1、山の本 2、トム・ハンクス 3、ステーキ 4、ギュンター・ネッツアー 5、ピアノ 6、華道部 7、北温泉 8、チャン・ツイー・イー 9、石立鉄男 10、デボラ・ハリー 11、駅弁
本棚には、やはり山の本が多くなってしまいますね。「陰陽師(おんみょうじ)」でブレイクした夢枕獏さんの「神々の山嶺(いただき)」は良かったですね〜。「エサウ(フィリップ・カー)」も最高!これは映画化されると聞きましたが・・・。串田孫一さんの詩文も昔から好きです。「山のパンセ」(画面右端)など。そうそう、ドキュメントものも欠かせません。何故か、遠征もの&遭難もの&雪崩がらみには手が出ます。いつか、自分の作品集を作ってみたいものです。
最初に見たのは「スプラッシュ」だったかなあ。人魚と恋に落ちる青果市場勤務の若者役が彼でした。ナイーブでいてコミカル、何でもこなす器用さもあれば熱いハートも失わない。そして、いつも明るい二枚目半。いっぺんにファンになりました。
その後も、「フォレスト・ガンプ」「プリテイ・リーグ」「スリープレス・イン・シアトル(邦題・めぐり逢えたら)」「ユー・ガット・メール」「ジョー、満月の島へ行く」「プライベート・ライアン」などの作品で彼と出会ってきましたが、特にメグ・ライアンと組んだ作品は、また一段と楽しいものです。僕の一押しは、やはり「ユー・ガット・メール」。
大型デイスカウント書店の店長であるトムと、街角の小さな本屋のメグ。この二人が商売ではライバル同士なのに、実は、メル友同士では恋に落ちるという設定。勿論、最後までメグは気づきませんが、トムの方はひそかに悟り、メグに少しずつアプローチしていくのです。このあたりが絶妙の楽しさ。BGMも気分を盛り上げます。
メグがメル友を待つコーヒーショップでトムに出会い、彼を思う存分に責めるシーン。「あなたは本を売っていて、自分がインテリだと思ってる。しかし、安売りだけ。後には何も残らない。私には本にまつわるお客との楽しい思い出が残るわ」メグを意地悪そうに見るトム。でも、恋しい彼女に言われて傷つき立ち去ります。そんな彼を、人を非難した後味の悪さでやりきれなく見送るメグ。このあたりは何度見てもグッと来ます。ラストで二人が本当に出会い、「あなたで良かった」と涙ぐんで言うメグ。そうだよ、良かったよ〜と、こっちまでうれしくなってしまいます。
まあ、今回はちょっと書きすぎました。それでは、皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!
ハンバーグでなく、ステーキを食べたのは何時が最初だったろうか。あまりはっきり覚えていない。学生時代には、ほとんど食べたことはなかったと思うので、やはり、就職してからだろう。
生まれも育ちも川崎だが、駅前に「ミス映画街」というのがあった。今でも「エクソシズト」を親父と弟と3人で見たことを覚えている。その川崎グランド劇場のはす向かいに、「エルム」というステーキ屋があった。そこで食べたステーキが、ひょっとしたら最初かも知れない。
店内は薄暗く、決してきれいではなかったが、どことなく気取ってはいずに、親しみがわく店構えだった。レギュラーで180gくらいのやつをミデイアムで頼んだ。ライスは大盛り。最初にサラダが出て、デザートは何故かメロンシャーベットだった。勿論、ビールも頼んだように思う。これで、すっかり満腹となる。
僕は小さい頃肉が嫌いで、鶏も豚も牛もだめだった。あいびき肉なんて大嫌いで、こうなると給食の時間はほとんど地獄だった。さり気なく皿から落としてふきんにくるんだり、パンに穴を掘って中に肉を埋め込んだり、挙げ句の果てには片づける間際に皿から窓の外へほうり捨てたこともある。給食係の女の子に、「見たわよ」と言われて、死ぬほどドキリとしたことを今でも昨日のことのように覚えている。彼女のあだ名はビンビロだった。
そう、ステーキを食べると、何だか力が湧いてくるように感じたものだ。ペッパーのきいた焼けているが柔らかい肉をソースと共にかみしめ、ライスと一緒にほおばる。箸など使わず、ちゃんとフォークとナイフで食べる。ライスもフォークに乗せて口へ運んだのだ。付け合わせの丸みを帯びたにんじんが甘い。いんげんやポテトも美味い。ビールもすっきりと口の中で発砲する。デザートのシャーベットは、ややアツアツになった舌を文字通りさましてくれる。
ほろ酔いになってどこへ行くかは定かでないが、「エルム」で過ごす時間は、今思うと貴重な「癒し」の時間だったのだ。自分に対する「ご褒美」といったところだろうか。以来、ステーキは僕のカンフル剤になっている。弱気になったり、疲れたりして落ち込んだら、もうステーキだ!迷うことはないのだ、青年よ!
ps、写真は西穂高ロープウェイの駅で食べた飛騨牛ステーキ丼。いやはや、美味でした。ps、エルムはやっぱり健在なようです。また、行ってみようっと!
サッカーとの出会いは、確か高3の頃かと思う。Jリーグなんてものはなく、日本リーグという企業リーグだった。ヤンマーや三菱が古豪で、日産や読売クラブが台頭してきた頃だった。僕のアイドルはヤンマーのネルソン吉村とやはり釜本だった。しかし、当時の日本代表はオリンピック予選に負け続け、国際舞台での活躍は全く望めない有様だった。メキシコ五輪銅メダルは遠くなっていった。
そんな時、TVでワールドクラスのサッカーを放映していた。12チャンネルの「ダイヤモンド・サッカー」である。実況アナは金子さん、解説は現JOC会長の岡野俊一郎さんである。イングランドリーグやブンデスリーガ(ドイツ)がメインだったが、74年W杯全試合放送などという意欲的な取り組みもあったかと思う。
そんな中で、僕の目を惹きつけてやまなかったのが、西ドイツの「中盤の将軍」ギュンター・ネッツアーだった。芸術的なロングパスとフリーキック、優雅な身のこなしと長い金髪はまさしく「フィールドの王様」だった。72年の欧州選手権で西ドイツを優勝に導きながら、74年W杯では出場の機会に恵まれずに「悲運の将軍」と呼ばれたことも印象深い。
キャリアの後半にはボルシアMGからスペインのレアル・マドリッドにわたり、「白い巨人」ことデイ・ステファノ時代の黄金期を再来しようとするが夢は叶わなかった。しかし、スペインのファンはネッツアーに熱狂的な声援を送ったという。できれば、生のプレーを見たかったものだ。
男でピアノが弾けるっていうのは、カッコいいと思う。ミュージシャンは元より、普通の人でも何かの折りに演奏できればスゴイ。演奏なんてもんじゃなく、それが「ネコふんじゃった」でも「さくら、さくら」でも構わない。さり気なく、武骨な指で弾くのがサイコーだ。鄙びた温泉の片隅なら、もっとしみるだろう。
ピアノはよく、習い事として始まる。僕も幼稚園から小学校の低学年にかけて、習った。赤いバイエル、黄色いバイエル、そしてソナチネアルバム。このあたりで、もうレッスンに行かなくなってしまったと思う。そう、三角ベースを始め、外遊びが多くなったからだ。また、何となく沢山いる女の子たちがうっとうしくなったからでもあった。
ビリー・ジョエル=「ピアノ・マン」。エルトン・ジョンも小田和正もプレスリーもピアノを弾く。原田真二「キャンデイ・アイ・ラブ・ユー」もカン「愛は克つ」も来生たかおも弾く。西田敏行は「もしもピアノが弾けたなら」と唄った。大学時代の同級生F君も、在学当時からピアノを弾いてバイトに励んだ。卒業は遅れたが、文集に名言を残した。「好きでウマくなる。キライで上手くなった奴には会ったことがない」と。
山下清や寅さんはピアノがひけたろうか。寅さんなら露天のバイ(商売)で、ピアノのおもちゃを弾いていそうな気はする。また、惚れたマドンナのために「おい、ヒロシ!おまえ、ピアノの弾き方教えろよ!」なんて言っていそうだ。SKDを目指したさくらなら、きっと弾けるに違いない。
そして僕も、さくらのようなピアノの先生にもう一度基礎から教わりたいと思う、今日この頃である。
華道部に入っていた、というとやっぱり意外な顔をされることが多い。でも、やってたんだな、これが。華道には「池の坊」とか「草月流」とか流派があるのだが、僕の場合は「小原流」だった。「小原流」は明治以降の流派で、水盤に盛るように花を生けるところから、「盛り花」の代名詞のようになっている。
この華道部に、大学2年の時に入部した。勿論、自ら進んで入部した訳ではなく、国文科の先輩に連れられていったのだ。土曜日の午後、案内された教室にはまさしく「名花」が揃っていた。その「名花」が上品に生け花をおやりになるのだから、美しくないはずがない。しかも、先輩は言った。「新入部員の○○君だ!」と。今でも覚えている。そして、名花の一人がおっしゃった。「来週も来てね!」「ふあ〜い」と返事をしたかどうかは定かでないが、翌週には部員になっていたように思う。
そして、秋の学園祭が終わると、僕は何と部長になっていた。おいおい、何で新人が部長になるんだよ。他にもいるだろう、部員が!ところが、僕の学年は3人しかいなかった。名花は皆上級生だったのだ。ここで、やっと、先輩が僕を拉致した訳が見えてきた。
その後、僕は部長という名称を勝手に「主将」と替え、体育系の華道部を目指した。というのはオーバーだったが、楽しいクラブ活動を追求した。部室で授業にも出ずに一人で生け花の特訓もしたし、失恋した下級生を慰めるために水盤でビールも飲んだ。思い出はいろいろあるが、紙面が尽きるので書けそうにない。
「主将」の時代。もう一度、やってみたい気もする。
山行後の温泉は、今や常識のようになっている。どの山へ行こうかと考えている時、実は、どの温泉に下りようかなと考えているのに等しい。そんな中で、やはり、この北温泉はトップレベルである。
北温泉は那須連峰の山麓にある。JR黒磯駅から那須岳へ向かう路線バスの終点は大丸(おおまる)温泉となっていて、この大丸温泉にも河原の湯があったり、皇太子の登山ガイドで有名なご主人の「おおたか」という旅館もある。北温泉は、ここからだと少し戻りながら30分は歩くことになる。途中には旭温泉もある。
だから、北温泉には山から直接下りていく方が断然イイ。茶臼岳を登ったら、峰の茶屋を経て朝日岳を登り、三本槍への途中で北温泉へ下ってくるのである。
やや長いなと思いながら最後の石段を下ると、そこには実に鄙びた趣のある木造の湯宿が待っている。
最初に訪れた時は、宿犬バロン(勝手に命名した)が出迎えてくれた。彼は僕の手ぬぐいをくわえて走り、宿の前の巨大な露天風呂に案内してくれたのだ。夜、タイヤにつかまり星空を見ながらゆったりとやわらかい湯に浸った。至福の時であった。また、内風呂の天狗の湯もいい。赤黒い天狗の鼻先を眺めていると、いかにもテラテラして、子供が授かりそうだ。
部屋や食事は素朴だが、宿の中は時間が静かにゆっくりと流れている。秘湯ブームで客が増えても、一向に建て替える気配もない。そこが、またいい。バロンはもういないけれど、次は誰が迎えてくれるのだろう。
関内アカデミーで観た「初恋のきた道」、いったい、どれくらい涙したことだろう。様々な場面で僕の頬を熱くさせたのは、誰あろう、このチャン・ツイー・イーに他ならない。
モノクロで始まる映画は、過去の追想シーンから鮮やかなフルカラーとなるのも、実に心にくい演出だ。村の小学校の教員として一生を終えた父、そして、その父に恋をして幾多の苦難を乗り越えて添い遂げた母。今は亡き父の葬儀を、母は立派に遂げたいと願っている。そう、父の亡骸を自分の手で故郷へ連れ戻したいのだ。
何と言っても、若き日の母を演ずるチャン・ツイー・イーの清純で愛らしい娘役がサイコーだ。こんなに一途に人を愛せるのかというくらい、彼女は青年に想いを寄せる。初めて逢った時の戸惑いの中にもうれしさがこみ上げる、あの微笑み。青年のために蒸し餃子をつくり、貰った髪留めをそっと髪に挿す、あの横顔。青年を待ち伏せし、いざやってきたら、ドギマギしてしまう純情さ。馬車で町へ戻る青年を必死に追い、走り、そして、大声をあげて泣く、あの泣き顔。雪の中でひたすら立ちつくし、青年を待つ、あの思い詰めた顔。その度に、僕は泣いたり、胸を熱くしていたのだ。
ラストで息子が母のために一度だけ、教壇に立って授業をする。彼の声を聞いて、思わず小学校にかつてのように駆け寄る老いた母。ああ、何ていい息子なんだろう。それにひきかえ、この自分は・・・。
そんな、チャン・ツイー・イのもう一つの顔も知った。それは「グリーン・デステニイー」。でも、僕の中では、やっぱり、「初恋のきた道」なんだな、これが。
「パパと呼ばないで」「雑居時代」「おひかえあそばせ」などのホームコメデイーで有名な男優。僕が見ていたのは高校生くらいだったか。ジーンズ姿もネクタイ姿もさまになる、ちょっとくだけた兄貴的な魅力がたまらなかった。中でも「雑居時代」のカメラマン大場十一(じゅういち)役は、憧れそのものだった。
「パパと呼ばないで」も「雑居時代」も、最近TVで再放映されて、幸運にして何度か見ることが出来た。
大坂志郎の気弱なお父さん役は不滅の味わいがあるし、松尾嘉代や冨士真奈美も、大原麗子や山口いずみも、江守徹たちも若い。そして、コミカルなホームドラマでありながら、中味はとても「濃い」。人と人との結びつきが本当にしっかりと描かれている。今時のトレンデイドラマにはない、何かとっても人間くさい「懐かしい」味わいがある。今見ると、あまりの「熱さ」に時として涙ぐむ。自分も、あの頃はもっと熱かったはずだと。
石立鉄男が大原麗子や松尾嘉代と、結ばれそうでなかなか結ばれず、誤解をされて大げんかしては互いの本当の心を確かめ合って行く様子は、今の恋人たちには耐えられないかもしれない。これを見たら、きっと離婚する人は減るのではないか。「もう少し信じてみようか」と必ず思うだろう。
石立鉄男、かっこいい!僕の兄貴だった。最近はあまり見ないけど、しかし、彼の熱烈なファンによって多くのHP(鉄王・雑居時代)が立ち上げられているのも最近知った。自分と同じように、彼の中に当時の自分や人間同士の絆を求めてしまう人がいるのだろう。
石立鉄男、いつまでも現役で!そして、涸れても熱く!
アメリカのロックバンド「ブロンデイ」の女性ボーカルというより、そのあまりにも個性的な美貌ゆえにマリリン・モンロー以降のセックス・シンボルにも喩えられる彼女だが、そんな彼女をたっぷり味わえるDVDを入手した。「Blondie Greatest video hits」、この中には世界的に大ヒットした「ハート・オブ・グラス」「ドリーミング」を始め、実に興味深いビデオクリップが収められている。
特に、デビュー初期の「X Offender」には驚く。ショッキングピンクのスタジャンにポニーテールのデボラが実に野暮ったくて可愛いのだ。眼窩の深い彼女の目にプラチナブロンドの前髪が揺れて、目がよく見えない所が妙に可笑しい。左右の足を交互に前へ踏み換えるステップ、上半身を揺らしながら歌う彼女は、しかし、とてつもなくヤル気満々なのである。
また、「Denis(恋するデニー)」では一転、プラチナブロンドを狼ヘアーにし、メイクもバッチリで、実にご機嫌で赤白ボーダーの水着?で歌いまくっている。あまりにキュートでセクシーなので思わずこちらもにやけてしまうのだが、彼女自身が本当に楽しそうなので何度見ても飽きない。マイクにキスしたり、腰を振りながら手に持ったマイクを左右に振って、唇の端で笑っているデボラ。カメラのどアップにぶりっこ気味に唇をとがらせながら歌い続ける。カメラがなかなかひかないのは、カメラマンも本当に魂を抜かれてしまいそうだからに違いない。
清純派好みの僕だが、こういうデボラには全くお手上げ状態だ。もう、メロメロである。
「駅弁には目がない」、そんなファンは数多い。かくいう僕も機会があれば、駅弁にチャレンジする輩の1人である。僕の育った地域では、何と言っても崎陽軒の「シウマイ弁当」が王様だった。5つのシウマイ一つ一つに洋からしをつけて、醤油をたらして食べる。パラパラとふられたゴマも小分けされた俵状の飯も実にいいハーモニーを醸し出す。ちょっとしょっぱい魚の焼き物やサイコロ状にカットされた味の濃いタケノコ、ほんのちょっぴり顔をのぞかせる紅生姜やコンブも欠かせない。そうそう、かまぼこ君も仲間に入っていた。中高時代の体育祭には必ずこの「シウマイ弁当」を食べていたように思う。もっとも、それはお袋の省エネ政策でもあったのだが・・。
学生時代にクラブやゼミの合宿があったり、就職して山を始めてからは駅弁を食す機会も増えた。思いつくままに、印象に残った駅弁を挙げてみると、「ますの寿司(富山」「高原野菜とカツ弁当(小淵沢)」「だるま弁当(高崎)」「釜飯弁当(横川)」「深川飯(東京駅)」「こゆるぎ弁当(湯河原)」「焼肉弁当」「三色弁当」「北海弁当」「棒寿司弁当」等がある。中には何処で食べたか、思い出せない物もあるが、その時の弁当の姿は目に焼き付いている。
さて、そんな中で今回うれしかったのは、新幹線の車内で販売されているスペシャル弁当であった。「おもてなし」と包み紙に書かれた二段重ねの弁当は、おかずの豊富さと飯の旨さもあいまって久々に感動した。スッチー似の衣装に身を包んだアテンダント・レデイに「ごゆっくり!」と微笑されれば更に味わいは増したかもしれない、などと余計なことを考えながら新大阪に向かう「のぞみ」に身を任せていた。