビルの灯りが夜空に映えていた。地元駅に帰着すると駅前のトンカツ屋で遅めの夕食。TVでは上原がタイガースを完封していた。客は自分一人。いつもは、隣のカレー(壱番屋)に寄ってしまうのだが、これまた初体験となった。
 すっかり満腹で帰宅すると、留守電に女房のメッセージが。何と、「はやぶさが横浜駅で立ち往生している。どうするかは・・」という所で、telは途絶えていた。結局、その後のtelで「横浜下車。西口高級ホテル投宿」との知らせ。どんでん返し劇場に幕が引かれた。
 自分は、畳の部屋に敷いた二組の布団を眺めつつ、風呂の後は、女房の布団で寝たのであった。外は雨音が微かにしており、きっと、こんな風に二人と一人だけで別々に寝たのは初めてなんだろうなと感じ入っていた。
 


2003年08月14日 冷夏の愉しみ

 昼食は、ママ手製のあったか「ほうとう」。出汁がたっぷりで、コクがあって美味い。デザートはオーブンでの焼きたてクッキー。これも自家製で、子どもが型に流し込むのを手伝っていた。僕はと言うと、「いけるね〜」とひたすら食べる係。後片付けとテーブル拭きはやるけどね。
 午後は冷たい雨の中、ヨーカドーへ。昨日、市民センターでバトミントンをした時、思わず力が入りすぎたのかガット?を切ってしまったのだ。だましだまし続けたが、最後はシャトルがラケットにスッポリはまるほどの大穴が開いてしまった。売場で見ると、ブリジストンやミズノのラケットがけっこう安い。2〜3千円でカーボン製の立派なラケットが手に入る。しかも、ケース付きだ。しかし、今日は見るだけにしておいた。
 見るだけといえば、ターサのジョギングシューズやアデイダスのサッカーシューズもなかなかいい。木製バットやキックボード、3kgのアレイなんかも欲しくなる。下着のコーナーでは、ポリウレタン入りのピタッと吸い付くようなパンツがあった。色もグレイやバイオレットでお洒落この上ない。ふ〜ん、けっこうやるもんだ。
 結局、ソフトスポンジ製のミニサッカーボールを800円で求めた。帰宅してから、子どもと畳の部屋で蹴り合ったのは言うまでもない。
 さて、明日は晴れるだろうか。雨音を聞きながら、週末の中央アルプスに思いを馳せる夕刻である。


2003年08月13日 少々、複雑。

 ちょっと前に見かけたCMで、気になるものがある。それは大手の学習塾?のもので、多くの子供たちが「わかったあ!」とばかりに目を輝かせて勉強しているシーンが点描されて、「この夏、子供たちが変わる!」なんて結ばれるものだ。
 まあ、それはそれでいいのだけれど、その「わかったあ!」シーンの合間に、金網越しに草野球の試合を見ている少年たちや、駐車場で遊んでいる子供たちの姿が挿入されている。何気ないシーンなのだが、CMの流れの中では「勉強しないでただ遊んでいる子ども」のように見えて仕方がない。
 夏休みには、花火や盆踊りやプールで遊んだり、友人ととりとめなくブラブラしたり、何をしたって許されて、或る意味では思いっきり羽を伸ばしたっていいじゃないか、と思うのは自分だけだろうか。大体、あの「わかったあ!」の瞬間が1時間も2時間も続くわけないんだから。子どもの勉強ってそんなもんだろう。(大人だって、大差ないよね)
 別にK*MONを非難するつもりは全くないけど、あれを若いママが見て、子どもがいやいや塾に行かされてしまうとすれば、やはり、おじさんは黙っていられない。しかし、そうは言いながら、うちの子にも「コラショ」とか「キッズ」なんていう勉強の友がいるみたいだけど・・・。


2003年08月12日 ♪あの時、君は若かった

 日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落して、520名の方が亡くなるという事件があった。坂本九さんや向田邦子さん等の名前もその中にあったが、当時の自分を思うにつけ、忘れられない出来事だった。
 何故かというと、その事故が起きた夜、僕は東京代々木のオリンピックセンターで、初めて勤務した中学校の夏季勉強合宿?をやっていたのである。引率した中学生はわずかに48名で、24名づつの2クラス。文字通り、「24の瞳だね」などと友人に話していたことを思い出す。再開1期生の少年たちで、在校生は彼等しか居なかったわけだ。少数精鋭主義で「文」のリーダーを育てようと意気高く始まった中学校だった。勿論、僕も全くの新米教師で日々悪戦奮闘の連続だったが、今から思うと実に充実したかけがえのない時間だった。
 事故のニュースを聞いたのは、夜の入浴時間の後だった。土砂降りの中を何故か走って風呂に行ったり、洗い場で子供たちに腰に巻いた手ぬぐいをはぎ取られて怒ったりしたことを覚えている。
 この時、生存・救助された川上慶子さんは看護士になったし、バイオリニストになったダイアナ湯川さんもいた。僕はと言えば、やはり教師としての日々を細々と歩んでおり、あの頃の少年たちは、もう30歳になる。
 この先、どんな日々が待っているのだろうか。520名の方の冥福を祈りつつ、自分の人生の行く末も思う夏の一日である。


2003年08月09日 月日は百代の過客にして・・

 どうやら台風も東北へ過ぎ去った。日中は降り込められ、昔の写真を整理したり、スキャンしたりでやや退屈だったが、あらためて子どもが生まれた頃の写真や自分の姿などを目にして、どこか「初心に還る」の感があった。
 ところで、暫く空室になっていたお向かいさんに新しいご家族がやってきた。一昨日、挨拶に来られた時にはわからなかったのだが、何とうちの子どもと同じ学童保育の1年生がいるのだった。子どもが今日、本人同士会って分かったのだった。雨の上がった夕刻、マンションの前で一緒に遊んでいた。
 やって来る人がいれば、旅立つ人もいる。お昼にはお二階さんが、「お世話になりました。引っ越します」と挨拶にやってきた。「また、遊びに来て下さい」というのがやっとだが、さして深い付き合いではなくても、一つ所に住んでいたという連帯感みたいなものはあった。また、同じくらいの年代の奥さんで大学時代の知り合いに似ていたのも、どこか趣深かかった。
 さあ、明日は1日遅れたが那須の山へ出発だ。久々に黒磯に降り立つ。山の風に吹かれて、頭を空っぽにしよう。では!


2003年08月08日 嵐を呼ぶ男、勇気なき撤退!

 台風10号が接近している。1日中、激しく降ったり止んだりで雲行きが怪しかった。そんな中、今日は或る行動と会議があったのだが、台風の影響をまともに受けて、ついに心身ともに「その場所」へ到達できなかった。
 詳細はいい訳になるので控えるが、自転車とバスと電車を用いて2度目的地に向かったのだが、2度とも途中で引き返すことになった。雨風がひどかったのと、そんなこんなの自分の行動に気持ちの方が萎えてしまったというのが正直な所か。
 関係者の皆さんには、深くお詫びします。ごめんなさい。次回はド〜ンとお返ししますぜい!


2003年08月07日 四日かんのはなし(誕生日特別寄稿 by my son)


(前略)そして二かいめの日。あさになっておきたらまだみんなねてたしお日さまもまだねてたからぼくもまっかいねたらゆめを見てまたおきたらまだみんなねてたからまっかいねておきたらみんなやっとおきた。
 そしてぼくもおきてそしておよふくにきがえたらはみがきをした。そしてといれにいった。そしてみんなと外にいっておいのりをした。そしておいのりしたらごはんをたべた。そしておひるになったらごはんをたべた。そしておひるになったらごとう先生のこうさくをした。こうさくでなにを作ったかというとぼうえんきょうと、どけっとを作った。そしておいのりした。水うみで一人ずつどけっとをうちあげた。そしてどけっとの一ばん下のところからひばながでた。そしてとんだ。
 そしてかえってきぼくのぼうえんきょうがなくなっていっぱいさがしてもないしきいてもないからまっかいしょくどうにもどったらなかったからまっかいうえにいってだんしのへやにいった。そしてさがしたらたたみのしたにぼろぼろになっておちてたそしてびいずのとうめいがないからさがしてもなくってしょくどうにいってそうじをしてたら、びいずがふたつおちてたからひろってそしてそうじがおわったらぼうえんきょうをなおしてもらってひろったびいずをいれた。そしてなおった。そしてごはんをたべた。
 そしてよるになってきやんぷふあいあをしおとしたけどあめでできなかったからたいくかんでおにくとかおいもとかたべてたらとなりのきょうかいのひとがくるからしょくどうにひっこした。そしてしょくどうですいかとやきそばをたべた。そしてはみがきとかしてねた。
 そして三かめ、いかいおきたらみんなねてたからねた。そしておきたらちょどぴ(後略)



2003年08月06日 トム・ソーヤンの冒険

 ふと思い立って、妻と中央高速バスで山中湖へ行って来た。予約は昨夜、インターネットで済ませたくらいだから、いかに思いつきの日帰り旅行かということがわかる。
 実は、子どもが教会の夏季学校で山中湖へ行っていたのだ。今日が3日目で明日は帰ってくるのだが、さり気なく様子を見に行ってみようかということになった。考えてみれば親バカなのだが、一人で泊まりに行ったのは初めてのことだった。
 せっかく行くなら楽しまなくてはと、マウント富士入口で下車して湖畔を歩き、高村美術館でクラッシックカーを満喫、ぐるりんバスで紅富士の湯へとって返し、大露天風呂&生ビール&ステーキで大満足。その後、呼んだタクシーが大幅に遅れるハプニングもあったが、旧道を通って無事、夏季学校の宿舎へ。おやつタイムを一緒に過ごしての帰宅であった。
 「親はなくとも子は育つ」と言うが、何のことはない、子どもは元気でキャンプを楽しんでいた。ただ、一瞬、女房の顔を見て目をしぱしぱさせていたのを僕は見逃さなかった。
 明日は、子どもの8回目の誕生日。何より、今回のキャンプが彼にとって、大きなプレゼントになっているのではないか。山中湖、久々に爽快だった。


2003年08月05日 暑さ寒さも胃ガンまで

 いやあ〜、暑い!梅雨明けしたと思ったら、一気にオーバーヒートである。熱帯夜の寝苦しさは筆舌に尽くしがたい。昨夜もパンツ一丁スタイルになってしまった。
 さて、昨日は日直だったが、午前中は片づけ、午後は持参したノートパソコンで生徒から提出してもらった感想やコメントを打ち込みながら整理した。近くでは新旧のデスクトップPC3台の入替作業が進行しており、GatewayからDellの液晶タイプのものになっていた。しかし、OSはXPかと思いきや、ネットワーク構築に適した?2000ということだった。(それで安く買ったのかな)
 そんな作業を横目にしながら、けっこう、打ち込んだ。そして、感心したり、思わず笑ってしまったりもした。中には、ウッと胸をつかれるものや厳しい注文もある。その一端を、「The Voice」の項で紹介している。こんな楽しみが、国語という教科の特性だろうか。
 (なお、今日のタイトルはイメージです。本文とは直接関係ありません)


2003年08月02日 いと、うつくし

真夏日、義弟の所へ、満1歳の姪を見に行く。


2003年08月01日 そのTシャツは・・・

 朝、起きていったら、女房がカッコいいTシャツを着ていた。薄紫の地に白い山(マカルー・8481m)が描かれ、尚且つ、ABCからアタックキャンプまで書き込まれている。思わず、「いいね〜!」と感嘆の声を挙げると、「パパのお下がりでしょ。忘れたの?」と素っ気ない。「そうだっけ?」
 「自分で着ないとすぐ、人にくれるんだから・・」などと立て続けに攻め込まれたが、モンベルの赤T(登山靴のカット入り)や職場で作ったJRC(青少年赤十字)のYOKOHAMAN・Tシャツ(紺地に白抜きロゴ、Now or Neverの文字も入っている)も、いつの間にか女房のものになっている。また、シェラデザインの水色のオーロンTや赤地に白抜きの海人(うみんちゅ)Tもそうだった。
 でも、その内の多くは、どこぞのお土産にわざわざ女房や子どもに求めた物であったと思う。決して、自分一人のために散財した物ではないのだ。そうだよ、そうに決まってる!
 まあ、そう心の中でつぶやきながら、マカルーTを見る。やっぱり、いい。う〜む、こればっかりは取り戻したいけど、サイズがなあ・・。最近、厚みを増しつつある腹部を見ながら、モーニング・コーヒーをすする。夏の朝、である。


2003年07月30日 この指が君を覚えていたよ

 「そう島村に言われて、駒子はもうのど元まで赤くなった」そんな述りが、小説「雪国」の中にあった。初めて読んだのは小学5年生の頃か、当時は何のことかさっぱり分からなかったのだが、おじさんになってしまった今は、やはり分かってしまう。確か、「頭をさっぱりさせたい」などと言って島村は、芸者を呼んだはずだ。そして、やってきたのが半玉の駒子だった。小学生の僕は大きくなったら、雪国で半玉の女の子を囲って暮らすのだなどと大胆不敵にも考えていた。
 そんなことをつい思い出してしまうほど、今回の越後湯沢は心にしみる旅になった。勿論、9時から5時までは分科会の司会という大役があったが、早朝2時間ほどの散策は充分に僕の心を開放させてくれた。冬は名だたるスキー場だが、夏の頃もなかなかいい。
 旅館の雪駄で足の人差し指の皮を擦り剥いたり、静かな街道沿いに鶏の声が響くのも、共同浴場や側溝に湯水が豊富に溢れているのも、何となくいい。どこか「しっくり」くる。考えてみれば亡くなった祖父は新潟出身であった。その血のなせる業だろうか。
 夏の雪国でセンチになった自分は、帰路、もう一つの夏の結果に驚く。おめでとう、商大高校!うちの分まで甲子園を楽しんで来て下さい。
 


2003年07月27日 夏の初めに

 久々に高尾山へ行った。職場の仲間とうちの子どもと総勢4名である。もう、梅雨明けでいいよねという高曇りの中、ずうっと川のせせらぎが聞こえる6号路で山頂までゆっくりと歩いた。
 実は、来月に那須連峰へ行くための足馴らしという所だったが、仲間はともかく僕は昨晩アイリッシュパブでけっこう飲んでしまったので、ややきつかった。こういう時は何故か、あまり汗が出てこないのも不思議だ。それでも、雨で水量の増した川の音は清冽で心地よかった。帰りは参道を下り、お得意のリフトで空中散歩だった。昼メシの黒エビス(beer)が程良くまわり、足をブラブラさせると更に快適になる。
 下りてからは、高橋家で更に軽く一杯。蕎麦団子に蕎麦味噌焼きも忘れない。仲間は携帯で高校野球の経過を聞いている。「0−2で負けてるぞ!」さすが強敵、桐蔭学園。試合の行く末を気に留めながら、高尾山口駅のホームから広がり始めた青空を振り仰ぐのだった。


2003年07月24日 彼は闘牛、俺は乳牛!

 先ほどTVで見た、元ボクサー輪島のセリフである。カンムリワシこと具志堅用高を前にして「二人とも同じ干支(えと)なんです」「そう、羊!」と言ったばかりなのに、この言いよう。まったく輪島は、笑わせてくれる。思わず、字幕でつっこみを入れたくなる場面だ。
 しかし、輪島にしても具志堅にしても現役時代は素晴らしいボクサーだった。輪島が柳斉斗に左フックで見るも無惨にマットに沈められた時、誰もが引退を思ったが、彼は辞めなかった。再度柳に挑戦し、13Rを闘い抜きTKOで見事にチャンピオンに返り咲いた。打たれても打たれても突進する彼をリアルタイムで見ながら、感動して涙が止まらなかったことを思い出す。一方、具志堅は精密機械のようだった。正確無比な左右のコンビネーションで次から次へと防衛記録を塗り替えていった。「ちょっちゅねー」のウチナーは、ハングリーで物静かな青年だった。このあたりは、輪島とはまったく異なるキャラであった。
 この二人に続いたもう一人の僕のアイドルは、ユーリー・アルバチャコフである。初めはユーリー・海老原と名乗っていたが、ロシア人としての本名に戻ってチャンピオンとなった。ここ一発の強打とコンビネーションは完璧で、そのホワイトウルフとも言うべき風貌とマッチして、これほど完成度が高く、KOの山を築いたボクサーもいなかったろう。
 そんなことを思い出しつつ、TVの二人に大声を上げて笑いころげていた。出でよ、ニュー・ヒーロー!
また、僕を夢中にさせてくれ!


2003年07月23日 たまには

 梅雨寒が続く。午後、子どもと一緒に近所の床屋へ行った。前もって予約を入れておいたので、二人揃って同時進行でやってもらえたのは良かった。子どもは、これが二回目のヘアカットである。
 以前は女房が床にゴロリと寝かせて、或いはビニールのゴミ袋?を首に巻いて、はさみでジョキジョキやっていたのだが、だんだん面倒になった?せいか、僕の行きつけの店に行くことになったのだ。おじさんは真剣にハサミを入れ、子どもも神妙に鏡を見つめている。僕はと言うと、おばさんと世間話をしながら、時々横目でチラチラと隣を見ている。
 「カッコいいじゃないか〜」と冷やかすと、照れながら満更でもなさそうだ。結局、僕の方が遅くなり、先に終わった子どもはおじさんに習って、電動イスを上下に作動させながら遊んでいた。「おいおい、サンダーバードじゃないぞ」
 親子床屋、いいもんだ。


2003年07月22日 おひかえあそばせ

 この所少し時間が出来たので、ギャラリーやMy Favoriteに手を入れてみた。中でも「石立鉄男」さんは久々に懐かしく、ついつい盛り上がってリンクをはったり、DVDBOXなどを注文するはめになってしまった。女房には散財と言われるが、こればっかりは仕方がない。せめてもの楽しみである。
 今週は夏期講習、来週は教研集会で越後湯沢へ行く予定。とある分科会の司会を担当するが、これがけっこうパワーが要るのだ。何てたって、闘う人たちが集まるのだから・・。えっ、何と闘っているのかって?それは、不当な差別だったり解雇だったり、学校という現場で決して許されるはずがない事柄とである。生徒も先生も、そこで成長できることが学校にとって一番大事なのではないか。追い出せばいいってもんじゃないでしょう。
 「甲子園」をギャラリーにupしながら、かけがえのないステキな場面だったなとあらためて思ったりした。幸せ者だよ、感謝しなくちゃ!そうだろう、小早川薫・・・。
 
 


2003年07月20日 銭湯とはまかぜ

 久しぶりに川崎の実家へ行った。もっとも、その前にMM21(桜木町)で開かれている神奈川私学展に寄り道をしていったのだが、そちらは大変な人出で慌ただしく、父の車で我が家へたどり着いた時には、何かほっとするものがあった。
 いつものように寿司&ビールで盛り上がるが、今日の目玉は何と言っても、昼風呂。そう、うちの隣の隣は銭湯・平和湯なのだ。3時ちょいには子どもと二人で、下駄箱にサンダルを入れていた。大学生の時以来だから、20年はゆうに経つと思う。
 中へ入ると脱衣場が広く、天井も高い。なかなか開放感がある。湯船は5種類程あり、ジェットバスから低周波、サウナと揃っている。かつては、大きい浴槽が2つくらいしかなかったはずだ。露天風呂がないのが残念だが、元々商店街にあるのだから、それはちょっと無理か。人も少なく、実にのびのびと昼風呂を楽しむことが出来た。
 風呂から帰って、また、ビール。子どもは水をガブガブ飲んでいる。そうだよ、自分も昔はそうだったんだ。そう、銭湯の前に焼き鳥の屋台があった。シロとレバーしか買わない父だったが、あのタレの味はまだ覚えている。かみきれないシロの肉も。
 帰りは車で新横浜へ送ってもらう。梅雨明け前の風が、車内を思い切りよく駆け抜けていく。ごちそうさま、また、来ます!


2003年07月18日 死ぬ前に一度

 美術部へ!というポスターが貼ってある。一番新しい校舎である3号館1F物理教室の壁だ。おそらくは鉛筆で描いたと思われるデッサンで、筋肉番付に出てくるムキムキ和尚さんが眼光鋭くにらみをきかしながら、このセリフを吐いている。
 「そんな、アホな!」と最初は思ったし、「変なの〜」と今でも思うのだが、最近、だんだん気になるようになってきた。元々、弱小クラブに思い入れがある方だし、事実、自分もメジャーな部活動経験がない。
 中高時代の卓球部は、高校段階で見事な幽霊部員となっていたし、大学時代もサッカー愛好会と華道部という軟弱?クラブであった。しかし、そこで得たものは決して少なくない。そう、どんなクラブであれ、青春の一時を費やすならば、必ずそこに黄金郷が存在しうるのだ。
 美術部、合唱部、マンガ部、大いにけっこう!できたら廃部になった山岳部も復活させたい所だが、紙面が尽きるので今夜はここまで。


2003年07月16日 ある邂逅

 昼下がり、図書室へ行った。新聞を読んだ後、久々に書架を見回した。一隅に「言語」のコーナーがあり、そこには国語学関係の研究書が並んでいる。その中には、僕が引っ越しの際に寄贈したものもけっこう含まれている。
 幾冊か手にとって、軽くページを繰る。「古楽府」「下学集」「国語史概説」「廣日本文典」「羅葡日対訳辞書検案」、そして、「吉利支丹語学の研究(土井忠生)」。おやっ、これは僕が持っていた時とは違う和紙の装丁になっている。しかも、書名と作者名が筆で記してある。はて、と思いつつ中を開けるとハラリと一枚の葉書が落ちてきた。それは、まぎれもく僕の大学時代の担任であり、国語学の手ほどきを受けたモリケンさんからのものだった。
 『暑中お元気にご活躍のことと思います。』と活字が打ってあり、余白に『先生稼業はいかがですか。(中略)ご健闘を祈ります。国文学科を離れたので、今年から独りで山暮らしをしています。』と自筆で記されている。軽井沢の消印で、日付は60/8/12とあった。
 そう言えば、国語学の学生と院生は、先生やOBも交えて、軽井沢で良く合宿をしていたのだった。勿論、それはモリケンさんの別荘があったからなのだが、そこへ行くとやはり「鍛えられる」という感じがあった。また、勉強の後はしこたま酒を飲み、星を見ながら静かな夜の道を歩いたことも思い出した。
 そして、昭和60年は僕が今の職場に就職した年なのである。新米の1年生に、モリケンさんは激励の葉書をくれたわけだったのだ。何とも驚いたが、あらためてじわりとうれしさが込み上げた。先生は、自分のことを気にかけていてくれたのだなと。
 こんな出会い、めったにないね。


2003年07月14日 電動ハブラシ

 どういうわけか、子どもの頃から歯には自信があった。それは「虫歯がない」「歯並びが良い」というものだったが、実は、就職する頃にはそこそこ奥歯などに穴が開いたりもしたのだった。右下の親知らず?などは、かぶせた銀?がとれた挙げ句に抜けてしまい、その後に新しい小さい奥歯?が生えてくる始末。しかし、総じて、歯には絶対の自信を持っている。(何じゃ、そりゃ)
 ブラッシングのテクも筋金入りだ。何しろ学生時代に歯科大の友人の学園祭に行き、「歯磨きコンテスト」で優勝したのだから。チョコクッキーを2〜3枚食べ、制限時間内にどれだけきれいにブラッシングできるかというものだったが、実は、外来の参加者が僕だけだったと言うことを後で聞き、やや鼻白んだ。そう言えば、初恋の女性も歯医者の娘だった。(誰も訊いてないね)
 そんな僕の妻子は、何故か歯がウイークポイントらしい。歯ブラシもまめにかえ、毎食後のブラッシングも欠かさない。そして、ついに、電動歯ブラシを常用するようになった。見ていて少々おかしいのだが、子どもが使っているものなどはミッキーの絵がついていて楽しそうだ。口にくわえてウイ〜ンと軽快な振動音をさせている。途中でボタンを押すと、小さくピラリ〜となったりもする。おもしろそうだな、電動君。ひそかにムズムズしてくるのだった。
 そして、昨日の朝、今夜と試しに使ってみた。う〜ん、心なしかツルツル感が違う。ブラシは小さい球状に回転するので、奥歯にもわけなく差し入れることが出来る。もっと悲壮なものかとの先入観は一切合切問答無用の助だ。
 こうして、人間はますます自らの手を煩わすことを避けていくのだろうか。男はおもちゃのような電動ハブラシをただ見つめるだけだった。

 


2003年07月13日 とりとめなく

 涼しい朝を迎えた。昨日は蒸し暑い中、子供が友達を自宅に誘って遊んだり、冨士森グラウンドでフリスビーをしたり、近所の銭湯で汗を流したりした。
 夜は塩鮭&ビールに冷たいうどん、スライドをスキャナーで取り込ませながら、DVDで「アマデウス」を見たりした。サリエリ役のエイブラハムとモーツアルト役のトム・ハルスが秀逸だ。そして、何より、モーツアルトの音楽がいい。
 遠い知人がゆっくりめの結婚をし、一方で、急に奥様をガンで亡くされた先輩もいた。些細な事から言い争う夫婦もあれば、話が途絶えることもあるだろう。
「この世を厭いて」なんていうキリシタン書があったが、誰もが時にそう思ったりする。
 さあ、どうやって終わったらいいんだい、今回は。
(そうそう、どうしてアトムは上半身裸なのかな・・。誰か教えて下さい。)


2003年07月11日 33度、パア〜!

 この所の涼しい陽気にすっかり体が馴染んでしまっていたが、今日の暑さにはまいった。午前中からぐんぐんと気温が上昇し、何と33度になった模様。
 昼食に近くの蕎麦屋へ出向いたが、あまりの暑さに頭がクラクラ。天ざるも腹の中で沸騰を始める始末。今日は土曜日だったかと錯覚し、思わず帰りたくなってしまった。
 昨夜の酔いが尾を引いており、寝不足も手伝って目の下にクマができている感じ。もう若くないよな〜と実感しつつ、試験後のお楽しみ?授業では生徒と若き日のELVISをビデオで見てしびれっぱなし。
 ”ユ・エイント・ナッシイング・バット・ア・ハウンドドッグ・クライン・オールタイム”エルビスの歌とアクションは現役の高3をも充分魅了し、骨盤エルビスと酷評されてタキシードで唄うはめになった場面では同情しきり。
 いやあ、しかし、二日酔いで見ても、ELVIS、やっぱり最高です!


2003年07月08日 5コマ、7発!

 何のことはない、今日行なったテスト返しの数である。答案返却自体は昨日からなのだが、週末多忙を極めた?僕は、予め今日に全ての返却を集中させていたのだ。ということは、昨日がどんな日であったかもおわかり頂けると思う。
 コマ数と返却数が合わないのは、1時間に現代文と古典とダブルで返したクラスが2つあったからだが、これはけっこう生徒には好評のようだ。何故なら、片方が悪くても、もう片方が良ければ、それで得したような気がするらしい。中には「1粒で2度美味しい」という幸せ者も出てくる。「なかなか、いいじゃないか」「おっ、そろえてきたな」などと声をかけると満更でもなさそうだ。じゃあ、両方ダメだったら、どうするかって?
 勿論、そういう生徒も見捨てはしない。「個人的に相談にのる」と宣言し、何人かと廊下や職員室で話したりすることになる。ここで、現代文の課題には、僕の机の横に山積みされた文庫本が大活躍する。「この本(1冊)の中から3〜5つの話を選んで読み、自分のコメントをつけなさい」というもの。山田詠美、ユウ・ミリ、泉麻人、ナンシー関、椎名誠、桜井よし子、伊集院静、中村うさぎ、吉本ばなな、重松清、村上春樹&龍、小池真理子、鷺沢萌etcといったメンバーの本が1冊生徒に無造作に与えられるわけである。時に帰ってこない場合もあるが、そんな時は「フッ」と笑みがもれることになる。
 そう言えば、以前、停学中の生徒の課題に「史上最強の山男・山田昇」の写真集を与えたことがあった。停学解除後、彼はキレルと友人達に良く叫んでいた。「お前も史上最強の山男の本を読め!」と。


2003年07月06日 名古屋章さんを悼む

 先ほど見たTBSドラマアンコールの「ホテル」。高嶋政伸扮するホテルマン赤川一平が、ホテル・プラトンで成長していく姿を描いたドラマだが、脇役陣にも個性派俳優を揃えて飽きの来ない上質のエンターテイメント作品となっている。
 中でも料理長に扮する名古屋章さんが、僕のお気に入りだった。どこか飄々としながらも人情に篤く、決して器用ではないが魅力的な人柄は、役だけのものとは到底思えなかった。高倉健が何を演じても高倉健であるように、名古屋章さんもまた、常に名古屋章であり続けたように思える。
 何と言っても、あの表情。太い眉、がっしりした四角い顔、喜怒哀楽に満ちたくるくる変わる小さな目。そして、あの味のある声、しゃべり方。あんなおじさんになりたいと思う今日この頃である。そう言えば、寅さんこと渥美清も僕のアイドルだ。
 やっぱり、男は四角だよ!
 


2003年07月04日 メルト・ダウン

 最近の映画「ゴジラ」シリーズで耳にした言葉だ。ゴジラの体内の放射能が極度に高まって、内側から文字通り「溶けていく」のである。そんな言葉が相応しいような、午後だった。
 職員会議では、来年度の募集に関連して新たなコース設定が発表されたが、全く現在の苦境を是正できるようなものではなかった。下手をすれば、更に、生徒は減るだろう。とにかく一番納得がいかないのは、そんな大事なことを、ほんの数人がどこかで決定していることだ。我々にはいつも「これで、一つ」と「下りて」くる。叩き台ではなく、決定事項として。じゃあ、何のために会議を開いているのか。怒りたくもなる。意見を言っても、途中で打ち切られる始末。情けない。
 ああ、メルト・ダウン。夏空を見上げ、風に吹かれながら、ため息をついた。


2003年07月02日 頑張るとは

「もうダメだと思った時が、始まりです。」と、その教室のカレンダーには書かれていた。釜山アジア大会の水泳で金メダルを取った、中村礼子選手の言葉である。おそらく自筆の文字は、彼女の素晴らしい水泳フォームの上に躍動していた。
 今日から始まった期末試験の監督中、僕は、何度もこのカレンダーを眺めた。そして、かすかに頷いていた。「イイ言葉だなあ」と。
 午後、雨上がりの校庭で、月桂樹の葉を一枚手折った。鼻に持って行くと、芯の強い芳香がした。月桂冠という言葉が浮かんで、また、先の言葉が思い出された。
 七月の朔日であった。

 


2003年07月01日 さあ、期末テスト!

1学期もいよいよ最後のヤマ場!


2003年06月29日 宝剣・こぶし・パーキング

 週末、高速バスを利用して中央アルプスへ行ってきた。詳細はまた述べるが、昨日は雨、今日は真夏の太陽がきらめき、最高の山となった。千畳敷ホテルに宿泊したので、ゆっくりと宝剣岳に抱かれた感があった。帰りには、こぶしの湯にもつかり、馬刺しも食し、言うことなしであった。
 さて、帰りの高速バスだが、駒ヶ根から横浜までの直行便で、中央道での途中下車ができなかったのだ。これが新宿行きならば八王子で下車可能なのだが、仕方がない。同行した横浜南部労連の仲間とハマまで付き合うかとも思ったが、渋滞をやっとのことで抜け出して八王子のインターが近づくと、もう、我慢できなかった。しかし、我が儘は許されない。断腸の思いでインターを過ぎると、何と2km先の石川パーキングで休憩となった。ここで、おずおずと運ちゃんに切り出した。「ここで、下車できますか」「乗車券さえ頂ければ、OKです」「やったあ〜!」は胸の中で叫んで、仲間にも別れを告げてザックを下ろした。
 さて、この後が、実は大変だった。詳細は別の機会に譲るが、わかったことは二つ。原則としてタクシーは高速のパーキングに迎えに来ない。パーキングは意外にあっさりと普通の道路に降りられる、である。たとえ街中でも未知の場所を、日曜の夜遅くトボトボ歩く哀しさは、また格別であった。携帯もないので、電話ボックスを探すにも困難を極めた。やっと来たタクシーに乗り込んだ時は、涙がにじんだ。
 久方ぶりの中央アルプス、忘れがたい山となったようだ。
 


2003年06月25日 車庫に入りますよ!

 そう呼びかけれて、目を覚ました。昨夜のJR橋本駅のことである。声をかけてくれたのは車掌さんで、乗客は皆降りた後だった。横浜線の橋本止まり。起こしてもらって助かった。
 これが、終点の八王子から折り返しの東神奈川行きなんて言ったら最悪だ。もう一度通勤する羽目になってしまう。そう考えると車掌さんに起こしてもらったものの、ちょっぴり寂しさも感じた。他の乗客には、放っておかれたってことか、と。
 この橋本駅で後続の八王子行きを待つ間、いつも、何だか無常を感じる。説明し難いのだが、無常と言う言葉が合っているように思う。酔いが醒めたり、風に吹かれたり、うつろな頭で漠然と立ちすくんだりする。そんな時があっても、いいのだろう。
 京王相模原線がゴトゴトと高架で入ってくる。我が横浜線は、もう少し。そう、あと、少しなんだから・・。


2003年06月23日 昼メロ先生

 たまに見かけるCMで、面白いのがある。3年B組と言えば「金八先生〜!」と相場が決まっているのだが、ここにいろんな先生が登場するコマーシャルだ。ある時は、ツッパリ先生だったり、暴れん坊将軍先生(馬に乗って教壇に現れる)だったりするのである。そんな中での最新作?昼メロ先生というのが出色だ。
 若い女性の先生が授業を始めると、いきなり前の扉が開いて若い男性の先生?が入ってくる。「どうして、お前は俺から逃げる?(って感じかな)」「いやっ、あなたこそ、私のことをないがしろにしているじゃない(ってな感じ)」二人は教壇でもみ合いながら抱きついたりする。あっけにとられる生徒たち。その時、後ろの扉が開いてやや年増の女性(保健室の先生か?)が冷たいまなざしで登場する。「この泥棒ネコが!」吐き捨てるようにつぶやく。教壇の二人は更に身もだえる。
 場面は打ってかわって、どこかの土手。「授業しろよ〜!」とため息混じりに男の子が言い放つ。隣で女の子がうなづく。ここで、僕は思わず爆笑なんである。いやあ、こんなことってあるかもなあ〜、(いや、普通絶対ないけど)妙におかしいんだな、これが!
 しかし、最大の問題は、こんなにおかしいのに、一体何のCMだが全く覚えてないということだ。いやあ、これは、やっぱり教材として扱ってみるべきか。面白すぎても、CMって困るんだな・・。


2003年06月21日 そりゃあ、無理だ!

 いやあ〜、暑い。この所の暑さは尋常ではない。この時期に30度はきつい。そんな週末の土曜日にも、うちの職場は営業中だ。
 1時間目の授業を終えて一息入れていると、遅刻の生徒がやってきた。「あの〜、週番の先生は、どこですか?」その様子が妙にいたいけで、「じゃあ、見てあげるよ」と生徒の手帳を受け取った。「そうしたらね、ここに、今日の日付と時間を書いてくれる」「はあ、はい・・」「6月21日、10時10分かな」「はい・・」生徒は妙に目をシパシパさせている。どうも、手帳にうまく書けないらしい。
 「うん?大丈夫か。ところで、どうしたの、今日は」「はい、眼科に行ってきました」「眼科?」「はい、網膜剥離みたいで・・・」「げっ!」
 慌てて彼から手帳を取り上げたのは言うまでもない。替わりに必要事項を記入して、「気をつけてな、転ぶなよ!」というのが精一杯だった。彼はうっすらと閉じた両目から涙とも汗ともつかぬ液体を流しながら、「ありがとうございます」と言って去って行った。まるで、夏の蜻蛉(とんぼ)のような彼であった。


2003年06月19日 花束

 夕刻からの集会のために、職場を出たのは5時過ぎだった。日ノ出町で下車し、駅前の交差点をほぼ左折しながら桜木町方面へ向かう。途中の吉野家で並盛りを食した後は、さあ、集会に備えての花束探しだった。
 ええっと、この辺になかったかなあと、キョロキョロしながら歩く。TOPOSにない、音楽通りにもありそうでない、はて?と困っていると、「そうだ!」と紅葉坂を登り始めていた。
 坂の頂上には、ホテル海洋亭が瀟洒に佇んでいる。この辺りからのランドマークの眺めも悪くない。音楽堂や能楽堂も近く、周辺は文化的でロマンチックな雰囲気がある場所なのだ。ここに、ブーケやハーブグッズのコーナーがあったのだ。
 「どんな風に致しましょう」とフラワー嬢は訊いた。「ひまわりやガーベラ主体で、明るいのを!」と答えた。紫陽花の季節、パープルもいいが、僕はこの明るい花材にこだわっていた。彼女は他にいくつか付け足して、僅かな時間でステキな花束を完成させた。さすが、プロ!すっかりうれしくなった僕は、花束を抱えて坂を駆け下りた。
 おいおい、一体誰に渡すんだって?よくぞ訊いてくれました。それは、不撓不屈のY先生。先日、中労委で勝利した報告集会なのだ。集会の司会は誰だって?もう、ヤボなんだから。紙面が尽きたのでこの辺で終わります。
 


2003年06月16日 ISLAND POWER

 昨年末に家族で初めて沖縄へ行った。2泊3日で3万円を切る激安ツアーだったが、沖縄の概略を知るには格好の旅となった。土産はいくつか買ったが、実はアロハシャツも手に入れていた。藍の地に白いハイビスカスが浮き上がっている、なかなか目立つシャツなのである。ところが、なかなか着る機会がなかった。
 昨日、初めて着用して桜木町へ出向き、とある集会の司会をやってきた。二日目のまとめの全体集会ということで、何かパリッと自分にも気合いを入れたかったのである。そして、できれば、そのまとめの全体会が和気藹々と盛り上がればとの願い(ちょっとオーバーかな)もあった。そして、司会の相方を務めて下さったお母さんを始め、皆さんのおかげでステキな集会になったように思う。
 この時期、運動部の高校生は関東大会で多忙なのだが、考えてみれば、この集会も父母や教師・生徒が2日間でのべ500人近く集まっての関東大会であった。実に光栄な仕事をさせて貰った訳である。
 「海人(うみんちゅ)」Tシャツもいいが、このアロハ・フロム・ウチナー、暫くは「勝負服」として僕を奮い立たせてくれそうだ。


2003年06月13日 子どものとなり

 いやあ〜、今日は疲れた。蒸し暑さもさることながら、5コマの授業だったのだ。うち、2コマは理系のクラスにビデオを見せた。タイトルは、「子どものとなり」というドラマで、昭和61年にNHKで放映されたもの。この中の一編が「燕の駅(灰谷健次郎さん)」で国語Uの教科書に載っているのだ。
 ところで、今日見たのは「日曜日の反逆」と「少女の器」で、先週「燕の駅」を見た後に「残りの二作も是非」という生徒の要望に応えてのことだったが、本音は残りの二つも紹介したかったという所。
 日曜日毎にヒッチハイクをする少年は、実は嘘をついて、自分と違うもう一人の自分に会いに行くという話。自分の子どもを自死で失った父親役の杉浦直樹がこの少年にからむのだが、僕などは実にスムーズに感情移入がされて泣けてくる。生徒はわりと冷静だが、ちょっとだけしみてる様子。
 「少女」の方は、一カ所劇的なシーンがあり、大いに盛り上がった。それは、少女が別れたパパの家に泊まりに行き、パパと新しい恋人が共にやすんでいる寝室前のトイレに行けずに、粗相をして泣き出してしまうという場面だ。パパ役の杉浦直樹は、そんな娘を不憫に思い、抱きかかえて共にシャワーを浴び、娘を抱きしめる。このあたりで、視聴覚室はやんやの大喝采(いや、大爆笑)なのである。
 僕などは、そんな杉浦パパの気持ちが痛いほどわかるのだが、生徒にしてみれば「やっぱり、変!」「あり得ない!」ってとこなのだろうか。
 少々、フクザツ&ビミョ〜な気分だった。


2003年06月11日 寿司は廻る

 寿司はもともと好きなのだが、廻転寿司はなかなか楽しい。我が家ではテンプラや刺身の類があまり供給されないので、時々、無性に食べたくなる。出先で、軽く夕食をとるのに、この廻転寿司は実にいい。
 或る日は、鰯〜トロ〜焼きサーモン〜白魚軍艦〜生牡蠣〜鰺のたたき〜はまち〜カニサラダ軍艦〜小いか〜焼き穴子、こんな感じだった。
 勿論、この中には注文したものもあるが、十分に満足できる。この時は、特に生牡蠣が旨かったなあ。そして、焼き穴子はいつもふっくりして美味いのだ。鰺のたたきなどは、姿作りで帆掛け船になって出てくる。こういう時は奥で年季の入った親父さんがやっているのも、うれしい。
 寿司は廻り、豊かな発想も巡れば、こんなに愉快なことはない。ああ、愛しの廻転寿司よ、また、逢う日まで!